第28話 これから探す二人の位置

 レインエリアでの数日間は、遊びに鍛錬に出会いと、あるいは日常めいた息抜きをして、それなりに二人の距離も、それなりに安定したと思う。

 しかし、ノザメエリアに戻ってきたら、いつも通りの――本当の日常と呼ばれるようなものが、また始まるのだ。

 光風みつかぜは学生で。

 メジェットは花蘇芳はなすおうの教官役。

 お互いに逢う約束もなく、戻って十日が過ぎた頃、光風は。

 

 自分の行為に付随する気持ちにも途中で気付いたし、まあなんだ、これはもう負けなんだろうなと思うくらいには受け入れもできた――が。

 やはり迷いはあって。

 強引なくらいが丁度良い? そんなものは相手次第。

 とりあえず、理由が作れたんだから逢おうと、そう思って打診したのが、エレット・コレニアである。

「構わんぞ」

 メジェットはいるのかと問えば、案内してやると軽い返事。花蘇芳は一応、それなりに隠れて存在しているはずなのだが。

「お主のことはそれなりにわかっておるし、良かろう。わしも休みが取れたから戻るところじゃ」

「ああ、そう。良かったのかどうかはさておき、助かるよ」

「して、用事とは?」

「ああ、学業もそろそろ落ち着いて新学期まで休みになるし、セリザワエリアへ真面目な旅行って考えてて、これもまあ旅の予行練習だろ。そういう言い訳」

「言い訳か、クックック……」

「笑うなよ」

「お主なら、もうメジェと呼んでも構わんぞ」

「そりゃ身内ってことか? 許可だけなら受け取っておくが――そもそも、そっちの身内とか、どうなってるんだ? たとえば結婚してる人とか」

「基本的には外部じゃのう。リリなんかが典型なんだが、旦那は何も知らん。仕事をしているのは知っているが、こちら側には立ち入らん。そこらは夫婦関係なので細かくは言わんが――逆に、お主のよう知っている者もおる」

「……」

 まだだ、と否定すべきか、どうして俺なんだと疑問を作るべきか迷ったが、右から左にスルーしておいた。

「わしとしては、子供の事情にあまり干渉しとうなくてのう。もちろん、下調べはするが」

「そのくらいは最低限だろ。つーか、野郎もいるんだろ? あんまり見かけないけど」

「男は内には囲わん。店舗持ちや、各地に散って仕事をさせておる」

「適時、情報を流したり駒としてか?」

「パイプや足場を作るのが仕事だ。もちろんそれだけではないがのう」

「俺にその役目が振られることがないよう、祈っておく」

「ほう?」

「なんだよ」

「思ったより前向きじゃな?」

「コレニアさんならわかるだろ、男の弱味ってやつだ」

「以前にも言ったが、わしは感謝しておる。だがな? お主には、泣かすなとは言わん。言わんが、捨てるなよ?」

「面倒な女だってことは、よくよく理解してるさ」

「肝心なところで返答をせんのう」

「それは本人に言うって、前も口にしたはずだぜ。それとも、返答がなけりゃ案内しないっていうなら、次の機会を待つけど?」

「その時は一人で行くつもりか?」

「俺にはディカって手札もあることを忘れるなよ」

「……それは卑怯じゃろ」

「だいぶ苦手にしてるよな。ディカは笑って、コレニアさんが相手ならどうとでもなるって言ってたけど」

「あやつは、ファゼよりも厄介じゃ……」

 そもそも、ノザメに居座ることを決めたディカは、ファゼットよりも多くの手札や対応を用意しているはず。その点が面倒に感じるのだろう。口の悪さというか、話術に関しては、どっちもどっちだ。

「ほれ、入り口はこちらだ」

「浄水施設の傍か。人の出入りも少ない上に、役員を囲っておけば楽だな。ここだけじゃなさそうだが――俺が一人で、扉をノックするのはやめておく」

「お主はそういうところ、きっちりしておるなあ」

「弁えているだけさ」

 ステンレスの階段で地下に降りれば、空気がやや冷たく感じる。もう秋も終わりだ。

「暖房設備は?」

「内部には完備しておる」

「工事の連中も身内か……大変だな、母親ってのは」

「なあに、息子も娘も大勢いるから、随分と助かっておるとも」

「なるほどな。ちなみに――うちの親父とは?」

「いわゆる諜報員の一種で、わしの家族ではない。ないが、かつて評議会を潰した際には、随分と情報を貰ったし、突入の手配などもさせた。相応の金と共に、今は気楽に尻を磨く仕事をしとるじゃろ」

「やっぱり関係してたか……」

 当時のことは詳しく知らないが、定時帰宅をするし、出勤日数もそれほど多くはないので、ファゼットに話を聞いてからは疑っていたが、やはりというべきか。

 危ない橋を渡るものだと苦笑したくもなる。

「爺さんも、大爺さんも学園関係者だ。当時、評議会と繋がってた教員も退職してただろ」

「うむ、その通り。そちらからも情報を得た」

「やれやれ。道理で、俺が外に行くって言っても、それほど強くは引き留めないわけだ」

「ありがたいじゃろ?」

「いつ俺に話すのかっていう問題はあるけどな」

「メジェを連れて帰れば、話すじゃろう」

「ふん」

「そこらは話を通してあるし、お主なら話しても構わんとも。――しかし、それはそうとして、歩幅を合わせることを覚えたか」

「以前は違ったか? 良いことだろ」

「メジェはお主に影響を与えおるか?」

「まあな。詳しくは本人に言う」

「うむ」

「嬉しそうだな?」

「もちろんだとも。わしの娘じゃ」

「帰る場所ってのを守るのも、大変だろうとは思うけどなあ……」

「それはお主が気にすることではあるまい」

 そう言ってくれるなら助かるがと、通路を歩いた先にある部屋に到着した。

「訓練場?」

「わしの部屋はその奥じゃ。騒がしい気配が好きでのう」

「ふうん」

 中に入れば、ジャージに刀を持ったメジェットがいて、これまた女性や少女が四人ほどいた。

「あ、母さん、お帰り」

「うむ、メジェの客だ、相手をしろ」

「――なんで来たの光風ちゃん」

「あ? なんで睨まれるんだ、ここで。用事がちょいあってな」

「あ、そう」

 足の先がこちらを向いたが、無視しておいた。

「あー! メジェ姉ちゃんを泣かしたヤツだ!」

 という叫び声に似た合図から、どういうわけか訓練中の四人全員がこちらを見る。小さく笑ったエレットが距離を空けるが、たぶん元凶はこいつだ。

 踏み込みを見て、応じようかとも思ったが、そちらもやめた。接敵を任せ、顎を狙うような蹴りも無視――だが、蹴った少女はそのまま、空振りして姿勢を崩した。

「あれ、――なんで!?」

 メジェットの攻撃気配が消えたので、光風もそれ以上は踏み込まないよう立ち止まる。続けられる攻撃は、四人それぞれ違うものの、有効打は一つもない。

「ちょっと姉ちゃん、こいつ変なんだけど!」

「んー、そうねえ」

 やっていることは難しいが、結果だけは簡単で、つまりは自分の周囲に瞬間移動テレポートの仕組みを作っているだけだ。肌に触れる前に同一方向へ障害物を越えて移動するため、空振りになるのである。

 しかし。

「この四人、基礎段階か? 学園でちらっと見た顔もあるが、なかなかやる。二ヶ月前の俺くらい」

「ん、そうなの?」

「おう、だいたいそのくらい。ん――」

 そのまま、四人を周囲にまといながら、メジェットに近づいた。

「あ、用事って私?」

「まあな。……いやメジェットさんの汗、べつに臭くねえだろ」

「このっ――」

 居合いの間合いの中、どうするのかと思えば、鍔を弾いた瞬間にはもう右手が添えられており――ああと。

 わかる。

 効果的で面倒な攻撃方法だ。しかもその速度は、居合いのそれと変わらない。

 柄尻だ。

 そのまま腹部に向けて刀を抜けば、柄が当たる。斬るとは違うが、威力は高く、しかも回避したら居合いの間合いに入ってしまう。右も左も、背後も、つまり距離を取れば斬られる。

 だったら。

 光風は左足を後ろへ、半身になって、掌をその柄に思い切り当てた。

「――っ」

 いや、加減する。必要になった。

 よくよく考えてみれば、居合いとは速度であって、力ではない。相殺のために全力を出さずとも間に合う。

 かちんと、鍔鳴りの音が聞こえれば、光風は更に一歩を踏み込んだ位置。

「こんにゃろ……」

「メジェットさんの呼吸はわかってるからな。まあ状況次第、このくらいはやるさ。下手に香水とかある方が俺は苦手だ、そこらの節度を守ってくれりゃ気にしない」

「気にしろ!」

「さようで」

 そこでようやく、納刀時に放たれた衝撃が円形になって周囲へ広がった。

「……接近用か」

「耳鳴りくらいなら起こせるよ」

「諒解、対応しとく。……ほかの四人が転がってるが、対策はさせてねえのか」

「対策も対応も、するのは他の人たちだから。私はやるだけ」

「だろうな」

「だろうな?」

「事実、そうだろ」

「むう……」

 一歩、距離を空けて――。

「あ、太もも見るな」

「今日は見えてねえだろ」

「好きなの?」

「太ももだけじゃないけどな。でだ、新学期まで一ヶ月くらいある間、二週間くらい使って…………あー」

「なに?」

 どうすべきか、少しだけ迷って。

 もういいかと、吐息を落として。

「――セリザワエリアへ行く」

「うん」

「メジェ」

「んなっ、――な、なに!?」

「一緒に来い」

「え、えっと……」

「しばらくは学園じゃなく、実家に帰省してるから、そっちをノックしてくれ。じゃ、伝えたからな」

「え、あ、うん」

「邪魔したなー」

 ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしていたメジェットだが、光風が出て行ってからしばらくして、勢いよく隣を抜けようとしたエレットの手を取った。

「ちょ、ちょっと母さん!?」

「なんじゃ?」

「ちょっ、だってあれ、ほら、光風ちゃんがさ!」

「お主も呼び捨てにしてやれ。踏み込んだぶんは退くなと、そう教えたじゃろ」

「そうだけど! だってきゅ、急によ!?」

「あーうるさい、うるさい。わしが許可は出した、それを受け取って決めたのはあやつじゃ。もう知らん、知らんぞわしは」

「うううう……」

 しゃがみ込んでしまったメジェットの周囲に、年下の二人がやってきて。

「姉ちゃん、泣いてる?」

「……泣いてない」

「でも困ってるわねえ」

「嬉しそうだけどね。よかったじゃん、姉ちゃん」

「うるさい、斬るぞ」

 二人が慌てて逃げ出した。

「あー……もう、あの男は……」

 どうして、ああいうことを言うのだろう。

 こっちを困らせて楽しんでるのなら、もっと違う対応もできるのに。

 参った。

 何がって、ちゃんと名前を呼ばれただけで、こんなにも嬉しいのだ。

「返事しないと……」

 よっこらせ、と言わんばかりに立ち上がれば、訓練をしていた姉の一人が、頬に手を当ててこちらを見ていた。

「……なに、姉さん」

「ちゃんとなさい、メジェ。逃がしちゃ駄目よ。泣かされた相手なら、ちゃんとその人の前で泣きなさい。一人でめそめそしない」

「はーあーい! ……泣かないよ?」

「はいはい」

 嬉しそうに頭を撫でられたかと思えば、そのまま手のひらに力が入る。

「あ、痛い、姉さん痛い、痛いってば何事!?」

「私より先に男を捕まえおって……!」

「良いこと言ったと思ったのに! 姉さんはその暴力的なところを直せば、男が逃げないのにね! 痛いって本気にならないでよ!?」

「んふふふふ……まあともかく、あの子の親には顔を見せておくこと」

「ああうん、うちっていうか、母さんと直接の繋がりがあったんでしょ? シャワー浴びてから、母さんとこに行くから、そろそろ離してよ姉さん。腕で首を絞めないで」

「うるさい――あ! あんたまたおっぱい育ったわね!? 固定してるのに、訓練中に揺れてると思ったら!」

「そんなとこ見てるくらいなら、私の居合いを避けようね!?」

「そこはそれ。――で、覚悟は決めたの」

「うん。というか、光風ちゃんのこと、ちゃんと好きだから。最初に泣いた時点で、もう確定してたとは思うんだけど」

「腕を引っ張って貰えて? 歩けるようになって?」

「姉さん……」

「羨ましい!」

「素直ね!?」

「男欲しい!」

「そう言ってる間は捕まらないかんね? あと部屋の掃除ちゃんとしたら?」

「泣くわよ!?」

「知るか――!」

 うちの姉は我儘でいけないと、腕を振りほどいて逃げる。とりあえずシャワーだ。

 汗を流せば落ち着きも取り戻して、何故かにやにやと口元が緩んでしまうのだが、それをどうにかしつつ着替え、エレットの部屋を訪ねた。

「母さん、メジェだけどー」

「うむ、構わんぞ」

 中に入れば、天蓋てんがいつきのベッドで転がりながら、手にした書類を読んでいた。

「お仕事?」

「半分はのう」

 言われるまでもなく、すぐにメジェットは紅茶の用意を始める。

 エレットは毎日、帰宅するわけではない。この部屋の掃除やベッドメイクなどは、持ち回りというか、帰ってるのかなーと部屋を訪ねた子供たちが勝手にやるので、常に綺麗になっているし、紅茶を淹れるのも毎度のことだ。

「覚悟は決めたんだけど」

「うむ」

「いいの?」

「覚悟を決めたのはお主だけではなく、光風も同じじゃ。わしは許可しておる」

「そっか。……うん、わかった。明日にでも光風ちゃんの実家に顔を見せておく。次はセリザワエリアに行ってくるね」

「お主は今まで、育成役として時間を費やしてきた。出て行くことは賛成じゃ――が」

「うん、帰って来い、でしょ?」

「そうじゃ」

「大丈夫、忘れてないし、ちゃんとそうする」

「ゆめゆめ、忘れるでないぞ。それと、今は相談を受ける程度の繋がりしか持っておらん。お互いに都合よく使うわけでもなし、気を遣わずとも良いぞ。あやつの実家と繋がっておったのは昔の話じゃ」

「でも外注じゃないんだよね?」

「うむ。身内でもないがのう」

「はい紅茶」

「よし、お主もこっちにこい」

 ベッドの上、その隣。子供の頃はよく座ったから、今では久しぶりになるのか。

「これから先、二人でどうするつもりだ?」

「ファゼ兄や鷺城さんがいた場所まで行く」

「うむ」

「行ったら目的達成で子供を作る」

「……一年か」

「うん、そのくらいが目安。最悪、我慢できなかったらディカちゃんを頼る……いや、最初からそれも……?」

「気が早いのう」

「なんか吹っ切れた感じあって、タイミングあったら押し倒しそう」

「我慢せい。まだ学生ぞ」

「わかってるー」

「――ま、嬉しそうで何よりじゃ。あやつが学生でも構わんぞ」

「はあい。……母さんって、そういうとこ甘いよね」

「十六を過ぎれば、厳しくしつける必要もな……うむ、メジェは必要ないからのう」

「母さん、リリねえはどうしようもないよ」

「結婚してからも目が離せんのは、あやつくらいなもんじゃ……」

「私の訓練にも付き合わないし」

「なんとかならんか?」

「リリ姉はちょっと……旦那がちゃんと制御してると思いたい」

「あれはベタ甘なだけじゃろ」

「そうだけど」

 普段は憎まれ口も叩く癖に、旦那と一緒になったリリは本当にベタ甘で、どうしてああなるのかよくわからんくらい、甘えている。羨ましいとかいう感情が芽生える前に、そっとしておいてやろうと思うくらいである。

「ところで、お主の出自じゃが」

「ああうん、たぶん光風ちゃんは気付いてるよ」

「ならば問題ない。お主もそれをわかっておるのならば、な」

「ん……いろいろありがと、母さん。たぶんずっと感謝する」

「ははは、わしより先に死ななければそれで良い。忘れるでないぞ」

「はーい」

 軽く、肩を当てるように寄り添えば、昔を思い出して泣きそうになった。

 温かい。

 この小柄な存在に、どれほど助けられたかなんて、思い出すまでもない。

「安心せい、わしはいつでもお主の母親じゃ」

「私の母さんも、母さんだけよー……」

「まったく、しょうがないやつじゃのう。お主はもう一人前だ、しっかりやれ」

「明日からー」

 本当にしょうがない娘だと、これ以上ない笑みを浮かべながら、昔のようエレットはメジェットの頭を撫でた。

 親離れすることに、少しだけの寂しさを感じながら。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る