第9話 その指先に触れるまで時間のかかったじれったい恋物語(上)

 後に『大樹戦争』と名付けられる運命の日を迎えたその時、私はとある理由により、本来の半分以下の魔法しか使うことが出来ませんでした。

 奢っていた訳ではありません。

 しかし黒の帝国は私の予想を遥かに上回る力で、進軍を始めたのでした。

 その日の朝は穏やかな快晴で、空には見慣れた帝国の監視用飛行機が飛んでいました。編隊を組まない偵察機だと理解していた私はその機体を何となく眺めていたのですが、理由もなく、背筋がぞわりとしたのを覚えています。

 直後。機体から光る爆弾が落とされ、膨大な熱と光が、白の国を襲いました。

 その破壊力は凄まじく、私が長い年月をかけて蓄積した結界をことごとく吹き飛ばします。私はとっさの判断で結界を再展開し、なおも迫る地獄の熱線から国を守り続けました。

 それが何だったのかは分かりません。

 ただ、私はその時点で、力の大半を出し尽くしてしまったのです。

 熱と光が収まり、結界の砕けた数時間後。白の国に、帝国の船が接岸し、勢いよく乗り込んできました。その数は、もはや数える気力すら奪うほど。

 私は来たるべき敗北を悟り、やるべきことを決めました。

「姫様。――約束です。避難を」

 私の指示に、歳を重ねて麗しく成長した姫様は、子供のようにイヤだとごねました。

 白の国の避難計画は、随分前から立案済みです。全員は無理でも、一人でも多く、船での避難を呼びかけました。敵陣の殿を務めるのは、もちろん、私。

「姫様。あとは任せました。……あなたは強い人ですから。お願いします。ね?」

 私は彼女を抱きしめて送り出し、部屋に戻って身支度を調えます。

 大魔王らしい黒の衣装に身を包み、髑髏の飾りを手首に巻き。せめて敵を威圧できるように、という私自身の心構えのつもりでした。

 そのとき、私はあの鏡に目を向けます。

 季節を問わず戦が続く中、私はもう、何年も鏡を開いていませんでした。

 開かなくても、彼の心は十分に届いたから。

 でも……今日が、最後かもしれない。

 私は迷い、鏡に指先を触れて、……首を振り、自分の判断を咎めました。

 長い年月が過ぎ、彼がどうなっているのか分かりません。けれど私の成すべきことは、彼に恥じないよう戦い抜くこと。いま鏡の魔法を用い、余計な力を失うことは、彼に対する背信だと考えたのです。

 私は鏡に「お世話になりました」と一礼を行い、空より戦場に赴きました。

 その頃の私はもう熟練の魔法使いとして、守護魔法を使いこなしていました。私は結界を足場に展開し、空高き塔より滑り降りて敵陣中央へとなだれ込みます。

 空は、すがすがしい程の青空。

 下は黒一色の軍服に袖を通し、銃口を構えた無数の兵隊。

 その日、私は初めて全力を出しました。

 白の国に降り立つ数万もの歩兵隊に対し、私は結界にて架け橋を作り、空を駆け抜けながら次々と敵兵を結界へ閉じ込めました。

 私はときに大集団を分断し、ときに結界を身に纏っての体当たりを仕掛けます。空間を埋め尽くす銃弾と砲撃。その全ては私の魔法に阻まれ、同士討ちを引き起こします。

 力の続く限り、闘い尽くしました。さしもの帝国軍も怯みましたが、ここで私を仕留めねば終わりとばかりに半狂乱で迫ります。彼等はありったけの物量と、人海戦術という私の弱点を的確についてきました。私がいくら敵兵を捕えても、次から次へと現れる数の暴力の前には、どうしようもなかったのです。

 戦は三日三晩にも及び、幾多の魔法を放ちました。

 捉えた敵の数は、およそ万では足りないでしょう。

 ですが私にも、限界が訪れます。

 足場の結界が薄れ、魔法の力が切れ、私はその足を敵兵に絡め取られ、地べたに引きずり落とされました。

 帝国兵は倒れた私に容赦なく鉛玉を浴びせ、硝煙に包まれました。

 それでも――私の身体を守る、最後の結界は崩れません。

 私に残された体力はなく、這いつくばるのがせいぜいの姿を見た彼らは、続けざまに砲撃を行います。視覚と聴覚のくらむ轟音に意識が飛び、それでも私が立ちあがると、帝国兵士達は化け物でも見るように驚き、際限なく銃口が火を噴きます。

 私はついに倒れ、彼らは私の手を、足を、身体中をその汚い靴で踏みつけました。私の黒髪を足蹴にし、唾を吐き捨て、その首を落とそうと剣を何度も振り下ろします。

 それでも……私の身体を薄く包む最後の結界だけは剥がれず、衣服ひとつ破けることなく守り続けました。

 私に触れるな、とばかりに。

 驚いた帝国の将軍は、ついに私に結界を解くよう命じ、それが通じないと分かると私を無視して国に攻撃を仕掛けるよう仕向けました。

 人質を取り、こいつの目の前で一人ずつ首を撥ねろ、と。

 ――そのとき、私は今までお世話になった彼等の顔が浮かびました。

 白の国を案じ、私をいつも心配していたお姫様。

 心優しい骸骨さん。

 料理好きで愛嬌のある豚顔のオークさん。

 その他たくさんの、私を愛してくれた人々、そして彼。

 胸の内に、炎が灯るのを感じました。

 ここで私が倒れるのは構いません。ですが、私には守るべきものがある。

 彼との約束がある。

 まだ、こんなところで終わりたくない。

 私はこの地で、二度目の生を受けました。

 その命を、彼や、皆に報いるためにも!

「っ……あああっ!」

 指を台地に突き立てて爪先を起こし、身体中を泥にまみれながらも、立ち上がります。膝は笑い、視線はうまく定まらずふらふらとして、立つのがやっとかもしれません。

 それでも願いました。

 どんな形でも構いません。

 二度と彼と会えなくても、私は最後まで戦います。

 二度目の命が、ここで尽きても。

 震える力を振り絞り、空へと向けて、届けとばかりに手を伸ばします。全身から集めた力を握り、結界を振り絞ろうとした――そのとき。

 晴天の空に突如、ひときわ激しい落雷が大地を貫きました。

 土煙が舞い上がり、帝国兵が呆然とするなか、煙の中で、ゆらり、と人影がゆれ動きます。

 身体を起こした若い男は、なぜか白衣のような外套をまとった若い男性でした。

 ……気のせいか、その背丈に見覚えがあるなと思ったとき。

 彼はこちらを振りかえり、泥まみれになった私の前で、ニコリと笑顔を見せました。

 そして力強く、告げたのです。

「お待たせしました。城木さん。……今度は、間に合いましたね」

 と。

 それは見間違うことのない。

 彼、でした。



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