鬼 on ring

 ちょっと。

「その晩から、なんだ。箪笥(たんす)の奥から引っ張り出して、薬指に嵌め始めたの」

 いや。だいぶ、ナメてた。

「それからは狂ったみたいだった。一日中台所に立って、好物だった料理をひたすら作ってた」

 服も、眼鏡すらもダサいし。

「でも亡くなって、昨日で三年経った」

 ウエストポーチを最近卒業したばっかだし。

「それで踏ん切りがついたのか何なのか。親父の好物作んの止めて、もういいって言って、嵌め続けた指輪も外したんだ」

 鈍感で気が利かないし。

「その時お袋は、泣きながら、でもスッキリした表情で、指輪を手放した」

 鼻毛出てるし。

「それがコレ、なんだけど」

 渡された手元の指輪は、曰く付きで、古臭いデザインだし。

「コレ」と言った時に伏せられた目を見て、私も鼻毛から指輪へと目を向ける。古臭いけど、綺麗な物だった。

「ふーん」

 銀色のリングの上に、小振りなダイヤとそれを支える爪が六つ付いている。

 リングからグッと張り出して石を支えるその爪は、鬼爪とも呼ばれる大きな立爪で、ダイヤをしっかり掴んでいた。

「仲良かったんだ、両親。昨日お袋の涙見た時、何か込み上げるものがあって。良い夫婦だったんだなぁって。猛烈に、自分もそうなりたいって思った」

 でも、こういう場面になった時、突き返して吐き捨ててやろうと思っていた言葉が、一言も出ない。

「これを婚約指輪にするつもりじゃないんだけど、何せ給料三ヶ月分だから、まだ貯まってなくて。ただ、“お願い”するのに指輪がないんじゃあなぁ、とも思って。それで、とりあえず予約っていうか、前金ってことで…」

 リングケースから取り出し、左手で摘まんでみる。なんだか、私の手にしっくりくるような気がして不思議だ。

「前金、ね」

 恋人の親のとか、重いし、引くわぁって思ったけど、なんだか神聖な物のように思えきた。何より、彼の目が会ってからずっと濡れていて、切なかった。

 顔の高さまで近づけ、まじまじと石を見つめてみると、

「?」

 その下の輪の中に、真剣な顔がきれいに納まった。

 腰掛けているベンチが湿り気を帯び、木の葉の揺れる音がして、公園の温度は途端に下がり始める。

「だから、」

 輪の中から、風と、彼の丁寧な言葉が私に吹いた。

「結婚してください」

 その一言は、彼をナメ腐っていた私の頭をフルスイングで殴りつけた。

 ザザァ。

 風が、指輪を通して私の顔に吹き付ける。

「ッ!」

 鼻の奥がツン、と痛くなり、涙が滲んだ。思わず顔を伏せる。

「…いや、クサイよ」

「はは、ちょっとキザだった?」

 そーっと顔を上げれば、照れ臭そうに赤くなる彼が笑った。

 鼻で毛が揺れる。

 私は思わず鼻で笑う。

 料理、か。

「…お父さんが好きだった料理って。もしかして、オニオンスープとか?」

 目の高さに上げた時、何だろうと思っていた。

「おっ、近い!」

 石と、鬼爪の間に鎮座する何か。

「じゃあ、」

 なんにせよ、玉葱なことは間違いない。

「オニオンリング、とか」

「正解! すげー、なんで?」

 小さなそれは、私に芽生えた綺麗な感情を奪うのに、鬼のような威力を発した。

 鬼爪のリングを突き返す。

「ツメが甘い」

「甘い? 爪部分が? 石はちゃんと、固定されてると思うけど?」

 大きな溜息と共に、一握りほど残っていた何かが、私の中から抜け落ちてゆく。

「もう、いい。もうお前、」

 絶対結婚出来ねぇよ。

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