光へ集合

 全裸になって、髪を梳かす。

 扉を開けて中に入れば、直前に仕込んでおいた薔薇の香りが私を包んだ。湯船が奇麗な紅色に染まっている。

 シャンプーを手に取り、少しだけドキドキしながら濡れた地肌にのせてゆく。

 思いの外泡立ちが良く、自然と鼻歌も弾んだ。より、明日が待ち遠しい。


「そういえば昨日、髪梳かしてからお風呂入ったよ。本当に泡立ち良かった」

「でしょー、毎日やった方が良いよ。梳かすだけで、埃とか汚れがある程度落ちるんだって」

 沙(さ)紀(き)が自慢げに語る。きっと、お役立ちサイトから拾った情報だ。

「へえ。あ、もうすぐみたいよ。そこ、左」

「オッケ」

 沙紀が運転、ナビは私が勤める。

「あー、ワクワクしてきた」

 ハンドルを握りながら、待ちきれないというように背筋を伸ばしている。

 曇ったガラス窓から暗い外を見れば、私も気分が上がってくるのを感じた。気付けば、ポツポツとあった家もなくなり、山の景色が近くなっていた。

『イルミネーション 光の空 駐車場』という看板が見え始め、私のナビは必要なくなる。矢印の通りに車を走らせると、開けた駐車場が目前に広がった。

「やっと着いたあ」

 運転疲れからではなく、「やっと見れる」という、期待を含んだ声だった。

 暖かな車内から出て、入場口までの道のりを進む。寒い一月にも関わらず、大勢の恋人たちが笑顔に赤い鼻をのっけて歩いていた。

「楽しみー」

 ソワソワを隠せないまま笑って言う沙紀の鼻は、赤い。きっと私もこんな顔なんだと思うと、寒さや周りの熱々カップルは気にならなくなった。

 辿り着いた入場口でチケットを渡し、中に入る。

 電飾で出来た大きなツリー、埋もれたくなる光りの滝。感嘆の溜息で、時折白くぼやけながら映るイルミネーションは、とても輝いていた。

「うわ、」

 口をあけて眺めていると、声を漏らした沙紀に“来い来い”と服を引っ張られた。私を見ずに、「みて」と言う沙紀の視線を辿る。

「ホント、光の空だあ」

 私も思わず声を漏らした。

 首が痛くなるほど高く、広く組まれた、ゆるやかなアーチの骨組みに、まあるい電球が点々とついている。只、電飾で骨組みを埋め尽くしているのではない。その先にある本物の星を、贅沢かつ上手に、背景に使っている。

 そしてよく見ると、大きくなったり小さくなったり、僅かではあるが光が震えるように瞬いている。白だけでなく、ほんのり色付いた、赤や青の光もあった。

 まさに、満点の星空だ。

 光の空の中心当たりに着くと、私達は立ち止まった。

「この、光の空だけ全部、白熱電球なんだって」

 惚けた声の沙紀が、零すように話す。

「LEDじゃ出来ない、微妙な光の調節が出来るから、敢えて使ってるんだって。雨に濡らせないから、天気予報に合わせて毎回開場までに設置してるらしいよ」

「へえ」

「たまにある色付きのは、外側に、少しだけ色付けた薄いガラスを被せてる。電球自体に色ガラスを使うより、やわらかい光になるんだってさ」

「そういうこだわりって、いいよね」とだけ言葉を残し、沙紀はまた歩き始める。

 私は、沙紀の後には続かなかった。

 光の空の、丁度中心当たりにいる、ここを動きたくなかった。どこか違う寒い国にいるようなこの感覚に、もう少し浸っていたかったのだ。

 光の空の下では、それまでのイルミネーションで上がった絶賛の声が、一つも聞こえなかった。この上ない景色の前では、皆声を潜めるか沈黙してしまうのだろう。

 それを肯定するかのように、私の真上の青い輝きが、小さかった光の輪郭を広げ出した。

 白熱電球独特の熱が、離れた私にも伝わるかのようだ。

 見て欲しい、と更に強く輝く。

 それに応えるように、私も食い入って見つめる。と、


 パァーンッ!


 高い音の次に、遅れてパラパラと辺りが鳴った。

 何が起こったか分からず、私は呆然と立ちつくす。音を聞いて、私の存在に気付かされた沙紀が駆け寄って来てくれた。

「大丈夫っ?!」

 電球が割れたのか、とやっと気付く。

 音で驚き、瞬間的に目を瞑って下を向いたので、何事かと思った。

 騒ぎに気付いた警備員さんが、「お怪我はありませんか」と、申し訳なさそうに気遣う。薄暗くてハッキリ見えないが、どこも痛くなく、破片を浴びた感触もなかった。

「大丈夫です」

 大きな騒ぎにして、この先にも待つ景色の見物を中断されたくない。

 気にするなという私に、後から来た責任者が「せめてものお詫びに」と、今回の入場料の払い戻しをしてくれた。

「只今から、安全点検の為―――」

 光の空の下から立ち去るよう促すアナウンスを背に、名残惜しくて振り返る。

 輝く青い光があった場所に、寂しく空間が出来ていた。


「ホントに大丈夫だった?」

 車に乗り込んでからも、「大丈夫?」を繰り返していた沙紀。

 家まで送ってもらい、「バイバイ、またね」と別れたはずなのに、しつこく電話を掛けてきた。

「大丈夫だって。むしろ、入場料二人共タダにしてもらえて良かったよー」

 逆にラッキーだったとアピールしても、沙紀の声色は優れない。きっと、要らぬ責任を感じているからだろう。

「ホントに?」と、小さく呟く友人思いの沙紀に、思わずフッと笑みが漏れた。

「ホントホントー。今日は、誘ってくれてありがとねー」

 今にも、何も悪くない沙紀が「ごめんね」と言いそうだったので、三割増しぐらいの、適当で明るい声を出す。

 ケータイの向こうで、笑った沙紀の鼻息を感じた。

「うん。じゃあ、また」

「はいはいー」

 ふぅ、と溜息をついて、ケータイを置く。

 長時間冬の外気に晒されていた体は、車の暖房では芯まで温まらなかった。沢山歩いたし、脚も疲れた。

 癒しが欲しい。

 着替えを持って脱衣所に向かう。張ったお湯にカモミールの入浴剤を入れておく。手を洗ってコンタクトを外し、服を脱ぐ。

 やっと浴室の扉に手を掛けた時、沙紀の豆知識を思い出した。

「そうだそうだ」

 洗面所の鏡の、ぼやけた自分と向き直る。取り出した櫛を髪に入れた。

「ッ!」

 ザリッという音が皮膚から頭蓋骨に伝わり、脳に響く。痛みの走る箇所に指を這わせると、血液が付いた。破片が絡まっていたようだ。

 ゾッとした。

 他にもあってはいけないと、念入りに、丁寧に髪を梳かす。

 髪ではない、パラパラと軽い音がどんどん鳴った。

 最後に、手で頭皮や髪を触って確認し、自分を落ち着かせる。破片を拾い上げようと、洗面台にぼやける目をグッと近づけた。

 薄い青や透明の、光る粒。数本の長い髪の毛。


 そして、小さな羽虫の死骸が、大量に広がっていた。


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