花と石

石野二番

花と石


 これは、花と石の物語。長い時の中で咲いては枯れ、再び咲く『花』と、同じ時の中でも変わらぬ輝きを持ち続ける『石』の出会いの物語。

 *

 周りの皆は口を揃えてこう言う。

「大地が全て教えてくれる。私たちの気持ちも、どんな人間なのかも。大地は、私たち以上に私たちのことを知っているから」

 あんまりにも皆がそんな風に言うので、僕もそういうものなんだろうなぁ、ぐらいには思っている。しかし、実感したことは一度だってない。大地は、他の皆のことは知っていても、僕のことだけは知らないのだろう。そうでないならおかしい。そうでないなら、どうして一族の中で僕だけが、花を咲かせることができないのか。

 *

 僕らは『花繰り《はなくり》』という一族だ。何故そんな名前なのかというと、文字通り、『花を咲かせる』という他の者にはない能力があるからだ。

 無論、いつでもどこでも好きな花を咲かせることができるわけではない。咲かせることのできる花は、自分の気持ちを表したものに限られる。嬉しい時には歓喜の花が、悲しい時には嘆きの花が咲く。そういう風にできている。里の外では、学者たちがどの花が何を表すのかを調べており、それらは『花言葉』と呼ばれているらしい。そして、その花言葉をまとめた一冊の本が、僕の愛読書だった。

 これはかつて姉さんに聞いた話だが、一族の人間は自分が咲かせた花を見て直感的に何を表しているのか理解できるらしい。だからそんな本は必要ないのだ、と僕の花言葉の本を指して言っていた。

 きっと、一族の他の人に聞いても同様の答えが返ってくるのだろう。そしてこう続けるに違いない。

「花の意味なんて、大地が教えてくれるじゃないか」

 きっと、彼らは大地と相思相愛なのだろう。大地は花繰りの一族を愛するが故に彼らの想いを花という形で教えてくれる。一族はそれに感謝し、大地を敬う。一族と大地はそういう関係だった。ただ一人、僕を除いては。

 *

 僕の話をするとしよう。僕の名前はヒューイ。花繰りの一族の一人だ。多分、おそらく、きっとそのはずだ。でもそうであると自信をもって言い切ることができない。何故なら、僕は花を咲かせられない花繰りだからだ。

 花繰りの中でも、実際に花を咲かせられるようになる時期には個人差があるものの、どんなに遅くても齢が十を数える頃にはできるようになるらしい。僕は今、十七歳だけど、できるようになる気配は全くない。

 いっそ、大人たちが隠しているだけで、実は僕は一族の人間ではなかった。よそから来た人間が残していった孤児だった。そうだったらいくぶん気持ちも楽だったかもしれないし、もしそうだったら、すぐにでも里を出て大きな街にでも行っていただろう。しかし、実際はそうではない。その証拠が、今は亡き両親と、双子の姉のヒューナだった。

 僕らが幼い頃に病気で亡くなった両親はどちらも里で産まれ里で育った生粋の花繰りであったし、姉さんは僕とは違い、幼い時から花を咲かせることができた。特に姉さんの咲かせる花は一族の誰よりも色彩鮮やかで、昔から同世代や年下の花繰りの憧れの的だった。

 まだ自分にも花を咲かせることができるはずだと信じていた頃、姉さんは僕の誇りだった。優れた姉がいることが自慢だった。でもそれもかつての話。今姉さんを見ても、胸の内に湧くのは劣等感ばかりだ。

 里の中でも、僕ら姉弟の評判ははっきりと分かれている。稀代の花繰りの姉と、出来損ないの弟。姉さんは皆の憧憬を集め、僕は子どもたちにすらバカにされる有様だ。

 加えてこの姉、花繰りとして優秀なだけでなく、人間もまたよくできた人だった。こんな僕のことを見捨てることなく、いつも自分の咲かせた花を送ってくれる。白っぽい茎を持つその黄色い花の名前はシロタエギク。僕の愛読書によると、花言葉は「あなたを支える」とあった。泣かせる話である。

 *

 姉さんが僕にしてくれるように、花繰りには花を贈る習慣がある。大地は花繰りの想いを違えることなく花という形にする。そこに偽りの気持ちが入り込む余地はない。ある意味で花はそれを咲かせた者の心の鏡である。それを贈ることで、自分の嘘偽らざる気持ちを正しく相手に伝えることができるというのだ。

 どうやら同じ花繰りであれば、贈られた花が表す想いを感じ取ることができるらしい。僕は現在の愛読書となっている花言葉の本を旅の商人から買うまで姉さんが贈ってくるシロタエギクの意味を知らなかった。そのことを思い出すと、ますます花繰りとしての自信がなくなってくる。

 *

 その日、僕は川へ水汲みに行っていた。花は咲かせられなくても、できることはある。というより、姉さんが家にこもることを許しはしなかった。花を咲かせることだけが全てじゃない。生活できるだけの能力があるのなら働きなさい。それがうちの教育方針です、というのが同じ日同じ年に生まれたはずの双子の姉の言葉である。そういうわけで、うちでは家事は交代制になっている。

 いつも水を汲みに行く川は、里から森に入ってしばらく歩いた先にある。僕はまっすぐ川辺には行かず、回り道をしてさらに上流へ向かうことにしている。里の誰かと鉢合わせになるのを防ぐためだ。基本的に里の皆は自分の花繰りとしての力に誇りを持っている。だからなのか、それとも人というのはそういう風にできているのか、皆の僕に対する態度は様々だ。同情、憐れみ、一番多いのはやっぱり蔑みだろうか。そして、それらを受け流せるほど僕の心は強くはなかった。だから、僕が里の皆との接触をできるだけ避けようとするのも無理からぬことだった。

 川の上流に着く。里の皆もここまでは来ない。僕は水を汲む前に川辺に腰を下ろした。そして意識を足元の地面に集中させる。姉さんから教わった花の咲かせ方。こうすると大地がその時の気持ちを花にしてくれる、らしい。そう、僕はまだ諦めきれていなかった。こうやって人目を忍んでは花を咲かせる練習をしている。僕だって花繰りだ。姉さんほどではなくても、こうやって続けていれば、いつかきっと大地は答えてくれる。そう思っている。しかし、悲しいかな今日も答えは返ってこなかった。僕は集中を解いて寝転がる。そんなに僕が嫌いか、大地よ。

 *

 どれくらいそうしていただろうか。不意にがさりと物音がした。反射的に身体を起こす。物音は里の方からではなく、目の前、川の向こうから聞こえた。そちらに視線を向ける。目が合った。女性が一人、赤い瞳でこちらを見ている。短く切られたその髪も瞳と同じ赤い色をしていた。背も高い。僕はその姿を見て、ガーベラのようだ、とぼんやり思った。

「もしかして、起こしちゃった?」

 女性は気さくに話しかけてくる。

「あぁ、うん。いや、違う。寝てない」

 実は姉さん以外の女性と言葉を交わすのはかなり久しぶりだ。僕は自分が挙動不審になっていないか心配しながら答えた。

「その割には、けっこう長いこと横になってたみたいだけど」

「……ずっと見てたの?」

 この女性はいつから見ていたのか。もしかしたら、僕の秘密の練習も見られていたのでは。

「ずっとじゃないよ。私、この辺りは初めてだから散策してたんだけど、あ、川だー、と思って近付いたらあなたが寝てたの」

「……あんた、何処から来た。里に用があるならもっと下流の方だぞ」

 今更ながら警戒する僕の言葉に彼女は逆に聞き返した。

「この辺に里があるの?もしかして、花繰りの里?あなた、花繰りなの?」

 しまった。里に用があるのではなかったらしい。もしかして、さっきの言葉通り、本当に散策していただけ……?

「ねぇ、花繰りって、本当に花を咲かせられるの?」

 黙り込んだ僕に彼女は質問をぶつけてくる。まずい。この状況は非常にまずい。里の誰かなら実際に咲かせてみせるところなのだろうが、僕にはそれができない。どうする。どうすればいい。ここで僕が取るべき道は……。

「おーい、無視しないでほし……あっ!」

 僕は素早く立ち上がりその場から一目散に走り去った。つまりは、逃げた。

 *

「あぁ、それはもしかして、最近来たっていうよそ者かもな」

 里まで戻った僕は、水汲みができなかったことに気付いた。このままでは家に戻れない。迷った結果、数少ない友人であるジオの家に上がり込んでいた。

「よそ者?」

「そ。川の向こうの山腹に最近居着いたやつらがいるらしい。ヒューイが見たのはその一人じゃないか?」

 僕が知らなかっただけで、里ではけっこう噂になっているらしい。

「山腹って、そんなところで何するんだ?」

「俺もよくは知らんが、行商のおっちゃんが見に行った時は、地面を掘ってたらしいぜ」

 地面を掘る?いよいよもって言っている意味が分からない。彼女はいったい何者なんだろう……。

 *

 ジオと二人でよそ者についてあぁでもないこうでもないと議論しているうちに日が傾き始めた。このままでは本格的に姉さんに怒られてしまう。僕は意を決して今度こそ水を汲むために川に戻ることにした。

 水汲み用のバケツは川辺に置いてきてしまった。そのため、あのよそ者と遭遇した所まで行く必要がある。まさか、まだあの場所に居座っているわけではないだろう、と自分に言い聞かせながら歩みを進める。目的の場所にはすぐに着いたが、そこには誰の姿もなかった。ほっと胸をなでおろしながら、そのままになっていたバケツを手に取る。そこで、バケツに何か入っていることに気が付いた。キラキラと黄色く光る小さな石だった。

 *

 なんとか日が暮れる前に水汲みを終え、家に戻ることができた。時間がかかり過ぎなことを姉さんに責められはしたが、ジオの家に寄っていたと言い訳しておいた。半分嘘だが半分は本当だ。

 夕飯時、姉さんにそれとなくよそ者について聞いてみた。

「私も実際に見たわけじゃないけど、山で穴を掘ってるんでしょ?いったい何を考えてるのかしら?」

 山で穴を掘っている。姉さんも、それ以上は知らないようだった。ジオも行商人から聞いただけというし、もしかすると、里の中でそのよそ者と会ったことがあるのは僕だけかもしれない。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないけど。

 夕食を終え、部屋に戻る。机の上で、バケツの中にあった石が月明かりを受けてキラキラと黄色く光っていた。

 *

 そして夜が明けて、僕はまた川の上流に向かっていた。今回の目的は水汲みではない。あのよそ者に聞きたいことがあった。

 昨日出会った場所に着く。そこには、昨日と同じ赤毛の女性の姿があった。前回は川の向こう岸にいたが、今回はこちら側で僕に背を向ける形で座っていた。

 その後姿を観察しながら考える。ダメ元で来てみたものの、まさか既にいるとは思っていなかった。これは予想外だ。何と声をかけたものか。

 そんな風に逡巡していたところ、僕の視線を感じ取ったのか、彼女が不意にこちらに振り向いた。

「あ、やっぱり来た」

 来ると思ってたんだよねー、なんて言いながら立ち上がる。

「あ、あんた、こんなところで何してるんだ?」

 僕は緊張しながら疑問を投げかける。それに対して彼女は、

「君のこと待ってたんだー」

 とあっけらかんと答えた。僕を……待ってた……?

「それ、どういう意味?」

「そのままの意味だよ。君にもう一度会いたくてさ」

 まずい。女の人にこんな風に言われるのは初めてだ。僕は口元がにやけそうになるのを必死でこらえながら本題に入った。

「昨日、バケツにこれ入れたの、あんた?」

 懐からあの黄色く光る石を取り出して見せる。

「そうだよ。お近づきの印に。トパーズっていうんだよ。宝石は見たことある?」

「ホウセキ?」

「うん、宝石。そういうキラキラ光る石のこと。私たちは『石彫り』って言って、宝石を加工する技術を持ってるの」

 宝石?石彫り?初めて聞く単語に僕の理解は追い付かない。

「今度はこっちから質問。君、名前は?歳はいくつ?」

「名前は、ヒューイ。歳は、十七……」

 僕の答えに彼女の顔が明るくなる。

「十七!同い年だね!」

 その言葉に僕は驚く。背の高い彼女はきっと年上だろうと思っていた。

「私の名前はね、ヒオ。新米石彫りのヒオです」

 彼女、ヒオはそう名乗った。そして言葉を続ける。

「昨日はなんで逃げたの?ヒューイって、花繰りなの?花繰りって、本当に花を咲かせられるの?」

 矢継ぎ早に浴びせられる質問。僕はしどろもどろになりながらそれに答えた。

「僕も花繰り、だと思う。多分」

「多分?なにそれ」

「里の他の皆は花を咲かせられる。だけど、僕はできないんだ」

 自分は出来損ないです、と自己申告するのは、けっこう心に来るものがある。具体的に言って、惨めだ。しかしヒオは、

「ふーん。そういう花繰りもいるのね」

 の一言で済ませてしまった。

「おかしいと思わないの?」

 思わず僕は聞いてしまった。

「何が?」

「花繰りなのに花を咲かせられないことがだよ。花を咲かせられない。花にこめられた気持ちも分からない。そんなのは、花繰りじゃない。花繰りとは、言えない……」

 自分で言いながら情けなくなってくる。そうだ。僕は、花繰りとは言えない。

「うーん。花繰りのこと、私はきちんと知らないからあんまり口出しできないけど、そこまで思い詰めなくてもいいんじゃない?そんな風に自分を否定しても、辛いだけでしょ」

 あぁ、やっぱりこいつはよそ者だ。花繰りにとって、花がどれほど大事なのか、本質的に理解していない。

「……もういい」

 それだけ言って、僕は踵を返した。そのまま川辺を後にする。

「あれ?行っちゃうの?もしかして、怒らせちゃった?」

 その声を無視し、僕はどんどん川辺から、ヒオから離れていく。

「私、しばらくこの辺りにいるから!気が向いたらまた来てよ!」

 彼女は最後に、僕の背中に向けてそんな言葉をかけた。

 *

 それから数日後、突然里に訪問者がやってきた。行商人以外がこの里を訪れるのは本当に久しぶりだった。彼らは自らを石彫りと名乗り、長老の家でしばらく話をした後に去っていった。

 その後、僕は長老の家に呼び出された。呼び出されたのは僕だけだったが、なんだか心配、という理由で姉さんもついてきた。

 長老は僕の顔を見るなり挨拶もせずに本題に入った。

「先ほど、客人が来たのを知っておるね?」

「はい。里中の噂になっていますから」

「彼らは石彫りという、宝石とやらを地中から掘り出し、加工して生きる民だそうだ。最近、川向うの山腹にたどり着き、そこで宝石を掘っているらしい」

 石彫り。ヒオと同じ……。

「彼らは我らの里との交易を望んでいるようだ。そして、その窓口としてヒューイ、お前を指名してきた」

 長老の目つきが変わる。じろりと睨みつけるようにしながら、

「何故、お前なのだろうな。他に立派な花繰りはいくらでもいるだろうに。お前の隣のヒューナのように」

 姉さんが何か言いかけたが、それより早く僕は正直に答えた。

「数日前、僕は川辺で石彫りを名乗る娘と会いました。そのためかもしれません」

 僕の言葉に姉さんが驚く。

「ちょっとヒューイ!そんな大事なこと、なんで言わなかったの⁉」

「だって、聞かれなかったから」

 素っ気なく返事をする僕になおも食い下がろうとする姉さんを、今度は長老が遮った。

「ふむ。客人の話とも一致するな。してヒューイ。窓口の件、お前はどうする。お前はどうしたい」

「……少し、時間をください」

 僕はしばし考えた末、短く答えた。

 *

 長老の家からの帰り道、姉さんが僕に尋ねた。

「ねえヒューイ。あなた、里から出たい?」

「うーん、どうだろ。正直、自分でもよく分からない」

 確かに、この里は僕にとって居心地のいい場所とは言い難い。それでも、今まで離れようと思わなかったのは、少なくとも気持ちの上では僕も花繰りだからだろうか。

「私、ヒューイがその気なら、交易の窓口やってもいいんじゃないかと思うの」

「まだやると決めたわけじゃないよ」

「ううん。ヒューイはきっとやると思う。そんな気がするの」

 そう言って姉さんはその場にしゃがみ込んだ。その姿勢のまま続ける。

「窓口って、具体的に何をするのか私にもピンと来てないけど、きっとたいへんなんだろうと思う。でも、ヒューイがやるなら、私は応援するよ」

 言いながら立ち上がる。その手には黄色いシロタエギクの花があった。

「何があっても、私はあなたを支えるから」

 その言葉は、僕に向けたようにも、姉さん自身に言い聞かせているようにも聞こえた。

 *

 姉さんと別れ、僕はあの川辺に向かっていた。ヒオに会って話をするために。

 この間の別れ際の言葉通り、彼女はそこにいた。足音が聞こえたのだろう、僕が近付くとすぐにうつむいていた顔を上げた。

「ヒューイ!こんにちは」

 前回あんな風に去っていった僕に変わらぬ笑顔を向けてくるヒオ。

「今日、里に石彫りの人たちが来たよ」

「本当⁉それ、お父さんたちだわ!無事にたどり着けたのね」

「里と交易がしたいって。それで、その窓口を僕にやってほしいって」

「交易、とはちょっと違うけど、君を指名したのは、私がそうしてってお父さんたちに頼んだからだよ」

 どうして、と聞きたかったけど、できなかった。答えを聞くのが怖かった。ヒオはこんな僕に価値を見出してくれたのかもしれない。しかし、もしそうではなかったら。単純に花繰りの知り合いだったら誰でも良かったのだとしたら。それを確かめる勇気は、僕にはなかった。

「ねえ、お父さんたち、本当に交易って言ってたの?」

「分からない。僕は石彫りの人、ヒオのお父さんたちが帰った後に長老から聞いただけだから」

「そっか。その長老さんが交易と受け取ったのかもね」

 その言葉に僕は問いをかける。

「違うの?交易って聞いたから、てっきり里にある物と物々交換がしたいのかと思ってたけど」

 その問いに彼女は首を横に振る。

「違うよ。私たちは物が欲しいんじゃない。私たちはね、知りたいんだ」

 知りたい?首を傾げる僕にヒオは続けた。

「花繰りとは何か。花繰りにとっての花とはどういった意味を持つのか。風が吹けば容易く散ってしまう儚い花に、あなたたちは何を見ているのか。それを知ることができれば、私たち石彫りの彫る石はきっともっと美しくなれる」

 ヒオは真っ直ぐに僕の目を見て言った。その目に、その言葉に、僕は石彫りというものが何なのか、その一端を見た気がした。

 *

 芸術家。ヒオの言葉を聞いて僕が思い浮かべた石彫りのイメージはそれだった。彼らが彫るという石がどんなものなのか、見たことのない僕には分からない。でも、彼らは、少なくとも今僕の目の前にいるヒオは、今の自分の技術や発想に満足してはいないのだろう。

 だからこそ、花繰りの花に新たな可能性を求めているのだ。

「ねぇ、窓口の件、引き受けてくれる?もちろん、対価は払うよ。私たちが持ってる物や知識。限界はあるけど、それらをあげる」

 果たして、僕にそんな大役が務まるのかは分からない。でも、見てみたいと思った。僕が教えた花繰りの知識を、ヒオがどう形にするのか。

「やるよ。僕が花繰りのことを教える。そっちの窓口にもそう伝えてほしい」

 僕の言葉に、彼女は今まで見たことがないぐらいの笑顔を浮かべて言った。

「その必要はないわ。だって、こちらの窓口は私なんだから!」

 こうして、僕らは『窓口』となった。

 *

 まずは何をするか明日打ち合わせをしよう。ヒオとそう約束した僕は、里に戻り窓口になる旨を長老に伝えた。長老は興味のなさそうに、

「分かった。石彫りの民にはそう伝えておこう」

 とだけ答えた。初めから僕に期待していないようだった。

 そして翌日、僕とヒオはいつもの川辺にいた。

「まずは文化ね。花繰りの生活や思想なんかを教えてほしいわ」

 まずヒオがこう切り出した。

「私たち石彫りの民は、今まで花や草木にそこまで関心がなかったの。食用とか、煎じて薬にしたりとか、そういう生活に直結する知識は持っているけれど、それ以上のものではなかったのよ」

 花繰りとしては聞き捨てならない言葉ではあったが、とりあえず今は気にしないようにする。

「花繰りにとって、花は大地が教えてくれる自分や相手の気持ちそのものなんだ。花繰りが咲かせる花には全て意味がある」

「それって、どうやって分かるの?」

「普通の花繰りなら、自分が咲かせた花や贈られた花が表す気持ちが感じ取れる、らしい……」

 自然と言葉の最後に力がなくなる。本当なら語尾に「らしい」なんて付けなくてもいいはずなのに。

「だから花繰りにとって花は特別なものなのね。大地が教えてくれるんだもの、そりゃあ大事にもするわね」

 ヒオはしきりに頷いている。

「そうだ。質問なんだけど、花繰りだったら皆花を扱えるものなの?」

 この質問は僕の心にぐさりと刺さった。

「普通は、そう、だと思う……。少なくとも里にいる中で花を咲かせたりできないのは僕だけだ……」

 花繰りの話をしているとどんどん気分が沈んでいく。この仕事を引き受けたの、失敗だったかな……。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、

「へえ。花繰りはそうなのね。石彫りとはだいぶ違うなぁ」

 と感心している様子だった。

「石彫りの人たちは、違うの?宝石を加工できるって言ってたと思うけど」

「うん。違う。私たちの持っているのは一族が代々受け継いできた技術なの。大半の石彫りはそれを学び、研鑽し、そして自分だけの宝石を形にして後世に伝えてゆく」

 でもね、と言ってヒオは続けた。

「たまに、何年か何十年に一人、ずば抜けて才能のある人が生まれるの。そういう人たちはもれなく当時の技術では再現できないような革新的な石を残してきたと言われてて、彼らこそ本当の意味での石彫りなんだって」

「じゃあ、今の石彫りの民っていうのは普通の人がほとんどなの?」

「そうよ。そして、これが私たちが花繰りに興味を持ってる理由の一つなんだけど、その本当の石彫りと呼ばれてる人たちは皆こう言ってたらしいの。『自分がどの宝石でどんなものを作りたがっているか、大地が教えてくれる』」

 僕は息を飲む。大地が教えてくれる……。

「花繰りと、同じだ……」

 それを聞いてヒオが目を輝かせる。

「でしょう⁉私たちも、そんな風に大地に教えてもらえるようになりたいの」

 なりたいと言ってなれるものでもないと思うけど、とりあえず相槌を打っておく。

「ヒューイ。私たちの集落に来てくれない?できれば、花繰りの人を連れて。どうやって花を咲かせるのか、皆に見せてほしいの」

 私も見てみたいし、とヒオは言う。

「僕が行くのはかまわないけど、他の花繰りを連れていけるかは分からないよ。皆、あまり里から出ようとしないから」

 そう、本来花繰りの里は閉鎖的なのだ。行商のおじさんが受け入れてもらえるまでずいぶん時間がかかったと以前言っていたのを思い出す。

「今すぐでなくてもいいの。石彫りと花繰り、お互いに信頼関係なんてものもまだまだこれからなんだから。でも、それを築いていくのも私たち窓口の仕事でしょ?」

 彼女の言うことももっともだ。僕らは、まずお互いを知ることから始めないと。

 *

 そうこうしているうちに陽が傾いてきた。僕らは話を切り上げ、各々の帰る場所へと戻っていった。

 里に戻ると数人の大人たちが僕を見つけ話しかけてきた。

「ヒューイ、石彫りに会ってたのか?」

「あいつら、何者なんだ?」

「地面を掘ってるのはなんでなんだ?」

 質問攻めにあう。面倒なことこの上なかったが、今の僕は窓口である。ヒオから聞いた石彫りのことを里の皆に伝える義務がある。

「今、石彫りの窓口と話をしてきたところです。彼らは宝石っていう光る石を探して地面を掘ってるそうです」

「宝石?石っころが光るのか?」

 僕はヒオと初めて会った時にもらった、彼女がトパーズと呼んだ小さな宝石を取り出して見せた。

「こういうのだそうです」

 初めて見る宝石に大人たちは目を丸くする。

「これが宝石?確かにキラキラしてるが、地面にこんなのが埋まってるのか?」

「彼らが言うには」

 トパーズをしまいながら答える。

「では、家で姉さんが待っているので」

 そう言って僕はその場を離れた。

 *

「窓口のお仕事、ご苦労様」

 家に帰ると、姉さんが夕食の準備をしていた。

「石彫りの窓口さんと上手く話はできた?」

「そうだね。石彫りの人たちが求めてるものについて聞かせてくれたよ」

「それって何?」

「彼らは、花繰りがどうやって花を咲かせるのか、それを知りたがってる」

「知ってどうするの?」

「彼らも大地に教えてほしいんだってさ」

「ふーん。でも、それって無理じゃない?あの人たちは花繰りじゃないんだから」

「僕もそう思うんだけどね」

 ヒオが言うには石彫りの中で特別な力を持つ人はほんの一握りのようだし、花繰りの力は技術ではないから、他人に教えるのは難しい。彼女には伝えなかったけど、おそらく彼らの希望は叶えられないだろう。

 *

 明くる日の朝、僕はすっかりヒオとの待合せ場所となった川辺で彼女を待っていた。ほどなくして、大きな荷物を背負ってヒオがやってきた。

「おはよう、ヒューイ」

「おはようヒオ。背中のそれ、何?」

 僕は挨拶もそこそこに尋ねた。

「花繰りの人たちに見せようと思って。今日はあなたたちの里に行ってみたいの」

「里へ?何しに?」

「私、石彫りの側の窓口になったじゃない?だから挨拶に行きたいの」

 なるほど。話が急な気もするけど、そういうことか。

「分かった。里まで案内するよ」

 こうして、僕はヒオを連れて里に向かった。

 *

 とりあえず、まずは長老に挨拶がしたいとヒオは言った。僕もそれに異論はなかったので長老の家に向かった。

里の中央、広場になっている所を通り過ぎる。そこには何人かの花繰りがいた。よそ者のヒオが珍しいのだろう。普通に雑談をしている風を装いながらこちらにちらちらと視線を向けている。

 ほどなく長老の家に着いた。玄関の扉をノックして中に入る。長老は前回訪れた時と同じ場所に同じ姿勢で座っていた。

「何用かな?ヒューイ」

「石彫りの窓口を連れてきました。彼女が長老と、里の皆に挨拶がしたいと言うので」

「初めまして、新米石彫りのヒオです」

 幾分かしこまってヒオが名乗る。それを聞いた長老は表情を変えずに言葉を返した。

「これはこれは。いつか来るとは思っていたが、こんなに早く来るとは。初めまして、私が今の花繰りの里の長老です」

 お互いに軽く頭を下げるヒオと長老。

「これは、お近づきの印です。どうぞ」

 そう言って、ヒオは荷物の中から小さな緑色の宝石を取り出した。

「トルマリンという石です。石彫りが仲良くしたい相手に贈る代表的なものです」

 宝石、トルマリンを受け取り、長老はまじまじとそれを見ている。

「ほう、これが宝石ですか。この輝きは、確かに花にはない美しさを持っていますな」

 どうやら気に入ったらしい。しばらくそれを眺めてから、長老は口を開いた。

「よろしい。里の者たちに会ってくるといい。しかし、花繰りの里はあまり余所と交流を持たないようにして生きてきた。受け入れられるまで時間がかかるかもしれないこと、忘れないように」

 その言葉にヒオは礼を言って長老の家を出た。

 *

 そのまま里の広場まで戻る。ヒオはいったいどうするつもりなんだろう、と思って見ていると、彼女は広場の一画で荷物を広げ始めた。色とりどりの小さな宝石がいくつも並ぶ。そしてヒオはひときわ大きな声で、

「こんにちは!花繰りの皆さん!私はヒオ!新米石彫りのヒオと言います!今日は、皆さんとお近づきになりたいと思って来ました!どうぞよろしくお願いします!」

 と挨拶した。しかし、目立った反応はない。皆遠目から見ているだけで近づこうとする者はいなかった。

「長老さんが言ってたのはこういうことかー」

 ヒオは苦笑いを浮かべながら呟いた。彼女は日が暮れるまでそこにいたが、結局誰も声をかけてこなかった。

 *

 日没とともにヒオが荷物をまとめて帰ると言うので、送っていくことにした。夜の森は女の子一人では危ない。

「あーぁ、今日は収穫なしかー」

「しょうがないよ。皆里の外の人と話したことはほとんどない人ばかりだから、警戒してるんだ」

「この分だと、本当に時間がかかりそうね」

 ヒオの言葉に僕は尋ねる。

「面倒になった?」

 それに彼女は首を振って答えた。

「全然。むしろやりがいを感じてるわ」

 芯が強いな。僕はそう思った。

 話をしているうちに森を抜けて山のふもとに着く。ここから先には行ったことがない。しかし、ヒオを一人で帰らせるわけにもいかない。結果として、僕は石彫りの拠点に足を踏み入れることになった。

 *

「ようこそ、ヒューイ。石彫りの拠点へ」

 隣にいるヒオが大げさに言う。そこにはテントがいくつも並んでいた里とは違い、木造の建物は見当たらない。

「せっかく来たんだし、ヒューイも石彫りの長に会っていきなよ」

「でも、もう日も落ちてるし……」

「大丈夫。この時間ならまだ起きてるわ」

 促されるままにテントの一つに入る。そこには、ヒオと同じ赤い髪の男性が座っていた。

「おかえり、ヒオ。遅かったな。そちらの方は?」

「ただいま、お父さん。こちらはヒューイ。花繰りの窓口よ」

 ヒオがお父さんと呼んだ男性の目がまっすぐにこちらを見る。地面を掘ったりするからだろうか。がっしりした体型で、腕なんか里では見たことがないくらい太い。手も大きいし、殴られたりしたら一発で意識を持っていかれそうだ。いや、もしかしたら死ぬかも……。

 そんな風に僕が恐怖とともに萎縮していると、彼はニカッと笑って、

「そんなにかしこまらなくても大丈夫だ。初めましてヒューイ。私がヒオの父親のフアだ。あとついでに石彫りの長もやっている」

 と名乗った。そして右手を差し出してくる。僕はその手を握る。力強く握り返された。

「ヒオを送ってくれたんだね。礼を言う。もう日も暮れているし、今夜は泊まっていくといい。そして君さえかまわないなら、明日この拠点を案内させてもらえないかな?」

 フアさんの言葉にヒオも続く。

「それがいいわ!是非見ていってよ!」

 二人に押し切られ、僕はこの拠点で一泊することになった。あてがわれた一人用と思しき狭いテントの中、地面に敷かれた毛布の上で横になった。

 *

 明朝、ヒオが起こしに来た。

「おはよう、ヒューイ。よく眠れた?」

「おはよう、ヒオ……。地面が硬くて、イマイチ眠れなかったよ……」

 眠い目をこすりながら答える。そして、テントの外に出ると、そこには見たこともない光景が広がっていた。

 着いたのが夜だったこともあり、昨日はよく見えなかった拠点の全貌。それは山肌を切り崩して開いていた。穴を掘る、というにはあまりにも規模が大きい。

「口、開いてるよ」

 ヒオが茶化すように言う。

「すごいね。こんな風に山を掘るなんて」

 僕は思ったままを述べる。

「でしょう?こういう掘削技術も、代々受け継がれてきたものなのよ」

 ヒオが胸を張って答える。

「ここではどんな宝石が取れるの?」

 僕の問いに彼女は少し思案してから、

「そうね。いろいろ取れるみたいだけど、特にトパーズはわりと上質なものが取れてるわ」

 と返した。

「トパーズって、初めて会った時にバケツに入れてた宝石だよね?」

「そうよ。あれはここで一番に取れたものの一つなの。石彫りの中では友愛とか、そういう意味があると言われてる。だからヒューイにプレゼントしたの」

 僕はそれを聞きながら懐からあのトパーズを取り出す。ヒオがそれを見て嬉しそうな顔をした。

「それ!持っててくれたの?」

「うん。なんとなくだけど、いつも身に付けてる」

 彼女は僕の言葉を聞いて何度も頷いている。僕にはその時の表情の意味が分からなかった。

 *

 ヒオの案内に従って拠点を回る。石彫りの人たちは昨日会ったヒオのお父さん、フアさんと同じようにがっしりした体型の人ばかりだった。そして、会う人会う人皆背が高い。ヒオも背が高い方だと思っていたけど、それ以上だ。

花繰りの里の皆とは違い、挨拶をすると石彫りの人たちはにこやかに返してきた。

「ここの人たちは、あんまりよそ者を警戒したりしないんだね」

「そうね。私たちは宝石を求めていろいろな土地を巡るから、どちらかというとこっちがよそ者になることが多いの。だからかな」

 なるほど。そんな事情があったのか。それならテントに住んでいるのも納得だ。

 *

 石彫りの拠点でお昼をごちそうになってから僕は花繰りの里に戻った。里の入り口には姉さんが待っていた。

「おかえり、ヒューイ。どこに行ってたの?」

「ただいま姉さん。ヒオを送って石彫りの拠点に行ってた。すごいんだよ。山を切り開いて宝石を掘ってるんだ」

 僕の言葉に、しかし姉さんは興味がなさそうに、

「そう。それはいいけど、今度からは外に泊まる時は事前に言ってくれると助かるわ」

 とぶっきらぼうに返した。

「もしかして、怒ってる?」

 僕の言葉に姉さんは笑いながら、

「うん?全然」

 と短く答えた。口元こそ笑っているが、目が全く笑っていない。僕はそれに気付いて思わず、

「……ごめんなさい」

 と謝っていた。結果として、僕はペナルティとしてこの日の家事当番を全て引き受けることになった。

 *

 それからしばらくの時が経った。その間もヒオは里に頻繁に顔を出し、少しずつ打ち解けていった。僕も彼女ほどではないが石彫りの拠点に行き、顔を覚えてもらうとともに宝石を掘る手伝いをしたりしていた。もっとも、僕は非力過ぎて手伝いになっていたかは怪しいが。そんな風に、花繰りと石彫りの距離は徐々に近付いていた。

 しかし、良いことばかりでもなかった。日が経つにつれ、ヒオの表情に焦りの色が見えるようになった。本人は隠しているつもりらしいが、隣にいるとすぐに分かった。理由は明白だ。彼女の目的、花繰りが花を咲かせる仕組みの解明が遅々として進んでいないのだ。

 花繰りと石彫りは友好的な関係を築きつつあるが、それは副次的なもので、彼らの本来の望みではない。もっと言えば、どうやって花繰りが大地とつながり花を咲かせるのか、それを知るための打算的なものだ。

 石彫りの拠点を訪ねた時にフアさんにそれとなくヒオのことを相談してみたが、

「そのうち答えが出る」

 という答えしか返ってこなかった。

 *

 その日の夕方、里に来ていたヒオを石彫りの拠点まで送っていた。

「今日はここまででいいよ」

 川辺に着いた時にヒオが言う。その言葉には元気がない。今回も目立った収穫がなかったからだろう。

「……いつまで続けるの?」

 思わず僕は聞いていた。

「続けるって、何を?」

 ヒオが聞き返す。

「花繰りの力を調べることだよ。悪いけど、この力は他人に教えられるものではないと思う」

 僕の言葉にヒオは口元を歪ませながら、

「『この力』とか、ヒューイは花を咲かせられないじゃない」

 その言葉は、他の誰に言われた時より深く僕の心に突き刺さった。

「私たちがあの山に拠点を移した理由、言ってなかったよね。あそこで宝石が採れるって噂を聞いたのもあるけど、もう一つは、花繰りの里だよ」

「花繰りの、里……」

「窓口になった頃に話したよね。私たちの技術は代々受け継がれてきたものだって」

 僕は黙って頷く。

「もう何年も新しい技術は生まれていない。もしかしたら、このままでは衰退していくかもしれない。私はそれをなんとかしたいの」

 そうか。それで花繰りなのか。

「花繰りに教えを請う。それを言い出したのは私。石彫りの未来のために、どうしても必要だと思ったから」

 ヒオは、彼女なりに石彫りの先のことを憂いていたのだ。

「でも、もうそろそろ終わりなのかも」

 俯いたまま彼女は言う。

「あの山で採れる宝石の量、減ってきてるの。きっと近いうちにまた別の土地に移ることになる」

 それは、唐突な別れの宣告だった。その言葉を残して、ヒオは拠点に戻っていった。

 *

 一人で里に戻りながら考える。ヒオたちがいなくなる。いつかそんな時が来るとは思っていたけど、もっとずっと先のことだと思っていた。彼女のことを思う。そして僕自身の気持ちを、どうしたいのかを考える。こんな時、他の花繰りなら……。

 その時、異変に気付いた。右の手のひら。それがほのかに熱を帯びていた。熱と呼ぶにはあまりに儚く、優しく感じた。まさか。いや、もしかして。

 僕はそっとその手のひらを地面に押し当てた。熱が地面に吸い込まれる。次の瞬間、手のひらの少し前の地面から一輪の花が咲いた。紫色の小さなキキョウだった。これは、僕が咲かせた……?

 おそるおそるその花に触れる。その瞬間、頭の中に言葉が浮かんだ。その言葉は、

「変わらぬ愛……」

 思わず口をついて出た。それが答えだった。そうか、僕は、ヒオのことが好きなんだ。彼女を失いたくない。

 そう思った次の瞬間には、僕は走り出していた。

 *

 石彫りの拠点に着いた時、もう日は沈んでいた。ヒオの姿を探す。彼女はフアさんのテントから出てきたところだった。

「ヒオ!」

 振り向くその姿に駆け寄る。

「どうしたの?ヒューイ」

 驚いた様子の彼女に、僕はあのキキョウの花を見せた。

「僕の花だ」

 ヒオの目が丸くなる。

「え?でも、あなた、花を咲かせられないって……」

「ヒオのことを考えてた。そしたら、できたんだ。だから、君に受け取ってほしい」

 僕はその小さな紫の花を差し出す。ヒオがそれを受け取る。彼女の目から一筋の涙が流れた。そして呟いた。

「変わらぬ愛……」

 花の意味が、僕の気持ちが伝わった瞬間だった。

「僕は、君に隣にいてほしいよ」

 *

 それからまたしばらくの時が流れ、僕は十九歳になっていた。もうあの山に石彫りはいない。彼らは宝石を求めて別の土地へ去っていった。そんな風に、花繰りと石彫りの交流は終わった。

 僕は川に水汲みに来ていた。以前のように誰もいない上流に行く必要もなくなった。窓口としての役割をしっかりこなしたとして、僕は里の皆から一定の評価を得ていた。川辺には既に何人かの花繰りがいた。

「よう、ヒューイ。奥さんの調子はどうだ?」

「変わらず元気ですよ。姉さんとも仲良くしてくれてます」

「それはなにより。もうすぐなんだろ?」

「はい。僕も彼女も楽しみで仕方ないです」

 軽く世間話をしてからバケツに水を汲んで来た道を戻る。

「おかえり、ヒューイ」

 家に戻って出迎えてくれたのは、姉さんとヒオだった。ヒオは椅子に腰かけて大きくなったお腹をさすっている。

「ただいま。ヒオ、姉さん」

 石彫りの民は山を去ったけど、ヒオだけは残った。今でも、いつか花繰りの力の秘密を解き明かすのだと息巻いている。

「あの時、ヒューイから花をもらった時、花に込められたヒューイの気持ちが伝わったの。だったら、可能性はゼロじゃないと思うの」

 とは、彼女の言葉だ。

 結局、僕が花を咲かせられたのはあの時の一度だけだった。でも、それで十分だった。

あの花は枯れてしまってもうない。けれど、僕らの部屋には、あのトパーズで作られた、黄色いキキョウが今も輝いている。

                  了

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花と石 石野二番 @ishino2nd

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