第13話

 杜若かきつばたは動く事ができなかった。

 はぁ? と気の抜けた声が唇から漏れる。呆然とした瞳が少女と死神の姿を映していた。顔立ちは大人びて髪を短くして、けれど見れば見るほど写真との共通点が見えてくる。

 何と大きくなって。とかいう感情がこみ上げて、俺は親かと振り払う。ただし、こちらに向けた視線は赤の他人を見るようで、そしてそこにある表情は―――一度も見た事の無い頑なな。

流下ながしたつばきを捕まえないといけないんです』

 そう言って自分が追い求めていた相手。それがまさか本人だったなんて。混乱が考える前に杜若に問いかけさせた。

「何で?」

 駿ながれ杜若を許さない―――。そう言われても思い当たる所が無い。何で、俺を許さないと。

 そんな様子に苦々しげに唇をきつく結んでから、流下つばき――つばきは言い放った。

「駿杜若と言うのは、私の兄の名前です」

 そんなの、誰よりも知っている。それが? という表情を浮かべたのがまた勘に触ったようだった。私は、とつばきは握り締めた手を震わせた。

「私は使、そんな身勝手なあなたが、許せないっ!」

 それを聞いた瞬間、肩から順番に力が抜けてだらりと手が下がった。―――はああぁっ? あっけにとられて心の中で大声で叫ぶ。そんな様子にも気付かず、つばきは叫ぶように言い続けた。

「薄から聞いたの。駿杜若って言う情報屋がいるって。兄さんが一人いるって言った後、教えてくれたの。同じ名前だなって。情報屋ってどんなものって聞いたら、それにも答えてくれた」

 両腕で頭を守るように抱えて、杜若を憎むように睨み付ける。まさか、俺の事を知らない? そんな思いが頭を掠めた。外見では、わからないのだろうか。

調調――。会社を倒産に追い込んだり、人を追い詰めたり、そんな酷い事のきっかけを作るのが情報屋だって! あなたなんか嫌い、兄さんの名前を奪って……それで、そんな事をするなんて。兄さんは、絶対にそんな事しないんだから! 

 だからっ、あなたはだ!」

 他人を見るような目。憎むような―――表情。

 言われた言葉は思いもよらなかったが、それだけに胸の思わぬ所を突き刺した。

 だってでも、と反論が口をついた。でもそれだけで終わる。その続きが考えられない。 

 仕事は組が判断し、自分でも確かに選んでいるとか、依頼人は信頼が置ける者でなければ受けないとか、そう言う事はいくらでもできた。けれど。何を言っても言い訳になるような気がした。

 つばきの言っている事は、そのまま杜若の仕事の本質をついている。それは偽りの無い真実だ。ただ、視点が違うというだけで。やっている事は変わらない。

 結局杜若は意図せず話をすりかえた。

 それにしたって、例えばお前のいう憎む相手を捕まえるとして――

「お前に何ができるんだよ?」

 焦っていて、息もうまくできず言葉を口にした。死神が共にいるとしてもつばき自身は手ぶら、そして何の能力も持たないはずだ。ただ、その言い方がまずかった。つばきはぎゅっと眉根を寄せて、手を上げ杜若の背後を指差した。唇が開かれて、微かな音を発する。聞こえないような、微かな声。

 ―――――。

 一直線に杜若の頬を掠めて貫いて、背後の壁に小さな穴が穿たれた。つばきの口が開かれ音が大きくなるにつれてひびが走り、蜘蛛の巣のように広がって壁が崩れ落ちた。瓦礫で階段がふさがれた。

「何もできないけど―――ずっと、歌は好きだったから」

 崩れた壁を見て警戒態勢を強めた鳩羽と褪衣を見ず、つばきは言った。

「……小学校に上がってから、何となくわかったの。自分が歌うたびに辺りで変な事が起こるって。教室の窓ガラスが割れて、はっきり気づいた。力を込めちゃ駄目なんだって」

 そうすると、何かが起こるから。小学校へ上がってから。杜若達と別れた後に、発現し始めた能力。

「こんな力があるなんて信じられなかったし、変になっちゃったのかなって怖かった。でも、お母さんは仕事でずっと忙しそうで、他に話せる人なんかいなくて。ずっと黙っていたけど」

 ある日突然、私の目の前に。降り立った死神。

 ―――だいじょ、ぶ、だ、よ。そうやって彼は微笑んだ。

「助けてくれたの、はくが」

 薄がゆっくり力の使い方を教えてくれた。変じゃないと言ってくれた。他の人には話せないけど、彼が相手だからできる話があった。

「今の私は、あなた一人捕まえるんだったら、できる」

 思いつめた表情で、つばきは杜若一人を見つめていた。

「捕まえて、どうするんだよ」

「兄さんのいる所を教えてもらう」

「聞いてどうするんだよ」

「会いに行くの。お母さんは私を会わせたくないみたいだから、ずっと教えてくれなかっけど、私は兄さんとお父さんに会いたいから」

 薄が教えてくれて、一緒に考えたんだ。そうやって杜若の目の前で言い切る姿は、やはり杜若の姿を兄と見ていなかった。母は、よほどこちらの世界から遠ざけたかったのだろう。杜若と穣太郎の写真一枚見せなかったとは―――。

 しかし、そんな事しなくても、いやおう無くつばきはこちら側に踏み込んでいたのだ。

「私はこんな力を持っちゃったけど、この力で兄さんの名前を勝手に使っている奴を捕まえたら、兄さんはきっと喜んでくれる。そうしたら、お母さんもきっと、いいって言ってくれる」

 それだけしかない、とつばきは言った。

「だから、私はあなたを―――『駿杜若』を、捕まえるっ!」

「そう言う、ことだよ」

 声を立ててその隣で薄が笑った。

「つばきから、ナガレカキツバタって名前を聞いて、そのあと明るくなって暗くなってが何回かあって、薄暗い時に行き会ったんだ。そいつを呼び止めて、聞いた。知ってるか、って。そしたら、そいつに送ってもらったって言った。駿杜若は情報屋だと言っていたと、教えてくれた」

 薄は、にやりと笑った口元を長い袖で隠した。

「女だった―――もうだいぶ、消えかかってて、聞き出すのに苦労した」

 形山かたやま江織えおり

 彼女のことか。

 杜若は目を見開き、その視界の中でつばきが腕を開いて大きく息を吸った。薄が跳び退りつばきと距離を取ったのを追って鳩羽と褪衣も走り出す。それが引き金だった。唐突に状況が動き出す。つばきは大きく吸い込んだ息を少しずつ吐き出して、吐き出した空気が音に変わり、高く低く次々に奏でられる声が旋律になる。目標である杜若に向かって指が突きつけられ、音が襲い掛かった。一気にぶつけられた不協和音をヘッドホンが拾って、鼓膜が爆発したかと思う。視界がぶれて、耳がおかしくなりそうだ。

 歌が攻撃になる、そんな戦い方……! 教わった記憶は無い。あってもおかしくないとは思っても、出合ったのは初めてだ。杜若はつばきの真っ向からの敵意を浴びて、とまどいの中で携帯を操作し――緑の障壁、電子盾バリアシールドを作り出した。誤解だ。口の中で呟いて、考える暇も作らせない勢いで戦いを挑む妹にどうしたらいいのかとただ悩む。

 俺を倒しても意味なんて無い。俺が、本物の駿杜若なんだから。倒しても兄さんは見つからないんだ。本物の兄なんだから。そう伝える事もできず、ただ口が乾いていく。

 つばき、俺が兄さんなんだよ。伝える声は杜若から発せられなかった。


 ※


「―――――手酷い事をする」

「何の事?」

 薄、そして鳩羽はとば褪衣さえは対峙する。動揺している杜若には悪いが、そっちの方に注意をさく余裕は無かった。目の前のこいつをこれから捕まえなければならないのだから。意味はわかるだろう、と鳩羽は言う。

 杜若の目には映らない、その光景が鳩羽と褪衣には見えている。悪念はつばきの体から離れ、しかも人型になるまで実体化していたから杜若の目にも映った。今、つばきの足元に水溜りのようになって広がる黒い池を、杜若は見ることができない。黒雲のように立ち込めて、雨のようにつばきの頬を伝う黒い雫。悪念は液状になりつばきから離れ、タイルにしみ込んで階下に落ちる。そこで初めて実体を持ち、襲い掛かるのだ。

「私は、何もしてない。あれは、つばきのものだ」

 薄は笑った。皮肉な話だ。鳩羽は吐き捨てた。薄の存在が、あそこまで膨らんだつばきの悪念を溶かし、分散。

 ―――液状化させているのだ。溜まった悪念が、通常あのように分散する事は珍しい。だが不幸を引き寄せる特性が、悪念を薄の方へ引き寄せる。結果悪念はつばきから離れ、その時点で即座に実体化する。もくあの〝陰影〟達ほどの自我を持つまでにはならないが、実体化してしまえばある程度勝手に行動を始め、そうすれば、つばきの負担はそれだけ減るのだ。

 あれほどの悪念。自分の体だけで背負えば、すでに暴走を起こしている。つばきがぎりぎりの位置にいられるのは薄がいるからだ。薄の存在が、つばきを守っている―――。

「あの子がどうしてあんな量の悪念を背負うことになったのか私は知らない。だが、実の兄と戦わせているのは……それをけしかけたのは、お前だろう」

「何か、やばそうっつーのは俺でも分かるぜ」

「それについては間違って無いからそれでいい。やばいとわかっていれば上等だ」

 そんなやり取りに、薄はつまらなそうに白い長衣の両腕を広げて肩をすくめる。重い金属の擦れと共に、細い手首にはまった鈍色の輪が覗いた。

「言ってただろ? つばきは嫌いなんだよ。あいつが。嫌いだから戦ってるんだよ。僕も――君たちが、嫌いだから」

 逃げるだけでいいんだけど―――邪魔をするなら。

「僕だって、戦うんだよ」

 伸ばした手のひらを中心に、霧のような膜が噴き出して薄の全身を包む。半球状の結界。ざわりと肌の上を怖気が駆け抜ける。今まで見た事も無い、強力な結界――。

 その中で唇吊り上げて微笑む、幼い表情の少年。まとう長衣に着られてしまう小柄な体躯。間接戦闘最強の死神。

「僕に、勝てる?」

 鳩羽と褪衣は答えなかった。ただ、隣り合った位置からそれぞれ鎌を握り一歩を踏み込み、二歩目から急激に速度を上げた。


 ※

 

「大人しくしてっ!」

 遅い来る音の波―――衝撃波のような物か。杜若はシールドでそれを弾き返しながら、ひたすら避け逃げ回った。背後では次々にくらった壁が崩れ破片が飛び散り、埃が巻き上げられる。天井まで崩れて、鳩羽達との間には壁のような小山ができた。これじゃ、向こうの様子はわからない。

 背中に細かい破片を浴びながらとりあえず怒鳴り返した。

「そんな言われても……、無理だよ、できるかよ!」

 遠慮なく攻撃をしかけるつばきに対し、杜若は防戦一方である。とはいえ、妹に対してまさかこちらから攻撃するわけにもいかない。攻撃を浴び続ければシールドもどんどん弱くなり、瓦礫の影に逃げ込み一時撤退するがそこにも音の波が襲い掛かる。壁がびりびり揺れる。いつまでもつか。

 衝撃波。それを、音の高低とテンポ、メロディーでコントロールして、広範囲にも一点に絞っても浴びせられる。広範囲の方が威力は弱まるが、それにしたって杜若の動作を止めるくらいには十分だ。

「冗談じゃない」

 荒い息で、瓦礫を背にヘッドホンを防音モードに切り替える。はめなおすと大分違うが、一点で食らえばこれでも動けなくなる可能性は高い。ただ、捕まえる事が目的である以上、物騒な話だが向こうも致命傷を負わせるつもりはないようで、それが救いだった。実の妹にそこまでされたら立ち直れない。

 へこんでる場合では無い、というかそんな事していたら確実に負けてしまう。そんな暇無いのだが、それでも自覚として胸が痛い。自分、意外と打たれ弱いのか。軽くショックを受けながら――それとも言われた内容が衝撃だったのか、思い悩む。

 情報屋は情報を提供するまでが仕事だ。その情報がどう扱われるかは依頼人次第、それ以上は直接関与しない。だからつばきが言ったようなきっかけになる事もある。飛天組は―――と思っても、違うとは言い切れなかった。全ての結果を把握しているわけではないが、組長はどんな結果になろうとそれをよしとしたら決断を下すはずだ。

 起こりうる現象をできる限り理解して渡すか渡さないかを決める。その時の状況や相手の立場、各組の立ち位置を踏まえた上での行動、選択一つによって全てが変わる。状況の足し算引き算。損得の勘定ばかりだと穣太郎がぼやいた姿を一度だけ見た事がある。

 情報屋は憎まれる職業だと――父の言う意味が初めて、本当の意味で分かった気がした。


 会社を倒産に追い込んだり、人を追い詰めたり、そんな酷い事のきっかけを作るのが情報屋だって!


 思い返して、それは違うと首を振りたくなる。だって――でも。確かに、そういう事も、やっているかもしれないけど。それだけでは無い。決してそれだけでは無いと、杜若は思う。まだ見習いだけど、今までやってきた事を全部思い出して、苦しい事や力が及ばない事やなんかもそりゃあったけど、自分は今まで自分の仕事に全力で、本気でやってきた。それだけは言える。嘘じゃない。

『その決意が、いつ揺らいでも構わない』

 穣太郎じょうたろうに、情報屋になると決めて見習いとして飛天ひてん組に入った時に言われた言葉だ。

 いつ辞めてもいいと。

 携帯電話と手帳を開く、ペンを走らせて室内の状況を把握する。シールドを作り直し瓦礫の影から携帯を突き出して、つばきの様子を確認する。


 あなたなんか嫌い、兄さんの名前を奪って……それで、そんな事をするなんて。

 兄さんは、絶対にそんな事しないんだから!


 そう言われても、現に自分はこの仕事をしている。それはどうあっても変わらない。

 全身の感覚を研ぎ澄ませて、動く物動かない物全ての情報を自分に引き寄せる。目を開いて、自分の感覚と道具の集めた情報を全部つき合わせて。状況を見て、この場に一番ふさわしい方法を考える―――〝読み取りヨミトリ〟の技術。

 杜若が請け負った仕事は、全て自分で判断して、これで助かる人や者がいるのだと思ってやり遂げた仕事だ。全部成功した訳ではないし、訓練の過程で課題として与えられた仕事もあった。でも自分で決めた事だ。そう思ってここまでやってきた。後悔もしたし、どうにもならなくて嫌にもなった。だけどそれでも続けて来たんだ。

 汚い仕事でもいいなんて言えない。そこまで割り切れない。でも、今までやってきた事が全部汚いなんてどうしても思えない。

「―――つばきには、分かってもらうっきゃないな」

 こういう兄貴なんだって。データを検索して、手帳をしまった。自分が兄だと知らせる一つの方法が――思いついた。


 ※


 踏み込んで斜めから大きく振り下ろし、そのまま引かれる様に一回転して縦方向から刃を浴びせる。全ての斬り込みが弾かれ、一旦、距離を取る。後方から褪衣が術符で作り出した拳が襲い掛かるが結界で阻まれ、触れる端から崩れる。まだ一度も、結界を破れていない。対峙して初めて分かる、その能力が最強とうたわれる理由。

 呼吸が荒くなるが、手を休める事はできない。再び結界に火花が散った。硬い――! 間を置かず繰り出した褪衣の斬り込みも通じなかった。薄は軽く飛んで距離をとり、煽る様に結界を解いてみせる。楽しそうな微笑みに、苛立ちと震えるような恐れが増幅される。

「まだやる?」

 挑戦的に顎を上げる薄。答える代わりに鳩羽は飛び込んでまた斬りかかった。ただ――わかった事もある。

「鎌が出せないんだな?」

 薄が結界の中で瞬きをした。今まで、危険を承知で隙のできる大振りな技ばかりを繰り出して来た。いくつもあったここぞと言う機会に、薄自身攻撃を仕掛けて来ないばかりか、戦闘が始まってから一度も攻撃をしてこない。

「………それが? そんなの無くったって、別に困らない」

 攻撃する意味がわからないという顔。そうだろう。これほどの強度を持つ結界があれば、攻撃する相手が勝手に疲労し、逃げられるようになるまで待つだけでいいのだ。薄は逃げるのが目的だと最初から言っている。白の死神は捕まえなければならないから、追っ手も大掛かりな攻撃はできない。そもそも接近するだけで自分の身にも不幸が訪れるんじゃないかという恐れが付きまとう。しかし、鳩羽はいいやと頭を振って笑った。酷く鋭く。

「攻撃は必要だ。―――防御するだけでは、相手の護りを突き崩す事はできない」

 唐突に振り下ろす速度があがる。宝珠が鋭く光を放った。一つ二つ三つ―――! 鳩羽の鎌は鋭さを増し、受ける側の薄も見る見るうちに表情をこわばらせる。先ほどまでの大振りな攻撃ではない、柄の刃に近くを握りしめて短い攻撃を何度も繰り返す。重さは無くとも、鳩羽の本気の攻撃。 

 それが続けば結果的に加わる衝撃ダメージは変わらない。

 もし防御に攻撃が加わるのなら、思い切って攻撃する事はできなかった。しかし相手に攻撃のすべが無いのなら。

 自分が負傷する心配をせずに、いくらでも戦える。次々繰り出される攻撃に、薄は焦りの表情を浮かべて手指で次々に形を作った。術で補強するが、間に合わない。褪衣は取り付かれたように攻撃する鳩羽についていくので精一杯だ。

 追い詰められた薄はこのままだとまずいと悟ったのか、手のひらが今までとは違う動きをした。結ばれた術印の意味には気付かなかったが、褪衣は本能的に警告を発した。

「鳩羽ァ!」

 声にとっさに腕を交差して体を守る。閃光が走って、今まで結界が受けた衝撃が一気に跳ね返った。鳩羽は瓦礫を踏みしめて耐えたが、衝撃をもろに受け褪衣は吹き飛ばされた。うぉああ! と叫ぶ声に無事を知り、薄が攻撃の反射をして気が緩んだ一瞬を突いて、鎌を振り下ろした。

 結界に指の先ほど鎌が差し込み、ひびが入って、あっけなく数え切れないほどの破片に分かれて散った。薄は驚いているようだった。鳩羽は自分の考えの成功に安心した。その延長で鎌を首筋に突きつける。目線は同じほどだった。薄は先ほどより大人びた顔立ちで、冷静に、宝玉の輝く灰色の刃を見つめた。もう少し動かせば鳩羽の鎌は、薄に触れる。

「自分のやっている事、わかっている?」

 薄は静かに聞いた。鳩羽はああと答えた。

「見た事、ある。追っ手の死神がケンカして、片方の鎌が、もう片方を切った。そうしたら、

「いいんだ。これは私の独断だから」

 そう。薄は思っていたよりもあっさりと答えた。鳩羽は鎌を振りかぶった。褪衣がおい何してんだよ、と叫んだ。

「何してんだよ! 鳩羽っ!」

 死神の肉体はこちら側の世界に影響されない分、酷くもろい。こちら側の魂に使うための鎌で死神を攻撃すれば、傷の深さに関わらず一撃で分解される。さらに鎌は死神の精神から作り出される。そのため、反動は攻撃した死神にも同じように掛かる。

 死神が死神を鎌で傷つければ、その双方どちらも消滅する。

 鳩羽は最初から考えていた。白の死神はいずれ捕まえられる。そして死神の中での触れてはならない禁忌であり続ける。そんな存在でいつづけるぐらいなら、受け入れるのではないかと。そして、私もそれでいい。

 杜若は欠けると困る。褪衣が欠けると褪衣の家族は嘆く。私が欠けるのが一番いい。

 兄さんの苛立ちの種が消えて、褪衣がちゃんと残れるのなら、それでいい。

 これでいいんだ。

 やめろと叫ぶ褪衣の声も届かず、鳩羽は足を引き、薄に向けて鎌を振り下ろした。


 ※


「待った!」

 杜若は瓦礫から飛び出した。つばきの歌が途絶え、何、と警戒しながら聞かれた。

「いいか、信じてもらえるかどうかわからない……っていうか、とにかく本当だから信じてもらうしかないんだけど、俺、本当に駿杜若なんだよ!」

「………何、言ってるの」

 不愉快そうに睨みつけるつばきに、やっぱり駄目かと思わず顔をしかめそうになるが、そこは堪える。

「ほら、自分の兄貴の年頃ぐらい覚えてるだろ! 俺中三。同じくらいだろ!?」

「だから、もっとすごく腹が立つの! 同じぐらいだからいいと思ったんでしょ!」

「信じてくれよ、本当だから。父さんの名前は? 駿穣太郎だよ。知ってるだろ!」

「……それぐらい調べられるんでしょ、情報屋なんだから!」

 やはり、会話だけで納得させるのは無理か。舌打ちして、戦闘態勢に戻ろうとしたつばきに向けて「証拠がある!」と言う。そして、携帯を操作しようとした所で―――。

「ぐぁあああっ! もうこれうざいーっつうのお!」

 階段をふさいだ崩れたコンクリートが一気に吹き飛ばされた。開いた空間から、みなりが顔を出す。戦闘のせいか髪型がくしゃくしゃだ。みなりの陰影を一つの獣にまとめるやり方で、吹き飛ばしたのだろう。

「あーっ! 駿ーっ! だいぶ落ち着いたけど、こっちキリ無いよ!」

 大きく手を振って報告しながら、っていうか何々どうなってんのときょろきょろ辺りを見回す。緊張感が一気に無くなって、あのなあと言いかけた所でつばきの手が伸びた。 

 声が放たれて、みなりの頭上で天井が揺れる。おい上! 杜若が叫ぶがすでに遅く、悲鳴が聞こえて瓦礫と埃に姿が消える。みなりに気を取られて、次につばきがこちらを向いても反応が間に合わなかった。狙い打たれた携帯が手から吹き飛ばされ、しびれるような痛みが手の甲に広がった。

「何しようとしてるの」

 しまった。そう思っても、もう遅い。反射的に携帯を取りに走ったが、その背後からつんざくような高音が襲い掛かり、携帯を掴んで傍の瓦礫に飛び込んだ。開いた画面が暗くなっている。嘘だろ! その上から白いヒビが走り、ボタンを押しても反応しない。チャンスは失われた。これが、つばきにかなりの確実で届くだろう証拠だったのに。

 ――――でも、諦めるには。まだ早い。

 まだ、自分の声が残っている。これしかない。杜若はヘッドホンを強く耳に押し当てた。そこに流れる音は無い。でも、杜若の頭の中には再生される音があった。音を確かめ確かめ、意識を自分の内側だけに集中させて追って、杜若は口を開いた。


 ※


 振り下ろした鎌に、鈍い手ごたえがあった。手のひらに感じる確かな感触。切り落とした髪のふさがタイルに落ちる。その後を追って、玉飾りが一つ、二つ……硬い音を立てる雨の雫のように、いくつも。

 手から力が抜けた。顔から血の気が引いていくのが分かる。唇が震えた。冷静だった目が見開かれた。頭を左右に振って、それでも手が鎌から離れなかった。首と肩の中心辺りに、斜めに斬り込んだ刃。深く突き刺さって、死神相手でなくても、致命傷とすぐにわかる。ばーか。笑った唇がいつものように動いたけれど、そこから声は出なかった。そのすぐ後ろに、目を見張った薄がいた。

 名前を呼んだと思った。手を伸ばしたと思ったが、そうではなかった。感覚が消えてもまだ鎌の柄を握り締めていた。ちゃんと呼びかけようと思った所で、その姿が砂のように、砂嵐の映像のように形を失って崩れた。


 鈍色の鎌の先には、突き刺さった複雑な文様の書かれた細長い紙が一枚、残っていた。


「言っただろ―――幻術は得意じゃねえけど」

 苦手でも、ねえってさ。薄のすぐ後ろに、いつもどおりいたずらっぽく笑う灰色の姿。左肩に垂れ下がった髪のふさはたった今斬られたように無くなっていたが、それ以外は何もかわらない、褪衣がいた。

「―――――!」

 完全に意表を突かれた薄に飛び掛かって拘束すると、袖からあふれた術符が縄のように薄の体を縛る。その上から術符を貼ると閃光が走り、体中の力が抜けて倒れこむ。

つばたっちよお! こっちは積みだぁ!」

 褪衣の高らかな宣言が、空気を裂いた。


 ※


 杜若は精一杯声を張り上げて、不安を吹き飛ばすように歌を歌った。


 母が二人に教えてくれた歌。この間物置で弾いたピアノの音と、昔母が奏でてくれた旋律を、一つ一つなぞるように。思い出せなかったり、間違えたりもしたけれど届けば分かると思った。繰り返し繰り返し、短い歌を最後になったら最初から。二人で教わった歌。母も、自分の母親に教わったと言っていた歌だ。この場で知っているのは、多分杜若とつばき二人だけだろう。優しい声と微笑み。なあこれなら、覚えてるだろう?

 攻撃がいつの間にか止んでいた。

 瓦礫からそっと顔を出す。つばきが途方に暮れた表情で、立っていた。まるで迷子のように、心細そうに、すがって来た手を見失ったみたいに。その表情が急に子供っぽく見えた。当然だ。杜若よりも、まだ年下なのだから。瓦礫から出て少しだけ近づいて、ためらってから「つばき」と名前を呼ぶとびくりと肩が揺れた。

「……その歌も、調べたの?」

「違うよ。母さんから教わったんだ」

「ほんとう?」

「本当だよ。嘘はついてない」

 俯かないように真っ直ぐに、杜若はつばきを見つめた。

「信じてくれなくってもいいから、一緒に行こう。どっちにしろ、君は能力が目覚めちゃったんだから仕方ない。面倒かもしれないけど。一人でいる必要なんか無いから」

 つばきは黙った。すると、褪衣が瓦礫の向こうからひょっこりと姿を現した。

「おーい。そっちはどうよ、片ついたわけ?」

「えっと、どうだろう。まだちょっと……」

 何だよそれ、褪衣がさすがに疲れた顔でにやにや笑った。おい、鳩羽ー。と振り返った所で褪衣がぎょっとした様子で鳩羽ぁ!? と叫んで小山を駆け降りていく。ひとまず鳩羽達と合流しようと、杜若はためならいながらつばきに手を差し出した。

 差し出した手が握り返されて、立ちふさがった小山に近づく。背後でつばきが言った。

「本当に、………かきつばた兄さんなの?」 

 父さんにも会いに行こう。きっと喜ぶよ。無愛想かもしれないけど、俺が教えるよ。

「……そうだよ」

 少しでも安心するようにと、杜若はつばきには見えないのに笑って。

「―――今まで、近くにいてやれなくてごめんな」

 気恥ずかしかったがそう言うと、つばきは泣き出した。

 そういや、みなりともくあは大丈夫だろうか。心配になってまだ泣き止まないつばきと瓦礫を乗り越えると、向こう側で鳩羽がへたり込んでいた。その横で、褪衣が物凄く焦った様子で呼びかけている。

 鳩羽は声も無く、ただぼろぼろ涙をこぼしている。普段を知っているだけに杜若もぎょっとした。

「だからごめんって! そんな驚かそうとか思ったわけじゃねーし! だって鳩羽もやめろっつーのに無茶するし!」

 ほら俺こんな元気! と手を振り回してアピールして見せ、鳩羽はようやく褪衣を見た。

「お前……何をしたか、わかってるのか? 私、私にお前を殺させたんだぞ!?」

「だああ、そりゃ、悪かったよ。悪かったって。でもさ、そんなの鳩羽怒れんの!? 自分だって、勝手に消えようとしたくせに!」

「そ、れは」

「大体捕まえなきゃならないんだから、こいつだって消しちゃったら駄目じゃん! 昇進も何もねえよ! つーか、消えたらその前に昇進もできないっつーの!」

 鼻息も荒く、褪衣も息巻いていた。珍しく怒っている。

「わかっただろ。俺だって、鳩羽が目の前で消えんのなんか……やだよ。すっげー」

 それを聞いて鳩羽の目に再び涙が滲み、褪衣の長衣を引っ張ったかと思うと抱き締めた。ごめん、と涙交じりに消えそうな声で呟いたのも聞こえたのか、褪衣は面食らってうわぁ俺もうこの世で一番幸せかもしんないと気を失いそうになっていた。

 階段の方で瓦礫が動いたと思うと、さっきよりも派手に埃と破片が舞い上がった。黒い獣が顔を出し、その下からもくあを支えて泣きそうなみなりが現れる。

「ねえ誰かぁあっ! もくっちゃ……お、お姉ちゃん起きないよ! 誰か助けて!」

 慌てて杜若が駆け寄り、褪衣も手伝って二人をフロアに引き上げた。鳩羽が泣き腫らした目で気を失ってるだけだと伝えると、みなりも良かったと泣き出した。ううっと唸り声が聞こえて杜若が振り向くと、薄が動いていた。げっと言うと褪衣が担ぎ上げてこっちに連れて来る。

「すげえ。これで動くのかよ」

「や、やだ! 嫌だ! 戻りたくない!」

 更に薄は喋り出して、褪衣をぎょっとさせた。俺の術、そんな通じねえの!? と驚き、杜若もどうしたもんだかと頭を捻る。その時だった。外から声が聞こえて、壊れた窓から次々に姿

「あれえ!? 担当!」

 先頭は細身の、気弱そうな……よく言えば優しそうな男の死神だ。やっと見つかったと息も絶え絶えである。その後に鳩羽と褪衣の班員が続いて、どうしたんだと褪衣が聞く。担当者は腰のポーチから巻物を取り出し、深呼吸するとよく通る声で読み上げた。

「こ、これを伝えなくちゃと……方針の変更があったんだよ。僕達も驚いたんだけど。〝死神鳩羽及び褪衣両名を『シロガネ』候補生として白の死神の補佐に命ずる〟」

 なんだそりゃあ! と褪衣は叫び、鳩羽も絶句した。褪衣の大声にもくあが目覚め、みなっちゃん? と呼びかけた。酷い怪我は無さそうでみなりが盛大に泣き出す。詰め寄った鳩羽に、鵰夜しゅうよ様からの推薦らしいよ担当が答えて、むっちゃくっちゃ昇進じゃねえかよー! と班員達が褪衣をどつき倒して鳩羽にも声をかける。そして床が振動したと思ったら、階段を塞いでいたコンクリが全部消えて、そこから出てきたのが血相を変えた穣太郎だったので杜若は度肝を抜かれた。

 ついでつばめ村雨むらさめあくるも現れる。鳩羽達に連絡をするため、死神達は鳩羽達専属の杜若が所属する飛天組に連絡したのだ。村雨に散々涙目で説教され、明はよかったと泣き出して、燕に頭をはたかれ、無言で息を弾ませている穣太郎を見て杜若は思わず泣きかけた。固まっているつばきの手をひいて、穣太郎の前に立った。

「ちゃんと全部報告しろ」

 しばらくの無言の後、杜若は姿勢を正して勢いよく答えた。

「はい!」

 その後、よくやったと呟くように続けられて、鼻がつんとした。その間に、薄は立ち上がっていた。自力で拘束を解いて。どうしたらいいかわからない風に立ち尽くしている。鳩羽と褪衣が近寄って、その間に担当も入り説明したが、伝わったのかいまいちわからない。何しろさっきの出来事もあって褪衣はぼーっとしているわ、鳩羽も泣き疲れてそれどころでは無いわで、冷静とはとても言えない。杜若も説明に一役買って、自由になったことがどうにか伝わったようである。とりあえず、一度帰って正式に申請しなければならないらしいが。

「とりあえず好きな所にいけるようになるんだよ」

 その杜若の言葉を聞いて、薄は顔を輝かせた。

「ったく、どうなるんだかなー」

「全くだ……っこ、こんな話聞いたことがない」

 杜若は鳩羽と褪衣に向かって笑って、よれよれになった帽子を被りなおした。薄の方にも笑顔を見せて。

「まあ、今度また連絡してよ。情報提供します。言ってくれればパンダでも何でもいるとこ検索しとくから。これからもどうぞ、ごひいきに―――」

 情報屋駿杜若。

 いつか、もしいつか辞める時が来たとしても、とりあえず今はその時じゃない。

 そして、これからもずっと、できる限りこの仕事を続けたいと思った。


 ※


 ――――たたん、たたん。

 繰り返される振動。窓の外を景色が通り過ぎていく中で、きれいに晴れ渡った青空と、生き生きとした木々の葉の色は変わらない。椅子に腰掛けて、膝の上に真新しい薄いノートパソコンを置き、杜若はキーボードを叩いていた。

「えー、と……」

 足元には着替えやら道具やらの荷物でずっしりと重くなったリュックサック。車内は空いている。空調は効きが悪くて、背中は薄っすらと汗ばんでいた。

「っと、これでよし、と」

 インターネットの接続を切って、電源を落とす。パソコンも閉じて、窓の外を眺めた。

 今頃、鳩羽と褪衣はどこにいるんだろ。薄が色々な所が見たいと言うので、杜若のパソコンは一時サバンナや竹林、外国のデータであふれかえった。彼らは新しい立場にてんてこまいらしい。たまに連絡が届くと予想以上にきついぜ、と褪衣は息も絶え絶えだったが、それだけやりがいがあると鳩羽は強気だった。『銀』。候補生と言う事はいずれその称号を与えられるかもしれないという事だ。薄が訪れた場所、そこ何が起こるかは、自然のなりゆきに任せる事になったようだ。

 つばきは能力の発現を穣太郎に話し、杜若と同じように八釼の所に通うようになった。誘睡も張り切っていた。更にあの後、積極的に声をかけてくれた元野姉妹と意気投合し、最近では一緒に買い物に行ったりしているのだとか。杜若との関係は、まだ少しぎこちない。遠慮してしまう所があるようだ。あそこまでやりあったのだからもう遠慮も何も無いような気もするが、それでも最近電話をする時の声は明るく、色々報告してくれる。

 アナウンスが流れて、杜若はパソコンをケースに入れてリュックの中にしまった。

 ミチにヤタとヨシ。三人と遊ぶ約束はしばらく断らなければならず、色々計画を立てていたミチはかなり残念そうだった。悪いと謝ったが、何、杜若も高校に受からなければならないしな、と微妙に失礼な返答が返ってきた。どうやら勉強をするんだと思ったらしい。

 実際は少し違うが、

「……当たらずとも遠からずだけど」


 杜若がパソコンでやっていたのは、飛天組のホームページの自分の欄を書き換えだった。

 しばらく、新しく仕事は受けられなくなる事を書き込まなければならなかった。駿杜若の欄は、仕事受付停止と表示されている。そして、その名前の下に新しく書き込まれていた。

 今まで大変長らくありがとうございました。

 しばらく修行の旅に出ます。

 その間仕事は受けられませんが、でも、もっと能力を上げてまた戻ってきます。

 その時はまたがっちり仕事しますので、どうか宜しく御願いします。


 この先も情報屋を続けるなら、高校へ上がる事でまた仕事の難易度もあがる。その前に『修行』を行って、能力全体の向上を図る。と言う事らしい。穣太郎と顔をつき合わせて、改めて仕事を続けると言った。その後、修行の話がされて杜若は行くと決めた。

 広い世界を知って来い。広くて狭い、自分の世界を知って来い。

 そう言って送り出された。いつだってカッコつけた親父だ。その癖、まだ全然敵わないと思わせる姿だった。いつの間にか、大きく頷いていた。村雨の作ってくれた弁当は鞄の中に入っている。明がくれた水晶球のキーホルダーはリュックサックから下がっていた。燕は、ただしっかりやれよと背中をどついてきた。どつきかえして、家を出た。


 電車がホームに滑り込み、停止する。到着を知らせるアナウンスに、重いリュックサックを背負った。ドアが開き数人が先に席を立って降りていく。

 杜若もホームに降り立った。はきなれたスニーカーは足に馴染んで、これから役に立ってくれるだろう。目に映るのは今まで一度も見た事が無い景色。当然のようにホームに見知った人は誰もいない。でもこれから、増えるんだ。新しい人と出会って。

 電車のドアが閉じ、走り出して、すでにホームに少年の姿は無い。

 人に紛れて、階段を上る足音だけが聞こえた。大切な曲を口ずさみながら、きっと彼はトレードマークの帽子を被りなおす。


 真夏の熱い日差しの中、黄色いひまわりが咲いているのが空(から)になったホームから見えた。ひまわりの間から、野球帽を被りリュックを背負った少年の姿が一瞬見えた気がした。


 それではまた、お会いできるその日まで。



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少年情報屋 駿杜若(ながれ かきつばた) 紺乃遠也 @knoto8

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