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 東京都千代田区『東京ウォールシティ日比谷』34階

 『中野貿易』本社社長室



 空は快晴だった。単色のビルが連なる東京の中心部でも空が晴れればどこか色味を感じることができる。

『東京ウォールシティ日比谷』からは皇居がよく見え、東京には珍しく緑の多いその場所は、旅行客の観光やサラリーマンの休憩スポットとしても利用されているが、この場所からは人は認識しづらく、堀の周りを働きアリのように小さく見える車がせわしなく動いているのが見えるだけだった。

 かつて、江戸城があったこの土地も今や誰かに見下ろされる土地になってしまっている。

 今まさに新たな天守閣のようなその位置で一人の男が雑誌記者から取材を受けていた。

 自動車が買える値段のイタリアブランドのソファに腰掛け、タバコを吹かす中野貿易社長我妻秀章は皇居を見下ろしたいという理由だけでこの場所に会社を移転した。

 足を組み、黒川の鏡面磨きの革靴が雑誌記者の顔を映し出す。腕を大きく背もたれにかけたその姿はいち雑誌記者に対する態度ではないように見えた。熟慮され選ばれたソファのグレー地がこの男のホワイトスーツの色を引き立たせ、溢れる自信とそれに伴う横柄な態度を生み出していた。

「中野貿易はこの1年で躍進され、青物横丁のビルからこちらのテナントに移転、大きく社としての規模を広げられたのだと思いますが、今後どういった展望をお持ちでしょうか。」

 グレーのスーツを着たキツイ化粧の女が引きつった笑顔で質問する。明るめのブラウンに染まった髪にゆるくウェーブをかけ、横に流している。大きく見開いたその目は、妖艶さにあどけなさが混じり、その瞳に相手の姿を大きく映していた。

 白いVネックのTシャツからは白い肌が見え、首元には細いゴールドチェーンのネックレスをつけている。きっと企業の経営者からは好まれる出版社側の”決め球”なのであろう。

「展望?そんなものはないかな。適当にやってるから。まぁ、一つ言えるのは今、我々の持つルートはほとんど他の企業が持っていたものに他ならない。彼らは”防御”が甘すぎる。だから我々が奪ってやっただけさ。」

 我妻は数回しか吸っていないタバコをソファの後ろに立つ短髪黒スーツの男の持つ灰皿に入れた。記者を見つめる彼は顔こそ優しげな青年風だが、肩幅は大きく引き締まった体型をしていた。目だけは全く記者から外さず、たとえ一人でも記者の一挙一動に十分反応できるだけの準備はできているように思えた。

「我妻社長の敏腕には業界が”注目”されています。具体的にはどのように方法で奪ったのかお聞かせください。」

「方法かぁ・・・自分が持ってるもの使ったとしかいいようがないかな。強力なコネがあってね。これで勘弁してくれる?」

 切れ長の目で愛くるしい笑顔を振りまく我妻は、その長めのヘアスタイルと肌の白さから男装をした女にも見える。

 分かりましたと同じく笑顔で返す記者の顔は笑っているものの、まだ物足りないといった様子だった。



 それからしばらく、プライベートの過ごし方などのどうでもいい話題に移った。

 我妻は相変わらず笑顔で記者の質問に答える。ときには下手に出て、冗談を言うほど取材の雰囲気は和やかになった。

「一つ聞きたいんですけど、記者さんの好みの男性は?」

「えー、それ聞きますか?結構私、優しそうな男性が好きなんですよ。あ、後ろに立ってる方なんてまさにタイプですよね。身体も大きそうだし。」

 記者の目がソファの後ろの男に向いた。男は相変わらず微動だにせず、ひたすら記者を見つめている。

「ああ、彼ね。彼は優秀よ。見た目通りいい男だよー。」

 まるで女友達かのように会話する二人の質問は続き、我妻は腕元の時計を見始めた。黒い耐久性のありそうなダイバーウォッチが彼の細腕には似合わず、腕輪のようにも見えた。

「変わった時計ですね。」

「ああ、本当は機械式使ってたんだけど、壊れちゃってね。こっちの方が見やすくていいんだけど。」

 期間限定のダサいスタイルだよ、と言うと彼は背もたれから身体を起こした。

「記者さん、ごめん。そろそろ時間なんだけど。」

「ああ!すいませんでした。楽しいひとときをありがとうございました。」

 そう言うと彼女は隣に置いてあったショルダーバックから綴じられたファイルを素早く目の前の机の上に差し出した。

「何これ?」

「スペイン語訳すのが大変でした。とある漁船員の方のブログです。」

 先ほどの笑顔とはうって変わり、記者の顔はひきつった顔に戻っていた。

「ここにはあなたが運んだ”荷物”について書かれてあります。そしてそのせいで夜襲に遭ったと。彼は命からがら逃げ果て、グアルディア・シビルに助けてもらったとのことでした。」

 グアルディア・シビルとはスペインの沿岸警備隊のことである。我妻は不機嫌そうに目を細めると続けてと小声で言った。

「”バナナ”であると船員の認知していたコンテナには大量のマリファナが積んであったとのことでした。そしてその船は日本行きである。・・・この件についての正誤をお聞かせください。」

 我妻はだから何だと言わんばかりに全く表情を変えず、もう一度タバコを吸い始めた。しかし、スーツから出した金色のターボ式ライターを戻さず、そのまま目の前にある机に投げ置いた。マットブラックでコーティングされた机を滑りながら、記者の前まで滑る。金地に彫られた、植物に立つ鷲が蛇を咥えるデザインがくるくると回り停止した。

 しばらく我妻は黙ったままタバコを燻らせる。

 沈黙を嫌がった記者が気早に質問した。

「このことが本当であるなら中野貿易が既存会社のルートを奪えたことも納得がいきます。あなたは莫大な利益を得て、次から次へとルートの奪取に成功する。青物横丁の古ビルから都内一等地に本社が移転するくらい楽勝ですよね。」

 引きつった顔に少し余裕が見え、記者の口元が緩んだ。相変わらず無言を貫く我妻を前に手元の手帳を開き、更なる追撃を考えているようだった。

「先代の社長である––––––」

「いくらもらえるんだ?」

 記者が追撃しようと開いた口は我妻の一言で押さえつけられた。

「すいません、もう一度––––––」

「お前がこの記事を書いていくらもらえるのかと聞いてるんだよ。」

 記者は一瞬たじろいだがその言葉を物ともせず反論する。

「それはこの件とは関係ありません。」

「人に質問するくせにこちらの質問には答えないのか。」

 一般企業の社員と同じくらいですと答えると我妻は短くなったタバコを灰皿に投げる。

「安賃金のホワイトカラー風情が俺を陥れようとするのか。さすがだな。」

「お金ではありません。これはジャーナリズムによるものです。」

「ジャーナリズム?なんだそれは?黙って仕事する分ブルーカラーの方がまだマシだ。」

 記者ははやく質問に答えてくださいとカバンからボイスレコーダー取り出すと我妻に差し出した。我妻は大きくため息をつくと背もたれに身体を預け、腕を組みながらしっかりと声を発した。

「巻上、この女は何だ?」

 巻上とはソファの後ろの男のようであった。巻上は顔の表情を変えずに質問に答える。

「新報論社第一事業局所属勝山亜希。福岡県出身であり、家族は5人家族で兄が2人。父親は警察官であり福岡県警察本部刑事二課長、母親は専業主婦、兄二人はそれぞれ消防官、警察官としていずれも福岡県におります。高校まで福岡に居住し、大学は総明院大学政治経済学部に在籍。卒業後は父親との関わりが深い新報論社に入社、その後『新報総論』の記者となり、政界と民間企業癒着の記事において2年前に社長賞を獲得しております。未婚であり、今は会社近くの借り上げ社宅で一人で入居中。」

 そこまで言うと我妻は右手を上げ、巻上を止めた。

「おや?今回の取材は『FOCUS JAPAN』の取材だと聞いていたが。」

「卑怯ですよ。私の素性は関係ないです。」

「”取材”させてもらっただけだよ、取材にあたってね。」

 勝山の持つボイスレコーダーが小刻みに震えているのが分かった。修羅場を経験し、どんな場面でも気丈に振舞えるようになった彼女のような記者でも、自分の素性を知られ、身体が緊張し始めているようだった。

「僕に質問するということは、自分が調べられる覚悟があったんだろう?」

 勝山はその言葉に反応し、急に黙り始めた。我妻はそのまま続ける。

「毛ほどもない金で作られるジャーナリズムで悪を暴くのか?悪事を”社会のみんな”に伝えたいか?”おーいみんなーこんな悪いことをしている人がいるよー”とでも言うのか。なんだそれは。そんなクソ程の価値しかない理由で俺の前に立つのか。言え。お前がここにいる理由をもう一度言ってみろ。今お前の前にいるのはたかだが一国のプロレタリアに潰される程のヤワな野郎か。」

 流暢なスペイン語で捲し立てた我妻は殺気立った切れ長の目を勝山に向けた。

 彼女は既にボイスレコーダーを下げ、額から出てくる汗をハンカチで拭き取っていた。首元には汗が滲み、ネックレスのゴールドがより輝きを放ち始める。

「ミス勝山。ようやく取材相手が”分かった”ようだね。僕たちは君たちのルールでは生きていない。邪魔者は排除するだけだし、無論今ここに僕がいるのもそうしてきたからだ。だから今から君を殺し、南米の農村に”家畜の餌”として売ったって彼らは喜んで買うだろうね。もっとも君の外見なら日本の”筋者”がいい値段で買い取ってくれるが、多分その価値はこのソファよりも低いかな。」

 ソファを軽く叩くと、どうしようかと笑みを浮かべ、勝山のすぐ後ろを見ながら声をかける。

 勝山は今にも消えそうな小さな声で取材をやめさせてくださいと呟いた。

「”お前”にはもう聞いてないよ。」

 そう言うと、我妻の前から勝山の顔が一瞬のうちに消えた。



 ネックレスごとを首を引っ張られ、勝山はすぐ後ろに”立っていた”大柄の男に巨大魚でも釣り上げたかのように持ち上げられた。男は巻上よりも一回り以上大きい体躯で、着ているスーツははち切れんばかりに張り、衣服として不自然さを際立たせていた。何よりそのタトゥーだらけの顔からこの場所に存在すべき人間ではない異質さがよく感じられた。

 勝山は誰に持ち上げられているのかも分からず、ネックレスを首に食い込ませ血を流しながら、苦しげな表情で必死に呼吸しようとしている。

「気づかなかったようだね。君をいつでも殺せるように立たせてたんだけど。」

 勝山は必死に声を出そうとしている。我妻が巻上よりも一回り以上大きいスキンヘッド男に指を向けると指先を下に向け降ろすように指示した。

 勝山は呼吸が出来る程度に降ろされ、声にならない声で必死に伝える。

「あ゛し゛け゛てえ゛。」

「ん?何でお前を助ける義理があるんだ?お前が今できるのは僕に求めるんじゃない、僕に”差し出す”ことだ。お前には一体何ができる。」

 げええっと一段階大きめの声で返事すると、我妻は手のひらで降ろせと伝える。

 勝山は机の上に投げられ、ちょうど机に被さるように倒れた。

 真っ赤に染めた顔で涎を垂らし、嗚咽しながら咳き込む勝山の乱れた髪を掴むと我妻は一気に自分の手元に引っ張り上げた。

「”20秒待った”。非常に長い。答えを聞かせろ。」

 そういうと勝山の顔に自分の腕時計を当てた。

「ほら”見やすい”だろ?時間はどんどん過ぎていってるぞ。”ゴミ処理”を決めるには十分な時間だ。」

 何でもしますと勝山が必死な声を出すと我妻は勝山を降ろした。

 力尽き机にうなだれたままの勝山に我妻は何でもやるんだねと笑顔を振りまいた。

「何でもやるってのは”強盗”でも”殺人”でも僕の身代わりになって何でもやってくれるってことだよね。」

 勝山は最後の力を振り絞り頭を起こすと、顔を一生懸命横に振った。

 汗と涎を垂らし、血走った目をしている彼女に当初の美しさは微塵も感じられなかった。

「なーんて。冗談だよ。君には一晩付き合ってもらおうかな。スペインワインなんかどうだい?ただ、一つ忠告するけど、君の知っているスペインの”ロビンソン・クルーソー”は既に死んでいた。それだけ。いいかい?」

 勝山は必死に頷くと、魂が抜けたかのように机の横に座り込んだ。今自分が息ができ、難を逃れたことを確認しているようにも見える。

 我妻は立ち上がり、勝山の顔を覗きこんだ。やっぱり君は美人だねと言うと彼女の指先を摘まみ、立ち上がらせた。放心状態の勝山はふらふらと立ち上がるが、ハッと我に返り、急いで自分の服装を整え始めた。

 ソファの上のショルダーバッグをひったくるように持つと急いで逃げようとする。だが、ドアの前には先ほどの大男が立ちはだかり、目の前で硬直してしまう。

「グスタボ。」

 我妻が言うと大男は無言でドアを開けた。勝山が飛び出して出て行くと、グスタボも出て行こうとする。我妻はグスタボを呼び止めると彼女に今晩迎えにいくと伝えておいてと言った。

 我妻はそのまま机に移動し、机の上のファイルを取る。

「これ”よろしく”。」

 巻上にファイルを渡すその顔は先ほど取材でみせた笑顔に戻っていた。



「よろしかったのでしょうか。」

「何が?」

 窓際の社長席から皇居を眺めながら我妻は返事をする。

「民間企業とは言えども彼女はマスコミの人間です。社に影響がなければいいのですが。」

「どうでもいいよ。僕たちが悪だろうが善だろうが、金は動く。本当に必要なものってのは絶対なくならないように出来てるもんだよ。だってマスコミと僕たちのしている仕事が天秤に掛けられると思う?」

 そう言うと我妻は笑顔で巻上を見る。

 巻上は愚問でしたと言わんばかりにそれ以上は何も言わなかった。

「あっそう言えば、中国ルート開拓さ、別の人間にしてよ。高槻とか。巻上には別の仕事頼みたいんだよね。」

 分かりましたと言うと我妻は続けて言った。

「あと、今夜空けといてよ。仕事の説明するから。」

「今夜はさっきの記者とお食事では?」

「ん?そんな約束した?」

 一瞬戸惑ったが、そのまま巻上は小さな紙を受け取った。

 これは?と言い返す前に手のひらを見せつけられ、ま、いいから来てよとその言葉は止められた。

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ゾロアスターの嫡子 @yama1000

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