其の八

 かりっ、ふわっ、とろっ。

 熱々のフレンチトーストが口の中で旋律を奏でます。

 ミルクと卵の風味もさることながら、粉砂糖とメープルシロップの甘々で、頭の中までとろけてしまいそうです。

 フレンチトーストはデザートで頼みましたのに、この後にロールケーキでも食べられそうでございます。

 しかし、我慢致します。彼の前でこれ以上の大食らいにはなれませぬ。



 フレンチトーストの余韻に浸りながらブラックコーヒーをすすっておりますと、にわかに彼がテーブルに何かを置かれました。

「以前から渡そうと思っていたんだ。楓ちゃんに似合うと思って。」

 細長い木の箱でございます。

 熨斗のように白い紙が巻かれ、赤い水引でつくられた花のモチーフが添えられております。

 おしぼりで手を拭きまして、さっそく箱を開けさせて頂きました。

 中に入っておりましたのは、かんざしでございました。

 赤と緑のもみじの飾りがついております。

 無駄に大きな胸に熱がともります。

 でも……

「ごめん。俺、変なことをしちゃったかな」

 彼の優しいお顔に動揺の色が入ります。

 不安にさせてしまったようです。

「いいえ、お気持ちは大変嬉しゅうございます。ですが、わたくしは、いつかあなた様を食ろうてしまうやもしれぬ身。このようにちやほやされると勘違いしてしまいます」

 わたくしは彼とは住む世界の違う存在です。卑しい鬼でございます。

 それなのに、人間の女人であるかのように錯覚してしまうのです。

 簪を扱うわたくしの手に、彼は手を重ねられました。

「こんなまずそうな男でよければ、どうぞ食べて下さい」



 熱が点りましたのは、胸の内だけではありませんでした。

 目頭も熱くなり、視界がぼやけます。

 すぐに泣いてしまうのは、わたくしの悪い癖です。

 彼はわたくしを愛して下さいます。

 わたくしもまた、彼をお慕い申しております。

 多くは望みませぬ。しかし叶うなら、角も牙も折り、彼と添い遂げたい……そのようなこと、叶うはずがありませぬ。

 ならば、最後の最後まで、彼と共に居とうございます。

 メープルシロップよりも甘い味を噛みしめまして、着物が着崩れそうな無駄に大きな胸に密かに誓いました。



 【「メープルよりも甘い味」完】

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メープルよりも甘い味 紺藤 香純 @21109123

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