ゾロアスターの嫡子
@yama1000
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−北太平洋 メキシコ貿易会社『Mies社』所有船『Colima』上
コリマ州マンザニーロ港を出た船は西方へ向かっていた。
雨季を迎え、湿気の多かった港も離れると、夏とはいえ洋上はまだ過ごしやすく感じた。
月明かりも無い、暗中の海上を巨大な鉄塊がひっそりと進んでいく。
船内の空調はどうも調子が悪いようで、深いエンジンの音と夏特有の熱気が共鳴し合い、船旅の居心地の悪さをいっそう演出していた。
乗員用の部屋には二人組の男が、空調で打ち消せない熱気を嘆き合っている。
「今積んでる荷物をしってるか、兄弟。」
部屋の壁際に据え付けられたベッドに腰掛け、えらく汗ばんだシャツを着た、恰幅のいい男が言う。
「お前と兄弟ってのは割に合わねえ、美人の母親が付いてきてもごめんだ。」
片側のベッドには頬のこけた痩せ型の男が寝転がっていた。
「まぁ待て、今回の荷物は面白いぜ。」
大量の汗をシャツで拭い、青いラベルのビンからグラスに酒を注ぐと、それを一気に飲み干した。
「お前の汗より面白いことがあるのかよ。」
「客室を占拠している集団がいるだろ?」
「あのタコ部屋好きの集団か。」
船には大型の客室があった。
旅行シーズンにおいて、この船は観光客用にチャーターされ、観光客の団体はその客室を利用する。
旅行会社のチャーターは近海運航が多く、その上料金もシーズンには上乗せされていた。
古い設備しかなく、長距離で安い料金しか稼げないこの船にとって必要な稼ぎである。
しかし、この時期は複数の運輸会社から依頼された荷物が山のように並んでおり、集団で貸し切るというのは乗員からすると不自然なことであった。
「あそこは特に暑いからな、このボロ船の空調じゃ。」
「受付のモニが人を運んでいるのを見たらしい。」
「人一人運ぶにはちとでかすぎるな、あの部屋は。」
「だろ?しかも大人数でだ。しかも連中は葬式みたいなスーツを着ていた。」
出港前に、乗員たちは大量の人間を目撃していた。
リストにはないその”荷物”を船長に確認しても旅行客であるということだけだった。
「葬式の帰りで飛行機に乗り遅れた訳じゃあるまい。」
「俺はてっきり上物の”バナナ”でも手に入れたのかと思ったぜ。」
「”バナナ”ならあの人数は不自然だ。」
「じゃあだったらなんだ、”メン・イン・ブラック”か何かか?」
「まぁナカノならやりかねないな。あそこは月以外なら運ぶって噂だ。」
『中野貿易』と『Mies社』は今回限りの関係ではない。
日本企業『中野貿易』は大手企業がひしめく貿易業界において、突如として現れたベンチャー企業であった。
当初、既存の貿易会社を利用する企業が多く、中野貿易が新たにルート開拓することは容易ではなかったため、しばらく中野貿易の名は広がることは無かった。
中野貿易が大手ルートを獲得したのは最近のことであり、現CEO我妻に交代してからのことである。
我妻は独自の”開拓技法”を持ち、現地では定評のある人物だった。
特に、表向きに運べないものすら運んでしまうその仕事ぶりに、裏の業界からは運べないものはない、”運び屋”として定評があった。
我妻はよく、表向きの輸送とともに、その隙間に”アンノウン”を入れる方法をとっていた。
その点、トラブルに巻き込まれることは多く、船乗りたちの間で中野貿易を告発する動きがないわけではなかったが、反面、報酬は破格であったことから、知らぬ存ぜぬを突き通していた
小さな航運会社をも利用し、船乗りの間で”ナカノ”という名前は知れ渡り、中野貿易は着実に企業としての規模を拡大していた。
「ほんとに宇宙人だったらフォーティアン・タイムズにでも告発すればいくらかもらえるか。」
「その前に俺らが消されちまうぜ、何せ”ナカノ”の仕事だ」
恰幅のいい男は、胸ポケットから汗でしけたタバコを取り出すと口にくわえた。
「まぁ実は、俺の情報網で調べたから、おおよそ予想はついているんだぜ。」
「ただの噂好きだろ。」
タバコに火をつけると、一気に吸い込み、煙を吐き出した。
部屋の空気が霞み、一層部屋の熱気が増した。
「"ビスタ"って覚えているか。」
「知らねえな。ウィンドウズか?」
「昔CNNで少し特集された女の子だよ。俺は当時スペインで荷揚げをやっていたからな、偶然テレビで見たんだよ。」
部屋に一層吹かしたエンジン音が響く。
遠くでは足音が響き、何やら作業音も聞こえてきた。
「覚えてねえな。その子がどうしたんだ。」
「予知能力があるかもしれないと話題になってた。当時10歳くらいだったかな。ただ飛行機事故やテロを予知し始めたときから何やら様子がおかしかった。」
「フォーティアン・タイムズの読みすぎじゃねぇか?」
「いや、俺は信じてねぇよ。ただそれ以降報道はされてないし、実際に事故も起きてない。重要なのは噂じゃ本当にテロリストになったんじゃないかと言われてることだ。」
「嘘くせぇ情報だな。誰から聞いたんだよ。」
「プッシャーやってるダチだよ。見たやつがいる。」
「10歳の女の子をか?それを言う為に俺を起こしたのか、馬鹿言うなよ。ロリータ好きの友達によろしく言っといてくれ。」
痩せ型の男はそう言うと、寝返りをうち、壁の方向を向いた。
「見たのは最近だ。ダチが言うにはマフィアの間じゃ有名で、恐ろしく正確な情報を売る女がいるとのことだ。」
「そいつかどうかは分かんねぇだろ。」
「奴をみたパキスタン人が”奴はまるでゾロアスター”だと言ってるらしい。つまり、預言者ということだ。」
船内の作業音が続き、やがて足音が部屋に近づき始めた。
「最後に見たのはコロンビアのカルテルらしい。専属の情報屋をやっていたらしいがゲリラとも関わりがあるって噂だ。ここで質問だが、俺たちの”荷物”は誰に運ばれていたかってことだ。」
「軍人だ。トリコロールフラッグをつけた。」
「な、可能性はあるだろ?そこで兄弟にいい話があるんだが。」
「フォーティアン・タイムズの読みすぎだよ、お前は。」
そう言った所で閉じきった部屋の扉が、重い金属音とともにゆっくりと開いた。
「フェデリコと、アレックスか?来い。」
葬式のようなスーツを着たメキシコ人数人が二人に拳銃を向けた。
デッキに出ると、エンジン音とともに水流の音が一層うるさく感じる。
先ほどよりも確実に船のスピードは上昇していた。
明かりはなく、お互いに顔も見えにくかったが、デッキの手すりまで追い詰められた二人は体格だけで判断できた。
「お前らはクビだ。」
騒音のせいで声が聞き取れなかったフェデリコは向けられた拳銃の意味が分からず、額から汗が淀みなく流れている。
「”荷物”にクビ宣告されるなんて思っても見なかったぜ。」
アレックスは拳銃を一瞥し両手をあげ、まぁそいつがあるなら仕方がないと呟いた。
「何か勘違いしているのか?我々は”荷物”ではない、貴様らの”依頼主”だ。」
「クライアントだったら尚更だ。何故クビにならなきゃならないんだ?仕事の評判が悪いのは”お互い様”だろ?ま、そっちの汗くせぇのは好きにしてもらって構わないが。」
フェデリコはようやく声が聞き取れたのか、差別だ!と嘆いている。
「お前らは裏切った。いや、正確には裏切る”予定”だった。」
「どういうことだ?」
「フェデリコはお前に今回の輸送情報のリークを持ちかけようとした。CIAに対して、懸賞金と引き換えにだ。それをお前らは実行する。日本において我々はCIA工作員による襲撃に遭うこととなった。」
「フェデリコ、本当か?」
アレックスを見ることもなく、フェデリコはずっと甲板を見つめていた。
「まぁどっちでもいいや。お兄さん、馬鹿らしいと思わねぇか。これからコトが起きるからさあ出て行けだなんてことが通用すると思うのかい?”誰も迷惑被っていない”のにだ。これが警察なら誰だってパクれるってことだ。秩序なんてありゃしない。」
「そうだ。その秩序を破る人間が存在する。今この船内に。”それ”がお前らの裏切りによってコトが起きると教えたのさ。」
「信じられねぇ、予知なんてあるわけねえだろ。狂っちまったのかこの世界は。」
「狂い始めたんだよ、彼女の存在でな。そうだフェデリコ、お前の部屋にあった衛星電話は処分したぞ。CIAへの通話履歴は確認済みだ。」
フェデリコはなおもまた甲板を見つめたままだったが、我に返ったかのように叫んだ。
「助けてください!仕事も辞めますから!」
フェデリコは近くのスーツの男の足をすがりつくようにつかんだ。
汗ばむフェデリコの体躯を見るや否や、その足はフェデリコの顔を蹴った。
フェデリコは鼻血を出しながらなおも懇願し続ける。
「アレックス、お前も辞めてもらう。」
アレックスはフェデリコと関わったのが運の尽きだといわんばかりにため息をついた。
「しょうがねえ。荷物をまとめさせてくれ。」
「いいや、今すぐに降りてもらう。」
「冗談言うな、ここは太平洋のど真ん中だぞ。」
そういった瞬間、フェデリコの体躯が二人がかりで持ち上げられ、手すりの向こう側の暗闇へ消えた。
一瞬声が聞こえたような気がしたが、騒音でかき消されたようだった。
「アレックス。」
「俺はいい。自分でやる。」
何かを悟ったかのようにアレックスは呟くと、プールにでも飛び込むかのごとく、暗中の海上へと落ちて行った。
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