第2話西方辺境戦記 外伝 樫の木村の怒れる魔術師


 ――これはEpisode4 の最中に起こった出来事のお話です――


 狩人ルーカが、ウェスタ侯爵領哨戒騎士団からの召集令を受けて、樫の木村を旅立った後の事。メオン老師はその日も変わらずに半地下の書斎に籠り、魔術書を書き続けている。「粗忽者の為の実践魔術」と銘打ったこの魔術書は、勿論メオンの養子ユーリーを念頭に書かれている魔術書である。


 メオン老師の長年の経験を元に、魔術師ではなく旧友マーティスのような「魔術剣士」を志すユーリーの役に立ちそうな術のみを凝縮した魔術書である。しかも持ち運びに便利な「圧縮」の術が掛かっている真っ新の「魔術具」へ記述しているのであるから、この老魔術師がいかに孫程歳の離れた養子ユーリーを案じているかが分かる。


 尤も、迂闊にそのことを指摘しようものなら、照れ隠しの凄い剣幕で怒鳴られるのである。実際に、以前ヨーム村長がそんなことを言った時は、元リムルベート十傑の剣豪に対して


「うるさい! 青二才が!」


 と言い放ったメオン老師なのである。そんな風にストレートに愛情を示すことが苦手だが、しっかりとユーリーのことを考えているメオンだから、今日はすこぶる「機嫌が悪い」のだ。理由は、ユーリーが所属する第十三部隊がオーク兵の裏を突く危険な作戦に従事しているからである。余程に自分が行って力を貸そうとも考えたが、それではユーリーの独り立ちを邪魔するように思い、先日の段階では一度思い留まっている。しかし――


(だめじゃ……まったく筆が進まん……)


 溜息を吐き、右肩を回してみたり背伸びしてみたりするのだが、全然日課が手に付かないのである。そんな所に、一階から声が掛かる。


「メオン老師、お食事と着替え持って来ましたよ」


 そう声を掛けるのは、マーシャである。赤毛の美しい少女であるが、何故か甲斐甲斐しくメオンの面倒を見てくれている。そうだから、流石のメオンもマーシャには怒鳴ったりしない。食事を作ってくれなくなれば、直ちにこの男やもめの老師の食生活は悲惨の二文字を極めることになるからだ。


(気分転換には良いかのう)


 そう思ったメオンは一階へ上がるとテーブルに着く。目の前には温かいスープとパンという食事が用意されている。


「メオン老師、あんまり家に籠っていると足が弱りますよ。今日なんか天気が良いですからお散歩に出てはいかがですか?」

「うむ……うむ……」

「もう、いつもそうやって生返事ですね」

「あ、いや……そうじゃな、気分転換に散歩にでも出かけようかのう」


 その老師の返事を聞いてマーシャは嬉しそうにすると、昨日の食器と洗濯物を纏めて


「絶対ですよ!」


 と一言言い残して家を出て行った。


(……確かに最近家に籠りっぱなしだったのう。たまには良いか)


****************************************


 久しぶりに家から出たメオンは外の季節が既に冬になっていることに少し驚く。空は青空だが、それを彩る森の木々は、針葉樹以外葉を落としている。差し込む日の光も何処か愛想が無く寒々しいものだった。そんな外の光景に、そう言えば三か月は家に籠りっぱなしだったと、何事にも凝り性な自分の性格を再認識するメオンであった。


(散歩なぞ……そうじゃ、フリタの子の様子でも見に行ってみるかのう……)


 そう思い付くと村の東の高台にあるルーカとフリタの家へ足を向けるのだった。


 一方、その時のフリタはと言うと、こちらもご機嫌斜めだった。娘のシャルは何事も無いようにベッドで「ダァダァ」と手を振り回して一人遊びをしているが、なんというかフリタには「張り合い」がない。勿論ルーカが家を留守にしているからだ。まさかルーカが他の女に目移りすることは無いと、五十年以上の付き合いであるから良く分かっているのだが、そうはいっても心のどこかにそう言った「心配」が芽生えるのは女の性だろう。


(あー、家でムスッとしてても仕方ないわ!)


 そういう心境のフリタは厚手の上着と毛布を取り出してシャルのベッドへ近づき、


「さぁシャルちゃん、お散歩しましょうねー」

「ダァ?」


 そう言って未だ喋れないシャルをサッと毛布に包んで抱き上げると外へ出る。そして、家を出て直ぐの所でメオン老師とかち合うのだった。


「あらメオン、散歩? 珍しいわね」

「なんじゃ、フリタも散歩かい。赤ん坊の様子でも見ようかと思ってきたのじゃ」

「あら、メオンでもそう言う事を思い付くのね……ほら、シャルちゃん、メオン君ですよー」

「こら、『メオン君』は止めんか!」


 昔散々からかわれた呼び名で呼ばれて、思わずメオンは大きな声で言い返す。その声に驚いたシャルが泣き出したのは仕方ないだろう。


「もうー、折角機嫌よくしてたのに!」

「フンッ……」


 一言文句の後に赤子をあやすフリタの姿を何となく見るメオン、内心では若い頃ほどには赤ん坊の泣き声が気にならなくなったと感じる。


「すっかりお母さんじゃのう……」

「ヘヘヘ、昔は赤ん坊、苦手だったけどね……自分の子供だからかしら、全然気にならないわ」


 メオンの言葉に少し照れるフリタはメオンの思う所と似たような感想を述べる。「歳を取ったんじゃ」と言い掛けて、言わぬ方がマシと思い言葉を飲み込むメオンだった。そんな中でシャルはようやく泣き止んでいた。その時――


 村の北側、森に続く斜面から一斉に鳥が飛び立つ。羽を休めていたムクドリやカケス、カラス達が羽音喧しく飛び立った光景は一種異常なものであった。


「何かしら?」


 フリタの言葉に返事を言いかけて、そこでメオンは固まってしまう。その視線の先には森の木々と同じ程の高さに立ち上がった三匹のオーガーの姿があった。赤く血走った眼で獲物を探すオーガー達は、わずかに首の辺りに人工物 ――拘束する首輪と鎖―― が垂れ下がっている。


「あ、あれはオーガー?」

「なんと!」


ググォォォォォォオオオ!


 オーガーの咆哮が樫の木村に響き渡る。


 二人が厭でも良く見知った魔獣。人を襲うように訓練され戦場で非情な殺戮をやってのける、人間の狂気が創り出した忌まわしい存在、飼い慣らされた食人鬼テイムドオーガーである。


「イカン! フリタは村の者に……村を走り抜けて皆に報せながら逃げよ!」

「でも……」

「なに、念のためじゃ! 赤子を喰われたくなければ!」


 実際、存在に気付いた時点で近すぎる。村からほんの少し離れた、木こり達の炭焼き小屋付近に突如として出現しただけでも不自然極まり無いが、テイムドオーガーという時点で何者かの作為を感じる。走り去るフリタの後ろ姿を見送りながらメオンの思考は続く。


(もしや、小滝村の一件と関係が?)


 メオンの頭脳はその可能性を知らせてくる。小滝村へ戦力集中を避ける為、無防備に近い開拓村へ魔獣を解き放つ。哨戒騎士団は戦力を二分するどころか全力でオーガーの排除を優先しなければならないだろう。


 漠然としながらも、こちらに敵意を向ける何者かの存在を知ったメオンは、しかし恐れよりも怒りを感じる。無防備な村を襲うのにオーガーを使うとは何と言う非道か。それも目と鼻の先に突然「相移転」で飛ばしてくるとは、魔術に対する冒涜だ。そして、何より儂の機嫌が悪い時にそれを実行するとは……


(許さん!)


 作戦としては、完璧な後方攪乱作戦であったのだろう。オーガー三匹ともなれば出撃待機中の桐の木村に駐留する七つの部隊全てで持って排除に当たらなければならない脅威である。しかし、一つだけ手落ちが有ったとすれば、魔獣を解き放つ場所として選んだのが「樫の木村」だったと言う事である。


 怒りと、鬱憤をぶつける相手を得たメオン老師は既に虚空に手を突っ込むと「光導の杖」を引っ張り出している。そして、浮遊レビテーションの術で上空二十メートル ――オーガーが跳躍しても届かない高度―― に上昇する。


「先ずは、猛獣を檻に入れねばな……」


 そう独り言を言うと、空中に右手の補助を使い複雑な魔術陣を起想する。ユーリーが使うような通常の魔術陣よりも二回り以上大きいソレは、空中にパッと広がると次々に形を変えて発動段階へ至る。力場系統の術と付与系統の術をより合せた複合魔術「絶対物理障壁アブソリュートフィジカルバリア」の術は、物理的に絶対破壊出来ない不可視の障壁を作り出す


 狼と人間を混ぜ合わせたような風貌のオーガーは、やや狼に似た長い鼻をひくつかせると人の多くいる村の方角を探り当てる。そして、今まさに駈け出そうとしていた。その鼻先に突如現れた不可視の壁は間一髪のところで、三匹を檻のような空間に閉じ込める。その内一匹が駆けだした勢いのまま障壁にぶつかりギャンと悲鳴を上げるのが上空のメオンには見て取れた。


 その光景に一旦満足したメオンは、光導の杖に魔力を籠める。極属性「光」の制御が難しい術をいとも簡単に放つ杖は、メオンの魔力により自動的に魔術陣を生成すると複雑な展開を行い「光矢ライトアロー」を発動する。杖の先に浮かんだ五本の大きな光輝く矢は、一瞬の間をおいて眼下のオーガー一匹に次々と突き刺さり、華のような光輪を咲かせる。


バァン! バァン! バァン!――


 やや遅れて響き重なり合う轟音と美しい光の輪の下で、オーガーの苦痛の叫びはかき消されてしまう。逃げ場の無い不可視の檻に捕えられ、避けようのない苛烈な攻撃を受けるオーガーは何と思っただろうか? 知る術は無いが、確実なのは無惨に焦げた挽肉のようになった一匹のオーガーはもはや何も考えることは無いということだった。


 冷酷に術を放つメオンは次の目標に向けて「光矢」を再び放つ。そして同じ事の繰り返しである。「絶対物理障壁」は上に開いた檻のようになっており、その中を撃つメオンの攻撃による轟音は村にはそれほど大きく響かない。そして、檻の中で焼け焦げる二体に増えた無惨な死体が放つ臭気も今の所は村に到達していないだろう。


 この翌日にユーリーを含む第十三哨戒部隊が大苦戦するオーガーを一人で、それも三匹相手にして余裕のメオン老師は、最後に残った一匹に狙いをつけるが……


(うむ……相移転で飛ばされてきたのだな……それならば)


 何事か思い付き、「浮遊」の術を制御して高度を下げる。そしてオーガーの足元付近を注視する。何か羊皮紙のようなものの一部が地面から姿と見せていることをと見て取ると、「魔力検知」を発動しもう一度観察する。魔力を見る視力を得たメオンの目には赤い燐光を放つ四角い羊皮紙がオーガーの足元の木の葉の下に隠されているのが見える。


(あれが「目印」だな……ならば!)


 「相移転」の術自体は相当高位の魔術であり、使える者はごく僅かである。正確に移転先を魔術陣に織り込む必要がある術だが、場合によっては魔術的な「目印」目掛けて移転を発動することが出来る。変則的な使い方だが、メオンが良く使用する、何もない空間から物を取り出す「転送」の術の応用ともいえる使い方だ。


 そして「目印」を用いた場合の「相移転」においては、移転元も同様の目印となりえる。それを探り当てることは、高度な術の更に高度な応用であるが、メオンには可能な技である。「魔力鑑定」の術に切り替えたメオンは、その「目印」の羊皮紙を見詰めて残っている魔力を分析する。やはり「座標」とも言うべき移転元の痕跡が残されていた。


 メオンはそこから一旦視線を外すと、檻の中をウロウロと怯えた様子で歩き回るオーガーを視界に捉える。そして、極めて初歩の攻撃術「魔力矢」を右手の補助無しで発動すると、残ったオーガーの両目を潰してしまう。オーガーは苦痛に顔面を手で押さえているが、それに構わず次に最強強度で「身体機能強化」と「防御増強」をオーガーに・・・・・掛ける。


(うむ……後は何が良いじゃろうか? そうじゃ「威力増強」がよいだろうな……)


 まるで友人への贈り物を選ぶような気持ちのメオンは、そうして強化を施したオーガーを術者の元へ送り返すつもりなのだ。


 そろそろ「絶対物理障壁」の効果が切れる、というタイミングでメオンは「相移転」の術を発動する。一瞬の内に残った一匹のオーガーは姿を消し、その場に残ったのはメオンと散々な状態になったオーガー二匹の死体であった。


「ふう……散歩というには、疲れすぎたわい……」


 そう言うとメオンは村の方へ歩いて行くのである。眼下の村はちょっとした騒ぎになっていたが、そのうち平穏を取り戻すだろう。


****************************************


 中原地方の中心都市アルシリアは、人口百万人に達する大都市である。リムル海から続く汽水湖である「三日月湖」に面するこの土地は、東方地方から南方大陸、北方大陸、そして西方辺境地域へ続く陸の大動脈の交差点であり、更にリムル海を中心に南方・北方を繋ぐ海路交易の中間点にも位置している。


 非常に良い交通の要衝という立地は古くアーシラ帝国の首都が置かれていた点からも推察できる、正に文化と経済の中心地である。そんなアルシリアの今の主は、アーシラ帝国の末裔を自称するロ・アーシラ王国である。


 長らく続いた中原地方の戦乱に一先ずの終止符を打ったロ・アーシラ王国では、最高神アフラを頂点として、各信仰対象となっている神々をヒエラルキー化した「アフラ教」が積極的に布教されている。最高神アフラ以外の既存の神々は全て格の劣る「最高神アフラの神格の一面」と教えるこの宗教は、旧態然とした支配を払拭したいロ・アーシラ王国にとって非常に都合の良い宗教となっている。


 そんなアフラ教の教会の一つ、街道から少し離れたアルシリアの北を護る砦に併設された教会で、この日事件が発生した。教会の一画で「儀式」と称した何事かを行っていた「アフラ教会教皇議会」の面々の前に突如としてオーガーが現れたのだ。そのオーガーは非常に強力な魔術で強化されており、たちまち集まっていた「教皇会議」のメンバーを惨殺すると、教会の建物を破壊し隣接する砦に乱入して尚も暴れまわり、砦に駐在していた兵士約二百数十人をも惨殺したのだった。


 デルフィル出身の行商人だったはずのポーマはこの事件で最初の犠牲者となり跡形も分からぬ程にオーガーに喰われていたと言う。


西方辺境戦記 外伝 樫の木村の怒れる魔術師 (完)

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