第9話 家計簿の騎士 その沼地を埋め立てろ! の巻(結)


 大木槌が杭を圧し折る音が響く、リズルの手下の男達が最後の仕上げとして集落へ流れ込む水を堰き止めている水門を壊しに掛かっているのだ。


「急げよ! もしからしたら村の連中に気付かれてるかもしれねぇ」

「大丈夫ですよ親分、あんな連中何人来って怖かねぇですよ!」

「まぁ、そうだが、この後の事もある。出来れば姿は見られたくねぇんだぞ」

「ガッテンです」


 リズルの手下達二十人の内、水門まで下りて実際に作業をしているのは半数の十人。残り十人は収穫した鬼姫芥子をむしろに巻いて背中に背負っている。水門を壊している男達は、思いの外丈夫な構造に手を焼いているようだ。


「早くしねぇか! 夜が明けちまう」

「分かってますけど、結構がんじょ――」


 手下同士がそう声を掛け合う、その間隙に、何かが夜の空気を切り裂いて飛び込んできた。


ビュン!


 それは握り拳大の石だった。鋭く飛んだ石は、作業をしている男の一人の頭部に命中する。


「ぎゃぁ!」

「なんだ?」

「どうした!」


 突然の出来事に男達は騒然となる。そこへ、


「貴様ら! そこで一体何をやっておる!」


 という、カラムの大喝が響き渡った。その声量は正に戦場に立つ騎士のものである。胆力の無い者ならば、その声を聴くだけで戦意を無くすであろう。しかし、男達も王都リムルベートで縄張り争いに明け暮れたヤクザ者達である。少し怯んだものの、


「老い耄れ一人に何ができる! おめぇ達、やってしまえ!」


 というリズルの声に奮起する。そして、作業を見守っていただけの十人の手下が夫々作業用の鋤や鍬、または小剣や片手剣を手に向って来ようとする。一方で作業中の男達は水門破壊仕事を大急ぎでやろうと、一層強く大木槌を振るい始めた


 松明の明かりも無い夜の森、足元は下り斜面の細い道である。ヤクザ者の男達は、威勢は良いものの、勢いよく駆け寄ることが出来ず、自然と細い道を辿って長い列となる。それでも、相手は六十をとうに過ぎた老人一人、とたかくくった彼等は不用心にカラム老人に打ち掛かる。


「死ね、じじい!」


 先頭の男は、そんな声と共にカラム老人目掛けてすきを突き入れる。乱暴で力強いだけだが、見た目通りの老人ならば、それで一巻の終わり・・・・・・となるべき一撃だ。しかし、


「ぎゃぁ!」


 カラム老人は僅かに身体を左に逃がして、その尖った先端を躱すと、右手に持っていたこん棒を素早く振るう。容赦無い一撃を顔面に受けたヤクザ者は前歯全てを圧し折られて横に吹っ飛ぶとそのまま小川に落下した。


小童こわっぱ共が! 束になって掛かってこい!」


 そして、カラム老人が挑発するような言葉を発する。しかし、彼等が対峙する小道は三人並んで歩けないほど狭く、片方は直ぐ林、もう片方は小川に向って落ち込む斜面だ。リズルの怒鳴り声が聞こえるが、ヤクザ者の男達は尋常ではない老人の強さに尻込みする。そこへ、


「うぉぉりゃぁ!」


 突然横の林から、甲冑を身に着け抜身の長剣バスタードソードを手に持った若者ヨシンが飛び出しきた。彼は団子のように小道に固まった男達の最後尾に横から突入すると、完全に虚を突いた格好になった。


 ヨシンは、最初の一人は斬らずに体当たりで小川へ叩き落す。次の一人は小剣を持っていたが、ヨシンの「折れ丸」は敵の剣を持つ手を正確に切り落とした。そして、三人目はようやく片手剣ショートソードを手に向って来たが、剣技だけならば正騎士とも比肩するヨシンの相手になる訳が無かった。一合も切り結ぶ事無く、呆気無く袈裟懸けに斬られて地面に倒れ伏していた。


「ヨシン君! 無理はするなよ!」


 今や六人に減った男達の間から垣間見えるヨシンの戦い方に舌を巻きつつ、カラム老人はそう声を掛ける。そして、怯んだように見える男達に対して積極的に距離を詰めて行くと、殆ど戦意を失ったような男達を問答無用で叩きのめしていくのだった。


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(こいつは、やばいな……俺だけでもトンズラするか?)


 そう自問自答するリズル。彼の眼下、暗くて良く分からないが、老人に向かって行った男達は逆にやられてしまったようだ。いつの間にか姿を現した若い騎士が、足元で水門を壊そうとしていた男達と戦っている様子が聞こえてくる。そして、


「お主が首謀者だな!」


 リズルは突然掛かった言葉に驚くと横へ振り向く。そこには気配を押し殺して接近していたカラム老人の姿があった。


「て、てめぇ……只の爺じゃねぇな!」

「当たり前だ……と言いたいが、残念ながら貧乏領主に仕える貧乏騎士の隠居の爺だ。命は取らぬ、大人しくせよ」

「ちっ、エラそうに!」


 もはやヤケクソとなったリズルは腰の片手剣ショートソードを抜き放つと、奇声を上げてカラム老人に切りかかった。結果は――


「ぐぇぇ」


 ゴンッという音と共に呻き声を上げるリズルがその場に崩れ落ちる事になっていた。


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 その夜マルグス子爵領マルグス郷で起こった事件は、洪水に発展する手前寸前の所で何とか回避された。ヨシンとカラム老人の二人が速やかにヤクザ者達を排除したため、後に続いた村人達は、大事に至る前に水門の補修と堰き止めていた土砂の除去を行えたのだ。


 一方リズルという男とその手下のうち、大怪我を追いつつも生き延びたものは五人。全員が集落に留め置かれている。そして、ヨシンはカラム老人と共に縄でぐるぐる巻きに縛り上げたリズルを伴い、乗合馬車で王都リムルベートへ帰参したのだ。


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「トール様。今度と言う今度は、性根を入れ替えると誓って頂きます」

「……」


 ここは、王都リムルベートにあるマルグス子爵家の屋敷。一階の応接ではなく、二階の執務室でのやり取りである。この場にいるのは子爵トール、騎士ドラス、家令セバスにカラム老人と何故かヨシンである。勿論、先ほどから怒鳴りっ放しなのは元騎士カラム老人であった。あるじであるトール・マルグス子爵を前に仁王立ちとなると、両手を腰に当ててあからさま・・・・・に主を睨みつけている。


「ち、父上、トール様も『反省している』とおっしゃって――」

「黙らっしゃい! ドラス、お前には後でたっぷりと言って聞かせる故、今は口を閉じておれ!」

「え、えぇ?」


 怒り心頭の父に対して何とか諌めようと口を挟んだドラスだが、一喝されるとそれ以上言う事が出来ない。そしてしばらく、重い沈黙が流れた。



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 この場に至るまでの話の経緯はこうだ。王都リムルベートに到着したヨシンとカラム老人は、先ずウェスタ侯爵家邸宅へ足を運んだ。勿論捕えたリズルという男の身柄を預けるためと、取り調べをするためである。衛兵団ではなくウェスタ侯爵家を選んだのは、自家領内で起こった不祥事・・・とも言える事件をなるべく穏便に済ませたかったカラム老人の思いによるところが大きかった。そのため、ウェスタ侯爵家の身なら騎士であるヨシンの伝手を頼ったという事だ。


 ウェスタ侯爵家に身柄を渡されたリズルは、拷問に掛けられる間でも無く、自分の企みと彼が知る限りの背後関係を語っていた。折から王都における「黒蝋」蔓延に対処するようガーディス王子から特命を受けていたウェスタ侯爵家当主ブラハリーは、その報告を受けるとカラム老人と直々に面談し「この件でマルグス子爵家が責任に問われることは無い」と言質を与えたのだ。


 そこで一安心したカラム老人は、その後旧知の仲であるガルス中将と酒を酌み交わし、ウェスタ侯爵邸宅に一泊すると、翌日ヨシンを伴いマルグス子爵家屋敷を訪れたという訳だ。


 しかし、口煩いカラム老人の訪問に対して露骨に厭そうな態度を取る子爵トールは、カラム老人の語った言葉に対して、


「なんと! それでは金貨百五十枚が貰えぬではないか?」


 と、的外れな発言をしたのであった。当然のことながら、その一言が逆鱗に触れたカラム老人は烈火の如く怒りを現し、そこからは主従のたがが外れた言葉の暴風が吹き荒れていたのだ。


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「し、しかしなカラムよ……私は本当に反省しているんだ。それを信じてくれなければどうにもならぬでは無いか? 私はどうすれば良いのだ……」


 カラム老人の激しい剣幕に気圧けおされた子爵トールは、少し困ったようにそう言う。これまでも口先だけで「反省している」とか「心を入れ替える」と言ってきたツケが回ってきたのだが、確かに信用されない以上どうしようも無いのだ。


「それでは、トール様には領地の皆の苦労を分け合って頂きます……その上、今回の件でウェスタ様からは『褒美は出せないが替りに領地開発の費用を借款してもよい』というお言葉を頂いております」

「なんと! それを早くいわ―――」

「成りません! 作った借金を借金で返すなど言語道断! まず領地を検分し、どうしたら皆の暮らしが良くなるか? そして税収が上がるか? を考え。これだ、という案を吟味した上で足りない分をウェスタ様に申し入れるのです。それ以外には銅貨一枚使っては成りません!」


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アーシラ歴493年9月初旬


 夏の暑さが残るこの日、ウェスタ侯爵家哨戒騎士団見習い騎士のヨシンは、いつものようにマルグス子爵家屋敷の庭にいた。草刈が綺麗に終わった庭では、マルグス子爵家唯一の騎士ドラスがくわを振るって地面を掘り起こしている。ヨシンもこの作業を手伝っているのだ。


 計画では、この後冬にかけて収穫が期待できる蕎麦を植える事になっている。蕎麦の収穫が出来れば、その後は腐葉土を盛って春先には芋を植える。来年の秋口にはそれなりの量の芋が主格出来るだろう。


(余った場所には野菜を植えた方がいいな……夏の間中収穫できる都合の良い野菜ってなんだろう? マーシャに手紙で訊いてみよう)


 作業の手を止めてそう考えるヨシンと、黙々と休まず鍬を振るい続けるドラスに、屋敷の方から家令セバスの声が掛かった。


「お二人とも、休憩にしませんか?」


 セバスの声で作業を止めたヨシンとドラスは屋敷の軒下で腰を下ろすと、冷たい水を一杯煽る。そして、


「そう言えば、トール様は九月の半ばまで領地から戻らぬらしい……」

「カラムさんにしごかれて・・・・・いるのかな?」

「どうだか? しかし、あのトール様・・・・・・ならあっと言う間に逃げかえってくると思っていたが、意外と長続きしているな」


 騎士ドラスの言葉通り、今子爵トールは領地に帰っている。カラム老人の言葉通り、領地経営について、今更ながら叩き込まれているのだろう。


「そいえば、ヨシン君はお役目でしばらく王都を離れるとか?」

「はい、西方なんとか使節団? というので山の王国とかへ行くらしいです」

「そうか、いい経験だな。戻ってくる頃には蕎麦が収穫出来ているといいな」

「そうですね」


 二人の騎士が見上げる空は、秋の趣を少しだけ現し、普段よりも青く澄んで高く見えていた。


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西方辺境戦記 騎士達の外伝 ~ Miscellaneas of the Episode ~ 金時草 @Kinjisou

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