第6話 家計簿の騎士 その沼地を埋め立てろ! の巻(起)


 ――このお話はEpisode5とEpisode6の間にあったお話です――


アーシラ歴493年 7月


 リムルベート王国の王都リムルベートは三十万の人口を抱える大都市だ。その大都市の経済を支える港湾地区と商業地区、その境目には「歓楽街」と呼ばれる盛り場が存在している。その地域にはおもむき様々な酒場や料理屋、それにいかがわしい店がひしめくように軒を連ねているのだが、そんな歓楽街の一画にヒッソリとそこだけ切り取ったように静寂に包まれた区域がある。それは商売の神「テーヴァ」の神殿に続く短い参道である。


 この区画は、特に喧しさから縁遠い高級店が数軒存在しているだけだ。そんな高級店は通常料理屋であるが、場合によっては大身貴族の密会であったり豪商達の秘密の打ち合わせに使われることもある。


 そんな高級店の一つにこの夜、数人の男が集まっていた。一人は豪奢な装いを身にまとった年配の貴族風の男、もう一人は此方も仕立ての良い上等な服を纏った商人風の中年男だ。貴族風の男も、商人風の男も、どちらも数名の共を連れている。そして、テーヴァ神殿の参道から奥まった場所に在る料理屋の離れ・・で彼等は会話を交わしている。


「ウェスタの連中が躍起になっていた『黒蝋』ですが、無事・・密輸のみちを断ったようです」

「そうか……上手く供給を断った訳だな」

「はい」


 この会話だけを聞けば、二人はにわかに・・・王都を騒がせた「黒蝋」禍が解決された事を喜んでいるようにも聞こえる。しかし、続く言葉がそうでは無いことを示していた。


「これで、目障りな安物が姿を消し、中毒になった常用者だけが残るのだな」

「はい、ノーバラプールの盗賊ギルドはしっかりと顧客層を開拓して消えた訳です」

「そして、後に残るは……入れ食いの市場・・ということか」


 そう言うと貴族風の男は楽しそうに笑う。一方商人風の男はその笑に追従する事無く、今後の段取りを確認するように言う。


「一度妨害を受けた『黒蝋』密造ですが、材料さえ揃えばいつでも再開可能です」

「うむ……材料……『鬼姫芥子』だったか?」

「左様にございます。天然自生の物を集めるには限界があり、かといって昨今の禁令・・によってこれまでのように薬種たねものとして仕入れることはできません」

「……それで、あの没落子爵の領地という訳か」

「はい、元々『鬼姫芥子』が自生する土地柄ですが、条件が整っており大量の栽培にも適しております。既に今年の春に巻いた種は花房を肥えさせているとのこと」

「それで領地の掌握はどうなっている?」

「それは……抜かりなく」


 悪巧みの典型とも言うべき二人の会話は、なおしばらく続くのであった。


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 乗合馬車という乗り物に、実は生まれて初めて乗ったヨシンは、心地の良くない環境に閉口していた。痩せた三頭の馬に曳かれる馬車は、荷馬車を改造して荷台に掘っ建て小屋のような壁と天井を取り付けた造りである。そうやって作られた客室内は、ジメッと薄暗い上に夏の暑さが籠っている。詰めれば十人乗れる広さであるが、行商人二人が持ち込んだ大きな荷物が場所を占めている。そんな状態にもかかわらず、無理矢理詰め込まれた乗客は定員通りの十人だった。


 王都リムルベートからコンラーク、スハブルグを経て北へ向かう街道は、整備が行き届いているが、それでも乗合馬車は地面の凹凸を拾うとその度にゴンゴンと突き上げるような衝撃を座席に伝えてきている。


 王都リムルベートからウェスタ侯爵領最南端のホーマ村まで、徒歩で行けば三日掛かるのだが、休みなく進み続ける乗合馬車ならば一日と半分で到着する。そのため、ヨシンは乗合馬車で行くことを選択したのだが、丸一日乗ったところで乗り心地の悪さにウンザリしていた。そんな彼は、こうやって乗合馬車に乗っている経緯を思い出すのだった。


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 数日前、例によってマルグス子爵家の庭の草刈をしていたヨシンは、マルグス家唯一の騎士ドラスに呼び出されると或る相談を受けていた。それは、


「ヨシン君、次の休暇は何時になるんだい?」


 という質問から始まるものだった。明らかに何か意図を持った質問だが、その時のヨシンは素直に、


「明後日から五日間ですけど」


 と答えてしまっていた。一方、ヨシンの返事に満足そうに頷いたドラスは、


「実は頼みたいことがあるんだが――」


 と切り出してきたのだ。


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 騎士ドラスの頼みたい事、それはマルグス子爵家の領地に関する事だった。


 一般的に「没落した」と評され、無役で過ごすマルグス子爵であるが、一応子爵というだけあって、小さな領地を持っている。その領地はリムルベート王国を南北に貫く街道から少し離れた場所。丁度ウェスタ侯爵家の領地とコンラーク伯爵家の領地の隙間にヒッソリと存在していた。街道沿いのホーマ村から西へ続く細い道を半日分ほど進んだ先、ヘドン山の南の尾根に位置するその場所は、鬱蒼と生い茂る雑木林と沼地に囲まれた狭い土地だった。


 因みに、隣接するウェスタ侯爵領側の領地はデイルやハンザ、それにガルス中将のラールス家が治めるラールス郷となる。しかし領地の規模を比較すると、土地の広さはさほど変わらないが、ラールス郷の方が遥かに人口が多く、栄えていた。


 元々街道から半日も離れ、ヘドン山の南の麓に位置するマルグス子爵領は森に囲まれた土地だった。森林資源には恵まれていたが、重要な小麦等を産する農地はそれほど広く無かったのだ。その上、五十年程昔に起こったヘドン山の地滑りによって領地の西側を流れていた川の流れが変わり、少ない農地の大半を占めていた領地の北側が水没してしまったのだ。以来五十年、領地の北側は完全に水没した沼地となったままである。


 丁度トール・マルグス子爵の祖父の代に起こった災害だが、それを契機にマルグス子爵家の没落が始まったといっても過言では無かった。それでも、トールの父親である先代マルグス子爵は苦しい財政を遣り繰りし、北の沼地を農地に戻そうと努力をしていた。しかし、その父の志を継がずに美術品の収集という浪費に明け暮れたのが、現マルグス子爵トールというわけだ。


 そんなマルグス子爵トールであるが、当然といえば当然の話、全く領地経営に興味が無い人物であった。その興味の無さがどれほどか・・・・・というと、父親の葬儀と埋葬のために一度領地に戻って以来十年以上、一度も領地に帰っていない程なのだ。そのため、具体的な領地経営は僅かに残った数人の家臣と騎士ドラスの父母が行っている状況だった。


 そう言う状況で騎士ドラスがヨシンに頼みたい、と言った事とは領地を巡る「ある契約」についてである。


「実は、領地の北に位置する沼地を埋め立て・開墾させて欲しい・・・・・・と申し出るものがいてな」

「へぇ、モノ好きな人がいるもんだな」

「しかも、向こう三十年の使用料として金貨百五十枚を支払うと言うのだ」

「百五十……」

「勿論開墾に掛かる費用は相手が負担するらしい」


 ドラスの話を聞いたヨシンは、思わず顔を変な風にしかめていた。話が旨すぎる・・・・と感じたのだ。そして、「旨い話を持ち掛ける奴は詐欺師だと思え」と言うのが、ヨシンの母親の言葉だった。


「……なんか、騙されているんじゃないか?」

「まさか……だ、大丈夫だと思うぞ。なにしろ相手はちゃんとした大店おおだなを持つ商家だし、とある伯爵家からの紹介でもある」


 ヨシンの疑問に少し言葉を詰まらせたドラスだが、少し逡巡した後にそう断言した。そして、


「それで、その者が手配した技師達がその沼地を詳しく検分に行くらしい。それに立ち合って欲しいのだ」


 という事だった。そして、それを受けたヨシンは、しばらく考え込んだものの結局引き受けることにした。


 何と言っても、数日間の休暇では生まれ故郷の樫の木村まで帰ることは出来ないし、恋人マーシャに逢う事も儘成ままならない。それに、同じく王都リムルベートに滞在している親友ユーリーは「黒蝋」事件の後、なにやら忙しそうにしているのだ。そのため、折角の休暇であっても暇を持て余すことが目に見えていた彼は、暇つぶしの一環として引き受けたのであった。


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 そんな経緯を思い出していたヨシンは、その後のホーマ村で乗合馬車を降りると街道を少し引き返してから西に続く小道沿いに森へ入って行った。正午過ぎの暑い最中であったが、森の小道を行く彼は時折吹く涼しい風に英気を取り戻すと、持前の強靭な足腰を生かしてズンズンと進んでいく。そして、夕方前の未だ明るい時間にマルグス子爵領の集落に到着したのである。


 集落に到着したヨシンの第一印象は、


(思ってたよりもちゃんとした・・・・・・村だな)


 というものだった。村の規模は生まれ故郷の樫の木村よりも大きく、丁度「スキュラ」退治をしたトデン村に似ている。しかし、トデン村がどちらかと言うと閉鎖的で寂しい印象を与えるのに対して、マルグス子爵の集落、マルグス郷はそれ程陰鬱とした雰囲気では無かった。


 聞いていた話通り集落は森の中に存在したが、集落の周囲は綺麗に開墾されて狭いながらもしっかりとした農地になっている。場所柄広い麦畑というものは見られないが、芋や豆類を植えた畑のうねは青々とした葉を茂らせている。そして、集落内は田舎造りの小屋風の家屋が並ぶが、家々の間を縫う小道は整然と整備されて、そこを追掛けっこ遊びに興じる十歳前後の子供達の集団が駆け回っている。


(意外と、良い所じゃないか)


 それがヨシンの第一印象だった。そして彼は、近くを歩く農作業帰りの農夫風の男性に騎士ドラスの生家の場所を訪ねると、その男性の親切な案内を受けて目的地へ辿り着いたのだった。


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せがれからは別に便りがありまして、承知しておりますよ。ヨシンさんと仰るとか。遠路遥々はるばるご苦労様です」


 そう言ってヨシンを出迎えたのは、白髪を短く刈り整えシャンと背筋を伸ばした老人で名はカラムという、騎士ドラスの父親である。現在の先代マルグス子爵に仕えた騎士で、不甲斐ない領主の代りに土地を治めているという事だ。しかし、領主代行と言う割には、カラムの住む家は他の村人の家と殆ど同じ造りで、全く奢った所が無い質素なものだ。その上、カラム老人は老齢とはいえしっかり喋る人物であり、その眼光は殺気とはまた別の種類の鋭さがある。何処か飄々ひょうひょうとして、時に自虐的な冗談を交えて話す騎士ドラスとは正反対の厳しい人格が見て取れた。


(カラムさんのほうがよっぽど領主らしいな)


 ヨシンは内心でそんな事を考えながら要件を切り出す。既に便りが届いているという事だから、簡単な確認程度のつもりであった。しかし、


「金に目が眩み、先代先々代から受け継いだ領地を切り取り渡すなど言語道断っ!」


 何故か突然怒鳴られたヨシンは目を白黒させて驚くが、カラム老人は気にせず捲し立てるように喋り続けた。


「大体あのドラ息子トールは、この十年一度も領地に顔を出すことなくほったらかしにし、聞けば訳の分からぬ物を買い集め多額の借金を作ったとか。先代様、お父上が泣いております! その上、お父上が心血を注いで行った北の沼地の埋め立て事業を放り出し、あまつさえ他所の人間に売り渡す・・・・など……情けない!」

「あ、あの……」

「それに、ドラスもそれを諌める事無く、のほほんと指を咥えて見ているだけとは……我が息子ながら情けない!」

「え、ええ……」


 カラム老人の言葉は、その勢いでしばらく続き、結局家の奥から妻である老女が出てきて諌めるまで続いた。一方、愚痴とも恨み言とも付かない言葉を延々と聞かされたヨシンは他人事ながら、


(子爵もドラスさんも、領地に帰りたがらない理由が分かった気がする……)


 と思っていたのだった。


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