第7話 時間が経つと、連絡しにくくなるものです

 白の国を包む結界を破られたとの一報は、夕刻過ぎに雪崩のように飛び込んできました。

 即座に結界修復を行うことで後続を遮断したものの、帝国の転生者に侵入を許し、私は始めてこの戦争で人と対峙しました。

 剣を片手にした旅人風の青年は、私の結界をバターのように切り裂き、肉薄します。夕日に燦めく銀の刃に、私はかつて命を落とした記憶が蘇り、恐怖のあまり己の身を守る結界をただ展開するだけでした。

「大樹守様、落ち着いて! 結界で敵を押し出すんです!」

 姫様の助言がなければ、切り伏せられていたかもしれません。

 私は結界を壁のように突き出し、敵を返すことに成功しました。何とか襲撃は乗り切れたものの、私は疲労のあまり倒れてしまい、姫様達に担ぎ込まれる形で神殿に戻ったのです。

 その日は、彼と約束をした日でした。

 夜中に目を覚ました私は、急ぎ鏡の前に立ちます。しかし……

 古い姿見に写っていたのは土と泥で汚れ、目元はひどく落ちくぼみ、ほつれた髪をそのまま放り出した私でした。

 ――こんな姿を見られたくない!

 急いで水浴びを行い、制服に袖を通しましたが、その時にはもう深夜を回り、日付が変わっていたのです。そして……。

 鏡の前には姫様が陣取り、はじめて、怒りの顔を浮かべていました。

「大樹守様。この鏡を、どこで?」

 私は骸骨さんの名は出さず、ある人から頂いたものだと応えます。

「大樹守様。もしかして、普段から鏡を使われていましたか?」

「っ……はい。どうしても、会いたい人がいましたので」

 姫様はひとつ息をついて、語ります。

「この魔法具は、……転生鏡。別名、恋の鏡という名前がついてるんです」

 その鏡は過去、現在、未来を問わず、愛しき者を写す魔法具。

 鏡は私のような転生者の間を渡り歩き、多くの不幸を招いたといいます。最初は望外の幸福を噛み締めても、次第に交わらない日常のズレから別れに至る。その一方、かの鏡で遠き恋人を想うあまり、ついには鏡の前から動かなくなった、哀れな女性の話もありました。

「大樹守様。話はそれだけじゃありません。この鏡は、魔法の力を強く吸い取るんです」

「え……?」

「大樹守様。お願いです。しばらく、鏡を使わないでください。そしたらきっと、大樹守様はあの程度の転生者に負けることは、ないはずです!」

 私は姫様への返答に迷い、けれど懇願に折れる形で、鏡を禁じました。

 姫様の言葉は正しく……、数日後、再び現れた転生者の青年を、私は容易く追い返すことが出来ました。その事実は同時に、――彼との対話を、強く制限するものでした。

 私は、白の国が好きです。

 皆さんのために、負けられない。

 ……私は、柏原さんを好いています。鏡の魔法が私の生命に関わると理解したら、彼はきっと、鏡を開かないで欲しいと願うかもしれません。

 それは私にとって、予定外の別れの始まりでした。

 鏡を開けば、彼をはじめ多くの人に迷惑をかける。その事実が重石となり、柏原さんへの連絡は一日、また一日と先延ばしになり。気づけば、一月以上が過ぎていました。

 時間は残酷です。

 私の中で次第に迷いが生まれ、鏡を開く気力を、ゆっくりと奪います。

 黒の帝国との戦に備えたい

 彼も受験勉強で忙しいから。

 ……彼にはきっと、私より相応しい女性がいるから……

 空いた時間が心を蝕んでいくことを、止められません。

 学校を一度休むと、次の日に行き辛さを感じるように。私は鏡を開くことができず――いえ、鏡を開くと、次はきっと、柏原さんからお別れの言葉を突きつけられる。そのことが怖くて、時が経つほどに私の足は竦んでいったのです。

 やがて長い夏が終わり、秋風が吹きました。その間も帝国の転生者が次々に私へ挑みましたが、すべて軽くいなせる程度でした。

 戦いが楽になったのは鏡を使わなくなったから、……という理由もありますが。

 ひとつ、疑問が浮かびます。

「姫様。私はどうして、こんなに強いのですか? いえ、不便ではないのですが」

 同じ転生者でありながら、この差は何なのだろう、と。

「大樹守様は、たしか大切な人を庇って亡くなられたのですよね? それが影響してるのだと思います。人を守ったり、良い事をすると魔法の力は強くなると聞きます。助けた人との、魂の繋がりができるから、とか……」

 成程と納得しかけましたが、本当にそうでしょうか。

 私は彼をかばって亡くなりました。良い事かはさておき、力の根源かもしれません。

 しかし転生者の中には警察官や消防士など、私より素晴らしい出自の方もいると噂で聞きました。そもそも普通の会社員でも、十二分に立派です。なのに、たかだか十七の小娘である私が、より強い力で上回っている……。

 いまひとつ納得できず、骸骨さんにも尋ねると。

「守護霊でもついてるんじゃないッスか?」

 結局、私の疑問は宙に浮き、木枯しも吹き終わり、雪の影がちらつく季節を迎え。

 それでも、彼と顔を合わせることはありませんでした。



 粉雪が降りしきる、ある日のこと。私の心が雪深くに埋もれた頃、骸骨さんから懐かしい質問を受けました。

「大樹守様、大樹守様ッス! 向こうの世界では、クリスマスってのがあるって聞きましたッス!」

「あら、よく知ってますね」

「はい! それで大樹守様に、俺からプレゼントを贈りたいッス! 何がいいッスか?」

「そうですね。……では、なにか可愛い小物が貰えると嬉しいです」

 適当に頼んだところ、彼は紐付きの小さな頭蓋骨を持ってきました。骨細工は精巧で、おめめは真っ黒。人間の歯型まで掘られた一品もの。骸骨さん曰く、おシャレ! だそうで。

「あ、ありがとうございます……どうしよう……」

 勢いで受け取りましたが、いざ身につけるとなると困りました。女子力ダダ下がりです。

 そもそも私の普段着は黒一色の魔法使い風ローブで、姫様を始め皆が「大樹守様の威厳のため」と進めるので仕方なく着ています。これに髑髏を付けると悪の大魔王まっしぐら。

 うーん、と手元で遊びながら寝室に戻り、机に転がした携帯電話に目をつけました。すでに充電も切れ、置物と化していたそれには、いまも彼のアクセサリが下がっていました。

 透明な星形のストラップ。

 月日が経ち、私の中でも少しずつ整理がついたから、でしょうか。

 私は星形の飾りに指を伸ばし、お洒落だという骸骨を結ぼうとして、……ふと、彼のウサギ型の小物を咎めたことを思い出しました。

 私はカラカラと髑髏を弄り、やはり結ぶことができず机に置いて、ひとつ、息を吸います。

 黒の帝国も冬期は大人しく、姫様も冬の間は大丈夫だろうと語りました。

 久しぶりに、鏡を開こうかという気持ちが、頭をよぎったのです。

 彼と顔を合わせなくなって、三ヶ月が過ぎていました。

 ……彼はもう、私のことを諦めたでしょうか。

 鏡の前に立ち、緊張をほぐしながら鏡面をなぞります。

 久しく力を受けた鏡は輝きを増し、ぼんやりと、四畳半の世界を照らしていきます。

 そこに彼は、

 ――…………居ませんでした。

 その代わり。

 部屋には小さなクリスマスカードと、一人の女性を描いたラフスケッチが、イーゼルに立てかけられた姿で、こちらを見つめていました。

 単一の黒服に身を包み、ふんわりと微笑む少女です。あまり上手とは言えないフスケッチは、けれど黒髪の線のひとつひとつを、鉛筆で丁寧になぞった跡がありました。

 本来なら堅物なはずの微笑みは、鉛筆のタッチのお陰かずいぶんと柔らかくて。

 大魔王のような黒服は、ふんわりとした淡さを持ち。

 白い用紙から触れる空気は、懐かしい、美術室の香りを思い起こさせます。

 それは私でした。

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