第12話

 叫び声が空に響き渡る。

「――えーと、つまり意思の疎通がタイセツ、だ。師の言葉によれば。んで、符術の能力だとー『造形』の他は、『召喚』に『幻影』に……あ、『召喚』っつっても、『元素』と『精霊』と『幻獣』の召喚があって、それはまた違うんだな。『召喚』だけは俺まだできねえんだよなー。ま、じきにできるようにはなるだろうけどさー」

「だあああああああぁああぁあ!」

「……おい、つばたっち俺の説明聞いてる?」

「ぎゃああ、落ちるう!」

 残念ながら、まるっきり耳に入っていないのは明白である。褪衣さえは不機嫌そうに顔をしかめた。

「落ちねえってば! なめんなよな俺の力を!」

「こ、これが落ち着いていられるかぅああーうわあ! お前っ、もっ……もし人に見られたら、始末書何枚かかされると思うんだよ!」

「普通の乗り物に乗るのと同じだろー? 同じだっつの! そんなにわあわあ言ってたら、地面の上でも乗れんのこれ!?」

「それは地上の話だろ!」

 ――――今、空飛んでんだぞ!

 翼が頭の横にまで伸ばされ、そこから振り下ろすようにして羽ばたく。延々乱暴に揺さぶられる自転車にまたがって……杜若かきつばたは叫んだ。

 映画じゃないんだから自転車で空飛ぶなんてありえない!

 そう思いつつ、頭の中でスピルバーグの曲が再生される。かごの中には何も居なくて、むしろ背後に死神を乗せているという状況だが。そんな状況も映画並みにありえない、という現実に少々打ちのめされた。


 自分でも騒ぐのが止められなくなってしまったような杜若に、褪衣は「っとにしょうがねえな」と片手でサドルを掴み荷台の上にしゃがんでいた体を伸ばし、杜若に覆いかぶさってハンドルを掴んだ。とにかく力抜けと珍しく説得する側に回る。

 あれだよ、普通の乗り物に乗るのと同じだって。言いつつ強張った肩を叩く。

「とにかく力抜けってば、この持ち手は握るだけ。体でバランス取ってさあ、ほら、そんながちがちじゃ無理だって」

 だってでもと反論しつつ褪衣の言葉に従っておっかなびっくり、ハンドルに抱きつくようにしていた体を起こした。

 そうすると、思っていたよりずっと安定していることに気付く。翼の振動のタイミングがあるからそれを掴め、と説明されて、意識してそのタイミングを探し、揺れに体をあわせるようにする。

 さすがに普段乗っている時とは動き方も揺れも違うが、乗っているだけでいい分、杜若はバランスを取ることのみを考えていればよかった。どうにか体を揺れに任せられるようになると、杜若は即座に体をよじってジッパーを引き、手帳を取り出しようやく認識不可能にする、と範囲を書き込み展開した。

「……そんなに気にするほどさー、俺らに気付く奴っているわけ?」

 杜若は、何が起こるかわかんねえだろと仏頂面で答える。

「どれだけ見れる奴がいるか、じゃなくて、見えるやつがいる、ってのが問題なんだよ。そっから別のやつに関わって来られても困るし」

 ふーんなんて相槌を打つ褪衣はとっくにリラックスして、荷台を足で挟んで頬杖までついている。杜若といえばおそるおそる体を起こし、まだハンドルが手放せない。

「そっちまでカバーしきれない、よお!」

 お手上げ、と反射的に思わず手をあげかけて、泡を食って再びハンドルにしがみつく。握るだけだぞーと注意が飛んだ。

「わ、わかった! とにかく今は俺こっちの事で手一杯だし。無関係な奴巻き込んでも悪いし」

「まあそんな感じだよなー。だってよー。何しろ一応さ、あれ、白の死神も依頼者ってことになんじゃねえの? 鳩羽ほどじゃないっつってもお堅い杜若がさ、俺らに向かってべらべらの、超・意外ー」

 物凄い音がして、自転車が羽ばたき以外の衝撃に大きく揺れた。杜若が思いっきりハンドルに突っ伏している。杜若の額が、ハンドルに激突した音だった。

「………………」

「おっと、どうした?」

「………………………………ま、ずったあああ! ありえない! 激ミス……」

 黒雲が辺りを取り囲んでいるように見えるほど、杜若は落ち込む。マジでかと褪衣は呆れたように言った。頭を抱えて、取り返しがつかないことをしでかしたことに、今、気付く。

「あ、あり、えない……くそー……何だそれ………わっけ、わかんねえよ勘弁してくれ………」

「わあーここまで落ち込む杜若、貴重ー」

「茶化すなぁ……」

「茶化して欲しいって顔だぜ、それ」

 混乱で黙った杜若に、それほど調子が狂うってどういうこと、と首を捻った。

「マジで珍しーじゃん。こうなったら吐け、吐けば楽になるぞー」

 沈思黙考して、杜若は結論を下した。

「二度手間だから、向こうに着いてから言う」

 向こうで全員揃ってから―――と、そこではたと気がついた。落とさないように慎重に、しかし手早くケータイを取り出す。

「やっばい! もう皆来てる……来てるって! 電車の方が速かったよ絶対!」

「はー!? 何だよ、杜若がぎゃあぎゃあ喚くからだろ! じゃあ速度上げてやるよしっかり掴まっとけよこんにゃろー!」

 ぐんと速度が増して、杜若は飛ばされそうになった野球帽をぎりぎりで押さえつけた。

 

 ※


 ようやく駅が、そして問題の廃ビルが見えた。程近い公園には上空からでも、もうすでに三つの姿が確認できて、ここ! と杜若が叫ぶと褪衣は手早く手を動かし、術符を繰って自転車がスピードを落とした。

 空中で一時停止してから、支えた見えない手の力が抜けるように、急降下で落ちる速度が上がっていく。杜若の悲鳴は尾を引いて、自転車は螺旋を描きつつ、あっという間に地表が迫り公園に急角度で滑り込んで、着地した前輪が跳ね、後輪がバウンドし凄い速度で褪衣と杜若を乗せたまま公園を横切った。横倒しになりかけて足をついて、ようやく落ち着く。

 情報屋は不必要に周辺住民を巻き込まない。情報を集める仕事をする以上、事件に巻き込まないのは最低限のルールで。そのためにも……。

 荒い息でその先を考えて、脱力する。

「そのためにも目立たないようにしなきゃいけないのに……」

 自転車で空を飛ぶなんて、本気でありえないと項垂れる杜若の後ろから褪衣が飛び降りる。翼は形が崩れて、褪衣の後を追って袖の中に吸い込まれた。

 何だか。顔をあげてそこに揃った死神の姿を見る。死神かれらに関わった時からずっと目立ってしまっているような気がする。派手な展開になる以前に、その姿自体が元々目立つ。だって外見派手すぎだよな! と恨みを込めて褪衣の背中をにらんでみる。

「褪衣! 何を考えてる! お前あれだけ派手に力を使うなんて」

 鳩羽はとばはさっそく褪衣に向かって怒り出し、無理な扱いをしたせいできしむ自転車を引きながら輪の中に加わっていくと、みなりがにーっと歯を見せた。

「やるじゃん。あいつも死神?」

「あー、そう。ごめん、連絡できなくて。こいつにも参加してもらうことになったみたいで」

「大丈夫よ、鳩羽さんから聞いたから」

「死神ってすっげえねー。そんなんもいるんだって初知りなんだけど」

 微笑むもくあは、学校の制服姿である。確か、昨日の話では高二だとか。半袖のシャツにネクタイを締めて夏物のベストをはおり、プリーツスカート。そして、両手首に細い銀の腕輪を何本かはめている。足元はスニーカーだったが、そんないでたちで、戦闘などできるのだろうかと心配になってしまう。

「妙な顔しないでよねー。スパッツぐらいはいてるしー」

「んな、妙な顔なんかしてない!」

「心配そうだったって言いたいのよ。ここならあの格好だと浮いちゃうし、それに行きがけに塾によって来たの。今日、行けるかわからないからテキストをもらいに……夏期講習のプリントもできたって聞いたから」

 そんな風に爽やかなもくあの横で、みなりがうえーっと吐きそうな顔を作った。杜若にとっても要所要所が耳に痛い。その割に手ぶらなのは、荷物は駅のコインロッカーに入れて来たからだ。ちなみにみなりは腰のチェーンはそのまま、タンクトップにキャミソールを重ねて、デニムのミニスカート。近所のコンビニに行くような気楽さである。

「だってえ、わざわざ服選ぶの面倒だったしー、戦闘におしゃれすることも無いよねえ」

「みなっちゃんてば、そんなこと言ってこの間の警護の仕事、どんな格好してきたかわかってる?」

「それはそれ。撃退したんだしいいでしょ? もくっちゃんはそういうとこ、こだわるからなあ。とにかく今日はめんどくさかったのー」

 すげえ性格、と杜若はおののいたが、褪衣も同じような表情をしていたのが意外だった。

「どうしたんだよ」

「俺にも妹いる。…………もしこんな性格になったらどうしよう」

 口を手でおおって、蚊の鳴くような声だったのにも関わらずみなりが怪訝けげんな顔で振り向いたので、褪衣だけでなく杜若まで姿勢を正した。その上地獄耳か。

「あ、もくあさん」

 みなりが褪衣に何か言った? と問い詰めているのをいいことに、杜若はひそひそともくあに質問した。

「何?」

「甘いもの好きですか」

 もくあはその質問にきょとんとしてから苦笑した。

「あんまり……どっちかと言ったら苦手ね。それがどうかしたの?」

「ああいや全然大したことじゃないんですけど」

「気にしない方がいいわよ……みなりに何か言われたかもしれないけど」

 はい、すみませんと杜若は頷いた。そうじゃないだろと思いつつも、みなりの発言に一部該当者がいるので、もしかしてそういうもん? と疑問だったのが解決した。安心だ。

「さて、杜若」

 その一部該当者と言えば、死神の装束をまとい、灰色の髪を結い上げ鎌を手に携えている。柄の先端と石突に黒い珠を嵌めたその鎌の、刃に、二つの見覚えの無い宝珠が光を反射した。

 鳩羽は腕を組み、言い放った。

「作戦会議―――そして突入の準備と行こう」


 ※


 情報屋 駿ながれ杜若

 死神 褪衣

 死神 鳩羽

 戦闘要員 元野もとのみなり

 戦闘要員 元野もくあ


 エントリーしたのはこの五人。その五人が今、目的地の前に立っていた。

 杜若は突入に当たって、自分の取ろうと思っていた策を全部教えた。そして、目的も、理由も、その全部を明かした。

 見る限り四階建ての廃ビル。外壁はコンクリート打ちっぱなしで、土埃と泥と雨跡に汚れ、遠目には気付かなかったひびがいくつも走っていた。元がどんな建物だったのかはわからないが、大きな窓には窓ガラスがない―――というより、はまっていた様子が無い。使われる前の、建設途中で中止されてしまったのだろうか。

 いつごろからあるのかわからない、立ち入り禁止のフェンスの前。奥には、扉の無い入り口が暗く口を開けている。

 杜若はまず首にかけたヘッドホンと携帯を接続し、それをさらに手帳と繋げた。まず近隣の地図を取り出し、周囲の情報を探る。ヘッドホンのスイッチを入れ、ボリュームを上げて意識を集中、音を収集した。

 人の会話、動物の鳴き声、足音。車、自転車、その他の乗り物、木々のざわめき、風の音。耳の中を様々な音が次から次へと流れていく。杜若は目を閉じ、音の流れの中に踏み込んで、耳を頼りに目当てのものをその中からすくい上げるだけでいい。

 情報屋の基本〝聴き取りキキトリ〟と呼ばれる技術。

 会話も、足音も―――少ない。

 それと携帯の画面とを結びつけ、直接自分たちの姿を見ている、そして見られる範囲にいる人は今現在極めて少ないという事実を確認し、それに感謝した。

「よしっ」

 手帳を開き、ペンを持つとそれをビルに向けて集中した。ペン先から細い糸が放たれ、先端でさらに細くわかれて全景を包んだ。それをひゅっと引いて、手帳に落としこむ。ペンが踊るのを指先で支え、ビルの全体が描写しきれたところでペンを止めた。

 これが〝書き取りカキトリ〟と呼ばれる技術だった。


 フェンスの中、ビル全体における自分たち五人、含む、この場にいて動くものを視認不可能にする。


 手帳にそう書き込んで、一旦閉じる。

 公園で集まった時から、まだ小一時間ぐらいしか経っていない。昼日中ひるひなかの突入だった。

「本当はいけないんだけど………」

「そんなこと言ってる場合じゃあない」

 言われなくてもわかってる。ばっさりと鳩羽に切られ、フェンスをよじ登って越える。鳩羽、褪衣は軽く地面を蹴っただけで容易く飛び越え、元野姉妹も危なげなくフェンスの内側に降り立った。慣れた様子である。

「どう?」

「ああ――――」「――――

 死神の目には杜若達とは違うものが映るのだろうか。彼らだけがそのビルを見据え、鎌を握りなおした。

「ちっせえ、ちっせえけど……きょーれつな。一つだ、バリバリ

「いるな。確かに」

 杜若の目の端を、動くものが掠めた。地面の上を這うような。しかし軽やかな動きの。こちらに近づいてくる。地面の上を動くそれは、影。下の地面も透けて見える、影である。蝶のような―――いや、蝶そのもの。けれど。

 上にあるべき形が無い。日の光を遮る体が無い。それなのに―――地面の上を舞い踊る、影の蝶。それは音も無くこちらへ近づいて、元野もくあの足元に寄り沿い、スカートの上を飛び、差し伸べられた腕の上を通って―――手の甲へ。

 そして、手の甲で影は黒く色を増し、鮮やかなタトゥーのように浮かび上がって肌から切り離されるように立ち上がる。羽が剥がれて起き上がり形を成し、手の甲の上で、触覚もぴんと張った黒揚羽(くろあげは)に変化した。

 揚羽蝶を乗せた手の甲を耳元へ近づけ、もくあは耳を澄ませて頷いた。その動作で、銀の腕輪が上下する。

「―――うん、うん。どうもありがとう、〝紅葉くれは〟」

 実体を持った蝶は手の甲を離れ、肩の上にとまった。杜若は目を見張り、見つめていた。

「一階には何も見当たらなかったみたい。でも、私達が入ったら動くものがあるかもしれないから、気をつけなくちゃね」

 話には聞いていたが―――影の使い魔を使役する。〝夜使い〟とはこういうことか。気配を感じてか、ビルから視線をはずし振り向いた鳩羽が、蝶を見て恐ろしい剣幕で杜若に詰め寄った。

「杜若! これは、どう言う事だ!?」

「どうって」

 鳩羽は蝶を指し示し、褪衣もそれを見て気付いたようだった。

「これはっ―――〟だ! 野生化したものだ!」

 あくまで声は低めて、怒鳴りつける。

「え、これが!?」

「………これが、野生かぁっ!? 初めて見た!」

 ある段階を超えると、人の体から離れたものの死神に回収されることが無く、かつ消えずに残っていた〝悪念〟の中には、ものが出る。その場合見たものを模倣して、姿かたちを変えるものも出てくる――――。

「それが何か、問題でもあるの?」

 もくあは心外そうな口ぶりで、鳩羽を見つめた。

「悪念は邪悪な思念の塊だ。人を突き動かし、攻撃的な衝動に追い込む」

「それは、人についている場合だけでしょう。―――この子達はもう、人から離れて自分を持ったの。もう、別の生き物だわ」

 もくあが両腕にはめた銀の腕輪。針金のように細いそれがいっせいに動いた。

「それに―――私と契約したこの子達は、絶対に悪さなんかしない」

 銀の腕輪から、溶け出すように。滑り出るように、流れ出るように、墨のようなものが現れる。次から次へと流動体のものが、実体を持つものも明確な形を持たぬものも、元野もくあのかたわらへと寄り添い、まるで、守るように――もくあをしっかりと囲んだ。

「寄って来ちゃうのよ。仲も良かったし、誘睡さんと八釼さんのお陰でトラブルは一切無くなった。きちんと契約を結んで対処法も学んだの。人懐っこくて、優しい子達だわ」

 右隣に行儀良く座った犬の形をしたそれの頭を、もくあは優しく撫でた。

「私は、この子達を〝陰影いんえい〟と呼んでる。この子達と会話、意思の疎通は可能よ。私にはそれができる。心配はいらない」

「…………しかし」

「心配なら触ってくれてもいいわ、大丈夫よ。私達、ケンカしにきたわけじゃないわよね?」

 なつっこく寄って来る黒猫や鳥に、戸惑う鳩羽と褪衣に、にこりともくあは微笑んだ。

「うわ、すっげー。すっげー、何だこれ!」

「仲良くしましょう、ね」

「………わかった、この場は納得する」

 どうやら危険性はなさそうだと判断したらしい。褪衣は戸惑いつつも、もう鳥をつついて遊んでいる。

「むしろ、私は死神が関わることだからこそ呼ばれたような気もするわ」

「?」

 すぐにわかると思う。意味深な含み笑いをするもくあに、杜若と鳩羽が顔を見合わせたところで、元野みなりはチェーンにさした刀を抜き、右手に提げた。

「ちょっとお、日ー暮れるんじゃないのー? 何しに来たわけ? ずっとこんなとこにいたら、暑いし日に焼けるう」

 何のために昼間選んだの! と若干キレ気味で、みなりはこっちに向かって刀を振った。確かに、話が大きく横道にそれていた。

 杜若が慌てて手帳を携帯と繋いで、さっき作った建物の情報を照合、フロアのおおよその造りが理解できたことになる。

「何か……ほとんど真四角で、何にも無いな。雑居ビルになる予定だったのかな? 障害物は崩れた壁とか石ぐらい。一階にいないってことは、とりあえず単純に上まで登ってけばいいわけか」

「二階で無ければ三階、三階で無ければ最上階か。最上階にいてくれれば、全体が崩れた時の心配が薄い分だけいいんだが。何しろどういう状況になるのか」

「ま、そこまで行けば俺らの腕の見せ所だな」

 突入の前に、杜若はビルに向かって遮音と保護のバリアも重ねてかけた。褪衣も手伝って、術符で補強する。姿が見えなくとも音が聞こえれば意味が無いし、もしもビルの外壁などが壊れた場合、民家にぶつかったりしたら大事だからである。

 杜若は帽子をしっかりとかぶりなおし、ヘッドホンをその上から装着した。


 ただ薄暗がりで、扉なども取り付けられていない正面入り口から、五人は突入した。


 通路には外から石や雑草が入り込み、床も土で汚れていた。タイルも外れて、その下から草が生えている。そこから、一階フロアに入る。

「うわ、見た感じより広いな。それに思ってたより、明るい……」

 入ったところでは、いくつもある大きな窓が幸いして日が差し込み、周りの確認も簡単だった。思っていたより天井も高い。夜は相手に有利だと判断し、日中を選んだのは正解だったようだ。

 一階にはあっけないぐらい何も無く、一応、杜若が周辺の情報を確保しながらの前進だったが、何事も無く二階への階段にたどりついた。

 二階へあがって、そして再びフロアへ移動する。フロアは雑草が無く、土汚れだけになっていたが、窓から差し込む光も変わらず一階と同じように見えた。

「何で……?」

 杜若が疑問を口にして、褪衣もおかしいなと変な顔をしたところだった。

 ――――――だが。鳩羽が一歩前進する。

「杜若、油断するな」

 その声に、褪衣も再び意識を張り詰めた。

「おっと、若っち。よく見てみろ」

 あ、と声を出してみなりがくすくすと笑い出した。

「やー……だ、お出迎えみたいだよ?」

 崩れた壁の影から。窓から外れた部屋の隅から、そして天井から染み出す、本物の―――霧と陰の入り交ざったようなモノ。〝悪念〟

 全員が一気に身構える。あの、前回相手にしたような奴と同じかそれ以上に、どす黒く、険悪でずるがしこそうな雰囲気。

「―――影から出てくるんだ!」

「ひょお! 杜若あ、安心しろよ! これで決定だ!」 

「……悪念は必ず! 宿主が居なければ存在できない!」

 確実に人間が一人はいる。

「お前のお目当ての奴! ちゃんといるみたいじゃんか!」

 ――――流下ながしたつばき。

 ぎりっと歯を食いしばり、杜若も携帯電話を開いた。フロアのマップを画面に呼び出す。「状況把握、ルート検索!」

 じわじわと間を詰めてくる悪念に、どこを通れば最速で行けるのかを選択する。

 鎌を振るって、目の前の悪念に突きつけるように鳩羽と褪衣は構える。だが、その前に、元野姉妹が立った。

「雑魚に体力消費してる場合じゃないっしょー?」

「ここは、私達に任せてもらえる?」

 二人は名乗る。

「〝影遣かげづかい〟元野もくあ」

「〝奇剣士きけんし〟元野みなりぃー」

 みなりの手が、刀の刃の部分を撫でた。プラスチックで頼りなげな刃が、見る間に光を放つ鋼に変わる。それが、幻のさやだったと知れる。

。みなりバスターソード、解放っと」

「もう、家の家宝の豊吉丸とよきちまるにそんな名前をつけちゃって」

「やだあやめてよ! そんなジジ臭いのぜってーいや!」

 その会話を合図のように、二人は悪念に向かって飛び掛かった。悪念は人の形を取り始め、二人に向かって手を伸ばしたが――――。

『奇剣士』元野みなりは切り込む。仄かに青く輝く刀を持ち、体を低く沈め、脇をすり抜けるように悪念を胴の辺りで真っ二つにする。飛び上がって切りかかり、ぐるぐると相手の周りを回転しながら切り刻み、刃を付きたて、獣のように吼える。正に奇抜な剣戟に押され、悪念は散り散りになり、そこらをさまよった。

 みなりの作った細い道を『影遣い』元野もくあが押し広げる。使い魔の〝陰影〟達を使いこなし、突入しては散った悪念を跳ねのける。的確な指示を飛ばして後方の杜若達を守り、影を武器の形に変化させては自分自身も悪念を散らした。

「影は影―――目には目をってことよ!」

「杜若っ!」

 最後尾を遅れないように走っていた杜若は、その声で頭の上に悪念がのしかかろうとしているのに気付いた。

「―――――!」

 間に合わない、と思った瞬間目の前に巨大な白い拳が現れ、悪念を吹き飛ばす。

「ぼーっとすんじゃねえよ!」

「ごめんっ、恩に着る!」

 褪衣の作った術符の拳が二、三体の悪念を押しつぶし、その下でいくつもの手のようなものがうねうねともがいている。その間に、三階への階段を駆け上る。

 全員が臨戦態勢で望んだ三階。

 そこでは―――フロア中を悪念が埋め尽くしていた。

「これ、どうすんだよ!」

 叫んだ杜若に、連なるように鳩羽が吐き出す。

「白の死神が居るとはいえ、これだけの悪念を生み出すとは……一体どういう宿主だ!」

「どうするも何も、行くっきゃねえだろ!」

「もくっちゃん、パス。はい豊吉丸」

「オッケー。みなっちゃん、じゃあよろしくね」

 二人の間で刀と銀の腕輪が交換された。そんじゃよろしくうとみなりが手を伸ばすと、今までもくあに付き従っていた陰影が全てみなりの元に集まった。そしてもくあが手にした刀は、刃の色が変わって金色に光り出す。

「何それぇ!」

 思わず叫んだ杜若に、もくあとみなりは得意げに叫び返した。

「あたし達の特殊能力よぉ! どっちがどっちもできるってわけ! 今のあたしは『影乗りシャドウライダー』!」

「私は危険視きけんしされる『危剣因子きけんいんし』! そういう風に名乗るのよ!」

 みなりの元で一つに固まった陰影が、巨大な獣に変化する。その首にみなりがまたがって首をもたげて唸りを上げた。みなりの腕で銀の輪が揺れてその手が、直接獣に溶け込んだ。

「行っけええぇえ!」

 指差して発した号令でみるからに強靭な脚が、蹴って悪念に飛び込んだ。もくあも、金色の刀を持ってその後を鋭く走り出す。直線的で無駄が一つも無い太刀筋たちすじを繰り出して、確実に素早く、次々と悪念をくだしていく。

「邪魔をするな!」

 鳩羽が一気に飛びかかってきた悪念に向かって鎌を振り抜いた。一瞬にしてその悪念に褪衣の札が張り付いて動きを止め、鳩羽の鎌が切り裂いた。しかしそう思えば、今度は次の波が来る――――。

 鳩羽と褪衣の頭上に黒い波が降りかかった時、杜若は気がついたら携帯を向け、登録したデータの〝情報展開〟をしていた。

 瞬間的に発生したガラスに似た緑の障壁に阻まれ、悪念の波が一気に弾ける。

「……で、できた! 〝情報展開〟『電子盾バリアシールド』!」

「すっげえじゃん!」

「うわ、データ作ったばっかりだからできるかわかんなかったけど……!」

「感動してる場合か! 使えるものならためらうな、どんどん使え!」

「おーしっ! 俺もいっくぞー、らあっ!」

 術符を飛ばし、間をおかず鎌で撫で斬りにする。杜若は通りやすいルートを探索しては全員に伝えて怒鳴り、悪念の情報を分析して展開――分解し、『電子盾』で跳ね飛ばした。 

 元野姉妹は頻繁に戦法を変え違うやり方で翻弄し、鳩羽の鋭い鎌は攻撃を途切れさせず、褪衣は自ら鎌を振るいながらも符術での補助を繰り返した。

 散らばらせたものが体にかかると、一気に力がそぎ取られる。

 鳩羽の背後に悪念が迫り、一か八かで突き出した携帯から飛び出した、緑の刃がそれを貫いた。

「………杜若!」

「〝情報展開〟『電子剣デジタルソード』!」

「すげええそれ欲しい! どうやったんだよ!」

「うわ! 豊吉丸と交換して!」

「げ、ゲーム見てデータ作ったんだよ! ガキっぽいけど!」

「つえー!」「ほしー!」

「ちょっとしっかり前向きなさい!」

「お前ら少しは真面目に戦え!」

 これが使えるんなら、俺にもいける。そう判断して杜若は更に戦いの奥深くに飛び込む。攻撃するには、顔の造作のない悪念にぎりぎりまで近づかなければならない。表情の無い人型が手を伸ばして向かってくるのは不気味で、それに向かって突き出す剣が刺して残る手ごたえの無い感触にぞっとした。刺された悪念に一瞬、途方にくれたような表情を見て、そんな気がして―――叫びかける。

 訓練は張り合いがあって、痛みはあっても楽しかった。けれど、これが戦闘。

 全員が入り乱れての戦闘の末、どうにか四階――最上階へ向かう階段に辿り着く。

「まだ悪念居るしね! あたし達はここに残るよ!」

「先に行って! 絶対に食い止めるから!」

 その声に立ち止まりそうになった杜若を、鳩羽が背後から突き飛ばした。「すぐに戻る!」と言い残して、三つの姿が階段に消える。

「よおし。これで本気出せるねー。だってこんなの見たら、絶対ビビっちゃうもんね」

 みなりは肩をぐるんと回した。もくあは、汚れた頬を指先で擦る。

「普段から、ストレス溜まるしー。全力出せないし」

「こういう時は絶好のチャンスじゃない。一石二鳥ね」

 思いっきり発散しちゃおう、と、元野姉妹はそっくりな獰猛な笑顔を浮かべて、階段の前に立ちはだかった。


 ※


「私達はここまでだ」

 鳩羽が、踊り場で立ち止まる。何でだよ! と不平を漏らす褪衣を制し、段に足をかけた杜若に向かって視線を投げる。

「公園で決めた手はず通り、情報はいい。渡してしまえ」

 お前の呪いが優先だ、と言う。それは確かに決めたことだ。

「だけどっ」

「呪いを解くのが最優先だ。褪衣の気配を消す術符はあるが、きっと、私達の存在は――もう気付かれている」

 と考えているだろう。

「お前はどんな手を使ってもいい、自分の不利でないように立ち回れ」

「若っち、術符はちゃんと仕込んだよな?」

 公園で渡された術符のことだ。わからないように、ベルトに挟んである。

「俺が使える限りで、それが最高の防御術符だ。公園で、呪いにあわせて書き換えた。完全じゃねえけど、もしも解かなかった場合、少なくとも即死に、にはならないと思う」

「お前の呪いが解かれたら、すぐにでも私達は入る。戦って取り戻せば問題は無い」

 そのセリフに泣きそうになった。感動で、ではない。即死はしなくとも……どうなるのだ。しかし杜若は無理矢理にでも頷いた。

「わかった」

「お前からは呪いの気配がする。ここにいても、それが消えたらすぐにわかる」

 反対に、白の死神が攻撃をすれば、その動きは気配となる。必ずここに伝わるだろう。

「不安か」

「………違うよ」

 鳩羽の問いに、すぐさまそうだと答えそうになったが、虚勢を張って嘯(うそぶ)いた。そうしなければ、進む足が鈍りそうだ。

「安心しろ。お前は私達の要だ」

 鳩羽が小さく笑った。

「お前がいなければ、私達はここには居ない」

「意味、わかんねーぞ」

「――――じゃあ言い換えよう。お前が私達をここに呼び寄せたんだ。

 私達の信頼を勝ち取ったのもお前だし、あの二人が協力するつてを作ったのもお前だ。

 そして、二人を教えてくれる人に出会ったのもお前だ。

 今までの経緯を全部含めて、私達に全員に繋がるまでのネットワークを作ったのは、お前しかいない」

 お前にはそれだけの力がある。

「杜若は欠かせない。必ず戻れ」

「あー。なるほど。そういうことならわかる。なあ、俺こっちまだまだ見物してないんだからな。若っちが居ないとつまんねえよ」

 思わず気の抜けるような言葉が胸に迫った。何だよそれ、と思わず微笑みをこぼし、汚れた手を悪念を被ったり転んだり擦ったりしてさらに汚れたTシャツに擦り付けた。

 野球帽を今一度被りなおし、褪衣と鳩羽にちょっと頭を下げて、

「じゃ、情報屋出勤。行って来るよ」

 言って、最上階へ向かう残りの段を駆け上がった。


 それを見送って、鳩羽は壁に体を持たせかけた。聞こえないように呟いた。

 そう、安心しろ。これで全部終わらせるから。


 ※

 

 ―――――最上階。そこにある、それだけの物。

 光の差し込む室内。広くて、瓦礫やゴミばかりが散らばったフロア。

 そこにあるのは、決して変わらない、白い姿。

「―――まさか攻撃されるとは思ってなかったよ」

「他の者も、連れて来ただろう?」

「一人で来いとは、言われなかった」

 ぐい、と頬を拳で拭って、その場で開いた携帯電話を操作する。コードでつながれた手帳。火花と共に、ページに表と文章が作成されていく。操作を終えて、杜若は手帳を破り取った。

「これがお求めの情報の全部。俺にはこれ以上はできない」

「そうか、それでいい」

 嬉しそうに笑う姿は青年のものだ。その癖表情は子供のようにあどけない。彼は目を細め、杜若に向かって手を差し伸べた。杜若はためらわなかった。前に進んで、大きく滑らかだが骨の節が浮き出た手に、その紙を乗せた。白の死神はそれを、しっかりとつかんだ。

「字はわかるのか」

「いや、でも触れれば、大意は取れる」

 表面を撫で、触って、本物だと分かったのだろう。満足そうに内容を確かめる。

「約束だったな」

 紙から目を離し、杜若を指でさした。杜若の喉に胸に手首に拘束が浮かび上がる。黒が抜け出るようにして離れ、解かれて、リボン状になって開かれた手のひらに吸い込まれた。ごくあっさりと、逆らう様子も腹立てる様子も無く、杜若を解放する。鳩羽と褪衣は気付いただろうか。

「―――約束だ」

 杜若は目を逸らさず、言った。そうだったねと楽しそうに、笑う。

「おいで」

 白の死神が何も無い背後に向かって手で招く。そこから、溶け出すように。結界で隠されていたのだろうか。透明から、通り抜けて臆すことなく進み出る一つの姿。

 杜若はえ、と呟いた。

 白いスニーカー、白いソックス、ひだのある紺のスカート、スカーフを前で結んだ半袖のセーラー服。髪は肩の線で切りそろえられて。

だ」

 片手を広げるようにして、示されたのは紛れもなく一人の少女。きっと前を、杜若を―――睨むように見据えた。

 混乱の中で、目の前にした状況の中の一つの可能性に気付いた杜若に向かって、ごくごく愉快そうに、飛び切り上等な、引きつるような微笑を薄は浮かべた。

「本物が本物の名前を名乗って何が悪い?」

 杜若と同じくらい、どう見たって中学生の少女の声音。

 聞き覚えは、あるような―――。

 瞳を決して逸らさず、引き結ばれた唇。見た事もない硬い表情。そこにある、

 呆然とした杜若の背後で、鳩羽と褪衣の到達した足音がした。

 白の死神が、ゆっくりとたずねた。

「どうして、死神が居るの?」

「お前を、捕らえるためだ」

 鳩羽が鎌を握り締めた。宝玉から噴き出す、力の波。

「言ったね」

 白の死神が最高に楽しげに声をあげた。彼はわらった。挑発するように。

「やれるものならやってみろ!」

「――私は、あなたを

 流下つばきはまるで宣誓するように言った。

「―――駿ながれ 杜若かきつばたさん」

 その名前はこの世で一番苦々しげに、吐き捨てるように呼ばれた。その声にこもった憎しみ。瞳にひらめくは激しい怒り。

 その名を指し示して呼ばれた杜若の顎を、伝った汗が割れたタイルに滴り落ちた。


 鳩羽&褪衣 V.S.白の死神 はく

 情報屋 駿杜若 V .S.事件犯人 流下つばき


 最終戦の火蓋は切って落とされた。


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