第4話「変性の兆し」

「ケイデンス……」


 アザレアという少女と共同生活を始め、もう一ヶ月ほどが経った。


 前居たパキンガスという治安の無い街から彼女の事を考えてウルガダという平和すぎて退屈な街に引っ越したが、彼女は子供の癖に子供らしからぬ落ち着いた性格をしてるせいで外にも遊びに行かずずっと部屋にこもって居た。


 何をしてるのかと覗いてみたらやたらと分厚い本を何冊も、恐らく図書館から借りた物だが、それを朝晩かけて読みふけっているようだ。


 部屋の中は本で山積みになっていた。

 王城の前の通りに読書家の魔女の邸宅があるが、あの書物狂いビブロフィリアの家の惨状に次ぐくらい本が無造作に置き散らかされている。


 医学書、魔術書、人体図鑑に奇病百貨。


 本の種類を見ればそれが自身の脆弱さを補う為の勉強なのだと理解出来た。

 彼女はよく吐血する、本人は気を使ってそれを必死に隠してはいるものの、彼女が風呂から上がった後は大抵排水溝の中に血の跡が残っているのだ。


 ーーーー正直、前の環境よりは良いとしても何一つ前進しない、彼女にとって何もしてやらない自分が情けなかった。


 いや、してやれる事は一応あるにはある。

 ただそれも、俺じゃなきゃ出来ないとかそういう事ではなかった。ただ保護者だからという、都合が合致したから協力してやれるだけに過ぎない事なのだ。


 平均して5日おきにアザレアが寝る前に俺の部屋を訪ねて来る。


 格好は寝巻き、ネグリジェを着て髪を下ろした淫靡いんびな姿で、まるで誘ってるかのような格好で彼女は俺のベッドまで来ると、理解してるからこそ何も言わず何も言わさずに唇を奪う。


「はぁ……んっ……っぅ……んはっ」


 艶かしい息を漏らしながら、彼女は死なないために舌をねじ込み粘膜を舐める。そして唾液を貪る。


 彼女は怪我した時以外にも、その身体を維持する事自体に魔力の供給が必要で、この儀式を行わないと歩くだけで自壊してしまう。故に魔力が通りやすい、血管までの距離が近い粘膜同士を接触させ分泌液から魔力を摂取する。中々に厄介な体質だった。


「……はぁっ、ふぅ」


 必要な分、それはつまり肉体の軋みが無くなるまで魔力を吸ったアザレアは唇を離し、口から引く白い唾の糸に気持ち悪がるような目をして拭う。


「……今日、ケイデンスの舌ツルツルだった。唾液多かった」


「ザラザラだと嫌だろ。気を使ってやったんだよ感謝しろ」


「なんだよそれ。……本当のセックスみたいで気持ち悪すぎるんだが」


「お前なぁ」


 この儀式が終わると必ずと言っていいほどアザレアは悪態を付ける。

 まるで取って付けたかのように話題を探しては下らない事を矢面に出し、そして気持ち悪いという旨を伝える。


 仕方なくやってる事なのだから不愉快なのは分かっている。

 だがこちらとしても好き好んでキスしてるわけでは無いし、むしろボランティア精神で魔力を与えてやってるんだから、多少の不満は飲み込んでくれというのが正直な本音だ。


「魔力、足りたのか」


「……」


 下世話な話をするが、最近、恐らくだが俺もアザレアも恒例のキスにハマりつつある気がする。


 確証はない。それにアザレアの方は気持ち悪いと公言するから嫌がってると考えるのが普通なのだが、いつの日か今日と同じ質問をした時に彼女は「……し足りない」と言ってすぐに「足りない」と言い直したのだ。


 言い間違えなのか否か。

 その時の彼女は顔面をトマトのように真っ赤にし気持ち悪いを連呼していた。「女の身体に毒されてる」などという意味不明な言葉も繰り返していた気がする。


 それがあったから、一息ついた後に俺がこの質問をしてアザレアが回答するという流れが出来ていた。


「……今度はケイデンスの方から入れてよ」


 は?


 入れる?


 入れるって何? 挿れるって事?


 いやそれは……でも確かに生殖器同士ならキスよりも効率よく魔力交換が……でもモラルというか相手まだ子供だしなあ……。


 ……というか前提として異種姦である。普通に考えてそれは一線を跨いで許容されない範疇の行為を指している。



 思いもよらぬコメントが来て彼女の方を見る。

 彼女は火照った顔で、恥ずかしそうに目をチラチラと晒しながらも何かを期待するかのように手を胸に当て待っていた。


「……分かった」


 人間にも発情期があるんだろうか。明らかに同種のオスに言うべきセリフだったが、俺も種族は違えどオスである事に変わりは無い。


 これは彼女を延命する処置なんだ。その意思を強く持ってすれば変な事をしてるだなんて見方は出来ないだろう。


 彼女な肩を掴む。すると彼女は目を閉じ受け身の姿勢でこちらの行動を待つのが見えたので俺は彼女の華奢な身体を押してベッドに寝かせた。


「!? え、何!?」


「少し、濡れてるな」


「ぎゃあっ!?」


 眼球に踵が衝突した。


 悲鳴も上げれず片目失う勢いの痛みに衝突点を押さえていると、やいのやいのアザレアが騒ぐ声がした。


「バッ、バババッ、バババカじゃねえの!? お前今何しようとしたんだよ!!!」


「セックス……だろ。いてて」


「そうだよな、やっぱりそうか! いきなりなんでだアホンダラ!! あービビったわ!」


 やけに興奮したアザレアが普段とは違う、怒りの方の感情をこちらにぶつけてくる。そして俺に一言「死ね!」とだけ言うと彼女はドタドタと足を鳴らしながら部屋を出て行った。

 魔力をあげたばかりだから普通の人間並みには肉体の強度が高いらしい。


「……結構濡れてたしムードも良かったんだが。人間はわからん」


 今起きた一部始終を顧みても自身の落ち度を発見出来ず首を傾げた。アザレアはやはり、どこかおかしいんだと思った。頭が。



 *ーーーーー*


「あー気持ち悪い気持ち悪い! なんだあいつ頭おかしいんじゃねえの!?」


 自室に戻り、ケイデンスのやらかした所業を思い出し走った言いようの知らぬ感覚を忘れるようにと、ひたすらに悪態を吐きそれを自己にかける暗示とする。


 やばい、非常にやばい、自覚しつつもこの人格ですらも女になりつつある。そして、よりにもよってあの変態クソウサギに好意を寄せてしまっている気がする。


 きっかけはどこか分からない。しかし始まりはあいつが俺を選んで助け出したところにある。それだけは判明していたが、しかし俺があいつに『女』として好きになる要素なんて微塵もなかったはずだ。女と言っても幼女だが。


 ……そう、俺は幼女だ! 俺の肉体は幼女で、中身は元々男だったものだ! それがなんでこんなに、恋を知らぬ幼女と男との恋愛を知らぬおっさんが何故オスのウサギに依存しかけているのか。


 全く分からない問題だった。


「……本当に濡れてるし。まじかよ」


 先ほどケイデンスに触れられた部位に指先を付けると、ヌルッと指が滑った。例の液が分泌されている、これはとうとう来るところまで来た感があって嫌すぎる。


 確かに最近はキスにハマっている。それは認める、仕方ないと言いつつも仕方なく無いキスを求めてしまっているのは揺るぎようの無い事実だ。


 なのに何故、キス以上の事を体が求めてしまっているんだろう。


その路線で行くつもりはないし、その先に行くつもりなどもっとなかったつもりだ。女は好きだが女になりたいわけじゃない。そのつもりだったのに、今やこのザマである。


「やべえ。頭では分かってんのに半人前にしたらどうしてかどうでもよくなると言うか……女はよく分かんねえ」


 纏まりようのない事は考えるのをやめて休む事にした。

 明日は珍しく外出する用事がある、夜更かしは体力の無駄な消費と倦怠感、集中力の低下を増進させる。エコノミーになろう。

 エコノミー? エコロジーか。


 ……。


 …………。


 ………………。


「……オレの力に負けてんじゃねえよ雑魚」


 理由は分からないが、理解しちゃいけない類の胸の締め付けるような苦しさに喉を詰まらせるかのような圧迫感を覚えながらも、俺の意識は闇の中に溶けていった。


 俺も、変わるにはイメチェンが必要なのかもしれない。



 *ーーーーー*



「オレ、これから自分の事私って言うわ」


 夏の昼下がり、ベランダに折りたたみの椅子と丸テーブルを置き酒を飲みながら本を読んでいたケイデンスにアザレアはそんな事を言った。


「へ〜、なんでそんないきなり一人称変えるんだ? オレっ娘が現実にいたら痛いって事にやっと気付いたのか?」


「それもある。たった今確かにって思ったからそれもあるんだが、それとは別に変わろうって意思は一応あってな」


「変わろうって意思?」


「ああ。まあ……」


「あそう。まあ好きにすればいいんじゃないか」


「ケイデンスはどっちがいいと思う? その……オレか私か」


 どっちでも良かった。他人の一人称に何がいいとかあるんだろうか。個人の自由だろ、とケイデンスは思った。


「私がいいと思うな。オレだと個人的にはあまり可愛げがない。折角可愛いんだから私って言ってもらった方が似合いはするな」


「……そか」


 本音の部分は言わず、とりあえず褒める作戦で話を進める彼。それが虚偽であっても、嬉しい事に変わりはない。

 それがアザレアの今の思考だった。


「じゃあオッ……私、これから自分の事私って呼ぶよ。正直戸惑うだろうけど」


「いいんじゃないか。見かけによく合ってるよ、私って呼ぶの」


「そりゃどうも」


 そんな適当な下りで、アザレアは一人称を私に変更する事にした。


 女になるきる気はない豪語していた彼女であったが、自身の今の肉体で男らしく振る舞う事がかえって強がってばかりいて滑稽で痛い奴のように映ってしまった。なので少しくらいは女に寄せようと考え付きこの様な思想の変更を決行したようだ。


 実は彼女はもう一つ、ケイデンスに言っておきたい事があったのだが、それを告白するにはまだ早いのかと思い言えずに部屋へと戻っていった。

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