第4話 西方辺境戦記 外伝 家計簿の騎士 奪い取れ!「決裁権」の巻(後)
印璽が無ければ物事が動かない。リムルベート王国では、爵家貴族の発行するほぼ全ての公式書類に印璽が必要なため「印璽を取られる」と言うことは家を乗っ取られるという事に等しいのだ。この日アカデミーが休校日だったヨシンは、頭を抱えるセバスとドラスに混ざって、その様子を見ている。それにしても、
「馬鹿げた約束をしたもんだ……」
というのがヨシンの素直な感想である。残りの二人は返す言葉が無いのか無言のままであった。
「とにかく『印璽』を取り上げられれば、マルグス子爵家はお終いということ?」
「……いかにも、その通り」
「ならば簡単な事、渡さなければ良いだけだ」
「しかしヨシン君、相手は商家と名乗っていたがどう考えてもやくざ者だ。屋敷に押し入って乱暴をするかもしれない」
ヨシンの明快な解答は直ぐにドラスによって否定される。その返事に少し疑問に感じるヨシンだが続けて別の事を訊く。
「セバスさん、この屋敷には何人の人が働いているんですか?」
「私とドラスに使用人が二人、下男が二人……六人ですね」
「以外と多いんだな……」
そんな感想と共にヨシンはしばらく考え込むが、ユーリーと違って良い策が浮かんでこない。結局得意の力押しを提案する。
「俺とドラスさんで、追い払おう。屋敷と言えば城みたいな物だ、招かれざる客を追い返して何が悪い!」
「だが、ヨシン君……」
ヨシンはそう決めてしまうと、ドラスの言葉を聞かずに部屋へ戻ると装備を整える。見習い騎士になった時に支給された金属製の胸当てと分厚い革の手足の装備は久しぶりに身に着けると気が引き締まる思いだ。そして「折れ丸」を腰のベルトに吊るす。既に
そうやって準備をしている内にやっと「良い案」らしい事が思い付いたヨシンはニンマリと笑うのだった。ナカナカ悪い顔をするものである。そして、何か思惑でもあるのか一旦身に着けた鎧等を脱いでいくのだ。
武装するのを止めたヨシンは「折れ丸」だけを腰から吊し、服装は普段通りといった恰好で玄関に戻ると、相変わらず平服姿のドラスは厨房から持って来た麺棒を手に持っていた。そして、ヨシンは取り敢えず思い付いた案を説明する。
「それは……セバス殿、できますか?」
「お家の一大事です……|できるかどうか(・・・・・・・)ではなく、やりましょう」
「なら、俺は一旦屋敷の外へでます」
そうした遣り取りから一時間もしない内にあの商家の奉公人と名乗る借金取りが現れた。しかも今日は十人もの見るからにガラの悪い男達を連れている。返済を渋った場合は力尽くで奪い取るつもりなのだろう。マルグス子爵家のような没落貴族の家にはロクな兵も無ければ騎士も居て一人二人というのが普通である。大人数で脅せば何とでもなると考えているのだろうし、これまでもそう言った事をしてきたのだろう。
その男は昨日と打って変わって乱暴な口調で、
「さっさと金を返せ! 利子を含めて金貨二十一枚だ!」
それに対してセバスが反論する。
「昨日は二十枚って言っていたのではないか?」
「貴族の連中は利子というものを知らないのか? 一日遅れると増えるんだよ! 遅延損害金! 常識だろ」
「それにしても元本十枚で一日一枚増えるとは、トイチも真っ青な高利じゃないか!」
「そんなの貸した側の勝手だろ! 返す気が無いみたいだから、お邪魔するぜ。屋敷を滅茶苦茶にされたくなければ、大人しく印璽の場所に案内しな!」
セバスは迫真の演技、というよりほぼ本心から抗議するがやくざ者の本性を現した相手には通用しない。こん棒や鉄の棒を振り回す十人の荒くれ者が屋敷に踏み入ってくる。そしてセバスに掴みかかると
「早く教えねぇか!」
と凄んで見せる。
「は、はい……」
本心から震え上がったセバスは一段を案内して二階の主の部屋へ進む。そして
「だ、旦那様ぁー、お客様がお見えです……」
「だれだ!?」
セバスの言葉に室内から返事をするのはドラスである。様子を見るように少し扉を開けるが。その隙間に身体をこじ入れた借金取り達が一気に扉を開けてしまう。室内には突然の出来事に目を丸くしたトール・マルグス子爵とサッと扉から離れた騎士ドラスの二人である。
「な、なんだお前達は!」
「貸したお金を回収に来た」
「しょ、証拠は!?」
マルグス子爵の上擦った声に借金取りのリーダー格が証文をチラつかせる。そして
「金貨二十一枚か『印璽』か……どっちか出さねぇか!」
と凄むのだった。
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結局借金取り達の迫力に負けて、印璽を渡してしまうマルグス子爵だった。それを受け取った借金取りたちは、
「しかし、流石に子爵様の『印璽』だとな……お宅らも困るだろう。来年の徴税までに金貨二百枚用意出来れば返してやるぜ!」
そう言うと、子爵の机に証文を叩きつけるように置くと下品な笑いと共に一階へ降りていくのだった。そして部屋には
「何と言う事だ……こんな事ならば、絵など買わなければ……」
「トール様、今の言葉に偽りはありませんな?」
「……あぁ、借金をしてまで集めるなど……父から受け継いだ領地を取られてしまうとは……もしもやり直せるならば心を入れ替えるから、ドラス! 取り戻してくれ」
その言葉にドラスとセバスは頷き合うと、ドラスは部屋を出て借金取りを追い、セバスは羊皮紙に素早く今の言葉を書き取り、念書を作る。
「さぁ、お約束です。こちらに署名を……」
そんなセバスのイキイキとした言葉を背中で聞くドラスの手には麺棒が握られている。
一方、狙い通りの品を手に入れた借金取りの一団は屋敷の玄関先で、突然現れた青年の妨害を受けていた。
「誰だてめぇ!」
「ん? 借金取りだが?」
「なんだお前もか、悪いがお先に失礼するぜ」
「いや、ここは通さない」
「なんだと?」
「お前の持っている包み……中はマルグス子爵家の印璽だろう。俺の方の担保と同じだ」
「だったらどうだって言うんだ? 先に手に入れた者勝ちだろう」
「そうだな、でも未だマルグス子爵の屋敷の敷地中だぞ。完全に手に入れた事にはならないと思うがな」
「うるせー! やっちまえ」
ヨシンは適当に屁理屈を捏ねているだけなのだが、それに激高した借金取り達である。ヨシンが一人と思い甘く見たのかもしれない。
二人の男がヨシンへこん棒を叩きつけてくるが、ヨシンは動じることなくそれを躱すと右拳を一人の横っ面に叩き込む。鍛え抜いた筋力から繰り出される一撃に一人が崩れ落ちる。ヨシンはその男の手からこん棒を抜き取ると、素早い振りでもう一人の肩を打ち据える。ゴキッっという感触がヨシンの手に伝わる。
あっと言う間に二人を倒したヨシンはそのまま玄関内の集団に詰め寄ると、一振りで一人、確実に打倒していく。そして、一団の後ろからは階段を駆け下りてきたドラスが麺棒を振り回し突進してくる。
「うぁ!」
「いてぇ!」
三回程相手を叩いたところで厨房から騒ぎを聞きつけた使用人や下男達が
「みんな、これから子爵様に無駄使いを止めて貰おうとお願いしに行くのだが、一緒にくるか?」
ドラスの呼掛けに四人の使用人達は皆頷く。可哀そうな事にここ二か月は給金無しで働いていた面々である。子爵の無駄遣いは死活問題であった。ドラスに四人の使用人とヨシンを加えた六人は階段を上ると子爵の私室へ詰め掛ける。そこには羊皮紙に書かれた念書と誇らし気に持つセバスと、ヤキモキしながら印璽が戻るのを待っているマルグス子爵の姿があった。そのマルグス子爵が声を上げる、
「ど、どうだった、取り戻せたか?」
「はい、この通りに……」
「おお、よかった!」
「それでは先ほどの約束はまも――」
「約束なぞ知らん」
その一言に子爵以外の全員が固まる。しかしその様子など気に留めないようなマルグス子爵は、
「署名だけの念書など意味が無い。ねつ造かもしれぬからな! さて印璽は金庫にしまっておこう……」
室内には、七人の怒りが満ちていく。そして、金庫に印璽を仕舞い込み鍵をしっかり掛けると、それを懐に仕舞い込もうとした子爵にセバスが飛び掛かった。
「な、なにをする。痛い! 手を噛むな!」
咄嗟の暴挙で鍵を奪ったセバスはそれをヨシンに放り投げる。受け取ったヨシンは
「よし、部屋から出るぞ。子爵を閉じ込めよう」
そして、興奮状態のセバスを扉の外へ引っ張り出すと両開きの扉に取っ手にドラスが麺棒を突っ込む。殆どそれと同時に扉をガチャガチャと開こうとしながら室内から子爵が叫ぶ、
「こら、これは謀反だぞ! 衛兵隊へ言うぞ! 開けないか」
そんな扉の向こうの子爵はさて置き、一同は決心したように頷き合うのだった。
そして翌朝早くに、マルグス子爵が懇意にしている画商と古美術商とは
そんな彼等が屋敷の応接室に入ったところで、マルグス子爵と面談する。マルグス子爵家の面々は流石に主人を丸一晩監禁するほどの「剛の者」では無かったので、夜中近くに監禁状態は解かれていた。しかし金庫の鍵はヨシンが所持したままである。因みにヨシンはこの日、彼等と入れ違いでウェスタ侯爵家へ詰めているのだ、本来の「任務」が大詰めを迎えたのだろう。それはさて置き。
「この度は、ウェスタ侯爵様の屋敷家老ドラスト様から依頼を受けてマルグス子爵様の家財の整理と言う事で参りました」
「……」
「美術品はどちらでしょうか?」
「……ここだ、この応接室に飾ってあるではないか……」
「なんと、こちらの額縁でございますか?」
画商と古美術商が顔を見合わせる。一方、マルグス子爵の顔は血が上って真っ赤になる。そして、口論のような価格査定が幕を開けた。
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ヨシンの任務が解決する前に、一足早くマルグス子爵家の借金問題は一応の解決を見ていた。借金を金貨三百枚という額まで膨れ上がらせて買い集めた「美術品」はどれも値段がついても銀貨十枚程度の品だった。懇意にしていた画商が言う「著名な画家」とは架空の存在であり、実際は画家を目指す芸術家の卵たちが書いた作品が殆どだった。
一番高かったのが「雨乞い」と題の付けられた
結局査定額の合計は金貨二十五枚分、ただし画家の卵が書いた絵は将来どんな価値になるか分からないと言うことで売却されず、立派は額縁だけが売却された。そして受け取った金貨はセバスがしっかりと管理することになった。
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王都リムルベートに夏の風が吹くころ、見習い騎士ヨシンはたまにマルグス子爵家に顔を出すと、庭の草刈りをするのが習慣になっていた。なにやらユーリーは忙しそうだし、仕方なしの暇つぶしである。蝉の鳴き声を聞きながら一仕事終えると、使用人の一人が冷えた水を持ってきてくれた。
「そういえば、ヨシン様」
「その『様』ってやめてよ」
「まぁ、いいじゃないですか。ドラス様がご相談したいことが有ると言っておりました」
「何だろう?」
「分かりませんが、領地の事でブツブツと言っておりました」
「へー」
騎士ドラスが何を相談したいか分からないが
(相談事は苦手だな)
と思うヨシンは空を見上げる。一際大きな入道雲が海から陸へ向けて迫ってくる。
「夕方あたり一雨降るかもな……」
誰とも無しに独り言を言うヨシンであった。
西方辺境戦記 外伝 家計簿の騎士 奪い取れ!「決裁権」の巻(完)
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