第48話

「この度のことはこちらの不手際。君達には迷惑をかけた。謝罪しよう」


 貴族に頭を下げられる平民というのは、それほど世界に存在していないだろうなという思いを抱きながら、レインは改めて招かれたハーフルト子爵の館の応接室でソファーに座りながら正面に座っている子爵が下げた頭を眺めていた。

 そんなレインの隣には、何故だか偉そうな顔をしているクラースと、そんなクラースの脇腹にこっそりと拳を突き入れているルシアの姿がある。

 視線をそちらと反対側に向ければ、自分の隣にいるシルヴィアがにこにこと笑いながら子爵の姿を見ている光景があるのだが、そのシルヴィアの手は何故だか外見上はそっと、実際はがっちりとレインの義手に添えられており、レインをそんなにしっかり握らなくとも義手は逃げたりしないのだが、という気分にさせていた。

 子爵家墳墓前での傭兵と騎士との戦いは、レイン達の加勢もあって子爵家側の勝利に終わっている。

 レイン達としてみれば、事の次第を聞きだすためにティナの配下である傭兵達を何人か、生きたまま捕縛できればよかったのだが、傭兵達の大半は騎士とレイン達の手にかかって命を落としており、逃げ切れないと考えた傭兵達はあろうことかその場で、自決して果ててしまっており、生き残りは一人としていない。

 傭兵はもう少し生き意地が汚いものではないのだろうかと思うレインなのだが、こればかりは各傭兵団によって教育や方針が違っており、味方の情報を敵に漏らさないためならば自分で自分に始末をつけるといった考え方も理解できないわけではなかった。

 もっともそのような傭兵団は非常に珍しい、というのも事実である。

 死んでしまえばその後というものはなく、生きてさえいれば何かいいことがあるかもしれないと考えるのが一般的な傭兵だ。

 まして自分の上司のために、命を捨てようなどと考える殊勝な傭兵はレインのこれまでの傭兵人生の中でも極めて稀な存在である。

 とはいえ、それだけで彼らが実は傭兵ではないのではないか、と考えるのは早計であり、実際にそのような考え方の傭兵団も少ないながら存在しているのでなんとも言えない。

 いったい彼らは何者で、どのような意図から今回のような騒動を引き起こしたというのか。

 そんなことに思いを巡らせていたレインは、クラースと子爵が会話を始めたのに気がついて今はそちらに注意を払う方が重要だろうと考えた。


「まぁそれなりに迷惑は食らったがよ。お互いこうして生きてんだし、そうそう面倒なことは言わねーから心配し……ぐほっ」


 言葉の途中でクラースが咳き込んだ。

 何事かという顔をする子爵の視線の先では、おそらくクラースが耐え切ることができないくらいの一撃を脇腹に見舞ったらしいルシアが、素知らぬ顔をして子爵の視線から顔を背けており、子爵が視線をクラースへと戻すとクラースは打たれたらしい脇腹を押さえながらも何とか姿勢は正している。


「大丈夫かね?」


「死ぬほどじゃねー……いや、ありませんから」


 どうやら子爵相手にあまり礼儀を弁えているとは言えない言動をルシアは咎め立てしたらしく、子爵からは見えないようにこっそりとルシアが再びクラースの脇腹へと拳を押し当てると、慌ててクラースが言い直す。

 元々、交渉役を担当していたクラースなので本来はちゃんとした対応もできるはずであるのだが、今回は子爵側にいくらか負い目があるという点から少しくらい横柄に対応しても構わないだろうと考えたらしい。


「私がもっとちゃんとしてさえいれば、このようなことにはならなかったと思うのだが、つくづくこの身の非才が恨めしいよ」


 力なく笑う子爵に、貴族といえども色々と苦労があるのだなとレインは思う。

 ハーフルト子爵家がその血筋をずっと辿っていくと、皇帝の血筋に連なっているというのは本当のことであったらしい。

 そして子爵家が現在、あまりぱっとしない状態にあるというのもまた事実であった。

 血筋的には確かであるというのに、実績を残せない状態をなんとかしようと子爵が色々と手を打っていたというのもまた事実だったのだが、今回の件はそのことばかりが頭の中を占めていた子爵の隙が狙われたような形の話である。

 とにかく実績が欲しかった子爵は、色々な方面に手を回して人材などを集めて回っていたのだが、その途中で出会ったのがティナだったのだ。

 世界情勢などというものには興味のないレインであるのだが、この世界が傭兵が戦を飯の種として食っていける程度には頻繁に争いが起きていることくらいは理解している。

 ハーフルト子爵は戦争と呼ぶには小規模すぎるのだが、国境などで起きる小競り合いや領内に蔓延る盗賊の類などとの戦いにおいて、そこそこの戦果をあげられるように傭兵団を雇い入れていたのだが、その中の一つにティナがいた。


「幾つかの傭兵団の中の一つだってーんなら、最初から重宝してたわけじゃねーんだな」


「それが……私にもよく分からないのだ」


 子爵が言うにはティナの傭兵団は何回かの小規模な戦闘でそこそこの戦果を上げたらしい。

 当然戦果を上げた傭兵団にはそれなりの報酬が支払われるのだが、その際にティナと顔を合わせるようになった子爵だったのだが、その辺りから子爵の記憶は酷く曖昧なものになっていったのだと子爵は言う。


「自分のことじゃねぇか?」


「その通りだ。私とて傭兵を頭から信頼できるほど能天気というわけでもない。顔を合わせるのは軍議のときと、戦の報酬を渡すときくらいにしていたのだが……」


 貴族が傭兵と顔を合わせたがらないというのはレインも理解している。

 相手が軍属であったのならばまた話は違ってくるのだが、普通の貴族ならば傭兵とは住む世界が違いすぎるのだ。

 互いに係わり合いすぎれば問題を引き起こすばかりであり、話が上手く回るのであれば全く顔を合わせなくともいいのではないかというのがレインの持論である。

 しかしこの子爵は、必要と思われる場合にはきちんと傭兵と顔を合わせていたらしい。

 それ自体は褒められてもいいようなことではあるのだが、そこを何らかの方法でティナに狙われた、というのが真相のようであった。


「薬の類じゃねーの?」


 クラースの言葉にレインは首を横に振る。


「俺の義手に反応があったってことは、魔法の類だ」


 子爵が正気に戻ったのは、間違いなくレインが子爵の顔に一撃入れた際に使ったレインの義手の能力である魔法破壊を使用したせいだとレインは思っている。

 何か砕けるようなあの感触は、レインが何らかの魔法を破壊したときに感じている感触と同じものであり、ならば子爵の乱心の原因は魔法であると考えるべきであった。


「そんな魔法に心当たりとかねぇか?」


「ボクはないなぁ」


 ルシアがあっさりと白旗を上げる。

 斥候として罠などに使われる魔法についてはそれなりの知識を有しているルシアであるのだが、専門外の話となると途端にその知識量は激減してしまう。

 専門職にはありがちなことだなと思うレインは、シルヴィアに意見を求めるようにそちらを向くと、顎に指を当てて考えていたシルヴィアはレインの視線に気がついて口を開く。


「私も専門家ではないのですが、確か魔法の中に術者に好意を抱かせる<チャーム>というものがあったかと」


「あぁあの盛り場のねーちゃんが使う」


「クラース、ちょっと黙ってようか」


 間違ってもクラースが言うような人物の中に魔術師がいることはまずない。

 そもそも魔術師という存在自体がかなり希少な存在であり、そのような存在が盛り場で働いているわけがないからだ。


「その<チャーム>ってぇのは?」


「魅了の効果がある魔術ですね。盛り場のお姉さんが使うかどうかは存じ上げないのですけれども」


 至極真面目にそう答えるシルヴィアに、一瞬どう言葉をかけていいやら迷ったレインだったのだが、結局答えは見つからないままにそっとスルーすることにした。


「その魔法ってのはそんなに強力なのか」


「いえ、魔法としてはそれほど難しいものではなかったかと。ですがそれも術者の力量次第ですのでなんとも言えませんし……可能性として魔法ではない可能性もありますから」


「魔法ではない?」


 レインが魔法だと断定したというのに、それを否定するような言葉を口にしたシルヴィアに子爵が尋ねる。

 シルヴィアはレインの方を向いていた体を子爵の方へと向けなおし、居住まいを正すと改めて口を開く。


「魔法ではなく魔法的なもの、という可能性もあります。例えばですが魔物の中には異性を魅了する能力を持ったものがおりますし、人の中にも生まれ持った能力として、魔法を使わずに魔法と同じ効力を発揮できる人がいると聞きます」


「それってギフトのこと? 世界に何人もいないとかいう超希少技能じゃない」


 ルシアが口にした言葉はレインにとっては初耳であった。

 話の流れからしてシルヴィアの言った、生まれもって魔法を使わずに同じ効果を生み出すことができる技能のことらしいが、これまでそんな技能を持った者とレインは出くわしたことがない。

 魔法とは使うたびに術者が疲弊していくものなのだが、それと違った方法で同じ効果を生み出せるような相手とは出会いたくないものだと思うレインであるが、ルシアが言うような希少な存在であるならば、その可能性は低いだろうとも考える。


「そっちは考えても分からねぇだろう。それよりあのティナが持ち去った物に心当たりってのはねぇのか」


 レイン達が墳墓から持ち出した品物の中から、ティナは一本の銀の鍵を持ち去っている。

 他の装飾品などに比べて、それほど値打ちのある物だとは思えないレイン達ではあったのだが、それを手にした途端にこれまでの全てを捨て去って逃げ出したティナの行動から考えると、それくらいの価値はある物のはずなのだがこれについては子爵も全く情報を持ってはいなかった。


「なんかくたびれもうけ感がひでーな」


 真相の程は結局分からずじまいでありながら、かけた手間と時間だけは間違いなく消費されており、特に得られた物もない。

 クラースがそうぼやくのも無理はないことであったのだが、申し訳なさそうな顔をした子爵の言葉を聞いてその表情が変わる。


「確かに君達にとってはそうだろうな。私としては全てを補填できるとは思っていないが、口にしたことは守ろう」


「それは報酬の話?」


 ルシアに問われて子爵は頷く。


「まず、娘を助けてくれた謝礼。あぁ私が正気ではなかったときに投獄されていた騎士達は釈放されているから心配しなくていい」


 今回の話に巻き込まれる原因となった子爵令嬢誘拐事件。

 それに関係したレイン達へ、子爵は自分の依頼を遂行してくれれば令嬢救出の謝礼を支払うと約束していた。

 何らかの理由で正常な状態ではなかったものの、一度口にした約束は守るという子爵に、レインはいちおう聞いてみる。


「てぇことは、墓の探索の謝礼ってのも出るのか」


「無論だ。もっとも君達が持ち出した品物の中に、ティナが言っていたような代物はなかったのだが、それでも遂行はされたものと認めよう」


 子爵からしてみればティナの口車に乗せられただけで損するばかりの話ではあるのだが、レイン達からしてみれば、謝礼に依頼料までもらえるとなれば、悪い話ではない。


「それと、今回の件で私は君達に一つ借りを作ってしまった。君達がいなければ、私はあの女にいいように利用されていたのだろう。それほど力があるわけではないが貴族という地位だけでもそれなりの利用価値はあるだろうから、何かの折には私を頼ってくれていい」


「子爵殿とのコネってわけか、悪くねぇな」


 ティナの思惑が分からないといった消化不良さは否めないものの、事の次第はさておき貴族に伝手ができたということは、悪い話ではない。

 身分というものは時として、腕っ節ではどうにもならないようなことをひっくり返すこともあるからだ。

 そう考えると今回の話は、それほど悪い話ではなかったのかもしれないと少しばかり満足な気分に浸りながら、レインは報酬の受け渡しやこれからのことを話し出すクラースと子爵の姿を見ながら、ゆっくりとソファーの背もたれに体を預けるのであった。

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転職から始まる冒険譚 紫煙 @shien2018

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