壱(4)

 わたしは自由でした。現実の肉体では決して出来ない、たとえば都会のビルの間を跳び回るだとか、不可思議な魔術を使うだとか、喉が張り裂けんばかりに泣き叫んだり、喜びで羽が生えているように軽やかに踊ったり、そのような事も物語に在る限り何だって出来ましたから。裏を返せば、現実のわたしは酷く不自由でした。一日の大半を屋内で育った身体は同い歳の子供と比べても筋力面で劣り、球技一つ取っても上手い投げ方すら分からず、仕方無しに指南本を開いて試しても如何にもなりません。あれやこれやと試している間に体力の無い身体は疲れ果て、周囲の級友には下手糞へたくそと言われ大人には渋い顔をされる繰り返しでしたから、運動と名の付くものは手を出すのも億劫おっくうになりました。わたしが上手くならずとも、元来そういった運動が上手い子供は周囲に幾らでも居ましたし、其の子らに任せて自分は手を出さぬ方がかえって良かろうと気付いてからは、尚更遠ざかりました。


 声の限り叫ぼうものなら近所迷惑だとたしなめられると解っていましたし、躍れば奇異なものと見られる事も解っていましたから、現実のわたしは只管ひたすらに黙々と頁を捲る子供に成りました。本を開けないような場所では脳に焼き付けた数々の物語を反芻するか、或いは焼き付けた物語たちを下敷きに、もう一つの現実とでも云うべき新たな世界を脳裏に生み出し、そちらに意識を傾けて時間を潰しました。思えばわたしが小説家を志した、其の原点はこういったところだったのやもしれません。


 重く儘ならない肉体を、制約の多い現実を疎ましく思うようになりました。わたしにとっては、頁さえ開けば、否、意識を傾けさえすれば飛び込める物語の世界の方が、余程よほど魅力的な「現実」であったのです。何にでも成る事が可能であり、何事でも成す事が出来る物語の方が、余程。紙とインク、或いは目に見えている平坦な景色、其の水面みなもの如き壁を透かした底のようにえるもう一つの世界こそ。


 自分の――自身の心、精神、魂、そういった言葉で表すのが一番近いでしょうか。わたしは自分自身の在り処を、其のもう一つの「現実」だと、幼いながらに定めたのでした。御蔭おかげで現実のわたしは何処か地に足の着かぬような変わった子供でありましたが、幸いにも成績は運動を除いては優秀な部類でありましたし、特に問題となるような行動もしませんでしたから、本好きの少々変わった子供だろうと云った程度にしか思われませんでした。


 ただ、「現実」に心を置いたわたしが見る現実は、次第に酷く造り物染みて感じられるようになっていきました。他人は思考する機能を持つ何か別のモノに思えます。決して他人が人形に見えるようになったとか、そういう事ではありません。むしろ、わたし自身が、他人とは何か別種のモノであるような、人間以外の何かであるような、そんな風に思われてきたのでした。


 肉体と、現実に対するわたしの違和感は、この頃は未だ水に溶いた絵の具のように薄っすらと些細なものでした。子供の戯言たわごとと呼んでも相違無い程度でした。けれど、今思えばわたしを悩ませる狂おしい種の一つは、既にこの時根を張り始めていたのでした。

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