くず鉄拾いのアリサ

かべるね

廃墟都市

#01 荒野にて

 遺体の頭からマチェットを抜き取ると粘り気のある血が細い糸を引いて刃から伝い落ちた。少女は血糊のついた刃をしばらく見つめてから死体の服で拭き取り腰から提げた鞘に戻した。砂塵にさらされて元の色を失ったモルタルの壁に飛び散った血はすでに乾き始めておりやがてはその痕跡さえも消えるはずだった。


 アリサは銃口から煙を上げている散弾槍のメンテナンスを終えて肩に担ぐとリュックを背負い直した。そしてあたりに散らばった亡骸からひとつ残らず身ぐるみを剥いで食料や弾丸を回収しポケットや襟裏、靴底の中身まで確認した。作業が終わるころには気の早い羽虫が集まり始めていた。最後に死人には無用となった銃を拾い上げて少女は歩き出した。廃墟に留まってその光景を見守っていた禿鷲たちが舞い降りてきて長い首をしきりに伸ばしてくる。

 ――いちいち構うなよ。喰うなら喰っちまえ。

 彼女はそう云って右手を振り簒奪者たちを追い払った。彼らは翼を広げて遺骸の周りに群がり始めたが少女は振り返ることなく歩き去った。


 草木の姿が消え始め砂塵が勢いを増してくるとアリサは襟布を引き上げて鼻と口を覆い帽子からゴーグルを下ろした。金髪が傷まないよう服にきちんと隠れているか確かめると息をついてまた歩き出した。


 立ち並んだ廃墟のひとつに隠していた魔鉱駆動の二輪車を街路に引き出すと少女はそれにまたがった。そして始動するための反応式を口にすると二輪車は静かに音を立てて動き出した。走り去る少女のあとを追って食事を終えた禿鷲たちが次々と飛びすさる。何羽も。何十羽も続いて。


   ◇


 邦間道路には砲撃で空いた穴がいまだに修復されないまま残っており運転には注意を要した。時おり石を踏みつけてしまい二輪車が迷惑そうにがたんと唸った。空気は乾燥していて水筒の残りは少なかった。アリサはノイズ混じりのラジオを聴きながら数時間かけて走り続け日暮れ前には補給所に辿り着いた。


 駐車場に止めようとすると警備の傭兵が近づいてきて眼を細めながらあごをしゃくった。少女は首をひねって何だよと訊ねた。

 分かんねえのか。ここにそのオンボロを置くなってこった。

 もっと綺麗な場所を紹介してくれるのかい。

 馬鹿云え。店の裏に行きな。

 陽の当たる場所に堂々と出てくんじゃねえと彼は吐き捨てて立ち去った。アリサは肩をすくめて二輪車を転がした。角を曲がるとき店の壁にもたれかかっている二人の男が声をかけてきた。

 ――お嬢ちゃん、しっかり風呂に入ってんのかよ。

 臭うぞ。

 少女は襟を引き下げて口を顕わにして答えた。……うるさいな。これでも身だしなみには気をつけてんだ。

 そんな砂と埃まみれの格好で云われてもな。

 うちに泊まってくかい。隅々まで綺麗にしてやる。


 アリサは唇の端を曲げて追い払うように右手を振った。店の裏にまわり男たちの姿が隠れると腕をあげて袖の臭いを嗅いだ。そして首をかしげてそんなに臭うかなと独りごちた。くすんだ赤色の外套を脱いで砂塵を払い落とすと二輪車の駆動室から暗い血の色に染まった魔鉱石を取り外して店のなかに入った。


 新聞を読んでいた店主は少女を一瞥すると挨拶もなく煙草の先を灰皿に押しつけた。シーリング・ファンが軋んだ音を立てて回っており電灯のうち半数近くは点滅するかさもなくば死んでいた。

 ……ねえ、とアリサは口を開いた。こいつに充填が必要なんだけど。あと水をたっぷり。それと缶詰。――ああできるなら銃の買い取りもして欲しいな。

 ハイエナが何の用だい。

 店主は眼を合わせないまま煙草の煙を吐き出してからそう云った。ひどい濁声だった。

 うちは血の臭いを振りまくお客さんにはご遠慮いただいてるんだがね。

 そりゃ悪うございましたね。ちゃんと金は払うからさ。――頼むよ。

 だいたいなんだその石。よくこんな粗悪品で走れたもんだ。

 低燃費で財布に優しいんだ。もう五年はこいつの世話になってる。

 店主はため息をついて立ち上がり鉱石を受け取った。そして両手を振った。

 ――あとはやっとくから出てってくれ。迷惑だ。


 アリサは外に出ると辺りを見まわした。先ほどの男たちはいなくなっていた。警備の傭兵はこちらの視線に気づくと眉間に皺を寄せて見張ってるぞと云うように指さしてきた。彼女はゴーグルを外し帽子を手に取ってリュックの金具に引っかけた。そして腰のポーチから取り出した煙草に火を点けると時間をかけて吸った。

 青空には雲ひとつなく遠くの廃墟の輪郭までがくっきりと見渡せた。ここにもかつての時代にはそれなりの数の人びとが暮らしていて砲弾にも魔鉱兵器にも怯えずに暮らしていたはずだった。


 しばらくぼうっとしていると目の前に水の入ったコップが差し出された。振り返ると作業着姿の浅黒い肌の若者がこちらの眼を真っ直ぐに覗きこんでいた。少女がどうもと礼を述べると彼はあいまいな笑みを浮かべて云った。

 悪いね。偏屈な親父で。

 彼女は店をかえりみた。――あんたの父親?

 そう。あれでも腕は好いし請け負った仕事はちゃんとやってくれる。

 それなら安心かな。

 ……なあ。若者は何気ない調子で訊ねてきた。あんたスカベンジャー?

 見りゃ分かるだろ。

 初めて見るから確信できなかったんだよ。でも――。

 臭いで分かったって云うんだろどうせ。

 まあな。

 この野郎。

 ――あとあんたの後ろから禿鷲がついてきてたから。


 少女はもう一度空を睨んだ。いつの間にか猛禽の黒い影が青いキャンバスに描かれた死神の隊商のようにいくつも旋回していた。

 あいつら……。

 若者はすこし笑った。――それにしてもあの銃はどこで拾ったんだ。

 あの銃?

 うちに売ってくれたやつだよ。民間でパイプ・ガンじゃないのを三挺もなんて今どき珍しいから。

 アリサは煙草の煙が消える様を見つめながら答えた。……偽の情報をつかまされてまんまとおびき寄せられたんだ。あの馬鹿どもがもう少し隠れるのが巧かったら今ごろは私が禿鷲のランチになってるところだった。

 たったひとりで全員ったのか。

 少女は答えずに吸い殻を捨てて足で踏み消した。コップの水をひと息に飲みほしてから云った。時どき考えるんだ。あの猛禽たちは私のおこぼれにあずかるために追っかけてきてるんじゃない。いつか死ぬ私の屍体を目当てについてきてるんじゃないかってさ。


   ◇


 水をたらふく飲んで乾パンを胃に詰めこみ若者に別れを告げるとアリサはふたたび二輪車にまたがって旅を続けた。地平線の向こうに太陽は姿を隠していき二つ目そして三つ目の月が輝きを増すにつれて直線道路はその表情を変えていった。日中に溜めこんだ熱を放射しつづける道は青白い月の光を帯びており生温かい夜の風が荒涼とした景色に優しさに似た猶予を与えているように思われた。


 穴ぼこに引っかかって車体が大きく揺らいだ。少女は限界だな、と呟いて車輌の速度を緩めた。道路脇に埋もれていた廃墟まで枯れ枝を集めてくるとポーチから小石ていどの大きさの鉱石を取り出しトングでつまむと術式を唱えて発火させた。昼間に皆殺しにした連中から手に入れたポーク&ビーンズの缶詰の中身をスプーンで鍋にかき出すと少量の塩を足して火にかけた。それから外套の襟をかき寄せて震えながら息を吐き出した。


 食事の最中に魔鉱駆動特有の甲高いエンジン音が荒野の向こうから響いてきたのでアリサは耳を澄ませた。二輪車の運転手は初老にもなろうかという体格の優れた男で、少女がスカベンジャーであることを確かめると白髭の奥に微笑みを浮かべて云った。

 私も同業だ。

 見りゃ分かるよ。

 朝まで長い。火に当たりながら情報を交換しないかい。

 少女は帽子のつばを引き上げて男をじっと見上げた。

 ……いいよ。


 老人はうなずいて斜向かいに座った。そして穀物の葉に包んだミートパイを取り出して手渡してきたので少女もポーク&ビーンズをすこし分けてやった。彼は温めた珈琲をゆっくり飲みながら言葉を待っている様子だった。少女は口を開いた。

 ……ここいらはくず鉄拾いへの風当たりが激しいな。部屋への案内どころか泊まらせてすらもらえなかった。

 老人は答えた。主戦場だったからね。めぼしいものを拾いにくる奴は地元の人間からすれば不快で仕方がないんだろう。私らだけじゃない。平和主義者から殺人を厭わない連中までありとあらゆるスカベンジャーが戦争の残り香を漁りにきてる。この前に同行していた奴らは戦場跡で大量の魔鉱石が埋まっているのを見つけて大喜びだった。――だが術式の保護が不十分だったんだな。スコップで刺激を与えた途端にどかんよ。私は離れた場所にいたから助かった。跡には破裂したザクロみたいな肉片が散らばるばかりだった。遺品の回収どころじゃなかったな。

 それはご愁傷様。

 ――お前さん、禿鷲は何羽ついてきとるね。

 数えたこともないよ。

 私は二十七だ。毎日数えてるんだから間違いない。

 業が深いな。

 この年まで生きてるとどうしても人の生き死にに立ち会う機会に何度も恵まれる。お前さんはきっと私以上になるよ。

 それって褒めてんの。

 もちろん。


 二人はそれからしばらく無言だった。灯の明かりが廃墟の壁を照らした。かつての時代の子供が遺した落書きが浮かび上がったかのように見えたがそれは気のせいだった。

 珈琲を飲み終えた男の頬にはこれまでの労苦を偲ばせる皺が刻まれている。

 ……そういえば。彼は云った。お前さんもこの先の街の廃墟に行くのかい。

 いや。通り過ぎるだけだよ。

 あれは宝の山だ。この領邦では最大の激戦地だったからな。いつ不発弾やら魔鉱やらが爆発するか分からんから住人もいない。こんど組合を通して何十人ものスカベンジャーがチームを組んで赴くそうだよ。私もそれに参加するつもりだ。

 追い剥ぎのアジトだろああした都市は。

 だからこそ成功したときの旨味が大きいんだ。

 金にはそこまで困ってない。

 まあ無理強いはせんがね。私もできることなら隠居したいところだがこんな世の中じゃ隠れ住む場所なんてどこにも残っておらんからな。流賊に駆り出され。追い剥ぎに殺され。くず鉄拾いに骨までしゃぶり尽くされるのが好いとこだ。――お前さんが気の毒だよ。

 気の毒だって?

 悪い時代に生まれたな。

 ……大戦争の渦中を生き残るよりマシだよ。

 老人は笑った。たしかに。

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