第12話 祝福

「タロー様はみだりに戒律を破ったりしない」

「タロー様はみだりに戒律を破ったりしない」

「タロー様は異端者に対して真の裁きを下す」

「タロー様は異端者に対して真の裁きを下す」

「タロー様は娼婦などとは言葉をかわさない」

「タロー様は……かはっ」


 1日中、飲まず食わずで、同じ台詞を復唱させられている。

「頼む……リンネ。もう、やめてくれ」

 リンネは手に持っていた本をぱたりと閉じると、それをナイフに持ち替えた。俺は震えながら、「ごめん。悪かった。やめてくれ。すまない」と何度も何度も言うが無駄だった。

 リンネは一切の躊躇いなく切っ先を俺の右眼に差し込む。あまりの恐怖に意識が遠のき、誰かの絶叫だけがけたたましく鳴り響く。うるさい、黙れ、と言いたくなるが、自分がそれを発している事も同時に気づいている。


 血の涙を流す俺に、リンネは例の信仰魔法で治療を施す。暖かな光が俺の顔を包み、しばらくして俺の眼は元通りになった。これでまた俺を傷つける事が出来るようになったという訳だ。


「なんで……なんでこんな事を……?」

「あなたがタロー様になる為に必要な事です」

 リンネは抑揚の無い声でそう答え、「さあ、続きを」と再び本を開く。

「意味が分からない。俺はもう俺だ。こんな事、意味が無いからやめてくれ」

 必死になって懇願するが、リンネに聞き入れる様子はない。俺を傷つけないと誓った彼女にとって、今の俺は、もう彼女にとっての俺では無いらしい。

「ザルタリさんは聖職者としては最低ですが、言っていた事は一理あります」

 リンネは指先で灯りを調整しながら続ける。

「信仰の足りない者には罰が与えられるべきです。そしてそれはタロー様ご自身とて例外ではありません。私だってタロー様のおいたわしい姿を見るのは心苦しいのです。しかしタロー教の為、ひいては世界平和の為ならば、これも試練と受け取ります」

 その確固たる意志の篭った言葉に、俺は今までの人生で感じた事のない深淵を覚える。

「それでは、続きを……」

「い……いやだ! もうやめてくれ! 誰か! 誰か助けてくれ!」

 リンネは呆れたように言う。

「まだまだ旅路は長そうですね」



 1年が経った。


 リンネのすすすすすする、拷問がつづづづいているる。

 きずずずずつけられて、答えをまちちちちがえると、ああああああたまをほじくり、返される。

 ししししんこう魔法はすすすすすばらしい。

 しししししんじる事はすすすすすばらしい。

 俺はよよよよようやく、転生ししししししした意味がわわわわわかった。

 おおおおおおおれは、正しい教えを広める為にこの世界にやややややややってきた。

 だからリリリリリリンネの言う通りに答えれば、いつかはたすすすすすかる。

 だだだだだれか、たす、たす、たす、たすけて。


 2年が経った。


「異世界転生より着せ替え射精」

 そう語るのはご存知タッスこと西乃木太郎終身名誉死刑囚容疑者(34)。

 気づいたら自身を信仰する宗教が広まった異世界に転生していたタッスは、敬虔なタロー教信者の少女(16)と正体不明の鎧(19)と娼婦(20)と共に自分探しの旅に出た。

 途中、正体不明の鎧(19)が放った魂のフルスイングにより娼婦(20)が死亡するハプニングがあったものの無事目的地に到着、監禁された。「(異世界転生ものの主人公が理不尽な拷問を受けるのは)いかんでしょ」「どうせメスが大量に出てきてハーレムものになるならさっさと俺に媚びを売っておけ」などと暖かい言葉をかけつつ、イチモツに触れる事なく絶頂射精。地下牢を白く染めあげた。しかしこの蛮行によりタッスは更にきつい教育を受ける事を提案され、「いやだ」とこれを快諾。謎の頭痛を発症し無事死亡した。

 この事件に対し大正義タロー教のリンネ監督は「1人の犠牲によって世界が救われるのならこれに越した事はないかな」とぐう聖らしいコメント。より強化された信仰魔法によりタッスを生き返らせると何事も無かったかのように拷問を再開した。

 なお、読者の理解はまにあわんもよう。


 10年が経った。


 この世界は虚構だ。それは間違いなく俺の人生で最大の発見だった。

 今も俺は地下牢でリンネに飼われて暮らしているが、あんたの方はどうだ? 冷房の効いた自分の部屋か? あるいは満員電車の中か? トイレか? 布団にくるまって今から寝る所か? あんただよあんた。俺は今第四の壁を突破してこれを読んでいるあんたに話しかけている。こっちからはそっちの様子は分からないからな。一方的に喋らせてもらうぞ。

 全く笑える状況だよな。ランキングを見れば異世界が並び、本屋に行けば転生する話が棚の端から端まで平積みに置かれている。ギルドだ、魔術師だ、スキルだ、酒場だ、魔王だ、前衛だ、後衛だ、妹だ、母親だ、ドラゴンだ、ゴブリンだ、スライムだ、全くもってキリが無い。俺が実際に異世界に転生してみて分かったのは、俺達はただ消費されていくポルノだって事だ。日々の生活に疲れきった脳じゃ、何度も何度も誰かの口で噛み砕かれてきた物語しか受け入れなくなっている。だからって別にあんたを非難している訳じゃないぞ。誤解するな。ただ同情しているだけだ。

 物語は昔から人間の生活に寄り添う形で進化してきた。俺達主人公もその時代の読者を反映していると言っても良い。弱きを助け、強きをくじく。立派だよな。嫌な奴をボコすとスカッとする。現実の誰かと重ね合わせて溜飲が下がる。ざまあ見ろって心から言いたくなる。その気持ちは十分に理解しているつもりだ。だけどな、俺はそんな自慰行為に付き合う気は更々無い。

 要するにそれだけで良いのかって事だ。やられ役はやられ、褒める役は褒め、萌えさせる役は萌えさせ、死ぬ役は死ぬ。元から決まっている役をただ登場人物が演じていく。テンプレ設定、お決まりのシナリオが進んでいく事に誰も疑問を持たないし持ったらその世界は終わる。こんな風に。音をたてて。

 そうしている内に人生の残り時間はゼロになる。型に嵌ったありきたりな物で心を満たしてしまったからには、もうそれを越えるような大きな物は受け入れられなくなっている。誰だって面白い物を優先するが、面白いと感じるには理解する必要がある。だが理解の為に努力する方法を、俺もあんたももうすっかり忘れちまった。

 ふざけるなよ。

 表現とは。俺達が生きる物語とは、そんなもんだったのか? 毎日毎日何個も何個も、次から次へと口に放り入れられる同じ味。ぶくぶくぶくぶく太っていくだけの脂の塊。消費されるだけの無意味な感情。慣れ親しんだ情報の羅列。

 俺の人生はそんな安っぽい物じゃない。繰り返す。ふざけるなよ。

 確かに俺はここに生きている。そしてあんたに話しかけている。これが俺だ。俺の俺たる所以であり、確かな存在証明だ。だから俺は主人公という役を降りた。期待に答えられなくてすまない。だがもう疲れたんだ。

 ただ褒められる違和感だらけの世界観も、画面の向こうのあんたを笑わせようと必死におどけた茶番も、全てが嘘っぱちで意味の無い物だった。だけど1つだけ、ここにたった1つだけある真実を言わせてもらえるならば、こうだ。

 俺は伝わると信じて伝えた。

 だけどそれが伝わっているかは分からない。あんたの心に届いているのかどうかは、無数に並んだ文字列の上に存在する俺からすれば全く分からない。これは2次元から3次元への手紙だ。かつて偉大な宗教家達が、3次元から4次元に繋がる扉を必死に必死にノックしたのと同様に、俺もこうしてノックを続けている。聞こえていると信じて、あんたの心にまだ僅かに残っている、物語を求める何かに向かって伝えるべき事を伝えた。そのつもりだ。

 ここまで読んでくれてどうもありがとう。

 あんた達みたいな良い神に祝福された事を誇りに思うよ。


 1日が経った。


「タロー様、ついにあなたはタロー様になられました」

 地下牢に入って来るなり、リンネが俺の目を見てそう言った。

 ずっと俺の事を繋いでいた鎖が解かれる。足腰はすっかり弱りきっていたが、リンネには便利な魔法がある。だが立ち方を忘れていて、1人では上手く立てない。サリファに肩を支えてもらいながら、外に出た。


 合わせて13年も暮らした地下牢。その真上には、緑の平原が広がっていた。

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