Make Some Noise

「江藤、お前顔色悪くないか?」


会社に到着するなり同僚の北野が声を掛けてきた。

江藤と同い年ではあるが、社内結婚をし、二人の子供を設け、休日には学生時代打ち込んだ経験を生かして少年野球のコーチを務める、つまり「そういう」人間だ。


「そうか?ちょっと腹くだしてるからかもしれないな」


そう言っては見たものの、正直なところ体調は優れなかった。

バックミラーの中でゆっくりと倒れて行く自転車の少女の姿が江藤の瞼の裏側に残像のように蘇る。その姿はスローモーションのようにゆっくりと、克明に思い出すことが出来る。

少女の頭部に金属バットが当たった時の、空気と原付、自分の腰に絡みついたナカヤマの骨ばった手から通じて伝わった鈍い感触。生命を断ち切ろうとするような、不穏で重苦しい気配。それでいて、聴覚が捉えた金属音は青空に高く舞い上がる白球を思い起こさせるほど抜けのよい、甲高い音で、その感覚と実際の知覚のズレが、江藤にはたまらなく気色悪かった。でたらめに原付を飛ばし、目に付いたファミレスの駐車場で、ナカヤマが手にした金属バットを見せてきた。


バットには少女の毛髪と、血がこびりついていた。


「顔が白いし、目の下のクマもひどいぞ。休んだらどうだ?」


そう話す北野の顔も、決して血色はよくない。ふっと北野の口元から胃を悪くしている人間特有の酸っぱい香りが漂ってきた。

こんな中小以下の企業でソフトウェアの営業をやっているのだから、収入は江藤とそれほど変わらないはずだ。おまけに、残業まみれとはいえ独り身の江藤に比べて、家族もいる身となれば、江藤以上に金には汲汲としていてもおかしくない。以前、社内の噂で自ら志願して残業を増やしているという話も聞いた。


お前こそ、家族残して過労死じゃ、何のために働いてんのか、本末転倒じゃないのか。


こちらを心配そうに見つめる北野の目を覗き込みながら、いっそ、そう言ってしまいたくなる。

心配してくれるのはありがたいけど、こっちは金のアテもあるし、野球より興奮できる趣味もできたんだよ。北野。

金属バットはボールを打つもんじゃないんだよ。女子高生の頭をかっとばすと、かきんって音がして、ボールがグラウンドを渡るのが見えるんだ。

北野、お前もこっちに来いよ。


「ありがとう。でも、本当に大丈夫だ。心配させて、すまん」


そう言って江藤は今やサポートされているのが不思議なくらい年代物の DELLのノートパソコンを開くと、取引先に提出するための見積書のシートを開いた。

今や、江藤にとっては夜が来るまでの時間つぶしでしかない。




喫煙所で誰もいないのを確認し、ジャケットの内側ポケットから、パイプを取り出そうとした時、ドアの開く音がしてナカヤマが入ってきた。


「不良社員が。さっさとやめちまえ」


あわてて手を戻し、ワイシャツの胸ポケットに入れたセブンスターを取り出す。


「急に入って来るなよ」


ナカヤマは作業服姿で、手には水の入ったバケツをぶら下げていた。


「清掃員が喫煙所の灰皿の掃除しに来ちゃいけないのか?こっちはお前と違って真面目に

働いてんだよ」


江藤の手元のスマートフォンには、ニュースサイトの見出しが映し出されている。

そこには「都内で女子高生殴打 犯人は逃走」の文字もある。


「昨日のあれ」


素早くナカヤマがこちらを睨みつけて来る。長い前髪の隙間から、黒目がちな視線が刺すように江藤を捉える。


「ニュースになってる」


「だから?」


灰皿に溜まった水を捨て、バケツの水を入れ替えながらナカヤマが答える。


「俺とお前の名前がどこかに出たのか?あのジジイが警察にでも言ったか?だからあいつも殺しときゃよかったんだ」


「声が」


周囲を見回し、江藤が制す。ナカヤマが江藤

見てにやりと笑いながら言う。


「死んじゃいねえよ。全治3週間って新聞にも出てた。死んだら警察は本気で捜査してくるけどな、死なねえ限り、あいつらマトモな調べなんてしやしねえよ。俺は少しでも

長く続けてえんだよ、アレを」


ナカヤマが床に置いたバケツを思い切り蹴飛ばした。


「あんなガキ一人殺したくらいでゲームオーバーになったら、割に合わねえんだよ」


江藤は黙ったまま、セブンスターに火を付けると、ナカヤマの方を見ずに煙を吐き出した。


「クスリ、会社でやるんじゃねえぞ。お前が見られてどっかから話が出てみろ。全員引っ張られんだ。もしそうなりそうだったら、テメエが下手なこと言い出す前にフジマキさん動くぞ」


喫煙所の小さな窓から外の景色が見える。

数年前、このフロアから女性社員が一人投身自殺を図った。過労と家庭の事情が重なり、精神的に追い詰められていたらしい、という話を聞いた。

12階から眺める景色は灰色のビルと血管の様にうねる幹線道路で構成されており、どこまで視線を動かして見ても変化が無い。彼女はきちんとうまく着地出来たのだろうか。着地場所をうまく見つけられず、どこまでも同じような景色が続くこの場所で彼女はまだ落下し続けているのでは無いだろうか。


ナカヤマはいつのまにか喫煙所から消えていた。

すっかり短くなったセブンスターをナカヤマの入れ替えたバケツの中に放り込むと、江藤はしばらく窓の外を眺めていた。

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Hyper ballad いりやはるか @iriharu86

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