遺書

片桐万紀

 れはわたしの遺書だと思って書きます。日記すら書けない人間でした、何処どこまで書けたものかは判りませんが。如何どうにも日記は駄目です。一日一日、何が有った何を思ったなどと、如何してそんなに書く事が在るのでしょうか。


 いいえ、きっと書く事は数多あまた在るのでしょう。の日の食事、其の日の天気、野辺のべに咲く花、世論、思い。何時いつしかの兼好けんこう法師とう人など、徒然つれづれなるままに日暮しすずりに向かひて、あれだけの草子を書き上げてしまったのですから。の人は一体どれだけのものを見聞き、感じ、筆をったのか、いや、常人には知り得ぬ境地である事は確かです。


 そしてわたし以外の、所謂いわゆる普通の人にも、兼好法師ほどではないにしろ、何か書く事は在るのでしょう。わたしには出来なかっただけの話です。日々、何らかは有りました。筑前煮を食べたとか、晴天だったとか、見上げた枝に紅梅の一輪咲いているのを見付けただとか、そんな事はわたしにもいくらでも有りました。ただ、書くにあたいするようなものだと思えなかったのでした。筆を執って紙に書き記して残すには、あまりに他愛無く、無意味で。そう、無意味。わたしにとって日々とは、人生とは、わたし自身とは何処までも無意味なものであったのです。何の価値も意味も成さぬものを書き綴るのは、気恥ずかしさだけでない、何とも云えぬいやな心持ちになるもので、日記は如何にも駄目なのでした。


 そのようなわたしがこんなものを書いているなど、辻褄つじつまの合わぬのは承知で、自身、不思議にも感じているのですけれども。死のう、死にたい、生きていたくないとばかり、ずっと思って今まで来ました。生まれて二十四年、せみの声に汗が伝い落ちる八月です。終わりにする前に、一度くらいは自らの人生の棚卸たなおろし、総決算、そういったものをしておこうかと、ふと思って書いているのです。


 誰にてたものでもありません。学校で書かされる未来への自分への手紙など、気恥ずかしさのあまり落書きで御茶を濁していましたから、自分に宛てたものでもありません。ただ、つらつらと、書いていくだけのものです。もし此れを何処かで見付けてしまった誰か、貴方あなた、どうぞお捨てなさい。貴方の為に成るような事は、何も有りはしません。どうぞお捨てなさい。お忘れなさい。もし、此れを届けられてしまった警官の貴方。不審な冊子が届け出られたとあらば、貴方は職務上、改めざるを得ない事でしょう。大変申し訳無く思います。


 警官でなく、只拾っただけで、此処まで読み進めてしまった。そんな誰か。貴方。お捨てなさいと言っても、文字が続く限りは読み進めなければならぬと、酔狂な方がいらっしゃるのであれば。それならば、どうぞお読みなさい。何も面白いものは無いやもしれません。長々と続くかもしれません。直ぐに終わってしまうのかもしれません。それでも宜しいのならば、どうぞ文字の限りお読みなさい。


 此れから記すのは、一人の人間の人生です。わたしと云う、何処にでも居るような、矮小わいしょうな人間の、二十四年間を記すのです。

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