その9 エピローグ

    *


『アテンションプリーズ、エイ・エヌ・エー、フライトシックス、シックス――』


 俺たちのReOrgが成功した次の日。


 成田空港の出発ロビーで俺は白いTシャツにブラウンのサマーニットカーディガンを羽織った鴻上を見つけた。腕時計に目を落としては、案内板を見上げている。


「マトは来ないよ」


 俺は鴻上に近づくと、努めてあっさりと言った。


「やあ、鷹野クン」


 鴻上は顔を上げ、爽やかに笑いかける。


「君たちのおかげでビターコイン界隈は大騒ぎだ。高校生を侮っていたかな」

「あんたが侮ってるのは高校生じゃなくて俺、じゃないかな」

「心外だな。僕は鷹野クンを評価こそすれ、侮ってはいないと思うけど」

「ずっと違和感があったんだ」


 鴻上が、ん? と訊き返す。


「ダークウェブでしか取引されない規模の小さな仮想通貨を選んだこともそうだし、そして昨日はいつもと比べると極端にビターコインの取引が少なかったこともそうだ」

「へえ、取引がねえ」


 鴻上がとぼける。


「同じようなケースが過去になかったか調べてみたんだ。そしたら、ダークウェブ最大のマーケットをアメリカ司法省がテイクダウンしたときの動きと同じだった。おそらく昨日、同じようなテイクダウンが行われたんだろう。そのあおりを受けて取引所も潰され、俺たちのReOrgはうやむやになった」

「――参ったね。鷹野クンをOSINTオシントの名手と言ったのはただのリップサービスのつもりだったんだけど」

「振り返ってみればあんたは俺たちに道筋を示していた。俺たちがとった行動は、契約金を返金することができる唯一の解法ソリューションだった。はじめから正解が用意されていたんだ」


 買いかぶりすぎさ、と鴻上は肩をすくめる。


「最後のダンス動画だけは本当に想定外だったよ――あれがなければ運否天賦うんぷてんぷの勝負になるはずだったんだけど」

「あんたは理乃のことを知らないからね。だから俺たちの切り札だったんだ」

「なるほど――たしかに、僕は鷹野クンを侮っていたようだ。でも――」


 鴻上はニヤリと笑って顎を上げた。


「マトは来ないんじゃなかったっけ?」


 振り返るとそこには眼鏡をかけたマトがいた。ワンピースチュニックにアンクル丈のスキニージーンズ――鴻上の見立てで買ったと思われる服装だった。スーツケースを持ってないことに安堵する。


「来ないって言ってたじゃないか」

「祐だって」


 俺たちのやりとりを聞いて鴻上は可笑しそうに笑った。マトはつい、と鴻上に近寄るとはっきりとした声で言った。


「なんだい、マト」

「私、本当にあなたと仕事がしたかった。でも、あなたの今の仕事は手伝えない」

「それは残念だ」


 あまり残念でもなさそうに鴻上が応える。


「あなたは私に武器を与えてくれた。そのおかげで私は地獄から抜け出すことができた。でも、私はもっともっと強い武器を持つ。それは誰も傷つけない、世界を救う最強の武器になるわ」


 黒髪に隠れてマトの表情は見えない。鴻上はくくっ、と笑った。


「ほんとにいい女になったな、マト。だから――」

「あっ」


 鴻上がすっとマトの頭に手を伸ばし、くいっと抱き寄せた。思わず俺の声が漏れる。


「だから泣くな。いい女は泣かない。男を泣かすんだ」

「うぐ……うぐっ、うわああああん」


 まるで子供のように泣きじゃくるマトの肩を抱いて鴻上が言う。


「鷹野クン、マトを頼むよ。君たちは世界随一のサイバー軍需企業を敵に回したんだ。これから茨の道が待っていることだけは忘れるなよ」

「今の俺ではまだ何もできない。でも、追いついてみせるさ。それに、俺たちには仲間がいる。マトやコンピュータ部のみんな、それに――あんたたちの売り物ゼロデイ・エクスプロイトを台無しにしてしまう仲間たちが世界中にね」

「やりたいことが見つかったようで何よりだよ」


 こんなときまで教師のようなことを言う。悔しいけれど、鴻上は教師としては一流だと認めざるを得ない。ずっと自分のしたいことが分からなかったのに、今の俺の前にははっきりとした道が見えていた。


「この仕事を廃業することになったら、そのときは僕も仲間に入れてもらうよ。ま、しばらくは借金を返さなきゃいけないんでね」


 鴻上はマトから離れると、肩をすくめた。

 マトの契約金の一千万ドルはダークウェブの挾間に消えていった。マトは契約金を受け取らなかったことになっているけれども、鴻上の手元から一千万ドルがなくなっている事実は変わらない。きっと、鴻上はその失態を埋めるために馬車馬のように働かされることだろう――どうせ、それも分かっていたことなのだろうけど。


    *


「これからどうする、祐?」


 展望デッキから鴻上の乗った飛行機を見送っていたマトは振り返って言った。


「お前、いろいろやることあるんじゃないか? 休学手続きの取り消しとか、新しい家探しとか」

「そうだけど……」


 マトは珍しくもじもじと言葉を濁す。


「なんか食べていくか? 

「えっ……あ、うん!」


 俺の後をたたた、と付いてくるマト。


 空には一筋の飛行機雲がどこまでも伸びていた。


(第3話 最強の武器:完)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

噂の学園一美少女な先輩がモブの俺に惚れてるって、これなんのバグですか? 瓜生聖(noisy) @noisy_noisy

★で称える ヘルプ

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ