残酷でグロテスクな末世で、人間の魂が儚くも美しく光る。

読み始めた時、血まみれのマチェットが読者の頭に浮かんで続きを読むのを躊躇う人もいるかもしれないが、お願いだから続きを読み進めてほしい。読み進めるうちに気づくはずだ。その淡々としていながら残酷でグロテスクな描写は、この世界において目を背けるにはあまりにも普遍的でそこら辺に転がっている空き缶のようにありふれたものなのだと。

この作品はコーマック・マッカーシーの描く荒野でパサパサに乾いた血だまりの中に、ドミトリー・グルホフスキーの地下鉄の冷たさと人間の飽和しぶくぶくに膨れ上がって腐り始めた末世が溶け合い、そこに繊細で弾いたら壊れてしまいそうな情念、信義、哲学が逞しくも醜く、儚く生き足掻いている。

人間同士の生存競争とも言えるポストアポカリプスのこの世界において、登場人物たちは何であれ自分の中に情念、信義、あるいは哲学などといったものを持っている。それは人を支える柱かもしれないし、あるいは枷であるかもしれないが、そうであるからこそこの人々の生きざまがより一層、濃密なものとなっている。それは末世において役に立たないものであったり、倫理観を銃弾と一緒にどこかへぶっ飛ばした血まみれのものであったり、あるいは感傷的とも懐古的とも言えるようなものであったりもするが、それら一つ一つがその人物にとって大事なものであることに変わりはない。

散弾槍をぶっぱなせば腕や足が吹き飛び、人食いが怪しげな肉を焼き、ろくでなしの人でなしがそこら中にいる中で、人はその柱や枷を縁として生き抜こうとする。それが主人公を含めた登場人物たちが、この過酷で残酷な世界で生きているのだと実感させてくれる。私にはそれがとても美しく見える。