第11話 奇跡
記憶を辿ろう。
俺はこの旅の最初の目的地をゾンデ村に定めた。魔物に襲われた村というのがどういう状況なのかこの目で確かめてみたかったし、寄進が無かったという事はタロー教がそこまで布教されていないという事でもある。サリファにとってみればとんぼ返りの道のりだが、迷う事もなく安全に進めるという事でもある。
朝に出発して、途中で休憩を挟みつつも夕方まで歩いた。そして道の交差する場所に、宿屋と酒場が合体したような施設があった。食堂にもなっていて、行商人や旅人が利用するらしい。他にもならず者やグレた兵士などがいて客層が良いとはお世辞にも言えなかったが、久しぶりの長距離徒歩で疲れきった俺にとってはとてつもなくありがたい場所だった。幸い路銀はたっぷりあるし、急ぐ旅でもない。俺達4人はここで羽を休める事にした。
「タロー様、それはお酒です」
テーブルに運ばれて来た料理を食べていると、リンネがそう指摘した。ああ、若返って未成年の身体になったのを忘れてた。でも異世界なんだし、その辺の法律とかはアバウトなんじゃないか。
「タロー教信者は儀式以外でお酒を口にする事を禁止されてます」
「まーた固い事言って。みんなこっそり呑んでるから大丈夫よ」
と言ってミカルが俺のコップに酒を注ぐ。リンネはそんなミカルを無言で睨んでいる。開祖としては自分の教えと矛盾する事はあまりしない方が良いのかもしれないが、ここはミカルの意見を採用させてもらおう。何故なら10日ぶりのアルコールの誘惑は、どんな聖人にも抗い難い物があるからだ。
コップに注がれた酒を一気に飲み干す。ぶどう酒、というかワインの子供みたいなもんか。フルーティーというかフルーツその物の香りだが、度数は意外と高いようだ。喉から鼻にかけてが一気に熱を帯び、1発で気分が良くなってきた。
「教祖様なのにイケる口なのね。ほら、どんどん呑んじゃいましょう」
ミカルが酒を注ぐ。リンネからの視線は痛いが、今は肉料理とこの酒の相性に免じて、欲望に身を任せるとしよう。
食事が半分くらい進んだ時、テーブルにいない人物に気づいた。
「あれ? サリファは?」
今日も1日中ずっと鉄兜を被っていたうちの頼れる聖騎士だ。一緒に旅に出たのなら、流石に素顔が拝めるかと思ったが、昼食の時は俺が用を足しに行っている間に済ませていたし、今は酒場に入るや否やどこかに行ってしまった。
「ここに入る時、周囲を調べてくると言ったきりです。どうしたのでしょう」
少し心配そうにリンネが言った瞬間、扉が勢いよく開いて縛られた状態の男2人が酒場に放り入れられた。その後からもう1人の男を肩で担いだ状態で入って来たサリファが、2人の男の上に無造作に置く。
「サリファ! これは一体……」
酒場の客達も目を丸くしている。近寄る俺とリンネ。
「昼間から尾行されていました。皆さんに伝えると尾行に気づいたのがバレるので黙っていました。先ほど捕まえて締め上げた所、ザルタリに雇われた暗殺者であると白状しました。狙いはタロー様と娼婦です」
ザルタリ。例の件で失脚したはずだが、おそらくは隠し財産でもあったのだろう。ミカルの口を塞ぎたいのは分かるが、何で俺だ。ついでか? 2人殺すとセット料金で安くなるのか?
「なんと酷い……。あろう事かタロー様の命まで狙うとは不敬にも程があります。この事は伝心の魔法ですぐに大聖堂に伝えなければ」
リンネが怒りに震えている。俺よりも俺の事を大事に思っているこの娘ならば、許せないと思うのも無理からぬ事だ。
「リンネ様、こやつらはどうしますか?」
サリファが尋ねると、リンネはノータイムで答える。
「処刑に決まっています。1秒たりともタロー様と同じ空気を吸う事を許しはしません。本来ならば火あぶりですが、今は首を跳ねるしかありませんね」
ちょいちょいちょい。またこの娘はすぐにヴァイオレンスな解決法をあっさり提示する。
「流石に即処刑ってのはまずいって。人目もあるし、かわいそうだ」
リンネは信じられないという目で俺を見ている。
「この者達はタロー様を殺そうとしたのですよ? その罪は自身の命をもってしか償えません。教義に照らし合わせるまでもなく、当然の事です」
やはり異世界。価値観が違うと思うべきか、この娘の過剰な信奉に恐怖すべきか。
「何にせよ、首ちょんぱなんて見たくない。縛って衛兵に引き渡すだけで良いじゃないか。幸い、この場所には兵士も良く立ち寄るみたいだし。後の事は任せよう」
「……もしこの者達が兵に裏金を渡して釈放されれば、再びタロー様の命を狙いに来るかもしれませんよ」
「確かにそうだけど、その時はその時だ。サリファなら何とか出来るだろ?」
と、俺はコンコンと鎧を叩く。表情は見えないが、微動だにせず黙っているあたりに自信が伺える。
「タロー様は優しすぎます。いつか痛い目を見てしまいますよ」
食い下がるリンネ。だが俺もこの数日でリンネの扱いには多少の心得が出来た。
「その時はリンネが癒してくれるよ。ほら、飯の続きだ」
俺の最後の記憶はここで終わっている。気づいたら、窓の無い牢屋の中にいた。檻の外に見える上り階段と、湿気が多いのにひんやりする土の壁からしてここはおそらく地下だ。何者かによって捕らえられたらしい。両手両足が鎖で繋がれ、服もパンツ一丁なので肌寒い。
ザルタリの雇った暗殺者が他にもまだいたのか、あるいは俺達の会話を聞いていた酒場の誰かが夜中に襲撃してきたのか。幸い、俺の隣にはミカルがいる、俺と同じく鎖で繋がれており、意識を失っているが、彼女が生きているのならリンネとサリファも生きているはずだ。
「誰か! 誰かーーー!」
俺は声を張り上げる。狭い空間に反響しているので、上まで届いているかは分からない。だがそれでも身動きが取れない以上は叫び続けるしかない。そうこうしている内にミカルが目を覚ました。
「ん……あれ? ここは……」
自分の手首に巻き付いた鎖を見て、繋がれた俺を見て、すぐに状況を把握したようだ。
「縛るのは得意だけど、縛られるのは趣味じゃないのよね」
「言ってる場合か。一緒に声を出してくれ」
それからしばらく俺とミカルは声を張り続けた。だが、一向に変化は訪れない。身代金目的の誘拐なら見張りがついていないのはおかしいし、手持ちの荷物と金が目的なら俺達をこうして捕まえておくのは意味が無い。何か妙だ。
声を出しすぎて掠れてきた時、俺は1つのアイデアに行き着いた。
「ミカル、祝福を受ける気はないか?」
「は?」
リンネに祝福を与え、彼女はナース服に着替えた。いや重要なのはそこではなく、信仰魔法が強化されたっていう所だ。もちろん、司祭でもないミカルに信仰魔法の心得は無いが、娼婦だって立派な職業だと思うし、何らかの力に目覚める可能性はある。
「あたし、聖書すら読んだ事無いんだけど」
「それはむしろありがたいよ」
俺はリンネにかけた祝福の言葉を思い出しつつ、それを声に出す。手も足も自由にならないが、口だけで出来る事はこれくらいだ。
そして奇跡は起きた。
ミカルの身体が光に包まれ、それが収まった時にはミカルは黒のボンテージスーツに身を包んでいた。また微妙に卑猥なコスプレ衣装だ。これは俺の煩悩のせいなのか、それとも祝福を受ける側の問題なのか。
「あれ……? なんか力が、身体の底から漲って……」
次の瞬間、バキッという音と共にミカルが鎖を引きちぎった。ゴリラでも苦戦しそうな鉄製の輪を、バームクーヘンのように曲げながらちぎる。凄まじい怪力だ。
相変わらず祝福の仕組みは謎だが、今回ばかりは聖衣のおかげで助かった。
ミカル自身も自分の力に驚いているようで、手の平を何度も握って確かめている。
「混乱している所悪いんだけど、早く僕の鎖も解いてくれないか」
俺はミカルの顔を見上げる。
次の瞬間、ミカルの首が跳ねて胴体から切り離された。
薄暗闇の中に光る刃が遅れて軌道を残した。どさり、とミカルの頭部が床に落ち、胴体はバランスを崩した積み木のように、後を追った。血は噴出しなかった。だらだらと、地面に垂れ流されただけだ。
眼前で起きた事を俺が理解するより前に、ミカルの背後に立っていた人物がこう言った。
「あなたはまだ、タロー様になれていない」
血塗れの剣を持ったサリファ。
その隣では、慈愛に満ちた笑顔のリンネが俺を見ていた。
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