06_一枚四人乗り


 息を吸い込んで目が覚めた。溺れる夢でも見ていたのか、ともすれば本当に頭を水中に……


「ぅ」


 吐息のように間抜けな声が漏れた。首や腕の辺りに妙な痛みが残っているのを感じてようやく記憶が戻り始める。違う、昼夜逆転で惰眠を貪っていたんじゃない、俺はジュークボックスの公園で————


「……くそっ」


 突然ハッカーを名乗る外人女に喧嘩を売られて情報を奪われた。確かそうだった。いつものベッド、穴の開いた記憶。身体は所々痛いのに外傷は見当たらないってことは器用に俺を気絶させたのか。それに自室で目覚めたということはわざわざ俺を運びもしたのか。――俺の情報も、友人の情報も全て取得できたわけだ。ハンディは……あった、机の上に置いてある。

 躓きそうになりながら飛び起きて据え置きのメイン端末とサブ端末を叩き起こす。


「置き手紙かよ、ご丁寧に」


 久々に手にした気がするハンディは“ミーシー”なる凄腕ハッカー様が残したらしきメッセージを突き付けてきた。


『目を覚ましたかクロイト・カズマ』


 ああ。気分の悪い目覚めをどうも。


『私はリフレクターのところへ向かうが、お前にも現場へのチケットを渡そう。ただし傍聴席だ。このメッセージが読まれるのがせめてフィナーレ前であることを願う』


 メッセージにはインターネットの座標と認証キーが添付してある。一体何故、俺に何を……? スクールの先生、“エダナシ・カオル“の情報さえあれば俺はもう用無しなんじゃないのか。


「……枝梨」


 ミーシーは俺から枝梨の情報をどれだけ奪えたのだろう。アイツとは一度だけ実際に会って街を歩いたことがあるが、中性的と言えばいいのか、なよっとしたどこか女みたいな小柄な奴だった。もちろん二人で写真を撮ったわけでも何でもない。全通信相手とのメッセージには簡易のロックをかけてあって、仮に解かれて誰かとやり取りしたメッセージを見られたところで三流ハッカーのギーク話やらスクールのセンセイの苦労話が覗けるだけだ。……とすれば、俺は単なる起点で、枝梨のハンディを狙って動くのが狙いか? そもそも何故枝梨を……


(アイツ今、どこにいるんだ)


 自動スクロールする程の長さもないミーシーからのメッセージをもう一度読み返す。……現場? そうか、リフレクターの件がいよいよ動い……いや、もう始まっているのか?


「手遅れってんじゃないだろうな」


 メインモニタ右下の小さな時刻表示を見ると何故か不気味に文字化けしたようになっている。それを狙ったユニークな仕掛けじゃない限り「文字化けが起きる」ことなんてもはや古典的笑い話だ、じゃあこれもミーシーの仕業か? そうだとしたら不安の煽り方が上手すぎる。


「コールバック01、シロ起きてくれ!」


《お呼びかい、イトマ》


 よし、


「早速で悪いがペラットライン、パノラマジュニア、ケースケに繋いでくれ。未分類フォルダの最新受信メッセージに怪しい添付ファイル付きのやつがあるだろ、サンドボックスで展開準備だ」


《諸々了解!》


 メイン端末に待機させていた相棒のシロは最高のアシスタントだ。真っ白な、絶滅した冬毛の“オコジョ”を模した姿に紫色のアクセントカラーが映える。『ペラットライン』『パノラマJr.』『case-k』の小窓を並べたシロが展開した曲面モニタの中を縦横無尽に駆け始めたのを見て、俺もぼやけた自分の頭に冷や水をかけるように並行タスクを並べ課して行く。まずはハンディにシロの分身を入れて、いやその前にメイン端末がミーシーに弄られたかもしれないから念のためサブ端末の差分バックアップと差分比較、命綱を張るために見知った仲間たちに中継、ダメもとで枝梨センセイにいつもより暗号化強度を上げてメッセージを投げて、それから置き手紙のプレゼントをなるべく被害が出ないように頂戴しながらキーワード『リフレクター』でインターネットの今を——


「ん? 一部……検疫?」


《イトマ、これ、そのリフレクターの座標近くの定点カメラの情報を持ってるよ?》


「お……う」


 自作の蜘蛛の巣ニュースビューアが妙なワードを並べ始めた。


『セキュリティ省が隔離されるとの予告状』『謎のハッカー遂に現る』『リフレクターのところへ集まれ』


 実に得意気に、あまりにも意味有り気に。


「シロ、誰からでもいい誰かに繋がったか?」


《こねくてっど!》


『どうしたのイトマ』


 ちょっと高めのひねくれ少年のような声。パノラマJr.だ。


「ジュニア、砂場に埋めたまま砂場ごとファイルを送るから、ひとまず俺のパニックになりつつある状況と経緯を聞いてくれ」


《ペラットラインにも繋がったよイトマ》


「それからリフレクターに何が起きてるのか……ああいやそっちから喋ってくれ」


『こちらペラットライン。イトマ? パノラマジュニアもか』


「旦那! えっと、」


 ペリーの旦那の渋い声。


『一旦落ち着けよイトマ、深呼吸だ深呼吸』


《ケースケは応答なし。学校の時間かもな》


「すーっ……はぁー」


 これだ、この安心感だ。自分以外の他者と繋がってりゃひとまず安心できる。それが見知った奴らなら百人力になる。


「とりあえずみんな、今日は何日で、今何時何分だっけ?」


『ジュニアに代わってシロちゃんが正確無比な日付時刻をお知らせします』


《え? ボク? まあ良いけど。ただいまの日時は、10月14に「待った」


《なにさー》


「悪いなシロ、今だけはペリーの旦那かジュニアに答えてほしい」


《へーい》


 そう、AIのシロには申し訳ないが、生身の人間に。


『大文字MM小文字dd、同HHmmで1014の0918だ。なんなら1970年1月1日からの経過時間で答えようか?』


『ひゅーっ渋いねペラットラインさん』


『こういうのをオッサンと言うんだジュニア』


「大丈夫だ旦那、ありがとう」


 一晩か。熟睡も良いところだ。


『イトマ、察するにアンタ厄介事に巻き込まれたな? 俺もパノラマジュニアもしばらく聞く側に徹するから、順を追って話せ』


 ペラットラインの旦那が気を回してくれた。素直に乗せてもらおう。



 俺が体験したマズいスープの残り物みたいな出来事はすぐに話し終えた。枝梨のことは若干ぼかして、ミーシーのことは包み隠さず。だがそれより最小限の情報を挟んで相槌を打ってくれた旦那とジュニアの話の方がずっと重大ニュースだ。


「ちょっと事態が進み過ぎじゃないのか……」


『元々そのハッカーは犯行時刻を言っていなかった。仕込みが終わってエンターキーを押すだけになったなら納得はできる』


『セキュリティ省は一応お国の連中だよ? そんなに簡単に抑えられるかな?』


『その自信があるからわざわざ公表したんだろう。信じられないが、久々に大物が現れるかもしれないな』


『みんなで見に行こうよ』


『セキュリティ省がもう非常線を引いているんだぞ。遠くから眺めるのが精々……イトマ』


「ああ。シロ、さっき言っていたのは本当だな? 接続情報は持ってるか? 同時接続数は?」


《一応制限なしだね。MGIFでも潜れる。検疫で通すけど飛んだ先で何が待っているのか一部分からないところあり。ボクが先に一人で見てこようか?》


「いや、俺も行く。旦那とジュニアは?」


『行くに決まってるじゃん!』


『無論同行させてくれ。俺は無字符ナシで繋げさせて欲しい』


《りょーかい、早速準備だ》


 リフレクターへの犯行声明を出した正体不明のハッカーは俺が呑気に寝ている間に世間様に向けて次の発信を行った。主要な一般コミュニティサイト複数に同時刻の書き込み。遂に名乗ったハンドルネームは『ハッカーX』。一つ、セキュリティ省の対脅威因子ソフトウェアを盗む。一つ、セキュリティ省はリフレクターと接触する間強制的に隔離する。一つ、犯行時刻はたったの12時間後。まるで予告状だ。しかも書き込みはそのコミュニティサイトの全権限を得られる情報とセット、各サイトは慌てて管理情報を変更するが悪戯小僧たちがキーを盗んで起こした混乱はまだ収束していない。実力を誇示するかのようなハッカーXを特定しようと動いたやつらの収穫はゼロときた。俺は俺で少し落ち着いてきたのかもしれない。後ろの壁のサブモニタへ跳んで走り回るシロを眺めていたらペラットラインの旦那が口を開いた。


『そのミーシーって女が犯人のハッカーXという線は無いのか?』


「それは真っ先に考えた。でも、もしそうなら足が付くリスクを負ってまで俺なんかのところに来ないはずだ。わざと俺に情報を残したのも合点がいかない」


『ミーシーがお前のところに来たのは枝梨ってやつの情報が欲しかったからで、ハッカーXの情報は渡せるようなことを言っていたんだったな。その枝梨ってやつは本当にただの教師か? ミーシーにとってリフレクターとハッカーX騒動よりも枝梨の方が重要因子、俺にはそう聞こえるが』


「ただのスクール教師だよ、俺の知る限りは。枝梨の持っているものに何かの手違いで重要なデータが紛れ込んだとか、そんな話だろうと今は考えてる」


 お前“も”リフレクターの件を追っているのかとミーシーは聞いてきた。例えば今アイツが持っている以上のハッカーXの情報、あるいは鍵。枝梨自身はそれをそれと知らずに。


『なるほどな』


『それなら有り得そうな話だね。枝梨先生は運悪く疑似乱数に選ばれた、うーん可哀そうに』


『じゃあ枝梨とミーシーは放っておいて、ハッカーXに迫れそうな貰い物のチケットを使うってことでいいんだな?』


「ああ。悔しいけど今からミーシーを追いかけられるとも思えないからな。それにあいつが“現場”って言ったのはチケットで通過できるゲートの先、リフレクターのところだ」


《準備できたよイトマ!》


「サンキューシロ。旦那、ジュニア!」


『こっちはいつでもいいよ』


『俺も2分後には準備が終わる。一度再接続をかけるぞ』


 枝梨が一般人なら、本人がそれと気付かずに妙なデータを持っちまってるなら。ミーシーはそれを奪うだけで枝梨に危害を加えるわけじゃないだろう。奴は結局リフレクターのところに現れるはずだ。ハッカーXとかち合って何をするつもりか知らないが、今回は俺一人じゃない、ベテランと切れ者と優秀なアシスタントが一緒だ。せっかく貰った招待状はありがたく使わせて貰おうじゃないか。多少の仕返しも覚悟してほしいね。

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サイバーエデン・アポカリプス kinomi @kinomi

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