第7話

「お兄ちゃんどうしたの?」

みぃの心配そうな声で、ふと我に返る。


「何でもない…」

天を仰ぎ、零れ落ちそうになる涙を堪えた。

鼻の奥がつんと痛む。


「お草履、どこにあるの?」

みぃが息を弾ませながら尋ねた。

立ち止まり振り返ると、遅れまいと必死に足を早めている

みぃの姿が目に入った。


その足が盛り上がった木の根に引っかかる。

「危ない!」

バランスを崩して、大きく前のめりに傾いた。

涼はあわてて駆け寄り、小さな体を支ようと手を伸ばす。

倒れ掛かってくる勢いに押され、そのまま尻餅をついた。


「い…ってぇ…」

涼の上に覆いかぶさるようにして倒れこんだみぃは

顔を真っ赤に染め、飛び跳ねるように立ち上がった。


「ごめんなさい…」

消え入りそうな声。

涼は小さく微笑むと体を起こし、軽くズボンの尻を払った。


すっと右手を伸ばし、みぃの手を掴む。

その小さな手を引きながら歩き出した。

みぃの歩幅に合わせるように…ゆっくりと。


「この先だよ」

つつじの植え込みの向こうに物置小屋が見えた。

あった!

古い椿の木の下。

目印の枯れ枝が、墓標のように立っている。


涼は枝を引っこ抜くと、その場にしゃがみ込み、手で土をかき出した。

その傍らに、みぃも腰をおろす。

神妙な面持ちで、じっと涼の手元を見つめている。


しばらく掘り進めると、ガサッという音がして手が硬いものに触れた。

涼は慎重に、ビニール袋を引っ張り出す。

土を払い除け、結び目を解くと袋の口を大きく広げた。


中には草履が入っていた。


若草色の鼻緒には、うさぎの刺繍が施されている。

覗き込んだみぃの目が輝いた。


「見つかって良かったね。お兄ちゃん」

涼はうなずくと、ゆっくり立ち上がり、小屋の横に備えつけてある水道で

泥だらけの手を洗った。


「はい、どうぞ」

みぃがハンカチを差し出す。

猫のキャラクターの描かれた、可愛らしいハンカチ。


何となく照れくさい。


素っ気無く

「いいよ」

と言うと、上着の裾で手を拭った。


「みぃ、どこにいるんだ?」

不意に、母屋の前庭から男の声が聞こえてきた。

「あ、お父様だ」

みぃは、弾かれたように声のした方へ顔を向ける。


「…ごめんね。あたし、もう行かなくちゃ…」

大きな瞳を瞬かせ、悲しそうな顔をした。

「うん…」


涼も落ち着かない気持ちのまま、小さく頷いた。


「あのね、お兄ちゃん」

「ん?」

恥ずかしそうに、頬を赤らめたみぃが涼の前に進み出る。

「大きくなって、みぃがお姫様になれたらお迎えに来てくれる?」


涼は黙ったままみぃの手を取ると、その甲にそっと唇を押し当てた。

「約束の印。必ず迎えに行くよ」


みぃは白い花がほころぶ様に、柔らかな笑みを浮かべた。


「それから、これ」

赤い梅の描かれた根付を差し出す。

「お前にやるよ」

「いいの?」


涼はうなずくと、みぃの小さな手のひらにそれを乗せた。

「ありがとう。大事にするね」


「おぃ、みぃ。帰るぞ」

再び父の声が響く。

「じゃあね、お兄ちゃん。約束よ」


みぃは小さく手を振ると、跳ねるような足取りで、植え込みの向こうに

姿を消した。



突然庭の隅からひょっこり姿を現した娘に、父は驚いた顔をした。

「みぃ、どこに行ってたんだ?」

その後ろから、ばあやのあきれた声がする。


「美月さま!あれ程大人しくしていて下さいと申し上げておいたのに…

 あら、何を持っていらっしゃるんですか?」

「秘密!」


みぃ…美月は楽しげな声を上げた。



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