第4話 この世界で過ごすのは大変です
大樹の頂上から見えたのは、白い雲海に浮かぶ黒塗りの船団。教科書に登場する黒船襲来を思い起こさせる戦艦が、私達白の国めがけて無数の砲身を向けていました。遅れて届く、鼓膜を破るような轟音。ビリビリと空気を揺らし、その砲撃は私が日々力を込めて展開した結界に阻まれていました。
薄壁一枚の向こうで炎と黒煙が吹き上がる光景に息を呑み、そのとき、国を包む結界にひびが走るのが見えました。
「大樹守様!」
姫様の悲鳴に、私は急ぎ大樹の核へと走り、ありったけの力を込めます。私の願いに応えるように、空には再び多重の結界が現れます。直後に一枚目のバリアが破られましたが、黒船の砲撃が二枚目を崩すことはなく。硝煙の香りを漂わせたまま黒船は急旋回し、白の国から立ち去って行きました。
「……ひ、姫様。あれは?」
「……黙っていて、ごめんなさい」
栗毛色のお姫様は、それから私に、国と世界について語りました。
黒船は、この白の国より遙か北。通称『黒の帝国』と呼ばれる、浮遊群島の最北端に位置する軍事国家から、侵略行為を受けている最中だったのです。
私は、その国の、肝心要の守り神。
姫様は私の手を取り、膝をついて祈りました。
「大樹守様。お願いです、宴でも食事でも、お酒でも、必要なら生贄だって用意します。だから、国を守ってください……何でもしますから、お願いです!」
そうせがまれて、断る理由はありません。
……いえ。私はむしろ、静かな怒りすら覚えました。
私は一度、理不尽な暴力で命を落とした身ですから。
聞けば、帝国はある日突然現れては砲撃をはじめたと聞きます。彼女達はただ震えあがり、元々残されていた大樹の結界に縋るのが精一杯でした。
「どうして私に秘密にしていたのですか? 話してくれれば、良かったのに」
「……だって。話したら、怖くなって、逃げられちゃう気がしたから」
その気後れぎみな返事に、私は「ごめんなさい」と謝りました。
「姫様。私にできることは全力を尽くします。……怖がらせて、ごめんなさい」
私は姫様の身体を、胸の内に抱きしめます。栗毛色の髪を撫で、今まで怖かったでしょう、と声をかけると、若き姫様はわっと涙をこぼして泣き付きました。
気づかなくて、ごめんなさい。
鈍感な私で、ごめんなさい……。
彼女を慰めた夜、図書館にて再び本を紐解きました。
浮遊樹海群の歴史を辿れば、この世界が戦争に詳しくないことは理解できます。この世界の多くは世界樹の上に立つ島国で、もっとも近い世界樹『緑の国』すら相応の距離があります。
島々を隔てる雲海を乗り越える船を持ち、戦を行える技術が、この世界には長く存在しなかった。そこに現われた黒の帝国は、黒船襲来に他なりません。
対策が必要でした。私は一介の女子高生に過ぎませんが、できる事はあります。
「姫様。あちらの国に、使者を送ることはできますか? あちらの国が何を望むのか、要望を聞かなければ、分かりません」
その提案を、私は後にひどく後悔します。
姫様は和平と対話の使者として、二名の方を黒の帝国にお送りしました。
返事は、……彼等の首から上が、バケツに入れられて、返ってきました。
私は強力な魔法使いでしたが、しょせん、日本生まれの小娘に過ぎなかったのです。
その日の、夜のこと。
「城木さん? どうかしましたか?」
「え? あ……いえ、なんでもありません。すこし、疲れてまして」
鏡の向こうで、柏原さんの顔が陰ります。彼の指先がそっと空間をなぞりましたが、私に届くことはありません。
……彼に相談したところで、何の解決にもならない。余計な心配をさせてしまう。
受験勉強に勤しむ柏原さんの、邪魔になりたくない。
一度死んだ身で、また彼に心配をかけるようなことは、したくない――
「あの。疲れてるところすいません、城木さん。……ひとつ、ご相談がありまして」
「ふぇっ? な、何でしょう?」
どきり、と心臓が飛び上がりました。心境を見透かされたようで。
彼は困ったように、後ろ髪を搔いて。
「いまの城木さんに、こんな話をするのは申し訳ないんですけど。再来週に、修学旅行がありまして」
「……へ? あ、高校の修学旅行ですか?」
「はい。それで三日ほど連絡がつかなくなります。すいません」
「いえ、私に謝らなくて大丈夫です。……もう、そんな季節なんですね」
私の高校は珍しく、三年生の夏前に修学旅行が開かれます。
私が命を落としたのが四月前。早くも数ヶ月もの時が経っていたと感じて、彼の住まう四畳半の和室がずいぶん遠くに見えました。
私は国防を担い、彼はその裏で修学旅行。
羨ましく思うと同時に、……私がもし生きていればと思います。
私は彼と共に、修学旅行に行けたのでしょうか。
行先は京都と聞きます。清水寺に金閣寺。千本鳥居が有名な伏見稲荷神社は、私も一度は訪れたい名所でした。ずらりと並ぶ赤鳥居を、彼と共にひとつひとつ巡りながら階段を昇る。人目なんて、もう気にしません。約束なんて、知りません。思いっきり彼の指先に手を絡めて、木陰のなかを彼と共に、テクテクと歩いて行く。そんな風に――
「城木さん?」
「ごめんなさい。私、やっぱり疲れてるみたいです。……あれ?」
私が邪な妄想から、鏡より目をそらしたとき。
ふと、彼の机に置かれた、携帯のストラップに気がつきました。そこに結ばれた太陽のアクセサリは、私が彼のためにと渡したもの。
隣に、真新しいウサギの人形がついていました。
「それは……?」
「あ。えっと、この前、将棋部の後輩から、部活の引退記念に貰ったもので」
彼は口ごもりながら携帯を脇にどかし、私は何とはなく言葉が途切れました。
その日の通信を終えたあと、私は机に放り出した充電切れの携帯を手に取り、星形のストラップを握りしめながら、ベッドに突っ伏しました。なにが苦しいのか分からない、けれど無性に胸が痛くて、シーツを指でひっかきながら俯きます。
――聞いて下さい、柏原さん。じつはこの国では、戦争が起きていました。私は国を守る、たった一人の大樹守様です。私は和平のため、使者を派遣し、お返事が――……
ごめんなさい。修学旅行、楽しんできてください。
私は、あなたの邪魔には、なりませんから。
ある日、私はおいでおいでと骸骨さんを呼びました。
「骸骨さん。あなたは生前は男性だったのですよね?」
「あ、俺は生まれも育ちも骨なんで分かんないッス! 前世の記憶とかないッス!」
「あらまあ……カルシウム生まれの、カルシウム育ちなのですね」
「でも大切なのは筋肉があるかないかではなく、魂ッス!」
骸骨さんは顎関節をカクカクさせ、魔法音声で熱弁します。
とはいえ外見が骨でも筋肉でも、距離は大事な問題です。
「骸骨さん。たとえば近くにいる女の子と、遠くにいて手も触れることのできない女の子でしたら、やっぱり近いお友達の方が楽しいですよね?」
「それはそうッス! ……んでも!」
「でも?」
「俺は大樹守様がどこにいても、いつでも大切に思ってるッス!」
私はそっと微笑み、骸骨さんの手を取りました。骸骨さんはなにやら照れてしまったのか、つい喜んで振り上げた手首がすぽんと飛んでいき、彼の手の骨を二人で一生懸命探すはめになりました。
――ただ。この時の私はひとつ、見誤っていたことを知りました。
柏原さんは、私が思っていたよりも、遥かに誠実な方だったのです。
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