第3話 西方辺境戦記 外伝 家計簿の騎士 奪い取れ!「決裁権」の巻(前)
――これは、本編エピソード5中に進行していたある貴族の屋敷での事件です――
(もう、この家は滅茶苦茶だ!)
ヨシンは内心で絶望しながら、目の前のやり取りを聞いている。
「セバン! どうしても明日までに金貨二十枚が必要なんだ! 何とかしてくれ」
「なりません! 旦那様、返済が滞っている借金がこれで二件です。こうなっては市中に金を貸してくれるところはございません!」
「おのれ! 家令の分際で主人の儂に意見するとは! もういいクビだ!」
「ありがとうございます。それでは溜まっていた給金、金貨にして十五枚を頂いた上でお
「あ、いや、ちょっと待て。金貨十五枚とは何処にあるのだ?」
「それは申せません。私も老後の生活が懸かっております故」
「えーい! ドラス! ドラスはおらんか?」
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ここはマルグス子爵の屋敷である。この日アカデミーへの入学に必要な身分偽造のためにこの屋敷を訪れたヨシンは、自己紹介をする間も無くこの家の主人トール・マルグス子爵と、その家令セバスの口論に巻き込まれていた。
ヨシンが通されたのは、食堂の手前にある応接室だった。聞いていた通りの「美術品の収集家」ならば、応接室にはさぞ美しい絵画や彫刻が置いてあるのかと思ったのだが
(なんだ……落書き? なのか?)
思わずヨシンは呟いてしまう。四面有る部屋の壁を埋め尽くすのは立派な額に入れられた絵画だが、極彩色の絵の具をぶちまけたような絵や、逆に色彩乏しく太さの違う線が組み合わされた絵、人の造形を無視したように右半身だけ丸や三角で構成された人物画ばかりである。
そんな奇妙な絵画なのか落書きなのか分からない物に囲まれた部屋は落ち着きが無く、いきおい主と家令が喧嘩をするのも頷けると思うヨシンなのだ。そこへ、平服ならが腰に長剣を佩いた中年の人物が現れる。
「トール様、お呼びですか?」
「ああ、呼んだとも。このコソ泥が隠した金貨の場所を吐き出させろ! なんならゲンコツでぶっても構わん!」
「何ですと! セバス殿それは確かか?」
「ああ、確かだ! ドラスさんも昨年旦那様に貸した金貨五枚、返済されていないでしょう! 十五枚の中から五枚差し上げますので共に出奔いたしましょう」
なんとも話が無茶な方向へ行っている。そんな中、ヨシンは午後からアカデミーへ初登校を控えていて色々準備をしたいので、だんだんとイライラしてきた。部屋の装飾がそうさせるのかもしれない。
「あのっ! ちょっといいですか?」
存外大きくなった声に自分でも驚くが、言い出してしまった以上最後まで言うのが男というものだ。ヨシンは一度息を吐くと
「これからしばらくお屋敷でお世話になるヨシンと申します。どこのお部屋を使えば?」
まだ名乗る前だったのにこの状態なのだ、ヨシンがイライラするのも頷ける。その声にドラスと言う中年騎士が答える。
「その方が、ウェスタ侯爵様から預かるという青年か。よし、付いて来い」
その言葉に従い、ヨシンは荷物を纏めるとドラスという騎士に付いて行く。応接間を出る時に背中から
「こら! ドラス、セバスを何とかせぬか! 今日中に金貨二十枚用意しないと名画伯チョッピスの佳作『雨乞い』が他の者に買われてしまうではないか!」
「いい加減にしてください! このままでは『雨乞い』どころか一家総出で『物乞い』するハメになります……」
廊下にまで響いてくる声に、沈黙を守って前を歩くドラスだが、その背中が溜息を吐いているようにヨシンには見えたのだった。
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「あの、マルグス子爵とはどういう方ですか?」
「そうだな、一言で言うと『浪費家』だ」
「え?」
「あとは、『美術品の収集家』だ」
「……」
ガルス中将の声が恨めしく頭の中に蘇ってくる。二日目の登校日を終えてマルグス子爵の屋敷に帰宅したヨシンは極々簡単な夕食を取ると部屋に戻りベッドに寝転んでいた。
(ユーリーはいいよなー、ちゃんと
そんな不満めいた気持ちが沸き起こるが、それを嘆いても仕方ない。魔術が出来るのはユーリーの長所で、努力の成果だということを良く知っているヨシンである。
(だったら俺は剣の達人とか、そういう人の家が良かったな)
そんな、どうにもならないことを考えるヨシンは、ふと思いついて愛剣「折れ丸」を手に庭へ出る。ムシャクシャした気持ちの時は素振りに限る、という訳で
(何回振れるかやってみよう)
と思ったのだ。初夏の夕暮れは長く、まだ辺りには薄い明かりが残っている。そんな中庭に出たヨシンは、草が伸び放題の状態に閉口しながらも素振りを始める。
「五百三十四!」
「五百三十五!」
「五百三十六!」
ヨシンはその場に留まってただ剣を振っているのではない。ちゃんと相手を ――この場合は騎士デイルを―― 想定して、踏み込んで振り下ろし、戻って構え直す。この一連の動作が一回なのである。いつの間にか辺りは暗くなってきているが、後二百回は振れそうだと思うヨシンに不意に声が掛けられた。
「大したものだな!」
「五百七十二! はぁはぁ、えっと……」
「ドラスだ、マルグス子爵家の騎士ドラス」
「ああ、すみませんドラスさん。でもこれ位は大したこと無いですよ!」
「いや、流石ウェスタ侯爵家の騎士と思って見ていた。剣筋も確か、踏込も見ていて気持ちが良いくらいの思いきりの良さだ。聞けば見習い騎士ということだが……そこら辺の
「突然褒められた時は、相手を詐欺師と思え」とはヨシンの母の言葉である。少し警戒するヨシンだが正直なところ褒められて悪い気はしない。元来口下手な部類のヨシンだが少し話をしてみようという気になった。
「マルグス子爵家には何人の騎士が居るのですか?」
「俺だけだ」
「え?」
「吹けば飛ぶような小さな領地だからな、俺一人だよ」
ちょっと自嘲気味なドラスの言葉である。ヨシンは気を取り直して別の質問をする。
「御領地は何処にあるのですか?」
「スハブルグ伯爵とウェスタ侯爵の領地の間だな。ホーム村の近くだ、実際ホーム村の方が数倍大きいがな」
どうもこの騎士ドラスという人物、喋る言葉がすべて自虐的になってしまうらしい。
「昨日は借金がどうとか……」
「ああ、トール様の悪い癖だよ。訳の分からん絵や置物を古美術商や画商から薦められるままに買ってしまう。お蔭で財政は火の車さ」
そういうとハハハと乾いた笑いを上げるのだ。そして、
「ここだけの話だが、トール様が懇意にされている画商というのが少し怪しい奴でな……何か新しい絵を買い求める度に何処からか聞きつけて屋敷にやって来る。そして『そういえば、これこれこういう名画がありまして』と話をすると、翌週にはその絵が市中の古美術商の所へ入荷するのだよ」
「それは……その画商と古美術商は一緒になって絵を売り付けようとしているのでは?」
流石にそういう感想を述べるヨシンにドラスは力なく首を縦にふる。
「だがな……それを言ったところでトール様が聞いてくれないのだよ。『絵画の価値が分からん者に絵を語る資格は無い』と言ってな」
日が暮れて暗くなった庭先で立ち話をする二人だが、ドラスがそう言ったとき、屋敷の中から悲鳴のような声が聞こえてきた。悲鳴の主はセバスのようだ。二人は慌てて屋敷の中へ駆け戻る。
「ない! ないーーーーーーーー! 私のへそくり! 金貨ちゃんが無いぞー!」
色々な意味で耳を覆いたくなるような悲鳴である。しかし屋敷中を駆け回り絨毯の下や長椅子の下、本棚の裏、暖炉の底等を探し回っているセバスの表情は必死そのものだった。
「どうした!?」
「セバスさん?」
「ああ、ドラスさんにヨシン君! この家の最後の金貨! 十五枚! 何処に行ったか知らないか?」
「この屋敷に金貨が残っていたとは、今知りました」
「昨日言っていた金貨ですよ、溜まっていた使用人の給金と来月の食費、それにスハブルグ伯爵家への借金の利息分なんです!」
そう言うセバスは、ハッと思い付いたように言う
「そう言えば旦那様はどこへ? もしや旦那様に見つけられたのか!?」
そこへご機嫌な様子のマルグス子爵が帰ってきた。
「おお! 今帰ったぞ! いやいい買い物をした。金貨二十を十五に値引いてくれるとは、いやいや贔屓にしていた甲斐があった!」
そう言うマルグス子爵は大きな布に包んだ板状の者を下男に持たせている。そして下男達に指示するとそれを応接室へ運び込ませるのだった。そんな満足気な主人に恐る恐るドラスが声をかける。
「トール様……もしやと思いますが『雨乞い』なる絵をお買い求めですか?」
「ああ、如何にも! 明日は画商のデーバ氏が遊びに来るからな、是非それまでに買い入れて見せてやろうと思ったのだ」
その言葉に三者三様に絶句する、ヨシン、セバス、ドラスだった。
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翌日からしばらくセバスは自室に籠り外に出てこなかった。流石に心配したドラスが外から
「開けないならばドアを蹴破るぞ!」
と声を掛けたところで、ようやく中から
「修理代が勿体無い! 今出ます!」
という悲痛な叫びが返事としてあり、二日振りに顔を出したセバスだった。思った通りにゲッソリと痩せていて顔も青白い。しかし、ドアを蹴破るとまで言ったドラスにはそれなりの理由があった。
「セバス殿……そのご様子になんとも言い難いのだが。大変な事になった」
ドラスの言葉にドア枠を掴むセバス、何を聞いても眩暈で倒れないように身体を支えるつもりなのだろう。そんなセバスに対してドラスが語った内容は……結局セバスを失神させるものだった。
事の発端は昨日の午後。屋敷を訪ねる者があった。訪問者はある商家の奉公人と名乗り、数名の供を連れていた。その奉公人は主トール・マルグスの署名と蝋印が押しされた羊皮紙の借用書を差し出して言うのだった。
「マルグス子爵へ貸し付けた金貨十枚ですが、先月末の期日を過ぎても返済が有りませんので今すぐ全額返済してください。利息を含めて金貨二十枚となります。もしも返済頂けないのならば担保として子爵家の印璽を頂戴いたします」
寝耳に水なドラスは、玄関先で返済を迫る彼等をしばらく待たせると慌てて主のトールへ取り次ぐが
「……あ? いつの件かな? とにかくそのような下賤な者への対応はお前がせよ!」
という事だった。仕方なく玄関先へ戻ると借金取り立ての者達へ一旦引き取りを願う。
「それは、払えないという事ですか?」
「こっちは証文がちゃんとあるんだよ!」
「何とか言えよ!」
下手に出るドラスに態度を豹変させたのは、供として付いて来ていた男達だった。みな腕っぷしが強そうだ。慌てるドラスは必死に
「何卒、今日の所はお引き取りを」
とだけ繰り返し言う。それ以外に言う事が無いのが事実である。つい昨日金貨十五枚を一気に使ってしまった主トールのせいで、この屋敷には正真正銘一枚も金貨が無いのだ。結局根負けした相手側は「明日までに金貨を用意しなければ本当に印璽を頂く」と言うと引き上げて行った。
そんな話を聞かされて失神したセバスは、気を取り戻すとドラスを伴いマルグス子爵の私室へ向かう。そして心のままに、乱暴に扉を開けると丁度金庫を開いて羊皮紙を数えている主の姿を認めて捲し立てる。
「何だお前達? ノックくらいしないか!」
「そんなことはどうでも良いのです。旦那様、一体幾ら借金を作っているのですか!?」
「な? そんな事はどうでも……」
「どうでも良くありません、借金は返済するから借金なのです。返済できない借金は泥棒も同然。領地を取り上げられてマルグス子爵家も旦那様の代でお終いになりますよ!」
挑戦的なセバスの言い方に腹を立てたのか、トールは手に持っていた羊皮紙の束を投げ付けると、
「そんなに借金の勘定が好きならくれてやる! 出て行け! さっさと出て行かんか!」
と言う剣幕で結局部屋から追い出されてしまった。
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セバスは頭を抱えながらも、証文を一枚一枚確認していく。金貨二枚とか五枚とかいう少額の借用書は一枚を除き全て、
――返済が出来ない場合はアーシラ歴494年春の税収の何百分の一を差し押さえる――
と書かれている。ごく一般的な没落貴族が行う借用の方法である。だが、昨日取り立てに来た者達の物と思われる一枚の借用書だけは
――返済が無かった場合には、ただちにマルグス子爵家の印璽をもって弁済する――
と書かれているのだった。
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