矢山行人 十五歳 夏35
秋穂のお母さんに通されて、僕は秋穂の部屋の前で立ち止まった。
まだ秋穂は学校に登校していなかった。そろそろ出席日数がまずかった。
ノックをする。
秋穂が応えて、僕はドアを開けた。
テレビ画面の電源は点いておらず、秋穂は勉強机に向かって、熱心にノートに何かを書き込んでいた。勉強をしているようだった。
「ゲームは?」
「終わったよ」
秋穂は手を動かしながら言った。
「何か変わった?」
「ううん、何も変わらなかった」
「そっか」
「行人は何か変わった?」
「いっぱい、変わった」
「そう。行人はそうやって、変わっていくんだね」
突き放す物言いではなく、自然とこぼれた言葉のようだった。
僕はしばらく考え、
「変わりたくなかったんだ」
と、本心から言った。
「どういうこと?」
「僕はさ、ずっと秋穂の用心棒をしていたかったんだ」
秋穂の手が止まった。けれど、それだけだった。
僕は構わず続けた。
「寺山さんが不登校になって、ミヤも学校に来なくなった時、僕、すげぇ戸惑っちゃったんだ。今考えたら馬鹿みたいだけど、僕はみんな横一列になって一歩一歩大人になっていくんだって、思っていたんだ」
当然、そんなことはないんだけどさ、とへらへら僕は笑った。
「みんな、知らず知らずに変わっていくし、それを止めることはできない。僕も僕が望まなくたって、変わってしまう。それでも僕は、秋穂の用心棒でありたかった」
「用心棒、懐かしいね」
言って、ようやく秋穂が僕の顔を見た。
本当に久しぶりに僕と秋穂は向き合った。
「私がお姫様で、行人が用心棒で。どうして、そんなことになったんだっけ?」
秋穂が狡そうな笑みを浮かべた。
覚えているけど、とぼけている顔だ。仕方なく僕が言う。
「海に落ちた月を見た時だよ。あの時も、秋穂は学校に行かなくなってて、で一緒に旅館に行って、僕ははじめて秋穂とキスをして膨らんでいない胸に触った」
「そんなことまで言わんでよろしい」
小学五年の秋、秋穂は不登校になった。
僕は秋穂に理由を訊ねなかった為、確かなことは知らない。ただ僕は何かと理由をつけて秋穂の家へ遊びに行った。
そこで秋穂を心配した秋穂の両親が企画した家族旅行に僕も誘われた。兄との関係で家の居心地を良しと思えなかった僕は二つ返事で了承した。
僕の両親へは秋穂の母が話を通してくれた。
「あの時に秋穂が泣いたんだよ」
「そうだったね」
夜、二人でホテルの近くの浜辺に出て、秋穂は泣いた。
自分の中にある全てを吐き出すような、容赦のない泣き方だった。僕は狼狽え、そして、約束をした。
秋穂のこと僕が守るから、と。
それが隣に立つ、王子様ではなくて、後ろに立つ用心棒として、というのが僕の自己評価の低さが窺えれるけれど、そんなことを力いっぱいに喋った僕に、秋穂は静かなキスで応えてくれたのだ。
僕らを包んだのは潮の香り、細かに立つ波音、柔らかな砂浜の感触、そして、海面に落ちた月の光だった。
何度かのキスをした後、秋穂は上のシャツを脱いで、僕に胸を触らせてくれた。
汗ばんだ秋穂の胸は当然、ぺったんこで、けれど心臓の脈打つ音を確かに手のひらに感じられて、僕はそれが愛おしくて仕方がなかった。
「僕は秋穂が泣くのを見たくない、そう本気で思ったよ」
秋穂はしっかりと僕を見据えていた。「
けど、それは私じゃなくて、他の女の子でも一緒じゃないの?」
寺山凛の顔が浮かび、安藤陽子の顔が浮かんだ。
「多分、夏休み前、いや一学期の最初の僕だったら、分からないって言っていたと思う。僕は秋穂と他の女の子を比べたりしなかったから」
「でも、今はちゃんと私と他の女の子を比べたんだね」
言い訳だけれど、そんなつもりはなかった。ただ自然と僕は秋穂とその他の女の子を比べていた。
「比べたんだと思う。けど、結果はやっぱり僕は秋穂を特別に思うし、大切にしたい」
「そっか」
「怒ってる?」
「なんで?」
「勝手に、秋穂と他の子を比べたこと」
「そんなことないよ」
言って、秋穂は僕に近づいてきた。手を伸ばせば届く距離だった。「行人、お姫様はね、待つの。それが仕事なんだよ?」
なるほど、確かにその通りだと思った。僕は秋穂の肩に手を乗せ、ゆっくりと胸に引き寄せた。
「ずっと待ってくれてたの?」
「待ってたよ。ゲームしながらだけど」
「あはは」
「ねぇ、行人」
「なに?」
「傍に居てくれる?」
「いるよ」
幼稚な誓いだった。
けれど、僕にとって切実な誓いであり、願いだった。
あの海に落ちた月に触れる 郷倉四季 @satokura05
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