怒りing

 ぐふっ。

 自席にドカッと座ると、深い溜息の前に低く唸るようなゲップが出てきて、焦った。

 幸い周辺の席の教員はまだ戻っておらず、見渡しても聞いていそうな人もいなかった。

 油臭く重いゲップ。昼に食べた揚げ物が、まだ胃で燻(くすぶ)っているようだ。

 ―――アラサーはもう、おじさんですよ。

 昼間、教卓で昼食を摂りつつ、生徒達と話していた。会話の中で「そういえば、」と、年齢を尋ねてきた生徒達の反応を思い出す。

 そうだよな。二十八なんて十代から見たら、もうおっさんだよな。次第にムカムカとしてくる胃が、追い打ちをかけるように老いを知らしめる。

 高年齢な先輩教員に囲まれていると、自分はまだ若いと思えていたが、ちゃんとした若者から見ればそうでもなかったようだ。

 油物は早くもキツイのかもしれない。勧められても食べるんじゃなかったな。

 後悔しながら胃の辺りを擦り、落ち着かせる。右手は回収した原稿用紙を漁り、赤ペンを取った。気を紛らわせるように目を通し始めると、不思議と内容に集中できてくる。

 中学生になると文章も安定しだし、上手い生徒はオチがきちんとついている事もある。文章の中から見え隠れするそんな大人の顔に、次第に微笑ましい気持ちになった。

 自分もそれに応えるよう、コメントを丁寧に記入する。少し難しいかとも思ったが、今回のお題は正解だった。

 長い溜息や、机に教材を置く音と共に、周辺の席の教員が戻ってくる。冷房の効いた室内が、徐々に騒がしくなり始めた。

 手元の原稿用紙が残り少なくなった時、また胃がムカつきだす。読み進める間も何度か堪えた分、今度のゲップは濃縮されている気配がした。席を立ってもよかったが、そこまで大袈裟なものでもない。

 ペンを置き、胃を一層強く擦って自分を鼓舞する。あと一人分。もう少しだ。

ペンを持ち直す。


 『私の人生の教訓 二年三組 石川ユリ

 うちでは、食卓に揚げ物が並ぶことが多く、それは決まってイカリングです。

 私は特別イカリングを好むわけではありませんでしたが、定期的に食べているせいか、食べたいという気持ちが強くなりました。

 でも、母は作るのが嫌いなようです。

 最近みたいな暑い日は、「イカリングは敵、台所が砂漠の暑さになる」と言いながら、般若の形相でイカリングを大量に作っています。作るのは決まって日曜の夕飯で、それに伴い母の機嫌も最低になります。

 では、なぜ作るのか。発端は、母の仕事先にいるお爺さんが関係しています。

約半年前の事です。

 母は介護スタッフで、担当するフロアの、あるお爺さんの話し相手をよくしていました。話のネタは、大方施設の味気ない食事の文句でしたが、親しくなった母は何かしてあげられないかと考えました。そして、お爺さんの好物のイカリングを作ってあげる事にしたのです。

 本当は、スタッフと入居者の間でそういうやり取りは禁止なのですが、喜ぶお爺さんの様子が嬉しいようで、母は秘密の差し入れを続けました。

それから、母が休みの日曜は決まってイカリングを作り、次の日の月曜にお爺さんに渡すという習慣が出来ました。母は、それだけでは手間だからと、家族の分もイカリングを作り夕飯の足しにするようになります。

 こうして我が家には「日曜イカリング」の習慣が出来たのです。

当初は珍しい献立に気分が上がり、それを差し引いても味に文句はありませんでした。

 しかし、数回日曜イカリングを経験した頃から、父の母に対するイカリングへのハードルが、恐ろしく高くなっていったのです。

酷く文句を言う父に、母はヒステリックに反論しますが、次の日曜イカリングには律儀に修正してきます。それでも、修正されたイカリングを食した父はまた別の文句を飛ばすのです。

 ですが、私にも少し父の気持ちがわかってしまいます。何度も食べると舌が肥え、味や食感の微妙な点を感じとれるようになるから、言わずにはいられないのです。

もしかしたら、お爺さんも同じくハードルを上げ、母を責める事があるかもしれません。最近では、中身が殆ど手つかずのタッパーを、母が持って帰ってくる事もあるからです。

 それでも、がむしゃらに作り続ける母は、意地になっているのでしょう。

 元々、母はとても負けず嫌いでした。

 見兼ねた私がイカリング作りを何度か手伝ったのですが、母より巧く出来ようものなら、運動靴に画鋲ならぬ、イカのワタが入っていた事があり、戦慄したのを覚えています。

 この際、プロに任せて総菜を買えば文句も出ないのでは? と思いますが、負けず嫌いの意地とイカリングパニックのせいで、母には私の声が聞こえません。

そうして、母は日曜イカリングに勤しむのですが、それも終わる事となります。

 一昨日の月曜の事です。

 帰宅して早々、母は「日曜イカリング終了宣告」を、父と私に言い渡したのです。当然、私達は反対しました。始めにも書きましたが、習慣とは恐ろしく、体はイカリングを欲するようになっています。

 父と私、きっとお爺さんも、「日曜(月曜)イカリング中毒」になっているのです。

中毒者の私達は「なんでだ!」と母を責めました。すると母は暗い様子で「お爺さんがいなくなるから」と言ったのです。お爺さんが施設を退居するのでしょうか。親しかったので、少なからずショックな様子でした。

 そして、ズボンのポケットから取り出した何かを見始めました。母の表情はどんどん暗いものになっていきます。

 それは、イカキーホルダーの残骸でした。イカを忠実に再現する為か、疑似餌のような、柔らかい半透明のシリコン製です。通勤鞄に付けていた母のお気に入りで、無理やり引き千切られたかのような粉々の破片が、包んだハンカチの中心で丸まっていました。

 瞬間、私の頭には、文句とイカリングを母に投げつけ、キーホルダーを無残に引き千切る、まだ見ぬお爺さんの姿が浮かびます。

まさかな、と思っていると、リビングのソファーに座る父が、突然叫び出しました。立ち上がり、前日のイカリングの欠点を指摘し、「あのイカリングが最後だと? 食い納めにもならん!」と駄々をこね始めたのです。

 「じゃあ明日作るから、それで最後ね」と母が嫌々言うと、父は大層不機嫌にリビングから出て行きました。するとその時、父がリビングの扉を強く閉めた反動で、近くの棚の、陶器のイカの置物が落ち、壊れてしまったのです。それも母のお気に入りの物でした。

 母はヒステリー持ちなので、これはヤバいと思ったのですが、その日は淡々と破片を拾うだけでした。集め終わるとビニール袋に入れ、丁寧に引出しに収めます。母は次に、何かを通勤鞄から取り出し冷蔵庫に入れました。タッパーに入った、手つかずで埃まみれのイカリングです。捨てずに取っておくという事は、食べるのでしょうか。その静かな所作に、私はどこか落ち着きませんでした。

 そして最後の「日曜(火曜)イカリング」。

火曜だった昨日の朝、リビングの棚に目を向けた私は驚きました。接着剤で綺麗に再生されたイカの置物が、元通りに飾ってあったからです。再生不可能なキーホルダーよりは容易な作業かもしれませんが、その完成度には血の滲むような背景が見えました。

 怒りがぶり返した母が、父に徹夜でやらせたのかと思いましたが、母の目にはそれを否定するように、濃い隈が出来ていました。

 でも、黙って直すとは母も大人だな、と感心したのはその時までです。玄関の革靴には前日に出た納豆が入っていて、父の戦慄した顔を見てから登校するはめになりました。

 母のイカグッズへの愛と、もしまた壊れたりでもしたら今度こそ怒り狂うのではないか、という恐怖をひしひしと感じました。

 夕方、仕事から帰った母は、珍しくイカを買って帰ってきたと言います。

母の通勤途中にスーパーは無かったはずですが、その手には生臭く、中身をたっぷりと含んでいる、口を縛られた袋が握られていました。厳重に重ねている白いビニール袋の中から、赤黒い影を浮かべる今日のイカは、いつもと雰囲気が違っている様に感じます。

 私の視線に気付いた母は「高いヤツなの。作るから入らないで」と、一言だけ残してキッチンに消えました。手伝ったのはもうずっと前なのに、まだ根に持っていたようです。

 仕方なく、「イカリングは敵」「チッ。綺麗に輪にならない」との母の独り言を聞きつつ、ニュースを見る父と共にリビングで待ちます。

 しかし、三時間以上経っても、イカリングが出来る気配はありません。夕飯はいつも七時半なのに、時計はもう九時を過ぎています。袋を見た限り量も多かったので、下処理も手間取るのでしょうか。父は時折母を見ますが、朝の事があったからか文句は出しません。

 そして十時。やっとテーブルに置かれた皿に、父と私は絶句しました。何故なら、量が想像よりずっと少なく、また、一口サイズの普通の唐揚げにしか見えないからです。

 固まる父に、母は「使える所が少なかった。中はちゃんと輪っかよ」と冷たく言及し、キッチンに戻りました。恐怖を植え付けられている父は、無言でそれを摘みましたが、箸は進まないようです。しかし、キッチンから窺う母を前に、残さぬよう努めていました。

 私も味が気になり一つ摘んだのですが、丁度他のおかずを運んできた母に、すごい剣幕で手を叩かれました。「父さんの分しか無いの」と凄むその顔は、般若のそれです。結局、極端に少なく小さい輪っかでもない、イカリング? は、殆どが父の腹へと消えていき、母はそれを満足気に眺めていました。

 私は他のおかずと白米で我慢し、つまらないニュースで気を紛らわせる事にしました。

 すると、今日教室でも話題だった「イカフライ爺さん事件」が速報で流れてきました。しかし、アナウンサーが「イカフライ」と言った途端、母はリモコンをテーブルからひったくり、別の番組に変えてしまったのです。その時の、「イカリングよ、馬鹿」と言った母の低い呟きは今も耳に残っています。

 先生は事件の詳細をご存じですか? 私は今日、友達から詳細を聞いたのですが、その時の私の第一声は「やっぱり」でした。

 それは、知っていたという意味ではありません。詳細を聞いて、そこに至るまでの経緯が、「やっぱり」私が予想した通りだったのだろうな、と思ったからです。少し間違うと、父も同じ運命になっていたかもしれません。

 しかし、イカリングを残したことが無い事と、イカの置物は再生出来た事が、父の運命を大きく左右したのだと思います。それでも、昨日のイカリングの正体を考えた時、食べた父には同情せざるを得ません。

 さて、私は小説をよく読みます。小説からは、言葉に関する多くの事を学びました。

 例えば、「怒りは敵と思え」ということわざがあります。これは、怒りは身を滅ぼすので慎むべきだ、という戒めの意味です。

 父やお爺さん、何より母を通して、この言葉が痛い程身に沁みました。母が秘める怒りの強さに恐怖し、怒りに支配される母を哀れに思ったからです。しかし、このまま教訓にするのでは、しっくりきません。全ての元凶は、怒りが発端ではないからです。

 そこで、今回の事を通して、私が学んだ人生の教訓をこうしようと思います。

 「イカリングは敵と思え」』


 思考が乱れ、文字が連ねる意味を理解できない。胃のムカつきや迫るゲップの気配はもう感じないが、嫌な冷や汗のせいで只々冷房の効いたこの職員室が寒かった。

 冷えた指で原稿用紙を裏返し、パソコンを起動させる。今分かる事は、周りの教員に安易にこの内容を見せられない事と、俺は事件の内容を知らないという事だけだった。

 ネットから動画を漁り、自分にだけ聞こえる音量で、そっと再生する。

 ―――この施設で、入居者の田中義則さん七十六歳の遺体が発見されました。口内には、イカフライと思われるものがぎっしりと詰まっており、死後一日程経過しているとの事です。屋上に設置されている、貯水タンクを支えるこちらのブロックの間に隠されるように遺棄され・・・。っと、速報が入りました。なんと遺体には腸がないことが分かりました。その他詳しいことはまだ調査中とのことですが、犯人が持ち去ったのではないかと―――

 「嘘だろ」

 思わず口に出してしまった。頭の中の原稿用紙の内容が途端に意味を持ち始め、俺に訴えかけてくる。本当なのだろうか。だとすればまずは警察に・・・。そう思ったところで、裏返した原稿用紙の隅に何かが見えた。

 そっと囁くように書かれたそれは、本文よりもずっと筆圧が弱い。それでも、左下から強烈な存在感を放っていた。

 一行目から、嫌な予感はしていた。

 俺は急激に吐き気を催し、机に乗るパソコンと原稿用紙の上に、胃の中の物を吐いた。

 「わあ。ちょっと先生、大丈夫ですか!」

 「くっ。なんで、なんでだ、」

 駆け寄る周りも気にせず、吐いた物に必死で冷たい手を這わせる。しかし、先程まで胃に感じていた重みが嘘のように、吐いたのは胃液だけだった。どれだけ見ても、触っても、固形物が何一つ無い事を知り、絶望する。

 「うそだ、」

 信じたくない。

 抑える腕を何度も振り払い、強烈に臭いを放つ胃液の中を、いつまでも探し続けた。


 『先生に謝りたい事があります。

 捨てるなりすれば良かったのですが、母は多分見破ります。それに、もし本当にそれだったらと思うと、怖くて出来ませんでした。

 一昨日、母が接着剤で丁寧に再生させたイカの置物を、私は昨日の夜中に再度割ってしまいました。必死に直そうとしてもどうにもダメで、破片は自分の部屋に隠しています。今朝、運動靴には何も入ってなかったけど、絶対に母は気付いています。

 だって、昼間先生に勧めた、あのイカリング? がお弁当に入っていたからです。

 本当に、ごめんなさい。』

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