はじめての世界のおわりに

こんな世界でも日々はすぎてゆき、寝て起きれば過去は昨日で現在は今日だ。

明日なんて、最早この世界は確約してくれないけれど。

こんな身体からだでも彼女を抱くことくらいは出来て、ことが終わったあとにふたりですっかり微温ぬるくなった珈琲を啜る。僕はクリープと砂糖をたっぷり、しかして彼女はブラックだ。接吻くちづけを交わす度に慣れない味が舌に広がるのが楽しかった。

ブラックは、苦手なはずだったのに。


あの日死に損なった僕等の残骸。

今、死にゆく世界の一部にもなりきれない、アイス珈琲に投げ込まれた二つの角砂糖のような僕等。


ーーー僕等はこんな世界でなければ、もう少しくらいはでいられたのだろうか?

そんな問いを、彼女に投げたことがある。

すると彼女はいつものように、意地のわるい猫じみて少し目を細めて笑ってこう答えた。

「どこまで行っても、私は私で君は君だよ」

とは言わない彼女がどうしようもなく悲しくて、堪らない程愛しかった。


になりたくない訳じゃない。

ただ、「ひとり」と「ひとり」のままがきっと、 僕等みたいなやつらには


そうだ、こんなになってまで、僕は僕と彼女にやさしかった。彼女は僕と彼女にやさしかった。だからーーーだから、余計に性質たちが悪かったのだ。


思い出す。

結晶に喰い潰される世界のむごさに呑まれた父娘を。

最期に笑って逝った、綺麗なものを見た彼を。

世界の終わりまで共にいたいと願ったあのを。


終わりはいつだって、晩夏の雷のように。


#


彼女はそれだけ言った。僕はそれだけで何もかも察して、なにも言わなかった。

「……先週くらいから、やたらと右目を気にしてたもんね」

「やっぱりばれてた?」

「君のことだもの」

「これでだね」


なにも言えずに煙を吐く。こういう時に気のきいたことばが出ないから僕は僕のままなのだ。

「君は」「君はどうしたい?」

思えば訊ねるのはいつも僕で、答えるのはいつも彼女だ。あの日のプールサイドで生きる答えをもらったあの時から、なにも変わっていない。

「……うん。しばらくは、このままで」「今は、いいかな」

何が、とは訊ねなかった。


#


それまでは日に数ミリ程度だった左足の結晶化が、その日を境に格段にペース上げてきたーーー精神こころ安心ほっとしてしまったからなのか、身体からだ自棄やけになったからなのかは分からない。どちらにしろ僕に似て、ゲンキンな奴だと思う。


しばらくは何も起こらず、誰にも逢わず、平凡ないつもの日常を過ごせていたように思う。

もう世界には僕等しか残っていないのかもしれない、という錯覚。だとしたらこの星も神様も可哀想に、最後の演目は人間みたいななにかたちの安っぽいメロドラマなのだから。

それで喜ぶような世界なら、亡ぶのも自業自得というものだけれど。


そして彼女の右目が外から見ても白く、綺麗になって、

僕の左足が膝小僧までイカれた頃。


「今日だ」と彼女はそれだけ言った。

僕は二丁の拳銃を用意した。

地球最後の夏も終わる、8月31日のことである。


#


僕はセキュリティシックス、彼女はM1917。

僕は別段どちらでも構わなかったのだが、懐古趣味的な彼女はこちらがいいと言って聞かなかった。

「弾は、込めたねーーーじゃあ、三つ数えよう」

間合いは3メートル程度。いくら僕等がずぶの素人でも、当たる方に部のいい賭けになるだろう。


「3」「2」「1」


白くきらめく丘、結晶の柱が墓標のように乱立する世界にふたつの発砲音が響いて。



ーーー僕等は互いに呆けたままで、の顔を見つめていた。


「ーーーは」

「はは、っはははは!あははははは!」

どちらからともなく笑いあう。気づけば涙さえ出てくるぐらいに、久方ぶりの、心の底からの笑いだった。



あぁ、ほんとうに、ろくでもない格好の付け方!最期に見るのが相手の驚いた顔なんてのも乙だろうと、互いに思っていたなんて!


そう言い合って笑いあおう。ふざけ倒してこその人生だ。ふざけてくれ、もうを見せないように、頼むから。

ーーーあなたには生きていて欲しかったなんて、僕等は互いに言い合う権利もなかったのだ、最初ハナから。


どれくらいそうしていたか分からない。五分だと言われれば間違いなくその通りだろうし、これから先の五十年ぶんくらいは感情を消費していたと誰かに言われても腑に落ちただろう。


そうして満足したところで、僕等は一度だけ接吻キスをした。くちづけともいえないような、まるで初めて同士に戻ったような、それくらいのもの。

抱き合って、互いの喉笛と顎の境辺りに銃を突きつけた。一度失敗した以上、もう、互いに遺すのも嫌だったし、遺されるのなんて死んでもごめんだったーーー文字通り。


「これなら外さない……ふ、ふふ」

なんだよ、と訊いてみる。ここまで至っても僕は訊いてしまう、彼女を知りたいと思ってしまう。

「いや、嬉しいんだーーー私は菫と違って足元じゃなく、君の隣だから」

いつか彼女が読んでいた詩を思い出す。

そうかーーーそれなら、たまには自分から言ってみても、いいかもしれない。



「なぁ、波瑠」

「なんだい、潤一郎」


「実はね、僕は君が、大好きだったんだ」

「知ってる、私もなんだから」



銃声が二つ響く。

それが僕等の聴いた最期の音で、願わくばこの惑星ほしで最後の銃声。

最期に見たのは、愛しいあなた。

なんて。

あらゆるものが結晶になりゆくこの世界で、僕等はーーー僕等はただ呑まれるのではなく、ようやく、ふたりになれた。













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墓標は遠くきらめいて そうしろ @romangazer

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