「賢者地獄行き」

縁側紅茶

「賢者地獄行き」

僕はありきたりなどこにでもいるサラリーマンだ。幸運なことに3年前に嫁との間に女の子が出来、とても幸せ


な人生を送っている。今日も家族を養うため、社会に貢献するために仕事に励まなければならない。



電車に乗り、空いている席を見つけ座るとすぐに寝てしまった。


電車の駆動音が聞こえないことに気付き、急いで起きるとそこは電車の中なのだが、窓から見える景色が赤と


黒の肉を不均一に並べたような壁であった。



「な、なんだここは。私は会社へ向かっていたはずだ」



「はい。しかし今からは地獄へ向かっていただきます」



と前の車両から人間が現れた。しかし、よく見ると頭に2本の角、背中には黒い翼、お尻には黒い尻尾が生えて


いた。



「まさか君は、悪魔か」



「はい」



「では私は死んでしまったのか。しかし、私は悪いことなどした覚えがない。地獄に行く資格はないはずだ。


天国に行かせてくれ」



「いいえ。そうはゆきません。あなたは良いことをしすぎた。この世界は良いことと悪いことの両立が取れて、


ようやく安定するのです。それをあなたは1人で良いことをし、世界を不安定にしてしまった。それを私達は


見過ごすことはできないのです。なので電車で寝ているあなたを殺し、地獄へ向かっているわけなのです」



「そ、そんな・・・。あまりに理不尽じゃないか。私には妻も子供もいるんだ。彼女達を養ってやらなければなら


ない。生き返らせてくれ」



「そうですね。では生き返らせる条件として、これからは良いことを1度もしてはいけません。良いことをした


場合、今回よりも酷い方法で責任を取ってもらうことになります」



私はすぐさま答えた。



「分かった。これからは良いことをしないと誓おう。分かったから生き返らせてくれ!」



「では目を閉じてください。すぐに元の世界に戻します。しかし、もう一度言いますが、くれぐれも良いこと


はしないようにしてくださいね。では良い人生を」



悪魔の声が遠のき、電車の駆動音、人々の吐息や声が少しづつ聞こえてきた。不思議と夢のような感覚はなく、


自分は一度死んだのだという確信があった。


と、目の前を見ると若者に優先席を座られ、困っている妊婦がいた。若者に注意しようと立ち上がったが、悪


魔が言っていたことを思い出し、座り直した。


すると妊婦が唐突に膝から崩れ落ち、倒れた。顔は青ざめていた。私は何もできない屈辱と妻や娘のために何


もしない自分に嫌悪感を感じていた。



電車は妊婦を救急車で送るため遅れた。会社に着いてからは可愛がっていた後輩が今日も仕事について聞きに


来た。しかし私はできるだけ冷たく答え、上司や同僚に対しても自分に近づかないよう最大限の努力をした。


家に帰ってからも私は嫁や娘に冷たく接し、家事はせず娘の世話はせず、ひたすらに人に関わらないようにし


た。その時はまだ嫁や娘のために働いて養っている実感があり、生きていると思えた。


しかし、気付いた時には会社では窓際へ追いやられ、家に帰ると嫁と娘は出て行っていた。



私は生きる意味を失い、自殺した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「賢者地獄行き」 縁側紅茶 @ERG_Engawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ