Reverse『???』

???

「グガァアアアアアアアアッ!!」


 魔獣の咆哮が轟く。

 犬型の四足獣であるそれは、その巨躯を僅かにも思わせない俊敏さで疾駆する。


 その向かう先には――ひとりの少女が佇んでいた。


 魔獣の姿を視認して尚、少女はただ立ち尽くす。恐怖に足がすくんで動けないという訳ではなく、何が起ころうとしているのかを理解していなかった。

 少女の矮躯わいくを上回る巨大な前足には、それに見合った獰猛な爪が生えており、その凶刃が少女を今にも捕らえようとしていた。次の瞬間には華奢きゃしゃな身体などバラバラに引き裂かれ、鮮やかな深紅の映える肉片と化してしまう事だろう。


 しかしそのようには成らず――突如、少女の眼界から魔獣が消えた。


 キョトンとした少女がゆっくりと首だけを動かす。その視線の先には男性が立っていた。

 その背丈や外見からは、二十歳にも満たないような青年に見える。が、それは少女の育ての親――父親だった。

 彼が魔獣へ向けて放った魔法がその巨躯を軽々と吹き飛ばし、いとも容易く絶命させたのだった。


「大丈夫? 怪我はない?」


 父は心配そうに駆け寄り、その身体に傷が無いかと確認する。未だ状況が呑み込めていない少女はケロっとしていて、どこにも異常が見当たらなかった事でようやく彼は胸を撫で下ろした。


 ――ガサリ。


 背後で物音がして、二人は振り返る。

 その正体は……先ほどの魔獣の子、だろうか。親の亡骸へ、哀しげな鳴き声を上げながら擦り寄ろうとしている。

 父は忌々しそうに舌打ちをして、その子へ向け手をかざす。その手に光が宿り始め――魔獣へ放ったものと同様の魔法を発動させようとしていた。


 すると、少女が何を思ったのか……その間へと割り込み、立ちはだかった。


「……何をしているの?」


 父は怪訝けげんな表情で問う。今しがた襲ってきた魔獣の子を、何故庇おうとするのかと。


「その子はまだ小さいが、いずれ親のように凶暴な魔獣へと成長する。ここで排除しておくべきだよ」


 少女は父を見据えたまま、一歩も動かない。


「ねぇ、退いて?」


 その口調も柔らかい。だがその顔には激情の色が浮かんでおり、少女が未だかつて遭遇した事が無いような、普段の父からは想像もつかないような、恐ろしい雰囲気を醸し出していた。

 しばしそのまま対峙する。程無くして父が業を煮やしたのか、おもむろに近づいて行った。けれど少女は微動だにしない。目を閉じる事すらなく、真っ直ぐに父を凝望し続ける。

 殴られる――少女はそう覚悟していた。……だが、それには至らなかった。


「……君は、正しい」


 父の手の平が少女の頭へ、ぽふんと柔らかく乗せられた。


「例え"個"を憎んだとしても、"種"全体を憎んだりしてはいけない。――僕はその理念を掲げて、今の立場となったはずなのにね……君を危ない目に遭わせてしまった怒りに、我を忘れてたよ」


 少女は髪を撫でられながらも見上げると、父は遠い目をしていた。

 ふと少女が身を挺して守った魔獣の子の姿を見やり、自嘲気味に笑う。


「よく……僕を止めてくれたね。ありがとう」


 少女の勇気を労うように、褒め称えるように。ぽんぽんと頭を叩き、優しく微笑んで見せた。

 そして、しみじみと……こう言葉を綴った。



「――君は良い『魔王』になれるよ。……アズリー」



 父の名は、シェルム・ユーディアル。

 彼は『魔王』を名乗り、数多の魔族たちを統べていた。


 少女の名は、アズリー・ルミラ・ユーディアル。

 やがて彼女は父の跡を継ぎ、『魔王』の名を受け継ぐ事となる――。

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『風信子』の絆 紺野咲良 @sakura_lily

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