壱(3)

 茫漠ぼうばくとした日々はわたしが幼稚園、小学校へ上がっても大差はありませんでした。わたしにとって友人とは、外で過ごす間、互いに暇を潰す為の相手に過ぎませんでした。居なければ居ないで如何様いかようにも過ごせましたし、名前が判らずとも何とでもなる、書物の代わりのようなものだったのです。


 他人の顔と名を憶えるのが酷く苦手な子供でした。否、今も不得手なのは変わりません。同じ学級の子供全員を憶えるのに、毎日顔を合わせても幾月いくつきも要しました。公園で一度声を掛けられただけの相手など、そのような事が在ったかさえ、思い出せませんでした。幼少のみぎりから現在に至るまで付き合いの有る友人も数人程度は居りますけれども、彼ら彼女らも憶えるまでには、他と同様に時間を要したものです。


 学校とは知識を詰め込む場であり、祖母の家は夜までの時間を潰す場であり、自宅とは寝る為の場でありました。其の三つを日々循環しながら、わたしは書物を読み、知識だけを脳に詰め込んで成長していきました。


 わたしの一番の友は本でありました。こうしるすと友人各位には批難されるか、呆れられるやもしれませんが。或いは余程付き合いの長い人間は、諦念混じりに納得するやもしれません。それだけ、当時から現在に至るまで、わたしは本を、――詳細に云うなら物語を、片時も手放さずに生きたのです。


 物語を読んでいる間、わたしは自由でした。わたし以外の何者か、時には伝説の剣を携えた王子に、時には偏屈な探偵の助手を務める学生に、時には人の心をうしなって月へ還る姫君に、時には夢の中で冒険を繰り広げる少女に。頁を開き、文字や絵を脳に流し込んでいる間、わたしはわたし以外の誰にでも成る事が出来ました。知らぬ街を、荒野を、時代を脳裏に投影し、その内側で何者かに成ったわたしは自由に駆け、叫び、戦い、学ぶ事が出来ました。


 喜怒哀楽、そういった感情が如何なるものであるのかさえ、わたしは物語を通じて識ったように思います。わたしが成った「誰か」が涙を流し胸の痛みに呻くと文に在れば、わたしは投影された苦痛から、其れが悲しみだと憶えました。はらわたが煮えるように熱く呼吸が浅くなったと在れば、其れが怒りだと憶えました。虚ろな器に石を投げ込んで反響を聴くように、わたしはわたしの内側に物語と云う石を入れて、あらゆるものを認識していったのです。

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