第7話 家計簿の騎士 その沼地を埋め立てろ! の巻(承)


 怒りを呑み込んだカラム老人が語るところによれば、領地の北を占める沼地を開墾したいと申し出た商家の遣いの者達は数日前から沼地に陣取ると何やら作業をしているという事だった。


「堤や堰の測量をしているようだが……とにかく、今日はもう夕方近い。明日朝早くに出掛けるとしよう」


 そんなカラム老人の言葉に従ったヨシンは、そのまま老人宅の世話になることにした。ヨシンとしては気難しそうな元騎士の老人宅に泊まるのは気が引けたが、丸一日半荷馬車に揺られた身としては、野宿は遠慮したかったのだ。


 一方、激しい剣幕で領主と息子に対する不満をぶちまけたカラム老人だが、老妻に宥められた後は普通の「厳格な老人」という風になっていた。そして、老妻が用意した食事 ――北の沼地で獲れるという新鮮な鯰や鱒の料理―― をヨシンと共にする頃には、少しだけ打ち解けた雰囲気になっていたのだ。


 そうなると、元騎士の老人とあるじは違うが見習い騎士のヨシンは不思議な事に中々話が合う・・・・のだった。カラム老人が語るところによれば、先代マルグス子爵の代では、まだ王家に対して軍役を提供する余裕は残っており、当時マルグス子爵家の騎士であったカラムは二十数年前までは王都リムルベートで第二騎士団に所属していたという事だった。


「ほう、ヨシン君はウェスタ様の哨戒騎士の見習いということか……道理でこんな事・・・・をドラスめが気易く頼むはずだ」


 ヨシンの改めての自己紹介で、この見習い騎士が所謂いわゆる当代騎士の見習い、つまり平民出の身分であることに納得したカラム老人だった。しかし、カラム老人の言葉には相手を見下すような響きは見られなかった。騎士としての格は落ちるが、それを補って余りあるウェスタ侯爵領哨戒騎士団の精強ぶりは良く認識しているカラムなのである。しかも、調子よく喋るヨシンから昨年の小滝村を巡るオークとの戦いを聞くと感嘆したような声を上げるのだった。


「あの戦いは激烈だったと聞いたが、ヨシン君はその決死隊にいたのか……それにしてもお隣・・ラールス家のガルスが婿を迎え入れて隠居したと聞いたが、そう言う経緯だったとはな。いや、大分昔に一度だけハンザ嬢・・・・を見かけたことはあったが……女だてらに『決死隊』の任務をやり遂げるとは……あの親・・・にしてその子・・・ありだな……羨ましい」

「でも、ドラスさんも相当強いと思いますけど?」


 感嘆ついでに羨ましそうに語るカラム老人に対して、ヨシンは思ったままの感想を言う。以前屋敷に押し掛けてきたチンピラを撃退したときのドラスの立ち振る舞いは、ヨシンの目からそう見えたのだ。すると、


「あやつはなぁ……確かに剣の腕は立つが……気が優し過ぎてイカン。騎士たるもの、時には主の行いを諌める心構えも必要だろう」

「そ、そうですが……」

「大体、ドラスがしっかりしていないから――」


 結局「竜の尾を踏む愚か者」の喩え通り、再びカラム老人の怒りに火を付けてしまったヨシンは、その夜しばらく元騎士の老人の愚痴を聞くハメになったのだった。


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 翌朝早くに起き出したヨシンは、既に起きていたカラム老人と共に簡単な朝食を済ませると、他数人の集落の男達と共に「北の沼地」へ向かった。集落は北から南に緩く下る斜面に位置しているため、北を目指す彼等はヘドン山の緩い斜面を登る格好となる。しかし、斜面の傾斜は緩く、道は村へ流れ込む小川沿いに整備されているので歩く事に支障は無かった。


 そんな森の中の途を一時間弱進んだ一行は、元々農地だった、と言われる北の沼地に辿り着いた。ヨシンは左右を斜面と木々に囲まれた視界が急に開けたのを感じると大きく周囲を見渡すようにする。そして感嘆するようにいうのだ。


「これじゃ沼というより、池か湖だな!」


 そんなヨシンの言葉が示すとおり、上り斜面を過ぎてから急に開けた視界に目一杯広がるのは、綺麗に澄んだ水を湛えた水面だった。東西の差し渡しが四百メートル強、南北の奥行きが二百メートルほどの大きな楕円形の沼地である。岸に近い場所には生簀いけすや魚を取る罠のようなものが水面から顔を出している。更に沼地の中央部分は所々水深が浅い場所あるようで、灌木や背の高い雑草が生い茂っている場所が点在していた。それを眺めるヨシンの視線に気付いたカラム老人が説明するように言う。


「あれは『鬼姫芥子』だったかな? 元々自生している薬草だが、いつの間にか群生するようになってしまって……ここからは見えないが、西から北側の岸一面はあの薬草の群生地帯になっている。まぁ食える草では無いし、薬草といっても高く売れる訳でも無い」


 そう言うカラム老人は沼地の地形をヨシンに説明する。


「この沼地の水の深さは一から二メートルだが、元々はちゃんとした麦畑だったところだ。東の奥の方に湧水が湧いていて、そこから引いた水を西側に流れる川へ流すようにして灌漑されていたのだがな」


 老人は隣に立つヨシンに分かり易いように右側の奥を指差し、そこからスーッと左側へ動かす。そして、


「だが、五十年前の地滑りの際に西側を流れる川の上流が堰き止められてしまってな、行き場を失った水が北の森を伝って流れ込んだ、という訳だ」


 そういった彼は、今度は自分達が上って来た道の横を流れる小川の始点を指差す。そこには、積み石と木製の杭、さらに木板で作られた簡易的な水門があった。


「そこの水門は村の中を流れる水の量を、そして、西側には溜まった沼地の水を元の流れに戻すための別の水門があるんだ」


 ヨシンはカラム老人の言葉に従って、自分達の立つ場所から右下の足元にある水門を見る。如何にも素人が無理矢理作ったという風の粗末な水門だが、手入れはしっかりとされているようで、積み石と盛り土が崩れないように打込んだ杭も木板も比較的新しいものだった


「連中は西の方の水門辺りを測量しているはずだが……」


 一行は、その言葉に促されるようにして、沼地の岸を伝い西の方へ移動を開始するのだった。


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 カラム老人に先導されて進むヨシンは、やがて沼地の西側にある別の水門に辿り着いた。可也かなりの水量が川に向って吐き出されているようで、その場所は小さな滝のようになっている。しかし、その造りは村に続く小川の水門とは違い、水流を堰き止めて調節するものではなかった。両岸が崩れて流れを堰き止めないように石を積んで同じく杭と木板で岸を補強しているものだ。水門というよりも、排水門と言うべきものに見える。そして、その周囲には二十人程の人足風の男達が何やら動き回っていた。


 作業をしていた男達は、ヨシン達一行が近付くと刈り取って積み上げていた鬼姫芥子をサッとむしろで覆い隠す。そんな彼等の周囲には測量するための木の棒や定規、それに糸の束、といった道具類が、沢山のくわすきなど地面を掘る道具類と共に無造作に置かれていた。いかにも、作業の邪魔になるから群生する雑草を刈り取っていた、という風である。しかし、蓆に覆い隠される瞬間前の、花弁が枯れ落ち、花房が膨らんだ鬼姫芥子の姿を見とめたヨシンは、頭の中に何となく・・・・の疑問を思い浮かべるのだった。


(鬼姫芥子か……デイルさんのお母さんのために摘みに行ったな……あれ? でも最近も何処かで・・・・聞いたような気がするぞ……)


 考え込んだ風になるヨシンを後目に、作業をしていた男達の代表者とカラム老人は挨拶を交わしている。


「おはようさん、朝から精が出るな」

「カラム様、おはようございます」


 カラム老人の少し厭味な挨拶の言葉に、進み出てきた男は卑屈な笑顔で答える。三十代前半に見える男だ。その風貌は、野良仕事や土木仕事をする労働者と言うよりも、王都リムルベートの悪所にたむろっている破落戸ごろつきのような下卑た印象を与えるものだ。そんな男は、目ざとく見慣れない青年を見つけると、


「カラム様、この方は?」

「ああ、リムルベートの御屋敷から来た……」

「ヨシンです」

「これは、これは、私はリズルと申します」


 見習い騎士の装備といっても、詳しく無い者には騎士の装備と余り見分けが付かない。そのため、リズルと名乗った男は終始へりくだった対応だが、一瞬だけ鋭い視線でヨシンを値踏みするように見た。


 一方のヨシンは、その視線には気付かなかったものの、先ほどの疑問と共に、リズルという男が率いる労働者達の様子に胡散臭さを感じていた。何処がどう、という訳ではないが強いて言うならば、全体として作業の様子が板に付いていない・・・・・・・・と感じる。その上、そんな男達が真面目に、恐らく日の出前から、作業をしていることに疑問を感じたのだ。そして、思ったことを素直に疑問として発していた。


「そこに積んであるのは鬼姫芥子だと思うけど、そんなに集めてどうするんだ?」

「べ、別に集めていた訳ではありません……そ、測量、そうそう、測量の邪魔になるので刈り取っていただけです」


 ヨシンの単刀直入な質問にリズルは言葉を詰まらせるが、表情を取り繕うと、さも当然、という風に言い返す。一方のヨシンはその様子に少し不自然さを感じつつ、更に疑問を続ける。


「日の出前から作業しても、測量なんてお日様が出てからじゃないと出来ないだろう?」

「……あの、失礼ですがヨシン様。作業に文句を付けるためにいらっしゃったのですか? 素人考えで口を出されても困るのですが!」


 リズルの言葉は、まるで内心を見透かされることを怖れるように、語気が強くなる。一方のヨシンは、胡散臭いと感じつつもマルグス子爵家の事業を邪魔する道理も権限もないので、


「いや、疑問に思ったことを言っただけだ」


 と言うにとどまった。そして、ヨシンやカラム老人の一行はリズルから「作業の邪魔になるから」といわれ、可也かなり遠くから作業を見守ることになったのだ。


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