第13話 約束

 その後、俺はこの物語の始まりである大聖堂に戻った。

 13年ぶりの教祖の帰還は盛大に歓迎された。そしてまた崇拝されたが少しも嬉しくなかった。何も感じなかったと言う方が正しい。地下牢での暮らしの中で、俺は完全に人としての心を喪失してしまったようだ。


 帰還した日の夕方ごろ、リンネが自殺した。サリファから聞くに、元から俺を解放し、教祖として元の鞘に収まるのを見届けたら死ぬつもりだったらしい。主教達から、遺書には俺への感謝の言葉が書いてあったという報告を聞いても、俺の心は凪だった。リンネから受けた拷問を理由に気が晴れる事も無ければ、惜しいと思う事もない。リンネはただ、信仰心しかない少女だったし、最初に言っていた通り俺の側を離れなかった。それだけの事だ。


 思うに、俺の精神は既に「解脱」と呼ばれる領域に入っている。この物語を俗世とするならば、俺は半歩そちら側、神々の世界に足を踏み入れている。それをこの世界の人々が聖人と呼ぶのか狂人と呼ぶのかは自由だが、13年前の俺とは決定的な何かが変わってしまっている。


 俺は旅の終わりに、新たな聖書を書き始める事にした。誰にでも分かりやすく書くつもりは最初から無い。ただ、神々の真似事をしたかっただけだ。俺にもそれくらいの事は出来るんだぞ、という程度の意味で、鎖に繋がれた登場人物の1人である事を否定する程度の意味で。


 俺が戻ってから1年が経ち、タロー教の信者は爆発的に増えた。聖書の評判がえらく良かったというのもあるが、俺に謁見に来た人の見る目は以前と比べて明らかに変わった。好きな芸能人に会ってテンションが上がったような前の状態とは違って、今では一言二言会話するだけで、物凄く難しい顔をして失望したように去っていく。首を傾げながら文句を言う者もいる。鼻で笑い、馬鹿にしたような態度を取る者もいる。だが何故か知らないが信者は増えていった。


「タロー様、生きる事は何故こうも辛いのでしょうか?」

「君の苦難は神が望まれたもの。つまり物語上の必然だ」


「タロー様、私の人生の意味とは結局何なのでしょう?」

「始まった物語には終わりがある。神はそこに君を導く」


「タロー様、この世界の終わりはいつ頃になりますか?」

「もう間もなくだ。君達は神の手を離れ自由を手にする」


 どれも大した事は言っていない、ただのメタ的な説明にも関わらず、誰も彼も俺との謁見を大げさに語って、自分の解釈を加えながら、地方の教会、人の行き交う道端、酔っぱらいしかいない酒場でタロー教の事を人に勧めているようだった。それに感化された人間が謁見に来て、全く同じ事を繰り返す。こうして無限に俺の教え(らしき物)は広がっている。


 それとこれは全くもって初めて知った事実だが、この世界には、というかこの世界にもと言うべきか、魔物達を統べる魔王という存在がいるらしい。俺がそれを知ったのは、魔王が直接俺に謁見に来た時だ、


「人間、貴様は絶望の淵で何を見てきた?」

「ただの真実」


 以降、魔王は全ての魔物が人間に危害を加えない事を約束し、タロー教に入信した。それでも勝手な行動を取る魔物に対しては元魔王が直接罰を下しに行くそうだ。つまり、魔王は聖騎士団に所属となった。笑えない話だ。


 俺の一体何が彼をそうさせたのかは全く分からない。平和を得たり、タロー教によって人間が何か得をする事についても俺はまるで興味が無い。ただこういった瑣末事も、また新たな理由になって信仰は拡散していくだけだ。


 おそらく、俺はきっとこの世界から逸脱してしまったんだろう。苦難も無ければ、それを乗り越えた達成感も無い状態。それがこの世界に存在するあらゆる生命にとって理解しがたいと同時に尊敬する理由にもなっている。


 だからこれは決して勝利ではない。地震が起きて、それで人が沢山死んで、「地震が勝った」と表現する者がいないのと同様に、俺にとってこの世界は1つの関心も無い虚無であり、すっかり飽きてしまった後の世界だ。


 立場が人を作ると言うが、そういう意味において確かに俺はこの宗教の教祖という立場を与えられて、事実そうなった。それも極短い間、字数にすれば僅か4万字の間に、すっかりそうなってしまった。


 10年、20年と時は過ぎた。タロー教は広まりきって、大きな戦争が何度も起きたが、俺に最初から敵など1人もいない。俺を憎む者が仮にいたとしても、俺を前にしてあっさりと命を差し出されるともう殺す事など出来なくなる。


 やがて俺の人生の残り時間もゼロになる。

 床に臥せり、懐かしい痛みが全身を襲うが、もう信仰魔法は効かない。寿命だ。空虚な人生がようやく終わる。こんなに楽しくない異世界転生をした奴はきっと後にも先にも俺以外にいないだろう。


「旅立ちのお時間です」

 枕元にはサリファが立っていた。結局、80年以上兜の下の素顔を隠し続けた彼女だけが、最後まで俺の側にいた。

「最後に、お約束を1つ守ります」

 サリファが言う。もちろん心当たりなどない。

「約束など、した覚えはないが……」

「あなたと交わした物ではありません。兜などで顔を隠した若い女性のキャラクターがいた場合、それを明かすと予想以上の美女であるというライトノベルにおけるお約束です」

 彼女もどうやら、長い年月をかけて逸脱してしまったらしい。

「そうか。じゃあ守ってくれ」

「はい」


 兜を脱ぐサリファ。お約束を守る為だけに。


 サリファは確かに美しかった。俺は美しいものが好きだった。



 終

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俺を信仰する宗教が広まった異世界に転生しました 和田駄々 @dada

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