石垣りん くらし

ひとつの詩がある。食べることを描いた作品である。ひとまず読んで頂きたい。


 《くらし》     石垣りん


食わずには生きてゆけない。

メシを

野菜を

肉を

空気を

光を

水を

親を

きょうだいを

師を

金もこころも

食わずには生きてこれなかった。

ふくれた腹をかかえ

口をぬぐえば

台所に散らばっている

にんじんのしっぽ

鳥の骨

父のはらわた

四十の日暮れ

私の目にはじめてあふれる獣の涙。


◇◆◇◆◇


何故、食べるのか? 詩にある言葉を引き出すまでもなく、生きる為だと誰もが答えるだろう。よく、生命を頂くから頂きますと食事をするときに手を合わせるのだと言われる。自分が生きるために犠牲にする生命への感謝や敬意を払ってのことだ。

卵は鳥の死骸だ、肉は牛や豚や鳥の死骸だ、

我々が食べるために日々、どれだけの家畜が屠殺されているだろうか?

日本では牛は年間約百十六万頭で、一日約三千二百頭が屠殺されている。豚は年間約一六五三万頭、鶏は年間約六億頭という屠殺数である。もう感覚が麻痺する数字である。(農林水産省のデータより)


ちなみにある海外ドラマで牛の屠殺を説明していたが、

頭を金属の棒で一気に打ち抜くか、電気ショックで気絶させて吊るし上げ、頸動脈切断により失血死させる、というものであるらしい。

ぼく自身は祖父が鶏だった、と思うが頭部を落として血抜きするのを幼い頃にみた。

一昔前に映画で小学校の授業で育てた豚を食べる、かというのがありましたね。みてないけど。実際には鶏を育てて屠殺して料理して出す、という授業をした学校があったらしい。クラスの半分は泣きじゃくり、ほとんどの生徒は食するのを拒否したそうだが生命の大切さを伝える、授業だったという。


さて、かなり内容は刺激的な要素をはらんでいるが、これを読んで"食べる"という行為が、自分の手で動物を殺すという行為と同じだとどのぐらいの人が感じたろうか? そう感じたとして、その日の夕飯を食べられない、なんてことは稀だと思うし、例えその日食べられなくても翌日には平気で食べている人が大半だろう。ぼくだってそうだ。ぼくは一時期ベジタリアンだったが、単に体質の問題からだっただけだ。


もちろん人間が生きるとは他の生命を奪っていく営みであり、それは否定できない。頂きます、を言うぐらいの敬意はある。しかし、それは本当に育てた鶏を殺して食べる、という経験をしてまで教育されることだろうか。

生きるために食べれば、どうしたって何がしかの生命は失われるのだ。それは当たり前のことで、必要以上に残酷だ、と騒ぎたてられない自分がいたりする。では、ぼくは非道な人間なのか?


ここで石垣りんの詩に戻りたい。水を、親を

きょうだいを師を、金もこころも、食わずには生きてこれなかった、という。台所には鳥の骨や父のはらわたまでが散らばっているのだ。そして最後には、


四十の日暮れ

私の目にはじめてあふれる獣の涙。


四十は年齢だろう。涙が溢れてきたのは他の生命を奪ってきた、先に挙げた小学校の授業で言ったような残酷さを認識したからだろうか?

しかし、何故に獣の涙なのだろうか。四十の日暮れ、の日暮れとは人生の日暮れだろうか。その時溢れた涙が"獣"であったのは他者だけでなく自分さえも貪り食べてきたことに気づいたからではないか。獣が食べた他者のために泣くだろうか。獣は自分自身の痛みにしか泣かないとぼくは思う。それは自分の死を予感させる、食われることが我が事のように感じた瞬間なのだ。

ぼくらも牛も豚も変わらない。食わなければ生きてゆけない。思い知るべきなのは、ぼくらは死ぬ、ということなのだ。尊厳も何もなく、不条理に死んで、腐り落ち、小虫の餌となり地に還る。そこに人も牛も虫も植物も違いはないのだ。生命を奪うことを残酷だと感じるのは、自分が絶対に安全な立場にいるからだとかんじずにはいられない。

"食べる"という行為に敬意を払えない人間は、おのれがいつか死ぬ、自分は生きるために自分をも殺して食っている、ということがわかっていないのだろう。人間は孤独で感覚は共有できない。もし人のために泣けるとしたら、それは我が事のように感じられたときなのだ。それが獣の涙という詩の言葉となって現れている。

もし、納得がいかない。可哀想だ、牛や豚や鶏の生命を奪うのは残酷だと思うなら、こう考えてみてもよいだろう。


いつか、

あの屠殺された家畜の怨嗟が、その呪いが、人類を滅ぼして、家畜と呼ばれる動物たちの生命をあるべき循環に戻すだろう。

そんな風に。


ぼくはそれでも肉を食べるだろうけれども。


※。もし人のために泣けるとしたら、それは我が事のように感じられたときなのだ、ということを考えてみるなら、古い映画だが評決のとき、という作品を、観てみるといい。黒人差別がまざまざと現れる裁判を題材にした映画だが、ラストシーンは有名で衝撃的だ。

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