栗本薫さんは元々「二番もあるんだぜ」で有名(だと思う)小説道場をちょっと読んだことがあるってくらいだったんですが、この人のレビューを読んで、いくつか著作を手に取ったくらいには吸引力があります。
愛憎たっぷりに書かれたレビュー郡は、時にボロカスに叩きのめし、指をさして笑い、純粋な読者としての嘆きに満ち、しかし時折ホロリとさせられるくらいの純粋な賞賛も見え隠れし、「こんな風に一人の人間の気持ちをあっちこっちに揺るがした作家の作品ってどんなものなんだろう」と好奇心を掻き立てられます。
メディア9、グルメを料理する十の方法、ぼくらの時代など良い作品を手に取る機会を与えてくれたこのレビュー郡に感謝します。色んな逸話のある作家さんだし、手軽に手に取れる長さの作品、おいしい上澄みだけ食べてるから言えることなのかもしれませんが。
全くこの作家を知らない人が読んでも面白いです。むしろ自分のように、ほとんど作者とその作品を知らない人がちょっと好奇心で覗いてみるくらいの方が楽しいかもしれない。(コアなファンが読むと色々と触発されてつらいかもしれない)
このレビューを通して描かれる栗本薫=中島梓=山田純代という女性の「自分は何者かになりたい」「自分はここにいる」「自分を見ろ」という無言の叫びは、少なくとも突き刺さる読者もいるはずだ。
読書が好きで、臆病者で自意識が強くて、その癖控え目で、他人から否定されるのが嫌いで、その他にもコンプレックスを山のように抱えた、多分どこにでもいるオタク少女。
こんな栗本薫だからこそ筆者は天才に憧れた凡人であり、新人賞以外の賞とは無縁の、永遠の若書き作家だったという。またこのような作家であったからこそ、(商業的にはともかく)正道だったとは決して言い難い作家人生を送ったのもまた必然だったのかも知れないという気がする。
筆者がこのレビューを行なったのは、長年に渡る栗本薫への愛憎の為せる業だろう。だが愛は間違いなくあったのだ。
『うなぎ氏と言えば栗本薫』と言われるほどの栗本マニアのうなぎ氏の全著作レビューである。
ネットで読んだ人も多いのではないかな。
まだ、読んでないのに☆3つけちゃった。大失敗である。
とりあえず、『010 絃の聖域』まで読んでレビューを書いてるのだが、やっぱり、予想通りいいねえ。
栗本薫愛が溢れている。
読破したら、また、追記します。
とりあえず、『088 息子に夢中』まで読破しました。
梓が自分で作った劇団、演劇にはまって借金をつくり、出せばベストセラーの現金製造機としての『グイン・サーガ』ばかり発売されてしまって『魔界水滸伝』は未完に終わってしまったのかな?と妄想した。結構、この推測は当ってると思われるが。
『グイン・サーガ』も未完だが、弟子的作家さんによる続編プロジェクトが進行中である。
『グイン・サーガ』は72巻『パロの苦悶』辺りから88巻『星の葬送』が盛り上がる。今までこの物語を読んできたことを本当に良かったと思うだろう。
『魔界水滸伝』とプレグイン・サーガとしての『トワイライト・サーガ』のレビューが面白く、再評価されていいというか、全巻持っているが読み直してみようかと思った。
『103 グイン・サーガ外伝7 十六歳の肖像』まで読破。
『092 小説道場 Ⅰ』『099 (改稿予定)マンガ青春記』が作家を目指してる方は必読である。
『小説道場』は小説JUNE誌で連載されていたもので、題材がJUNE小説なのだが、一般のワナビでも小説の書き方など参考になる。
特に「作品を書く以前に作品の出来が決まってしまう」という作家論に衝撃を受けたが、つまり、作者の性格、能力以上の作品は書けないので、作家は日頃、人生をどう生きるかが大事だという話である。
『マンガ青春記』は中島梓(栗本薫の評論時のPN)の漫画愛に溢れた一冊であるが、漫画家になりたくて挫折した梓が、大学卒業後のぷー太郎時代に小説を書き溜めていて、それがそのままほとんど出版されたという自慢話が出てくる。
とはいえ、この時代にかなり大量の小説を書いていて、ベストセラー作家になるにはこれぐらい書けないといけないのか!と思ったものだ。
栗本薫の著作はかなり読んでいたつもりだったが、うなぎさんのレビューで、評論、エッセイやJUNE小説など避けていたものが多いのに気づき、また、読んでみようと思った。