フリムキさん

佑佳

フリムキさん

 その古い団地は三〇年ほど無人で、草木も伸びきり手入れする者は誰も居ない。この度、国の体制で団地の取り壊しが決定し、今日も学校で先生から「重機が入ったりするから危ないので、絶対に出入りしないように」と、強く言い渡されたところだった。

 しかし、「最後に肝試しやっとこうぜ」なんて、昼休みに勝太ショウタが言ったから、晃平コーヘイ裕哉ユーヤも悪ノリして「お前も来いよ」と声を掛けてきた。

 僕は溜め息をあからさまにしながら、監督目的で同行を渋々承諾したところだったわけである。




「姉ちゃんがクラスの男子に聞いたんだって」

 放課後そのままの足で古団地へ向かおうと、四人で横並びに歩道を占拠しながら進んでいた時。四つ上の姉がいる裕哉が俯きながら口を開いた。

「あの団地って、ずうっと棲み着いてる霊がいるんだって」

「ウソっぱちだよ、そんなの!」

 勝太はガキ大将気質そのままに笑い飛ばした。

「大体さあ、その幽霊見たヤツ居んのかよ?」

「姉ちゃんのクラスの男子の年上の友達だとかが、霊に襲われたみたいなことを聞いたんだって」

「又聞きすぎて信じれなくねぇー?」

 勝太は晃平に同意を求めて「なぁ?」と笑い掛けたが、晃平は蒼い顔で立ち止まった。

「オレ、幽霊とか、ちょっとパス……」

「怖ぇのかよー、ダッセェ」

「勝ちゃん、やっぱり止めねえ? ホンモンがいるなら本気でヤバイよ」

「やろうやろうって最初にノってきたの、晃平だろ。今更怖じ気付くなよな」

 勝太がギッとその三白眼で睨むと、晃平はしゅっと萎縮したように僕の横を歩き出した。

「ボクはその話確かめたいから、行くってノったんだ」

 裕哉は一番小柄で細いのに、勇気だけは一番ある昔から実に頼もしいヤツだ。

 そんなことを喋っていたら、あっという間に古団地に着いてしまった。

 先生に言われた事とは真逆に、重機らしい重機が入った痕も無ければ、重機そのものも人気もない。まして工事の看板などもまだ建てられてすらいなかった。

 勝太は「なーんだ、まだ大丈夫じゃん」と、一人ズンズン草を分け入り始めた。その後を追って裕哉、僕、晃平と一列に続いた。

 古団地は全て八階建てのやや高い造りで、全部で六棟ある。無人だとか入った人が居ない様子が僕達の背筋を一層薄ら寒くさせたし、何より建物の外観が「出そう」なんて誰しもに簡単に想像させる。僕の背中の裾をぎゅうと晃平がちぎらんと掴んでいたので、僕は眉を寄せながら裕哉に続いていた。

 雑草は僕達の膝上まで伸びていて、裕哉は「草でスネを切ったかもしんない」とぼやいていた。

「……行き止まりだ」

 勝太が団地の敷地の一番奥まで真っ直ぐ歩いて、緑色が錆びたフェンスに突き当たったので、くるりと僕ら三人を振り返った。

「やっぱり夜に来るべきだったな、怖くねえな」

「……うん、何もなかったね」

 勝太も裕哉も肩を竦めて、僕と晃平に感想を述べた。

「か、帰ろう。ちゃんと帰るまで、何があるかわかんねぇよ」

 晃平がすっかり冷えた手で勝太と裕哉の腕を掴み、来た道を戻ろうと促した。

「晃平は怖がりだなあ、大丈夫だっつぅの!」

 勝太が晃平に腕を掴まれるままに僕の横をすり抜けて、僕達が踏み倒して歩いた草の上を、一歩踏み出した。

「アソビ、ヤロウ」

 急にそんな声がしたので、僕は伏せていた目蓋をフッと持ち上げて、振り返ろうとした。が、隣に居た裕哉にガッと肩を掴まれて振り返ることができなかった。

「振り向いたらダメだ!」

 裕哉のその大声に、僕の前にいた勝太と晃平も立ち止まる。まるで四人全員が金縛りにあったみたいだ。一呼吸遅れてゾワワと背筋に鳥肌の波が走った。

「アソビ、ヤロウ」

 同い年くらいの女の子の声で、僕の後ろからそう声が聴こえる。僕達は眉を寄せながら口を閉じて、浅い呼吸を繰り返した。

「しょ、勝ちゃんっ晃ちゃんっ、進める……?!」

 裕哉がズリと摺り足のような動きでやや前に進むと、勝太は何も言わないまま、同じような摺り足で少しずつ進み始めた。晃平の腕を掴み直して、ガチガチと歯を鳴らす晃平を引っ張って行くようだ。

「フリムイタラ、トモダチ、ナルヨ」

 今度は僕の耳元でハッキリと聴こえた。チラリと横目で裕哉を見ると、裕哉の左耳にもそう聴こえたらようだ。耳を押さえて蒼い顔をしている。

「ふっ、フリムキさんだ……! ホントにいたんだ!」

「フリムキさん?!」

 裕哉の足がやや速度を上げたので、僕も続こうと裕哉に訊き返す。

「姉ちゃんが言ってた『ヤツ』だよ! 振り返ってフリムキさんと目が合ったら二度と帰れないって話だって!」

「お、おいっマジかよ?!」

 勝太が小走りで晃平の右腕を引き始めた。晃平は足がおぼつかない。ヤバイかもしれない、と僕は奥歯を噛んでいた。

「おお……おい! や、やめろやぁ!」

「しょ、勝ちゃん、離さないでぇ!」

 勝太が晃平の手を離し立ち止まり、自分の両耳をガシガシと搔きむしり始めた。

「勝太、どうした?!」

「耳に何か……吹きかけてくる! き、キモチワリイ!」

「勝ちゃんっ絶対振り向いたらダメだよ! そうやって振り向かせようとしてくるんだって」

 裕哉の説明から、どうやらこの場の全員にそういう『罠』を仕掛けてくると踏んで、僕は右側の裕哉を追い越し勝太の後ろに回ると、晃平に近付いた。

「晃平、僕と繋いでよう」

 ぼそりと言いながら晃平の右腕を掴むと、晃平は僕を蒼白い顔で見詰めた。

「勝ちゃん、……居ないんだけど」

「は?!」

 晃平のその一言にギョロギョロと目玉だけで辺りを見回した。前方一八〇度の範囲に確かに一瞬前には居た勝太の姿が無くなっている。

「トモダチ、ヒトリ、モオーラアーイィー……クキキキ……」

 消えるような、しかしとても近い女の子の声で、僕の耳元でまたハッキリと聴こえた。晃平は「ひぐうっ」としゃくり上げると、僕が掴んだ手を逆に掴み直して走り出した。後ろからは裕哉の走る足音と、もうひとつ何かの近付いてくる音がいた。

「全力疾走だっ!」

 裕哉がそう叫ぶと、それを合図に晃平がぎゅんと走り出した。

 晃平はもともと足がとても早いが、今僕の腕を掴んでいることが枷になってしまっているかのように、走りに不自由さがうかがえた。

「こ、晃平っ腕はなせっ、転ぶとヤバイよ!」

「でも、早くみんなで帰ん──」「バカッ晃平っ、前見てろっ!」

 裕哉の助言も虚しく、晃平も一瞬にして僕達の前から姿を消した。

 僕はさっきの晃平のように歯をギチギチと鳴らしながら、裕哉と「うわああー!」と叫びながら走り続けた。

「サミシイ、……サムイ、……コロンジャエエエエ」

 今度は僕の番のようだ。

 両耳で吐息のようなそんな声がずっとし始めた。ゾゾゾゾと脳天からカカトへと鳥肌の波が再び走る。

「やめろおオオ!」

「ワタシノ、カオニ、オオキナキズ、アルノ……ドオシテ……ダトオモウ?」

「も、もう出口だ!」

 裕哉のその声にハッと目の前の景色に意識を向けた。団地の敷地の入口まであと三駆けすれば辿り着く。

 その時。

 僕の右肩に細くて蒼白い子どもの指が掛かった。

 爪が異様に長く、人差し指のそれはツウ、と僕の首に触ったのである。

「ひぃ……いい!」

「コウヤッテ……キズ、ツケテミル……トネエエ……?」

 胃の奥が沈むような恐怖を感じながら、ガタガタと前歯を鳴らして敷地から飛び出した。


 勝ったっ!

 幽霊の『フリムキさん』に、勝ったんだ!

 そう思って、裕哉と横並びにゼエゼエと息を切らして俯く。

 すると、沈んだ胃の奥から沸き上がる酸い嗚咽が喉をものすごい勢いで上ってきた。


 俯いた先に、なぜかフリムキさんがいたのだ。

 生気無い蒼白い顔。

 真っ黒に塗ったような窪んだ目元。

 地面に散らかる黒くて汚くてボサボサの長い髪。

 ガタガタで隙間だらけの小さな歯が、鼻横まで割けた口から複数覗いている。それが、ニタァリというおぞましい笑いと共に見えたのだ。

「ツゥカ、マエ、タ」




 あれから団地は呆気なく取り壊されて、土地の中央に『国有地』の看板が立った。下半分が赤くて、連絡先が書いてある。

 しかし、特に何か新しく建物が建つ予定は無いようで、先日学校で先生から「空き地では絶対に遊ばないように」と強く言い渡された。

 ……え、僕達はどうなったかって?

 僕達は大丈夫だった。呆気ないもんだろ。

 だって次は

 僕達 ガ


 フリムキさんニ

 ナッタカラ


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