壱(2)

 現在ほどではないにしろ、共働きの家も然程さほど珍しくはなくなった頃でした。父も母も、組織の違いはあれ、国や公共に務める人間でしたので、乳児の頃からわたしの面倒を見たのは母方の祖母でありました。八つ歳の離れた兄も、祖母に育てられました。産んで二月ふたつきもせぬうちに、母は仕事に戻ったと聞いています。産休も育休も、今より目が厳しい時代でした。いいえ、今も大きく変わったものかと問えば、そうではないのでしょうけれども。


 当時は未だ、両親と同じく、公共に仕える身であった祖父も働きに出ており、学校に通う兄も日中は不在でしたので、物心付いたわたしの遊び相手は大概、兄のお下がりだったり近所の小さな本屋で揃えられた学習漫画や絵本、児童書のたぐいでありました。他には、不要になった祖父の書類を裂いた裏紙、鍋の蓋や南瓜かぼちゃの半分が何処かへ行った古い飯事ままごとセットなど。


 炊事洗濯に手を取られる祖母は、今でも地方ではよく有る話でしょうが、近所の同年輩や親類と長々喋るのが好きでしたから、電話でも掛かってくれば一時間、二時間は大声で応対しているのが毎日の事で御座いました。三軒隣の奥方だの裏手に住む奥様だのが顔を出せば、わたしに玄関先で礼儀正しく挨拶をさせ、夕刻まで山と積んだ菓子をつまんでいました。戦前までは小作人を雇っていた小金持ちの生まれだった祖母は、着るもの食すものに至るまで良いものにこだわり、わたしにも山と与える一方、其の分礼儀にはうるさい人でした。けれど、愛想良く「いらっしゃいませ」と客に頭さえ下げておけば、他にわたしがするのは隣室に退がって静かに一人、時間を潰すくらいのものでしたから、楽と云えば楽だったのでしょう。たまさか、玄関からそのまま、客人のお喋りの相手を務める事も有りましたが……好きな食べ物は何かだとか、そのような些細な問いに答えて、ともなった人形を見せでもすれば、客人は満足するものでした。


 祖母からしても、放っておけば一人で幾らでも勝手に遊んでいる孫は楽だったようで、玩具や無駄紙は常に在るだけ、わたしの手の届くところに置かれていました。庭より先に出る事は禁じられていましたから、わたしは日がな一日、気の向くまま、積み木を崩したり本の内容を書き写してみたり、飽きれば畳に転がって昼寝したり、そのように一人、硝子戸の外が暗くなるのを待っていました。季節によって簾の影だったり炬燵の中だったりと昼寝の場所が変わる程度で、兎に角日々の繰り返しでしたから、わたしの記憶の曖昧さ、其の意味脈絡の無さも道理と云うものです。

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