第8話 家計簿の騎士 その沼地を埋め立てろ! の巻(転)


 二十人程の男達を率いるリズルは、凄い剣幕で手下の男達を怒鳴り付ける。既にヨシンもカラム老人も北の排水門を離れた後、正午過ぎの事だ。


「なんでそれ・・を出しっぱなしにしてるんだっ!」


 リズルの言う「それ」とは、当然「鬼姫芥子」のことである。この薬草の出来を確認することと、マルグスという没落子爵家の少ない土地を台無しにすることがリズルという男とその手下二十人の男達の使命だった。


 手下を怒鳴り付けるリズルは、ヨシンやカラム老人と話していた時とはガラリと雰囲気が変わっている。隠す必要が無くなった男の本性はヨシンの見立て通り、王都リムルベートにたむろするヤクザ者集団の一派の親分である。元々は港湾地区の荷役労働手配と、歓楽街の縄張り内の店から用心棒代としてみかじめ料・・・・・をせびり取ってしのぎ・・・とする小さなヤクザ者の集団だった。そんな彼等だが、ある時から或る伯爵家と結託し「黒蝋」の密造に手を染めるようになっていた。


 ノーバラプールの盗賊ギルドが中原地方から仕入れる安価な「黒蝋」を大量に売り捌くようになるまで、リムルベート地場のリズル達のようなヤクザ者勢力が「黒蝋」の供給を担っていたのだ。しかし、その商売は大きなものでは無く、またノーバラプールの盗賊ギルドが台頭すると同時期に厳しい摘発が行われたこともあり、一時的に密造集団は影を潜めていた。


 それが先月の「黒蝋」密売ルートの一斉摘発によって、幅を利かせていた盗賊ギルド系密売組織が全滅に近い状態となったため、にわか・・・に活発な動きを取り戻しつつあった。


 しかし、問題が無いわけでは無い。原材料である「鬼姫芥子」の栽培・販売といった取り扱いが厳格な許認可制となったため、以前のように大量に集めることが出来なくなったのだ。ただ、密造集団にとっては幸いな事に、鬼姫芥子は自然に自生する薬草で、それほど貴重なものではない。生育には水が豊富な湿地や沼地の環境があれば良いだけだ。そのため、密造集団は国内各地の栽培に適した場所を探すようになった。


 そんな動きの中で、リズル達密造集団は「マルグス子爵」という借金漬けの没落爵家が持つ小領地に目を付けたのであった。彼等から見れば、街道から遠く離れて寂れた上に領主が経営に積極的でない領地はうってつけ・・・・・の場所だったのだ。


 そして、彼等の黒幕ともいうべき或る伯爵家に働きかけ、マルグス子爵に「北の沼地に関する契約」を持ち掛けたのだ。領地の北側に広がる広大な沼地を「鬼姫芥子」栽培拠点にしてしまおう、というのが彼等の企みだった。しかし、彼等の企みはこれに留まらない。それは――


「リズルさん!」

「なんだ!」

「……そんな怒鳴らないで下せぇよ。一応準備完了です」


 リズルに話し掛けたのは手下の男だ。手には農作業用とほぼ同じ格好のくわを手に持っている。良く見れば下半身を中心に泥まみれで、いかにも作業をしていたという風だ。


「堰き止められそうか?」

「へい、さっきの連中が帰った後に仕上げました。補強用の杭と木板は取り除いたんで、あとは両岸を崩すだけで」


 リズルの問いに答える男は、沼地に溜まった水を滝のように吐き出す排水門を見ていたのだった。


****************************************


 作業の邪魔だ、と追い返された格好になったヨシンとカラム老人は、仕方なくカラム老人宅に引き返していた。因みに同行していた村人は、沼地に設置した生簀いけすを管理している漁師らしく、暫く留まって生簀の様子を見るという事だった。


 カラム老人宅に戻ったヨシンは、素振りでもしようと集落から少し離れた場所に足を向けた。丁度北の沼地へ向かって登り坂になる場所に手頃な空き地を見つけたので、その場所で愛剣「折れ丸」を振るおうとするのだが、そこで手を止めてしまった。


「うーん……なんだったけか?」


 唸るように独り言を言うヨシンは、遅い午後の日差しの下で、何かを思い出そうとしている。


(鬼姫芥子……つい最近何処かで聞いた気がするんだよなぁ……)


 思い出せそうで思い出せない、というじれったい・・・・・状態のヨシンだが、どうにも気になって仕方ないのだ。むしろに覆われる間際の特徴的な薬草の形、緑から褐色に転じた花房の色は何か「良くない事」を連想させる。


「あーっ! もう分からん! 大体オレはこういうの得意じゃないんだよ……素振りしよ」


 ヨシンは気になる考えを振り切るように大声を出すと、「折れ丸」を上段に構える。直立して軽く左足を引いた状態。そこから頭上に構えた長剣バスタードソードを振り下ろす。上体はあくまで垂直。そして下半身は振り下ろされる切っ先に合せて屈伸する。丁度切っ先が振り下ろされると同時に腰を落とし切った状態になる。


「いち!」


 気合いの声と共に、刀身と地面が水平に成るところでピタリと止める。これは騎士デイル直伝の素振り方法だった。これをヨシンとユーリーに教えたデイルは「最初は五十回も出来れば充分だ」と言っていたものだ。つい最近、ウェスタ侯爵家邸宅の「修練の間」でのやり取りだった。


「にぃ!」


(デイルさんはこれを五百回は余裕で出来るんだったな……)


 そんなことを思い出すヨシンは、その時の会話をふと思い出していた。それは「黒蝋」を巡る一連の事件が終わって一週間経った頃だ。事情を聞くためにユーリーの知り合いのリリアという女の子を邸宅に呼んだ後のことだ。


(たしかあの時のユーリーはとても機嫌が悪くて……あれは完全にリリアって子に惚れてるな……まぁ可愛いとは思うけど……でも、マーシャの方が可愛いけどな)


「さんっ!」


(それで……ああ、そうそう。リリアって子を送った後に邸宅に帰ってきたユーリーがデイルさんに色々食って掛かっていたんだなぁ……何の話をしてたんだっけか)


「しぃ!」


 その時の親友ユーリーは、しつこい位に「黒蝋」について知りたがっていた。「元々は何用の薬だったのか? 幾らくらいで出回るのか? どうやって使うのか?」ユーリーが意地になって繰り返す質問に、騎士デイルでは答え切れず、アルヴァンやアルヴァンのお側掛かりのゴールス、更には屋敷家老のドラストまでが執拗な質問責めに遭っていたのだ。そんな彼の質問の中に「原料は何か?」という質問があった――


「あっ! そうだ! 鬼姫芥子って『黒蝋』の原料だった!」


 ヨシンは思わず声を上げた。思い出せそうで、出てこなかった疑問の答えを見つけたことに喝采を上げる彼は「折れ丸」の切っ先が地面を打つスレスレで止まった事も気に留めていない。


(でも、なんで連中はそんな物・・・・を集めていたんだ?)


 ヨシンが次の疑問に突き当たった時、不意に彼は自分の名を呼ぶ声を聞いていた。切迫した声だった。


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「よし、やれ!」


 日暮れ過ぎの残照が残る中、北の沼地の西側、排水門には屈強な男達が両岸に陣取っている。彼等はリズルの発した号令を合図に、仕上げの作業ともいうべき、水門の側面を補強していた積み石を崩す作業、に取り掛かる。


ドボン、ドボン、ドボンッ ―― ザァァァッ


 急激に暗くなっていく森の中、最初は大きな石が水面を打つ音。その後は土が崩れる音が続く。その一方で、滝のように下の川へ流れ落ちていた水音が小さくなっていく。


「よし……」

「親分、上手く行きました! これで、下の集落は水浸しですね」

「そうだな……こんな貧乏領主の領地だ、集落と近くの僅かな農地が水害で駄目になれば再興は儘成ままならない……集落は離散、領地からの税収は無くなり、以後のマルグス子爵家は僅かな金と引き換えに領地を差し出すしかなくなるな」


 暗くて良く分からないが、リズルは満足気な声色になっている。それもそのはずで、彼等密造集団のもう一つの企みとは、北の沼地の排水門を堰き止め、溢れた水を下の集落へ向かうようにすることだ。その目的は集落を水で押し流し、住民を住めなくする事だ。というのも「黒蝋」の製造工程、特に煮詰めて水分を飛ばす工程は独特な強い異臭を発生させるのである。そのため密造場所は可也かなり人家から離れた場所に作らなければならない。「それならば、栽培場と密造所を一気に同じ場所に造ってしまおう」というのが彼等の魂胆だったのだ。そんな彼等は、最後の仕上げに掛かる。


「よし、オメェ達。 もう一個の水門をぶっ壊したらそのままゲーブルグの方にトンずらするぞ!」

「へい!」


 二十人の男達は暗くなった森の中を東へ向けて静かに移動を開始した。


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 ――測量していたはずの連中が排水門を壊し始めた――


 この報せは、沼地に残って生簀で作業をしていた漁師からもたらされた。しかし、その報せを聞いたカラム老人は一瞬何の事か分からなかった。


(もう埋め立ての工事を始めるつもりか? 気の早い連中だ)


 というのが第一印象だった。しかし、そんなカラム老人に対して漁師の男は言葉を変えてもう一度言う。


「堰き止められたら、溢れた水が村に向ってくるかも知れねぇです!」

「……なんとっ! よ、よし、お前は村の男達を集めておけ……私は様子を見てくる」


 漁師の言葉に事態の深刻さを認識したカラム老人は、漁師にそう言うと自分はこん棒一つを手に掴んで家を出るのであった。


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「ヨシン君! ちょっと困ったことになった」

「あ、カラムさん、どうしたんですか?」


 素振りをしていたヨシンを見つけたカラム老人は手短に説明した。一方ヨシンも、


「今思い出したんだけど、アイツらが仕舞い込んでいた鬼姫芥子は『黒蝋』の原料なんですよ!」

「黒蝋……おお、あの怪し気な薬のことか?」

「御存知ですか?」

しかとは知らないが、なんでも王都で人々を惑わせていると聞いたことがある。そうか、そのような物を集めておるとは、益々しからぬ連中じゃ、ヨシン君――」

「勿論、付いて行きます!」


 という事で、見習い騎士と元騎士の老人は、暗くなった森に分け入ると北の沼地を目指すのだった。


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