おまけ

おまけ 崔浩先生の「慕容垂」講座

ふるさとの国を追われた俺は

敵国の将軍になってリベンジ決めてやった、

略して「ふるリベ」をお読みくださった

「カクヨム」読者諸氏よ、

お初にお目にかかる。


我は崔浩さいこうと申す。

ふるリベ主人公である慕容垂の

ライバル「拓跋珪たくばつけい」の孫の参謀である。

まぁ我のことは良い。

サクサク話を先に進めよう。


さて、慕容垂という人物は

いかがであっただろうか。

キャラクター性に脚色こそあるものの、

事跡はだいたい史書に乗る通りである。

「経歴のあり得なさ」を

引っ張り出したいがゆえに、

背景は可能な限り

オミットさせていただいている。


では、背景を踏まえるとどうなるのか。

そこを、本話にて紹介させていただく。



○本編のまとめ


慕容垂は「えん」の皇族として生まれ、

大いに戦功をあげた。

そのため宮中で疎まれ、

恐れられたため「しん」に出奔。

出奔先で故国を滅ぼすために働いた。


秦王「苻堅ふけん」は周辺諸国を次々に滅ぼし、

残る南の大国「しん」を滅ぼせば天下統一、

というところにまで迫る。

だがその晋との戦争で大敗。


この敗戦を受け、慕容垂をはじめとした

旧敵対国の君主たちは再独立。

その中で慕容垂は燕の旧臣らに

推戴を受け、あろうことか

滅ぼしたはずの燕の皇帝となる。


この慕容垂の振る舞いは、

時代背景に照らすとどうなるのであろうか。



○時代背景


慕容垂は五胡十六国ごこじゅうろっこく時代のひとである。

この時代は、かん滅亡後からずいまでの

「よくわからん時代」の一部である。


読者諸氏で、

三国志さんごくしから隋の天下統一までを

把握できていらっしゃる方が

いかほどおられようか。

少なくとも作者は

「三国志のあと? 遣隋使けんずいし!」

というレベルであった。

そしてさらりと書いたが、

三國時代は 220 年のスタート、

隋の天下統一は 589 年であるから、

約 370 年をすっ飛ばしておるわけである。


まずは、この両者を乱暴に結びつけよう。


舞台は中原。

現代中国でいうと北京ペキン南京ナンキンの間である。

中原に君臨した都、洛陽らくよう

その「北」「南」にあるための名である、

と見なすと、ひとまずは理解が進もう。


中原を支配していた漢帝国の民。

これを漢人と言う。

そして中原の内外で漢人に

支配あるいは圧力を受け、

肩身の狭い思いをしていた諸勢力がいる。

これらを総称し、五胡ごこと呼ぶ。

なお五は「たくさん」と言う意味であり、

この数字に厳密に囚われる必要はない。


転機は漢人の同士討ち、内ゲバである。

三國時代だなどとも呼ばれるが、

ようは魏呉蜀ぎごしょく三派に分かれて大ゲンカ、

しかも魏の手下だったはずの晋に

天下をかっさらわれて

三者ともに敗北、となった。


そして晋は天下統一によって慢心、

防衛コストを切り詰めるという

愚挙に出た。

打ち続いた戦乱による中原の荒廃、

そこに加わる漢人の慢心。そりゃ五胡も

リベンジを志そうというものである。


五胡勢力は晋をぶちのめし、

317 年には建康けんこう、現在でいう南京に

彼らを追い払う。

以降、亡命した漢人政権は、

589 年までにじわじわと

すりつぶされていった。


さて、中原である。

五胡勢力とひとまとめにしたが、

別に仲が良いわけではない。

むしろ全力で殺しあっている。

そしてこの大ゲンカを制したのが、鮮卑せんぴ

中原に拠点を構え、分裂統合の果てに

隋となり、天下統一。


とはいえ隋の天下は

あっという間に崩壊、

そのあとを親戚であったとうが受け継ぎ、

漢滅亡以来の大分裂が終了した。


以上が漢から隋唐に至るまでの

雑すぎる流れである。


さあ、途中に鮮卑と言う名が出た。

慕容垂はこの種族の一部族、

鮮卑慕容部のひとである。

鮮卑が五胡の覇者となるまでに、

同じ鮮卑の拓跋たくばつ部としのぎを削った末、

敗北した。

つまり勝者を主人公とするのであれば、

宿命のライバルのような

立ち位置であったと言えよう。


そう、歴史の流れ的に言えば

敗者なのである。

物語としてはそこを書かぬ方が

締まると思い、省いたが。


と言う訳で、

その慕容垂についての紹介をいたそう。



○慕容垂の生涯


一言で言えば、戦キチである。



・出生


鮮卑慕容部、大人(※酋長)の家の生まれ。

元々中原よりはるか北東のエリアに

住んでいた一族ではあったが、

三国時代以来の中原の荒廃を嫌った

漢人を受け容れるなどして技術力を高め、

祖父「慕容廆ぼようかい」の代に勢力伸長。

そして父「慕容皝ぼようこう」の代に

五胡十六国時代に突入。


慕容垂は、妾腹の第五男。

同じく妾腹の第四男、慕容恪ぼようかくには

非常に可愛がられこそしたものの、

嫡出の次男慕容儁ぼようしゅんよりは疎まれていた。

なお、長男は夭逝。


軍才+折衝力の二物を持った兄、

慕容恪のサポート的な立ち位置で動き、

兄の昇進に伴い、出世する。


なお、その慕容恪からの評価は

「垂の軍才は我に十倍する」

というものであった。



・慕容躍進の原動力


中原の北東エリアに

ひっそりと居住していた慕容部は、

慕容皝ぼようこうの旗振りのもと、

当時中原でブイブイ言わせていた

冉魏ぜんぎ」と言う国を粉砕。

一気に勢力を拡大し、

えん」を名乗るようになる。

ここで慕容垂も多大な戦功をあげている。


そんな燕の前には

二勢力が立ちはだかっていた。

一方は冉魏を嫌って亡命した

氏が牽引する「秦」。

もう一方は漢人亡命政権ながら、

名将・桓温かんおんの指導によって

軍事強国として再生した「晋」である。


漫画「キングダム」を

ご存知の方であれば、秦も燕も

耳にしたことがある国名であろう。


あれとは何も関係がない。本拠地が

「秦のエリア」「燕のエリア」にあるため

同じ名前となっているだけだ。

つまり、この辺りの中国史に出てくる

国名は、おおよそただの地名と

思ってくだされば差し支えない。


なお、その意味で言うと

「晋」は実情に合っていない。

と言うのも洛陽の北東辺りが

晋と呼ばれるエリアだからである。

ならばなぜその名を

キープしているかと言うと、

「晋の地を取り返す」が

国是だからである。


まぁ、全く果たせなかったのだがな。



枋頭ほうとうの戦い


燕軍は各地で連戦連勝、

しかし勝ち過ぎたため

徐々に前線が長くなっていった。

そしてこのタイミングで、

燕の屋台骨たる慕容恪が病死。

国内の動揺も

凄まじいものであったであろう。

更にその期を狙い、桓温が動く。

防衛ラインの手薄なところをつき、

強襲してきたのだ。

弱点を突かれた燕軍はズタズタにされた。


さらに、ここで秦も動く。

攻め立てる桓温の進軍ルートを潰し、

袋のネズミに仕立てようと目論んだ。

三すくみバトルの面白いところであるし、

恐ろしいところであるな。


無論、己の弱点を放置する

桓温ではなかった。

袁真えんしんと言う将軍を配置、

防衛線、兵站線等を確保しようと

考えていた。


が、この袁真、見事に機能しない。

お陰で敵地まっただ中の桓温、

補給は断たれるわ、

四方を敵に囲まれて詰みかけるわ、

と言う状態になる。こうなると、

包囲網が完成する前に

最速での撤収が求められる。


このとき、慕容垂率いる燕軍は

瀕死であった。

ほとんどの者は傷つき倒れ、

まともに動けるものなど、

ろくにいない。そんな有り様である。

が、そんなズタボロの兵力を強引に再編、

背を見せる桓温軍を徹底的に叩く。


晋に戻った桓温は

すっかり弱気となった上トチ狂い、

晋帝に禅譲ぜんじょうを迫ったりなどするのだが、

結局上手く行かず、死亡。

晋軍はここから

桓温の副官であった謝安しゃあんと、

弟の桓沖かんちゅうの二頭体制となる。

なおこの両名は、後に

最盛期となった秦から見ても

「ヤバすぎるから手を出さない方がいい」

くらいに認識されるようになる。



・燕出奔~秦将として


そして、本編冒頭につながる。

叔父の慕容評に嫌われ、

命を狙われた慕容垂は、燕を出奔。

苻堅の配下武将として燕を滅ぼし、

また各地方の討伐にも回ったと言う。


こうして中原の制覇に功績をあげた

慕容垂は、苻堅の高転び、

いわゆる「淝水ひすいの戦い」で

苻堅の逃亡サポートを勤め、

無事長安ちょうあんまで護送した。

そして、苻堅に

「燕エリアの不穏な動きを潰すため」

と離脱を希望。周囲が猛反対するなか、

苻堅は離脱を承認。


なお、このとき臣下の

あんたバカですか的ツッコミに対し、

苻堅は「だってだって、

一回約束しちゃったもんよぅ。

はりせんぼん飲まされるのやだもんよぅ」

的にほざいている。いやあんたバカですか。


とはいえ、苻堅の配下は

まともな思考回路を持っていたため

慕容垂をあの手この手で暗殺しようとした。

すべて失敗したが。



・独立


旧燕の地に到着した慕容垂は、

その後も苻堅配下の嫌がらせを受ける。

「お前は故郷すら裏切った奴なんだから、

今度は俺らも裏切るに決まってる」

くらいのことは言われていた。

なので慕容垂はキレて

「うるせーそこまで裏切り疑われりゃ

 そりゃ裏切るわ!」と言い出した。


……という事になっている。

まぁ、この辺りはただの名分であろう。

 

苻堅との対立姿勢を示した

慕容垂ではあったが、口では

「苻堅さんアンタは西の王になってくれ、

 俺は東の王になるよ。

 二人で仲良く天下を治めて行こうな」

とか言い出している。

どう考えても苻堅を

怒らせようとしているようにしか思えぬ。


本編では独立後に苻堅の息子、

苻丕ふひに対して包囲戦を仕掛けている。

作中にもあった通り、

以前は燕の都であった町である。

名前はぎょう

この時代、支配者が変わるごとに

度々首都として機能していた、

重要な拠点である。


鄴の包囲戦は大いに苦戦している。

しかもこの間、中原の混乱を

捲土重来けんどちょうらいのチャンスと見た晋に

攻め立てられていたりもする。

晋軍を率いるのは劉牢之りゅうろうし

桓温の部下の部下、

言ってみれば孫弟子である。

慕容垂はいったん鄴から後退、

劉牢之が敵地深くに

突っ込んできたところを包囲、

さんざんに打ち破って追い返した。


その後も鄴包囲戦は続く。

だが苻堅が姚萇ようちょうに殺されると、

苻丕は鄴より脱出。

慌てて秦に戻ろうとした。

その際晋軍に出くわし、殺されている。


それにしても、つくづく桓温の系譜と

慕容垂は縁が深い。

桓温とは枋頭で、

弟子の謝玄しゃげんとは淝水で、

そして孫弟子の劉牢之とは鄴で。

戦績は、二勝一敗。

一敗にしてみても慕容垂自身は

ほぼ関わっていなかったので、

実質慕容垂の完勝に近い。


このこともあり、

晋では言う事を聞かない子に

「いい子でいないと慕容垂がくるぞ!」

と脅すのが流行ったそうである。

ある意味、大人気であるな。


 

・拓跋との相克~死


鄴を落したのち、

慕容垂は鄴を前線基地とし、

その北の地、中山ちゅうざんに都を構え、

皇帝に即位した。


中山と言う地は、同じ鮮卑の別部族、

拓跋部の領地に近接している。

お互いに娘を送ったりしているので、

姻戚ではある。だが、

領土を隣り合った別人が

いつまでも仲良くなどしておられようか。


遠親近攻と言う言葉がある。

外交スタイルの規範とされる

言葉でこそあるが、

国と国とが境を接する場合、

いやでもそうならねばならぬのである。

島国の民である日本人には

ピンときづらいものがあろうが、

実際のところ韓国中国ロシアとの間には

領土紛争が起きている。

人の住めぬ海洋上でさえこれである。

では、陸地で境を接しておれば

どうなるであろうか、と言う訳だ。


元々慕容も拓跋も、

中原勢力の富にあずかることで

勢力を維持していたきらいのある

部族であった。

そのためお隣さんとして、それほど

大きないさかいは起してこなかった。


が、中原勢力の弱体化、

伴う両部族の強勢化により、

徐々に互いが隣り合っていることに

不利益が生じるようになる。

慕容、拓跋、どちらがケンカを売ったか、

などは論ずる意味もあるまい。

中原で覇を唱えるうえでは、

敵対以外の道はなかったのである。


こうして、拓跋の若き英主、

拓跋珪との戦いが始まる。


とは言えこの頃、既に慕容垂は

七十歳近くの老齢であった。

病がちとなり、うまく戦争の指揮も

取ることができない。

そこで、拓跋珪との戦いの指揮は

後継者に一任した。


嫡子、慕容宝ぼようほう

彼が英主か凡主かは、

正直なところ分からない。

分かるのは、拓跋珪の前に惨敗し、

慕容ブランドを大いに

棄損してしまった、それだけだ。

参合陂さんごうはの戦いと言う。

この戦いにより拓跋は

覇者としてのスターダムにのし上がり、

慕容は衰微を確定とした。


とは言え、老いたりと言えど不世出の英雄、

それが慕容垂である。

ついでに言えば最悪の戦キチである。

参合陂の大敗を聞いてのち、

怒りで病状を忘れたか、

自ら兵を率いて拓跋の都、

平城へいじょうまで一気に駆け上がる。

ここで拓跋の軍をコテンパンにのした。


どれだけ怒っていたのだろうか。

おそらく、ガソリンメーターは

思いっきりマイナスに

突っ込んでいたはずである。

それに気付かず拓跋を蹂躙じゅうりんして、

ふと我に返った瞬間に、死んだ。


何なのだこの男は。

生涯現役にもほどがある。



・慕容垂死後の燕


慕容と言う一族は、後継者の座を

殺し合いで奪い合う所がある。


慕容垂までの燕は、それでも

上り調子であったからよかった。

しかし慕容垂死後の燕は

拓跋に圧迫され、下り坂である。

そのような中で後継者争いが

展開されるのである。

加速度的に勢力は減退、

慕容宝は臣下に殺され、

やれその仇討だ、

裏切りだなどを繰り返し、

そのようなことをしている間に

旧燕の地は拓跋に掠め取られてゆく。


慕容の残党は、やがて南北に分断された。

先に滅ぼされたのは南である。

晋に突然現れた兇暴星「劉裕りゅうゆう」が

大軍を率い、食いつぶしたのである。

そして北は、拓跋が食いつぶした。


こうして慕容の一族は、滅びた。


この慕容残党らを食いつぶした者たちが、

のちに南北対立を

繰り広げるようになるのも、

また歴史の面白きところであろう。



○結語


さて、背景及び生涯を追ってみたが、

まぁなんというか、

「よくわからんけどヤバい」

が伝わってくれれば、ひとまずは良い。


とは言え、「よくわからん」が

そのままであるのは、

いささか業腹である。

故に敢えてここでダイマと参ろう。


崔浩先生の「五胡十六国」講座。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881962323

五胡十六国時代のあらまし、

及び時代を彩る人物たち、

オマケに次の時代の南北朝について

紹介しておる。


三国志なぞ、所詮五胡十六国時代の

プロローグでしかないのだ。


だというのにプロローグばかりが

もてはやされておる。

いい加減諸氏にも

本編の面白さを知っていただきたい。

そのように考えている。


ご高覧頂ければ幸いである。

ではまた、いずこかにて。

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ふるさとの国を追われた俺は敵国の将軍になってリベンジを決めてやった ヘツポツ斎 @s8ooo

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