空間の歪
怪談というと、どうしても心霊現象に纏わる話を連想してしまいがちですが、中には心霊現象とは言い難いものもありまして、さりとて科学的にも説明のつかない現象があるものです。
私が以前、アルバイトをしていたコンビニのマネージャーから聞いたお話なのですが、この方も非常に妙な体験をなさっております。
このマネージャーは当時、まだ結婚もしたいななかった為、一人暮らしで気ままにあちこちを旅していた「自由人」という言葉がぴったりな方でした。
そんなマネージャーがある時、友人と車で愛知県の方へ遊びに行きました。
彼は根っからの競馬好きでして、その時はG1レースの高松宮記念があるという事で、わざわざ愛知県の中京競馬場まで足を運んだのだそうです。
レースの結果は、後日「負けた」と本人が悔しそうな表情を浮かべていましたので、まあ、いくらつぎ込んだのかまでは知りませんが、察してあまりあると言ったところでしょう。
帰りは行きと同様、愛知県から神奈川の方まで東名高速を使って帰って来る。
日曜とはいえ、比較的道も空いてたという事で、負けた悔しさを吹き飛ばすかのように高速道路を飛ばします。
ヴォォォォォォォ——
特に音楽やラジオをかけているわけでもないので、ひたすらアスファルトの上を滑走するタイヤの音だけが聞こえて来る。
同行した友人はというと、強行軍の旅だった為に疲れもあってか、助手席で寝息を立てていました。
話す相手も居ないので、マネージャーは運転をしながら終始無言ですよ。
こうなると、ある種……無我の境地とでも言うんですかねぇ。
音も耳に入らず、自分が今、何をしているのかも意識しなくなって来るものです。
一種のトランス状態なのかもしれませんねぇ。
やがて、ふと我に返ると、いつの間にか馴染みのある街中を走っていました。
友人を送る為に町田インターで降りたのだという事は分かったのですが、それにしては妙な感覚……。
「あれ?」
時間を見ると、友人が寝入ってしまった時間から30〜40分しか経っていないんですよ。
でも、友人が寝入ってしまったのは、まだ東名高速に入って間もない頃なんですよね。
場所にして言えば、大体、愛知県の岡崎辺りだったというのです。
そんな馬鹿な話はない。
岡崎から町田市まで、どんなに飛ばしたって30〜40分で着く筈がないんですよ。
「時計がイカれてるのか?」
普通はそう思うでしょう。
でも、どうやらそうでもないらしい……。
友人を最寄り駅まで送ってやったのですが、駅の時計も車の時計と同じ時刻なんですよ。
「早くねぇか?」
起きたばかりの友人も寝ぼけ眼で首を傾げていました。
「ああ……なんか変なんだよな……」
マネージャーも何とも説明のしようがなく、その場はそれ以上、この話題を膨らませる事もなく友人を見送ったそうです。
「アウターゾーンってヤツなのかねぇ……。なんか得体の知れない空間に迷い込んだのかなぁ」
などと、苦笑いを浮かべて私に語ってくれました。
「いやぁ、そもそも高速に乗った時間を勘違いしてただけじゃないですか?」
と、私も言いたいところではあったのですが、実を言うと……私自身が似たような体験をしていた為に、彼の話を全否定する事が出来なかったんですよね。
ここからは私の体験談になるのですが、私はそのコンビニで夜勤のアルバイトをしていました。
自宅から徒歩で15分ほどと非常に近い為、仕事の日は毎度、徒歩で通っていたんですね。
確か、22時頃の出勤だったと思うので家を21時40分頃に出て、いつも同じ道を歩いて行くんです。
その日は同じゲームをしていた仲間達とLINEでチャットをしながら歩いていました。
まあ、あまり長時間、スマホを見ながらというのも危ないので、ポケットに突っ込んであるスマホを時々取り出しては見て……という感じです。
夜の住宅密集地で、その時間になると殆ど車も通らない場所でしたから、返信する余裕もあったりして……。
しかし、いつもの慣れた道をひたすら歩いて行くうち、ふっと意識が飛んだ瞬間がありました。
それは丁度、メインの広い通りに差し掛かったところです。
いつもなら、そのメインの通りを左折して行くわけですが、そこから左折したのか、或いは真っ直ぐに突っ切ってしまったのかも分からず、その場所から記憶が飛んでるんです。
ふと気づくと、私は見覚えのない場所を歩いていました。
今まで歩いていた場所と同じような住宅地。それでも周囲の建物には見覚えがありません。
「あれ? どこだ? ここ……」
ボーッとしていて変な道に入ってしまったのか……と、その時はさほど気にも留めず、進行方向に向かってひたすら歩いて行きました。
どうせ地元ですからね。
馴染みのない道であっても、歩いて行くうちに知っている道に出られるだろうとたかを括っていたわけです。
そうこうしているうちに、案の定、見覚えのある通りに出ました。
それは先程、左折しようとしていたメインの通りだったんです。
「何だ……。割と近かったな……」
そう思って私はその道を左折しました。
当然、自分はただ真っ直ぐ歩いている感覚でしたからね。左に折れれば仕事場に向かっているものだという認識があったのです。
ところが左折して少し歩いて行くうち、妙に違和感を覚えました。
「え? こっち……うちに向かってるじゃん」
そうなんです。
仕事場に向かって真っ直ぐ歩き、メインの通りに出たら左折する……という当たり前の動作が、途中から見知らぬ道を歩いていた事によって認識の誤りを起こしていたんです。
私がそのメインの通りに出て来たのは、それまで自分の進行方向とは反対側から……。
例えるのなら、初期のファミコンゲームにあったような、画面の左側に引っ込んだら画面の右側から出て来た……というような感覚でしょうか。
「え? いや、待って? え?」
私は先程まで仲間とLINEでチャットをしていた事を思い出し、信じてもらえるとも思えないのですが、仲間に状況を伝えようとスマホを取り出しました。
そして……唖然としました……。
最後に私が送ったメッセージが1分前だったんです。
でも、自分の出て来た場所を地理的に見れば分かる事なのですが、道の反対側から出て来た以上、当然、左折を何度か繰り返してメインの通りに戻って来たとしか考えられないんですよね。
とはいえ、どれだけ最短のルートを辿っても、私が出て来た場所に辿り着くまでに少なくとも10分はかかる道のりなんです。
それを1分足らずで瞬時に移動してしまったというのは、物理的に説明がつかない訳です。
この時はさすがにゾクゾクと鳥肌が立ってしまいましたねぇ。
都市伝説としては、そういった瞬間移動の話は聞いた事がありましたが、そんなもの眉唾だろう……くらいにしか考えていなかったんですよね。
マネージャーの仰るように、何か空間の歪というようなものがあって、知らず知らずのうちに、その中へ迷い込んで別の場所から出て来てしまったんですかねぇ。
そうとでも言わなければ説明のしようがありません。
心霊現象とは違うと思いますが、そんな不思議な体験をしました。
お休み前の怪談 夏炉冬扇 @tmatsu
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