第3話 私はポンコツではありません
勉強が一段落ついたのか、柏原さんが背伸びをします。パジャマ姿のまま両腕を伸ばし、腰を右に捻り、左に捻って、私と目が合いました。
彼はぽかんとして、一度目頭を押さえたのち「よしっ」と勉強を再開。
数秒後、彼はそーっと……こちらを伺い、ペンをぽろっと落としました。
もしかして。
見えてます?
「柏原さん、ですよね?」
「……し、城木さん!? え、なに? 幽霊!? いや幽霊でも全然」
彼は椅子に転びかけながら私に迫り、おそらくベランダの窓に腕を伸ばして、空を切りました。久しく見た彼の素顔に、私はもう言葉にできない幸福の花が咲きました。けど、何を説明して良いのでしょう。魔法? 異世界?
ああもう、とにかく説明しなくては!
私はこの世界に来て、一番驚いたことを伝えます。
「こっちは異世界です! こちらの世界では、骨が喋って、踊ります! このように!」
私は両手足をカクカクと挙動させ、故障中のロボットみたいなダンスを披露しました。私にとって白の国一番の衝撃は、スケルトンダンスだったのです。
柏原さんは突然あやしい踊り始めた私に目を丸くし、私も「これ違う!」と気づいて踊りを止め、かあっと身体が熱くなりました。いえ違うんですこれは。説明が……。
と、鏡が呆れたように、通信を途絶えさせました。
「ああっ! ちょっと待って下さい!」
私は鏡をぺちぺち叩きます。ここで映像が途切れては、私は死に別れた彼氏の前で骨ダンスを踊った大うつけ者。死んでも死にきれません。
通信は無事再会し、幸い柏原さんはまだ寝間着のまま目を丸くしていました。
良かったと安堵して、……いえ待ってください。寝間着!
「あ、み、見ないでください柏原さん! ヤダ私、寝間着のまま! 着替えを、ごめんなさい!」
私は慌てて上寝間着を脱ごうとして、すぐに鏡を開いたままと気づいて「イヤ―――っ!」と悲鳴をあげて通信を切りました。クロゼットをひっくり返しましたが、私の私服は魔王ご用達みたいな黒いローブしかありません。大樹守様は偉いのだから威厳を、と姫様の用意した衣装はどれも仰々しいのです。でも柏原さんの前にて、大魔王は恥ずかしい!
「姫、姫ぇ~っ!」
私は部屋を出て、姫様を呼びました。
「どうしました、大樹守様!」
「私が着ていた制服を、どこに持って行きましたか!」
「え? あれでしたら血まみれで、洗ったあと、異文化の研究用に……」
「いますぐ持ってきてください! いま、すぐ!」
その晩、私ははじめての大樹守様権限を使い、夜中に神殿中を引っかき回して制服を探しました。発見の報告を受けて『異世界のお召し物コーナー』に駆け込むと、壁際に恥ずかしげもなく制服やスカート、ブラジャーや下着まで展示されていて「なんですかこれ~!」と全部回収し、猛然と部屋へと戻ります。
異世界生活を始めて、はや一月。
私の生活、たるんでいました!
久しく制服に袖を通し、髪を櫛で整えます。化粧は道具がないので仕方ありません。衣服におかしな汚れがないかチェックし、よし、と再び鏡に手を翳します。
鏡の向こうに現われた柏原さんは、彼も学校の制服に着替えていました。彼も彼で、寝間着は恥ずかしかったのかもしれません。
そうして私達は鏡越しに、再会することができたのです。
改めて、私は彼に説明を行いました。
私は死後にこの浮遊樹海群を訪れ、大樹守様と呼ばれて皆に崇められ、毎日きちんと食事を頂き、勉強もせず図書館に引きこもり、日がな一日ぐうたら……いえ、日々大樹を守る公務を務めていることを伝えました。
最後に、私は笑顔を浮かべて、彼に告げます。
「色々ありましたけれど、柏原さん。私はまた、あなたとお会いできて、嬉しいです」
「……っ。はい。お久しぶりです、城木さん」
柏原さんはうれしさを押し殺すように唸り、彼の笑顔に水滴が伝います。つられて私も微笑みながら、一筋の涙を零しました。
これが奇跡の産物かは分かりません。いえ、理由なんて、どうでもいい。
私達は再び、語り合うことができたのですから。
「ところで城木さんは、慌てると面白いことをするのは相変わらずですね」
「し、仕方ないじゃないですか。私は突然のことに弱いんです。さっきの踊りは忘れて下さい……恥ずかしい……! と、とにかく」
それから私達は色々な話を、色々という言葉では足りないくらい色々お話しました。
彼から、私が亡くなった後の近況も聞きました。私の死は世間の話題を誘蛾灯のように集め、彼は学校でも自宅でもマスコミに追われて、一時期辛い生活を送ったと聞きます。
「柏原さん、申し訳ありません。私がうっかり、死んでしまったせいで」
「いや。あれは俺が庇うべきでした……謝っても、謝りきれません」
「いいえ。あなたが亡くなっていたら、私こそ、どんな気持ちになっていたか分かりません。それに私は、あなたが無事でいてくれたなら幸せです」
また、柏原さんの目じりに涙が浮かびます。未だ彼に想われていることを知ると、不謹慎と知りながらも、きゅっと胸が締め付けられる思いでした。
「泣かないでください、柏原さん。私とこうして会えた訳ですから、いまは再開を喜びましょう。……ふつうの人は、死者と話をすることも許されません。奇跡でも異世界転生でも、何でもいい。望外の喜びを、噛み締めたいんです、私は」
「……はい」
私達はその日、朝が白むまで会話を続け、やがて彼が学校に行く時間が訪れました。私はまた今晩と、名残惜しく通信を切りました。
長時間の魔法の行使が堪えたのでしょうか。鏡の通信を解いたとき、私はこの世界に来て初めて、身体に鉛のような疲労を覚えました。
ですが心は身体とは正反対に、とても、晴れやかだったのです。
その日から毎晩、私達は時間を決めて逢瀬を重ねました。
話題は山ほどありました。異世界の、不思議な世界や生物たち。
「柏原さん。こちらの世界は、すべての国が雲の上にあって、その足場は巨大な大樹に支えられているそうです。その大樹が各地にあり、浮遊する島々のように見えることから『浮遊樹海群』と呼ばれてるそうなんですよ。不思議だと思いません?」
私の住まう『白の国』は、平たい皿のような孤島の中心部に、スカイツリーのような巨大な塔が貫いている形です。他にも骸骨さんや一つ目の怪物さんなど、日本ではまず見ない方々がいて、みな大変素敵な方々です。
「城木さん、生き生きしてますね。楽しそうで何よりです」
「え!? ええまあ、不思議なものが沢山ありまして……スイマセン……」
私は元々世間にうとく、柏原さんの話を聞くばかりでした。ですから、彼を驚かせることができる話題が増えたことが嬉しくて、つい。
一方で、彼の話題にも大きな変化がありました。勉強机に置かれた赤本です。
「柏原さんは、医学生を目指しているのですか?」
「はい。人を助ける仕事につきたいと思って」
「以前は、確か文系の大学に行くと、お聞きしましたけれど」
「はい。……けど俺は、悔しかった、から」
私は失言を悟りました。柏原さんはまつげを伏せて、唇を噛みました。
「俺はあなたの前で、あれだけ好きだと言っておきながら、何もできませんでした。ただ見てるだけの弱い自分が嫌で、できることをしたい。そう、思ったんです」
ああ、と私は言葉に詰まって。
次の質問は。すこし、躊躇しました。
「柏原さん。それは、私への罪悪感、ですか?」
「……それもあります。けど、俺自身の希望も、強くあります。あなたに貰った命で、一人でも誰かを助けたいって」
それ以上、私に言えることはありませんでした。
彼の人生もまた、私の死をきっかけに変節を迎えていました。私はただ、彼に無理をしないよう、健康に気をつけてくださいと伝えるのが精一杯でした。
私達の会話は日夜、とりとめもなく続きます。
「城木さん。こっちで亡くなった方は、そちらの世界に転生? するんでしょうか」
「その話は、私も気になって調べてみたのですが……」
私は国の図書館で調べた、転生に纏わる秘話を彼にお話しました。
――転生に至る魂は『己に非がない死を迎えた者を招く』と。
詳しい理由は分かりません。しかし転生においては、自死はもちろん、己の過失による事故、不健全な生活による病死など、あらゆる意図的な自死に対して、一切の救済は許されない。その上で『運命の大樹守様』に見初められれば、という文言が記されるのみでした。
うろ覚えですが、私が宇宙のような世界でお会いした彼女が、そうだったのかも……?
「城木さん。じゃあ、たとえば俺が死んで、城木さんにお会いすることは」
「――柏原さん」
「いえ。……すいません。俺、馬鹿なことを」
彼が途中で止めてくれて、私はすこし安堵しました。
「柏原さん。……あなたまで亡くなりましたら、家族や友達や、クラスメイトが悲しみます。私がそれを望まないのは、よく御存じのはず」
「分かってます。俺だって城木さんに貰った命です、簡単に捨てる訳にはいきません。それに、目標もできましたから。……心配かけて、ごめん」
彼は申し訳なさそうに、私に謝りました。
もちろん、私達の会話は暗い話題だけではありません。新しい試みも始めました。
私達が真っ先に試したのは、鏡を動かせないかという事でした。彼に異世界を紹介したいと思ったのですが、残念ながら一度起動した鏡は呪われたように微動だにせず、私以外の姿は見えず、通信先も彼の部屋以外に変えることが出来ませんでした。
私達の会話は楽しくもあり、どこかズレているものでした。
彼は学校の部活や、中間テストの気苦労を口にしました。柏原さんは元々(美術以外は)成績も良かったのですが、医学部という目標ができて以来、彼の成績は見る間に向上して学年一位に上り詰めたと聞きます。彼の秘めたる才能には、将来の眩しさを予感させます。
一方の私は、骸骨さんが骨盤を盗まれて立てなくなった、豚顔のオークさんが腹の贅肉を気にし始めたとか……随分ほのぼのとした会話を続けていたと思います。でも、柏原さんは深刻な話より、私のそんな日常を喜んでくれました。
私達はときに笑い、ときに励ましながら、異なる生活を続けました。
異世界の魅力に、彼の日常。懐かしい、高校の体育祭の話などなど。
……けれど。
本当に大切なことは。
あなたへの秘めた想いは、口にすることができませんでした。
私達の再会は、鏡越しの対面。それは望外の喜びであり、大輪の花が咲くほどのものでした。けれど、指一本触れることすら叶わない距離も、また事実です。
通信を終えたあと、私はときに熱を持てあましたように指先を伸ばし、空気を撫で、携帯に結ばれた透明な星のストラップを弄ります。
……叶わない。分かっていても、思う。
彼と向かい合い、手を繋ぎたい、と。
――でも、現状で満足すべきだと思います。
彼と会話をできるだけで、幸せなのですから。
日々は流れます。
彼は次第に、受験勉強が本格化し始めました。目指すは医学部。一筋縄でいかないことは私にも理解できたので、試験期間中は通信を控えるよう心がけました。
それでも私達は、この心地よい時間がしばらく続くものだと、無意識のうちに考えていました。彼と会える限り、きっと続くと。
無論そんな保証は、この異世界において存在しません。
数日後――それは轟音と、爆発から始まりました。
飛び起きた私が見たもの。
それは雲の上に並ぶ、大砲を並べた黒船の集団でした。
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