ある仕組みを目指す彼女のできごと

第29話 番外の来訪者

 その日は、ありふれた日常であり、それはいつもの光景だった。

 学園も休息日であり、朝からミルルクが来ていることに理由が必要だとも思わない。そして、セリザワエリアに行っていた光風みつかぜが帰ってきて、ディカの店に顔を見せれば、その光景がもう、いつもの日常である。

「よーっす」

「やあ、お帰り光風」

「あら、無事に帰ってきましたわね」

「なんとかな。いやすげーところだ、術式も含めて機械技術の発達が、ノザメとは大違いだ。戸惑いの方が多かったくらいに」

「うん、そうだね。セリザワは特にモノづくりを中心にして生活していて、そのための副産物でエリアを豊かにしてきた。うちでも携帯端末なんかは、あっちから持ってきたものだ。けれど全てじゃない」

「そこな? 特に隠してたりするわけでもなく、あったら便利そうだなって思うものでも、こっちではあんま流通してねえものとか、結構あるんだよな。技術屋不足も疑ってはみたが、そういう理由じゃない」

「そうだね。どちらかと言えば、政治的な理由もあるけれど……」

 カウンターに座ったまま視線を向ければ、ミルルクが首を傾げて。

「どちらかといえば、鮮度と似たような問題ですわね」

「鮮度?」

「うちのお父ちゃんも、最初は苦労したそうですわ。なにしろ、ノザメまでは距離がありますもの。生産者がこちらへ来ても、牛がいなくてはどうしようもないでしょう?」

「ノザメになくて、セリザワにあるものか。しかもそいつが、移動できない」

「それが何なのか、次に行った時は探ってみるのも面白いだろうね。ああ、穂波ほなみも――」

 入口から。

 いつものように穂波が姿を見せて、中に入って来るまでは、良かった。

「おはようございます。あの、ディカさんにお客様が……」

「――」

 その背後から、年齢もそう変わらない少年と、侍女服を着た女性が入ってきて。

 立ち上がったディカは、侍女の胸元についた青色の宝石に目を奪われ、しかしすぐに、深呼吸を一つした。

 驚きから立ち直る。

「――うん、おはよう穂波」

 カウンターを出て、そして。

「光風、ミルルク、すまないけれど――聞いていても構わないから、口を挟まないで欲しい。あまりにも説明できることが少なすぎる。それと」

 メモにペンを走らせて、それを穂波へ。

「書いてあるものを、倉庫から持ってきてくれ。急がなくていいよ、着替えてからでも充分だ。頼んだよ」

「はい、わかりました」

「うん。やあ、お待たせしたね。店主のディカだ」

「エーリエだ」

 お互いに軽く握手をして、そして。

「――やあ、アクア。

「はい、初めまして。表の看板を見た時は驚きました」

「だろうね。じゃあカウンターの椅子へどうぞ、その方が話しやすいからね」

 光風とミルルクは、何も言わない。お互いに会話もせず、耳を傾ける。

 しかし警戒はしていた。

 この来訪者は、自分たち以上の実力者だとわかったからだ。

「さて、俺にわかったのは、どうやら父さんが噛んでいるってことかな」

「うん、その通り。僕たちも詳しくは息子に聞けと、そう言われている――けれど?」

「煙草の香りだよ」

「なるほどね」

「分析を続けようか? 君はきちんと魔術師だけれど、特定の領域からは手を伸ばそうとしていないね」

「たとえば?」

「――世界の理、かな。俺から見ると、生存能力に特化している。良し悪しじゃなくね」

「……僕よりも実力はありそうだ」

「どうかな」

「僕は地下で生活していた時間が長くてね、今はアルケミエリアで発見した地下遺跡へ潜ってる」

「このあたりには、あまり洞窟もないよ」

「あまり?」

「うん。ちなみにその遺跡っていうのは、広い?」

「広く深い。遺跡とは言ったけれど、いわば迷宮だ」

「ふうん……なら、

 ごくごく当たり前のように言ったそれに驚いたのは、ミルルクと光風だけでなく、エーリエもだ。

「君は凄いな」

「知識があるかどうかだよ、ただそれだけ」

「どういう考察か、聞いてもいいかい?」

「スライド――で、いいかな」

「僕たちもそう言ってる」

「うん。スライドが発生して、エリア間での人の行き来が封じられて、おそらく数千年。こうなってしまった理由はともかく、最近ではそれなりに移動できるようになった。どうだろう」

「こちら側でも、大小を問わず、三つくらいのエリアは移動できるね。ただ、いつからかは知らないよ? さっき言った通り、僕は地下で生活していたから」

「うん、でもそれは最近のことなんだ。けれど、それじゃ駄目なんだ」

「へえ?」

「閉ざされた世界では、衰退する。それを解決するのが広さなんだけれど、スライドがある以上、一定規模からは大きくなれないし、子供の数だって増え続けるわけじゃない。世界にとってそれは制御できないもので――けれど、人を失ったら世界そのものが終わる。終わってしまう。これは観測者がいないと、物体が確定しないのと同じことだ」

「続けて」

「だから、世界は――まあ、裏技みたいなものを用意したんだ。スライドの影響がない場所、どうにか通じて人の交流が生まれる方法。地下がそれほど広くないなら、それは洞窟だ。遺跡や迷宮という言葉で表現するなら、それはもう、エリアの外側にまで通じていておかしくはない。だから抜け道かもしれないね」

 なるほどねと、エーリエは頷いた。

「じゃあメメと管理者リーパーについての考察も聞かせて欲しい。僕の理由はそこだ」

「うん、それは初耳だけれど、どういうものかな」

「管理者とは、洞窟にもいるんだけど、地下において人と魔物を区切らず、それを討伐して間引き、整理をするヤツだ。文字通り、管理をする者と僕たちは呼んでいる」

「魔物も含めて、ね……形状は?」

「共通点は多いけれど、個体差があってね。僕は何度か発見してるけど、討伐は二体のみ。基本的には逃走を選択してる」

「本来なら、逃走は許されない?」

「しつこいのは確かだよ。特徴は、攻撃時以外は具現時間が短い。空間転移ステップを多用している感じが一番近いんだけど、基本的には消えてる。攻撃時にのみ出現して、物体は透過してるかな……」

「障害物は意味を成さない感じだね」

「何より特徴的なのはその顔だ。何もない空間に赤色で、三本の線が描かれてる。その顔が対象を見つけた瞬間、全て開いて、笑みになる。僕もさすがに、あの顔を見ると背筋が凍るよ。まるでピエロだ」

殺人鬼ピエロ……うん、じゃあ、得物は?」

「それは変わるよ」

「へえ――たとえば?」

「まあ知り合いみたいだから言うけれど、ガーネの時は刀を持っていた。ほかに僕が知ってるものだと、ナイフと銃、槍、剣か。ナイフの時には偶然にも、倒したあとに残っていたナイフを回収したけど、業物だった」

「実物を見ないと確かなことは言えないけど、予想はあるね」

「聞こう」

「世界に記録された、過去の人物の〝型〟を使っている可能性が高い。おそらくは得物を扱った戦闘技術だけで、肉体そのものは再現できないはずだけれどね」

「そんなことが?」

「――世界の中に、同一人物は存在できない」

「……そうだね。確か自身の存在を複製する、残影シェイドなんて術式があったはずだ。あれは存在の消滅を防ぐ機構を第一にしていた」

「間違いじゃないよ。その上で、こういうのはどうだろう。たとえば異世界において、ほぼ同じ歴史を歩んだこの世界と同一の向こう側から、

「……?」

 そっと、アクアが目を伏せるのに、エーリエは気付かない。

「どういうことかな」

「仮に、俺がこの世界で死んだとしよう。それから百年後、あちら側ではまだ生きている俺が、こちらに召喚された。この場合は同一存在になるかな?」

「別世界である以上、同一とは言い難いね」

「けれど〝世界〟という視点では、その酷似を同一と見る場合が多い。そうするとね、排除の動きじゃなくて――かつて死んだ存在のカタチを、順応させるんだ」

「……言うなれば、枠組みが残っていて、そこに当てはめる?」

「それだけじゃないよ? でも、それがあるのは確かだ」

「つまり、記録として、それは残っている。その情報を引き出して、――管理者に当てはめている?」

「そう、戦闘能力の高い誰かをね。得物がそれぞれ違うのも、それなら納得できる」

「そういう可能性は考えてなかった、参考になるよ」

「あくまでも想像だけどね。今は失われた技術と考えるなら、それはそれで価値がある。危険性は高いけれどね。――さて、もう一つはメメ、だったか」

「そう、メメ。メイズメーカーと呼ばれているものだ」

「迷宮を創る存在か」

「誰も見たことがないのに、それは禁忌だと謳われている。探るな、触れるな、――見つけるな」

「……なるほど、ね」

「君はすごいな」

「いや、確かに禁忌になりそうだ。おそらく、――気が狂うよ」

「何故?」

からだ。ともすれば、全てがひっくり返る。魔物を生み出し、地下を掘り、そこには、とてもじゃないが、そういうものだと納得もできない」

「掘った土さえも消える?」

「その程度なら、驚きで済むよ。ただ――あるいは君なら、メメの発見の先に、生き残る方法もあるかもしれない」

「……」

「それほど生には執着しないって顔だね」

「僕は魔術を覚えると決めた段階で、無理なのは承知だよ。躰の中身が壊れていくのも納得済みで、僕はこうなった」

「だからせめて?」

「そうだね、メメを見てやろうとは思ってる」

「俺から言えることは、敵対意思を見せないことだ。けれど簡単じゃない――おそらく、目にした瞬間、君でなくとも人間ならば、壊さなくてはならないと、本能が叫ぶ」

「肝に銘じておくよ。――ありがとう、僕はとりあえず、これで充分。君には勝てそうにもないね」

「そう? まあ、そうありたいとは思ってるよ。そっちにいる光風みつかぜとミルルクは、俺の友人でね。どうだろう、時間があるならそっちに座って、話してみるといい」

「そうだね、そうさせてもらおうか」

 立ち上がった二人は、お互いに握手をして、エーリエは備え付けのソファへ。

 ――そして。

 アクアと、ディカが残された。

「……すまないと、謝るべきかな」

「ご存知なのですね?」

「俺が知っているのは、あるいは君ではなく、そして君と同じものなんだろう」

「では」

「うん、父さんたち四人を含めて、僕もまた、鷺城さぎしろ先生に教えを受けた一人だ」

「……、あちら側の話は、どこまで聞いておられますか」

「そうだね。これは先生から聞いた話だけれど、たぶんアクアは、先生が亡くなる頃を前後して、眠りに入ったはず。目覚めるかどうかは半半はんはんってところじゃないかな。きっと父さんは何も話していないだろうけど――あちら側の鷺城先生はね、死ねなかった」

「死ねない?」

「そう、死ねない。肉体時間の停滞オーディナリィループによって、躰の成長速度がある時期から極端に遅くなってしまうんだ。俺でさえ、先生は三十歳前後だと思ってたくらいの風貌ふうぼうでね、最低でも四千年は生きた」

「――」

「けれど、こちらの世界には、それがない。つまり分岐点があったとしたら、こちら側の先生の死なんだと教わったよ。あちら側では、先生は観測者としての立ち位置があって、その影響は少なからず世界に与えてしまった。しかし、同一の観測者がいないこの世界では、その時点から大きく変化が訪れた」

「繋がりが消えたのがこちら側ですね……」

「うん、まあ、残ったものもあるけれど、そういうことかな。君なら知っているだろう、ベルとマーデ……ええと、なんだったかな、二代目だ」

「はい、存じております」

「特に顔を合わせるのでもなく、先生にとって二人の存在は、自分と同じ長い時間を生きる友人のようなものだったそうだ。しかし、先にその二人が死んだ。原因は詳しく知らないけれど、たぶん、油断だったんだろう」

「長く生きたからこそ、これで終わってもいいと、そんな瞬間が訪れた時、受け入れてしまう――ですか」

「そういう感じだろうと、先生は苦笑していたよ。――それは先生も同じだ。ゆえに、二人を亡くした隙間を縫われ、こちらの召喚式に組み込まれた」

「一つ、よろしいでしょうか」

「どうぞ」

「疑ってはいません。けれど聞かせてください。その方にとって、友人は誰だったのでしょうか」

 その方と、まだアクアは区別する。

 けれどそれは、疑いがない以上、信じたいから教えてくれと表現しているのと同じで。

「うん」

 ディカもまた、微笑みながら応える。

「口が悪くて、顔を合わせるたびに皮肉を言う生意気な女――どういうわけか、思い出すたびに不機嫌になって、よく父さんたちが殴られてたけれど、きっと、一緒にいた医師よりも先生にとって、――朝霧あさぎり芽衣めいだけは、忘れられない友人だったよ」

「――」

 アクアは、何かを飲み込んで、しかし。

「本当に……鷺花様なのですね」

 そう言って、嬉しそうにほほ笑んだ。

「あのひねくれた性格もきっと、同じだったんだろうね。アクアにはきっと、こっちにいた鷺城鷺花が同じことを言っただろうけれど、母親のようで、姉のようで、友人のようで、そのどれとも違った、親しい人だと」

「ふふ……ディカ様は、鷺花様とは?」

「ああうん、こっちに来てすぐ教えを受けたのは、父さんたちの四人だ。俺は息子として拾われて、二年くらいかなあ……どういうわけか、鷺城先生が魔術を教えてくれてね。体術はついでだったけど」

「厳しかったでしょう?」

「当時は、よくそう思ったよ。先生は当然かもしれないけど、俺にとってはそうじゃないんだって、言っていた覚えもある。ただ今になれば、本当に当然のことだったんだと、納得できた。たぶんそれも見越して言っていたんだろうね」

「失礼します。ディカさん、これ」

「ありがとう」

 二つの箱を受け取り、それから。

「もう一つ、頼まれてくれる?」

「はい、なんですか」

「いつもの喫茶店に顔を見せたら、店主にコレニアを呼ぶよう伝えて欲しい。俺の名前と、それから鷺城鷺花に縁のある人が来たと、その二つを付け加えてね」

「ん、わかった。じゃあいってきます」

「お願いね」

 そうして、一つ目の箱を開けば、そこにあるのは青色のブローチだ。以前、光風を経由して持ち込まれたものである。

「あら……」

「これは、アクアのものだろう? 今はもう、装飾品としての役割しかないだろうけど、大切なものだと思ってね。ただ、君の魂の残滓が含まれていたから、封印はさせてもらったよ。まあ俺がやったわけじゃないけど」

「……この魔力波動シグナルは、もしかして、グラビ様がいらっしゃるのですか?」

「――」

 その一言で、理解した。

「そう、そうか、なるほどね……鷺城先生は彼女を見つけた時、グラと、そこまで言って口をつぐんだ。だから俺たちはずっとグラで通してたし、グラビって猫族の子が一緒にいたのも聞いていた」

「だからこそ、同一だとは思わなかったのですね」

「どういう経緯で?」

「グラビ様も同様に、眠っていらしたのでしょう。鷺花様から最期に、魔術の継承を行い、それを馴染ませるための睡眠だったかと」

「それが今になって? だとしたら、数千年というよりも、むしろ」

「ええ、数百年かと」

「先生の読み通り、やっぱり向こうとは時間が違ったんだね……」

 何も。

 世界という器が、全て同時期に作られたとは、限らない。あちら側が先で、成功したからこちら側も同じにした――という可能性だとて、あるにはある。

「うちに住んでるから、そのうち顔を見せるだろうね。こっちを見て回るくらいの時間はあるんだろう?」

「はい、そのつもりです」

「父さんたちが使ってる屋敷が残ってるから、そちらを使うと良い。呼び出しをしてるコレニアは、まあ、俺のばあさんみたいなものなんだけど、いわゆる裏役でね。ノザメの暗部の代表だ。汚れ仕事をしてる」

「あら……馴染んでいるのですか?」

「支配はしてないよ? ただ無視はできないね。冒険者をまとめ上げてるのも事実だから。俺に言わせれば、その程度かと思うくらいだけど、身内だからね」

「鷺花様とは?」

「あはは、侍女にふんして仕事をしてるのも一因でね。先生がこっちに召喚されてすぐ、護衛としていたのに目をつけられて、否応なく世話役として傍に置かれてさ。当日からだよ? 鷺城なら仕方がない――それが口癖になったって」

「あらあら……」

「だから警戒しなくてもいいし、何かあったら俺が潰しておくよ」

「ええ。しかし――召喚式ならば、目標物があったのでは?」

「ああうん、こっちの代物は違うんだけど、いや、先に渡しておこう」

 もう一つの箱には、ダイヤモンドをあしらったイヤリングが入っている。

「これは……」

「うん、鷺城先生が昔に使っていた魔術武装だね。思考補助に限りなく近いものらしいけれど、俺には使えないし、先生はきっと、何かを残してるはずだ。たとえば」

 確証はない。

 けれど、それが当たり前のような気もして。

「長く眠っていた人が目覚めて、周囲の時間に追いついた時、その場に留まることを選択しそうならば、その後押しをしてやろう――とか、そういうものがね」

「……ええ、鷺花様らしいですね。けれどそんなこと、口が裂けても言わない」

「気付くのはいつだって、後になってからだ。仮にそうじゃなくても、俺には想い出があるから、アクアにあげるよ」

「ありがとうございます」

「うん。ええと、そう、目標物だけど、あちらの世界からレインが来ていてね。俺は逢ったことないけれど」

「――レイン様が?」

「そう、ナンバーエンデが刻まれた大剣だけをここに置いて、レインエリアでずっと眠っていた。それが目印になったんだ」

「……つまりレイン様は」

「先にこっちに来て、先生のために時間を過ごした。そのあたりは、俺よりも父さんたちが経験したことだね。――アクア、俺からも一つ聞きたい」

「はい」

「あるんだね?」

「はい、――。旦那様が創られた刃物は、なくなるものではございません」

 その言葉には自負があった。確信もだ。

 それが当然なのだと。

「お探しになられますか?」

「ううん、どうだろう。俺の目的が達成できたのなら、あるいは」

「お聞きしても?」

「強すぎて動けない魔物たちを、俺の家族を、一緒に暮らせるようにしたいだけだよ。俺はそこで生きていたからね」

「それこそ〝型〟を作るのは難しいのですか?」

「それも考えたんだけど、マシロの――九尾の人型なんてものは、あまりにも大きすぎてね。ひつじ山羊やぎにも当たったけど、返事はなかったよ」

「――あら、あの方たちと交流が?」

「それなりにね」

「それはそれは、まだエーリエ様には早かったですね」

「そう? うん、そうかもしれないね。彼らと立ち回るには、それなりに必要なものも多い。だけど俺は地下に詳しくないから、比較できるものじゃないよ」

「謙遜ですね。――っ」

 席を立ったアクアは、両手を前で揃え、姿勢を正す。その視線の先、二階への階段から降りてくる足音は小さく、その気配は大きく――。

「グラビ様……」

 降りて来た長毛種の、太ったとも表現できる大きな猫は、9キロあるとは思えない動きでカウンターの上に飛び移ると、座ってから吐息を一つ。

「久しいな」

「ええ、お久しぶりですグラビ様」

「今はグラで通っている」

「しばらくこっちにいるから、グラも一緒に行動したら?」

「……抱えられながら移動するのは嫌いだ」

「ああそう。寝る時は誰かと一緒なのにね」

「ふん」

 扉の外、少し慌ただしい様子でやってくる小柄な侍女を見つけ、ディカも立ち上がった。

「帰る時じゃなくても、顔を見せてくれて構わないよ。アクアもエーリエも、話したいことはきっと見つかるだろうから」

「はい、ありがとうございます、ディカ様」

 リコがいないのは、助かった。

 きっと昔を思い出して、めそめそと泣き出すだろうから。

 ディカにとっても、鷺花の思い出は未だに残るほど、心に刻まれている。だからこそ、こうした会話を楽しめるのだ。

 ――ただ。

「アクア」

「はい?」

「アクアと接触したのは父さん……ファゼットだね?」

「はい、そうです」

「うん」

 まったく、世界は面白くできている。

 鷺城鷺花が生きていた、その欠片を発見していたのは、ほかの三人なのに。

 大きなものを見つけるのは、欠片さえ見つけていなかったファゼットなのだから。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今は亡き者からの指針 雨天紅雨 @utenkoh_601

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ