第5話「気まぐれに現れた魔龍」

「社会ってのは発展の為に犠牲を必要とする。時代ってのは移り変わる為に犠牲を必要とする。この二つの事はまあ理解出来るし、自分たちが何故排斥されたのか、その道理も理解出来てるんだけどな」


 暗がりの中から声がする。しかし主の姿はなく、それが明確な殺意を持って近づいてくる為逃げ出そうとするも、何かに足をすくわれ行く手を阻まれる。


 しかし尚、自身を襲う者の正体が視えず、男は半狂乱になって落ちていたパイプを拾い振り回す。


「う、うあぁぁぁぁぁぁ!!? 来るな、来るな来るな来るなあああああ!!!」


 辺りには数分前まで男と親しげに話していた帝都軍人の遺体が落ちている。男は姿の見えぬ敵に銃を取り上げられ、丸腰の状態で1人生き残ってしまっていた。


 だがそれも敵の気まぐれに過ぎない。それを理解してるが為に男は、自分から敵を近付けさせまいと必死に暴れた。


 ーーしかし、敵は男から銃を取り上げている。


 少し離れた位置からの、銃声。男は腕を撃ち抜かれ、叫びながら地面に倒れ込んだ。


 流石にこれだけの騒ぎを街中で起こせば衆目に晒される筈なのに、このパキンガスという街はそれすらも日常の一部でありたかだか数人程度のいざこざに興味を示す人間などいなかった。


「さっきの話をするが、理解は出来るんだ。僕だってガキのようにいつまでも自身の不遇から目を逸らすことはしない。でも、同時に物を考える頭と感情というのが備わった生き物なんだから、自身が不遇に晒されれば感情でそれを納得出来ない場合も、まあ至極当然って話だよ」


「はあ……はあ……お前……なんなんだよ……」


「僕? 僕はただのしがない退役軍人さ。君達が今を生きる土壌であり、君達の存在から邪魔である故に排斥された、先の時代の君達みたいなもんだ」


「……復讐ってわけか、これは。王都と帝都の繁栄の為に切り捨てられた事に対する」


「確かにそうだね。ただ、僕の復讐というわけではない。僕はただ肩代わりしてるだけさ、一番悔しかったであろうあの人のね」


「肩代わり? ……何を言って」


「君には関係のない事だ。もしあっちで、僕の先輩方に会ったらよろしく伝えといてね」


 言いたい事を言い終えると、敵は男の頭蓋に弾丸を撃ち込んで殺害した。


 そして、闇に溶けていた彼は標的を全て殺しきったのを確認すると自らが纏っていた無彩色のヴェールを解き、景色に肉体を映し出した。


「ふう、余計な時間を使ってしまったな。ウルガダって街までの行き方を訪ねようと思ったらまさか、軍人さんだったとはね」


 彼は懐かしむように死体となった男を見つめると、何かを思いついたかのような男の着ていた軍服を剥いだ。


「そうだ、これお土産にしよう。喜んでくれるかな、ケイデンス隊長」



 *ーーーーー*



「いいかアザレア、生物はみんな首や脇の下、動脈が近い部位が急所であり脆い。お前のその能力で更に脆くしちまえば、恐らくだが簡単に肉体を貫くことは出来るだろう。だから、まず狙いを済ました場所を突けるようにしないと駄目なわけだ」


 そう発言をしたケイデンスは組手用のマットを両手で持ち、グローブをしたアザレアがケイデンスの肉体に目掛け攻撃を仕掛けそれを捌くという事をしていた。


 アザレアは弱く脆い。誰かに助けてもらうのでは手に余るほど傷つきやすい彼女だからこそ、ケイデンスは彼女自身を強くしようとしている。


 アザレアもそれには同意見でここ数日間必死に鍛えてはいるものの、やはり幼女の肉体では伸びに難があった。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


「どうした、息が上がってるぞアザレア!」


「そりゃ、上がるだろ、私まだ、10歳、」


「バカ言え、俺がお前くらいの歳には毎日朝から晩までしごかれたぞ。元軍人だからな」


「私は軍人でもないしそもそも他の奴より疲れやすいんだよ……! 今日は、ここら辺で終わろうぜ」


「……分かった、そうしよう」


 ケイデンスがミットを放るとソファーに座りミネラルウォーターを口にする。アザレアも飲料水を飲んで一息つくと、床の上にうつ伏せで寝転がった。


 手足を脱力した彼女の側にケイデンスが寄ると、訓練によって酷使した彼女のマッサージを始めた。


 少し前まではこのマッサージでさえもするだけで皮膚がめくれ上り悲鳴を上げていたアザレアだったが、十分な食事により栄養を摂取出来てる事と適度な運動により肉体が強くなってる事、魔力吸収の効率が上がった事で今は少々無理をしても肉体が崩れる事は無くなった。


 だが、彼女が成長する事によって必要になる魔力の量はどんどん増えていく。脆さの代わりに燃費が悪くなる。


 最早キスだけでは1時間ちょっとでも足りないくらいだ。それに伴ってか彼女は大食いともなってしまったが、肉体の破壊と再形成が常人より遥かにこまめに行われる為痩せ体型が改善される事はなかった。


「さて、飯にするか」


「んあー、あでも冷蔵庫の中、もうほぼ空っぽだったぞ」


「じゃあ外食にするか。なんかリクエストあるか?」


「特に無し。味に飽きるのは嫌だから色々食えるところがいい」


「あるじゃねえか。分かった」


 ケイデンスは大食いの彼女の為に結構な大金を鞄に入れた。



 アザレアとケイデンスの存在はウルガダの街ではちょっとした有名人となっていた。


 巨大な人型兎という見るもの全ての視線を引き付け畏怖させる容姿をしてるのに良識的で穏やかなケイデンスと、小さく可愛らしい容姿をしながら底なしの大食いでかつ恐ろしいケイデンスに対等な口を聞いているアザレア。


 2人のちぐはぐな関係はウルガダに住み着いて一週間以内に住民全員に知れ渡っていた。彼らを知らない者、彼らに今さら驚く者は潜りという認識さえ持たれるほどだ。


「うおっ、ビビった。あんた魔兎、か。魔族ん中でも一際母数が少なく混血が殆どを占めてるってのにここまでオリジンに近い形態を持つ個体は久しぶりに見たな」


 つまり、こんな言葉を吐き出した彼はこの街における潜りなのだと、その場にいた全員が理解し警戒した。


 2人が行きつけの飲食店、ウルガダの大通りにまで堂々と机と椅子を展開した、作る料理がどれも低価格かつボリューミーな『酒屋グラトニー』という店に、白いシャツと腰の部分で巻いたツナギを着た若い男がケイデンスを見て驚いていた。


 男の首からは何かしらの刺青の片鱗が見えている。男の興味深そうな視線を無視してケイデンスとアザレアは席に着くと、早速料理を注文する。


「ラムをボトルでくれ。でこっちには」「とりあえず魔猪まちょ肉の盛り合わせソテーと大海魚だいかいぎょと根菜のグリル、焼きバター風味の煉獄チャーハンと溶宝玉スープと詰め合わせパイ、全部大盛りを3人前ずつ下さい」


「おいバカ机に乗んねえよ。全部一人前ずつかメニュー減らせ」


「いちいち注文するの面倒じゃんか」


「その時は俺がしてやるから。すいません全部大盛り一人前で」


「か、かしこまりました」


 そもそも一つのメニューにつき普通盛り一人前で他所の飲食店の特盛りに相当する量なのだが、怒涛の大注文に店員はたじろぎしかしいつも通りだなと仕方なく厨房の奥へと入っていった。


 その様子を見て周囲の客も「おー、来てたのか大食いの嬢ちゃん!」「ひゅー! 流石この店のお得意様やで!」「あれだけじゃ終わらないんだろうなあ」と口々に囃し立てるように言った。


 たが1人、先ほどケイデンスを見て驚いていた余所者だけが、囃し立てる事をせず僅かな笑いをこぼし他の店員を呼んだ。


「注文いいっすか?」


「はい、どうぞ」


「んじゃーえっと、クラーケンのイカソーメンと怪鳥シズのオーブン焼き、亜種クロコダイルのムニエルと精霊界の野菜サラダとタワーパフェ、全部大盛り一人前。ああそれと、追加の酒を樽でお願い」


「えっ、ええと……」


 アザレアに対抗するようにやたらめったらと注文する男の方にも視線が集まる。しかし彼は余所者で、アザレアの時のように歓声が上がることは無かった。


 ただ静寂、誰もが黙ってそれを訝しげに見守る中、男はその空気が理解不能とばかりな顔をして店員に確認を取った。


「え? もいっかい言います?」


「ああいえ、大丈夫です」


 店員が焦ったようにそそくさと厨房の奥へと消えると、すぐさま中で「はあ!? もう追加注文なのか!?」という声が響いて来た。


 アザレアは彼のせいで待ちきれず追加注文したと勘違いされたと思い男を睨む。その視線を受けて男は快活に笑い、席を移動してケイデンスの隣に座ると頬杖をつきアザレアを見た。


「そんなに睨むなよ嬢ちゃん。酒でもやろうか?」


「いらない。10歳なんで」


「ん、実年齢がその見た目通りなの? 俺てっきり人間に擬態した龍や巨人種族なのかと思ったよ。じゃないとあんな量の注文は肉体にそぐわない」


「燃費がやたらに悪いもんなんで……ほらこの通り」


 アザレアはそう言うと机に小指を押しつけ、ポキリといとも容易くそれを折って千切ると断面を男に見せつけた。


「細胞分裂? 的なやつが常人とか比較にならないからどれだけ食っても再生に回される。だから私は普通に人間だし何も不思議な事はない」


「へー、痛くないのか?」


「痛い。……けど、何年も拷問されて破壊と再生を繰り返させられたら痛みに耐性くらい出来る」


「はーん、壮絶な過去をお持ちで」


 男は納得したかのような口ぶりで何の気なしにケイデンスの前に手を伸ばし、その小指を指先で掴もうとする。


 アザレアはそれを制止し血液を髄まで吸い出すと、ただの萎れた棒のようになった小指を机に置いた。


 男はその小指を指先で掴んだ。


「これは何、もう用無しって事で大丈夫なのか?」


「取れた指をくっ付けるより新たに生やす方が早いからね。いらない」


「そっか。じゃあいただきます」


「え?」「は?」


 それまで無言を貫いていたケイデンスも、アザレアと合わせて疑問の声をあげる。しかし何かを言い出す前に男はアザレアの小指を口の中に放ると、ガリゴリと音を立てながら咀嚼しソレを飲み込んだ。


「ふむ、無味で質素、美味しくねえ。塩をかけたらいい感じだな」


「いやあんた、何をして」


「ん? いらなかったんだろ? 人の指はスナックに丁度いいんだぜ、本来はな」


「人の指って……あんた人喰いなのか?」


「ああ? あーーー……そうか、人間は同種喰いをしない生き物なんだっけか。じゃあ今のはショッキングな光景だったな」


 男はしまったとばかりにそう言うと、シャツを捲り上げた。


 首筋から、左の胴を流れるように刻まれた刺青が周囲の目に映ったが、それよりもその左腰からズルズルと這い出すように現れた片翼に辺りは騒然とした。


「俺たち龍種……というか凶龍族は地上で最も雑食でありとあらゆる物を喰う種族でな。人工物や自然物、炎に氷に雷、人の肉はもちろん同種も、精霊や天使なんて傷つける事が禁忌とされてる連中すらも喰っちまう種族なんだ。だからまあ、なんだ。今のは習性みたいなもんだから深く気にしないでおくれ」


 ニッコリと笑顔を浮かべ説明を始めた男に対し、周囲が一気に敵対意識を持ち武器を取り出して男に向ける。

 ケイデンスも同様、アザレアを背中に隠して銃を抜き、男の頭に銃口を向ける。


「……何故、貴様がここにいるんだ。獄焔龍ごくえんりゅう、ゼレジエス……!」


 ゼレジエスと名を出された男は表情を一つ変えず、ケイデンスの銃を掴むとその銃口を握りつぶし、千切った鉄を口に入れ咀嚼する。


「最近鉄ばっかり食ってる気がするな。製鉄場襲撃したばかりだから飽きた味だわ」


「質問に答えろ! 貴様、掃討戦の時に消された筈! それが何故今になって現れたんだ!!」


「あんたとは初対面なのに知った風な口を利かすぎだろ。今になって現れたんじゃなく今までも普通にそこら辺にいたっつーの。それに俺がここにいるのは別に人間を取って食うためじゃねえよ。普通に金払って飯食うだけなのにそんな敵意向けないでくれ」


「貴様が対価を支払い食事をする必要性が感じられない。先程自分で言ったはずだ、貴様は世界一雑食だと。雑食にして悪食、何もかもを喰らう災厄。……貴様程の力を持つ者なら目に入った物を手当たり次第食い続ければいい筈だ」


「バカ言え、ワンパターンな味しかしない食材より美味え料理食った方が得だろうが。食事に手を抜くな、そして料理人には敬意と相応の対価を支払え。必要最低限のマナーだろ」


 両手と腰から伸びる翼を頭上に上げ敵意はない、とゼレジエスが示す。しかし誰1人として警戒を解かず、武器を下ろさない。


「……ケイデンス、こいつは一体なんなんだ? なんでみんな警戒して」


「こいつは獄焔龍ゼレジエス。龍種の中で最も危険とされた凶龍族の最後の一体で、龍種三竦みと呼ばれるほど人間社会に認知された強力な個体だ。36年前に人間の人質を連れて王都に出てきたが騎士達に仲間をやられて、そこから27年間類を見ない程残虐に暴れ回った歴史上最悪の魔龍。……誰だって知るような災厄だぞ」


「はあ……分かった分かった、あんたらが俺を殺したいのはよく分かった。飯食ったら街を離れるからそうカッカしないでくれよ。こんな一通りの多い通りの飯屋で喧嘩したらあんたら全員スクラップになっちまうぞ。そんなのはあんたら望まないだろうし、俺はそもそも暴れるつもりで来たわけじゃない。長生きするもんだろ、穏便に行こうぜ。お互いにさ」


 諭すようにそう言うゼレジエスだが結局他の客は彼の言う通りに警戒を解くことはなく、そのまま危険を予期し店を後にしていった。


 ケイデンスも触らぬ神に祟りなしという事でその店を後にしようとしたが、そのタイミングでアザレアの料理が来たため逃げることはできず、歴史上最悪の魔龍と一緒に食事をする事となった。

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