第8話 辿り着くべき場所

「どうやらボランズ騎士国の方々は撤退されたそうです」

「そっか。それは良かった」

 グイネット城の古書管理室。

 そこにわざわざダグラスから持参した安楽椅子を設置させた男は、満足そうな笑みを浮かべながら背もたれに体を預ける。


「しかし思った以上に、ミケーレン港の再占拠がスムーズだったようですね」

「本命である今回の為に、前回の侵攻時に防衛設備を破壊しておいたかいがあったというものさ。その上、彼らは小領主達の集合体。守るという点においてはどうしても後手となる」

 だからこそグイネットを押さえる上で、最適の当て馬。

 それがセナによるボランズ騎士国への評価であった。


「確かにそうかもしれません。しかしそれでも、ギルゴロスどのはもう少し戦いたがるかと思いました。正直、あれほどまでにあっさりと撤退したのは意外です」

「彼は元々単なる猪武者ではない。あの頃は他に戦況を見れる者が居たから、戦士として斧を振るうことに専念していただけでね」

 軽く両手を左右に広げながら、セナはそう告げる。

 それに対し、ミリナは間髪入れること無く言葉を向けた。


「例えば貴方とかですか?」

「私に限らずアランもそうさ。ナイツなんかもね」

 かつて肩を並べて戦った七名の戦友の顔を思い浮かべながら、セナは薄い笑みを浮かべつつそう述べる。


 武帝を打ち倒せし七星英雄と呼ばれる彼らは、それぞれに卓越した技能や知性を有していた。

 唯一ネルソンこそ懐に引き込んだものの、依然としてセナは誰よりも彼らを警戒し、同時に彼らにこそ自らの存在と意図を隠す必要があると考える。


「ともかく確認ですが、本当にミケーレン港は手放していいのですね」

 僅かな感傷に浸っていたセナに向かい、ミリナは現実に引き戻す問いを彼へと投げかける。

 するとセナは、苦笑を浮かべながらあっさりと首を縦に振ってみせた。


「構わない構わない。私達が欲しいものは他国の領地や富ではない。そうだろ?」

「ええ、もちろん名誉でも、そして正義でも」

 眼前の男の意図するところを完全に汲み取り、ミリナはいつもの無表情のままそう続ける。

 そんな彼女に対し、セナは満足そうに一つ頷くと、ねぎらいの言葉をかけた。


「しかし今回は君のお陰で助かったよ。やはり我が家のメイド管理は、君に一任していてよかった」

「あくまで彼女たちの自由意志の結果です。貴方同様に全てを失った彼女たちも、その胸にあの国への思いが残っている。私はそんなあの子達の背中を押したに過ぎません」

「それでもさ。思いが胸の中にあるだけでは、ただの記憶に過ぎない。それを形にしようと彼女たちが動いたのは、君の存在があるが故さ。ありがとう、ミリナ」

 セナは微笑みながら、眼前のメイドに向かい感謝の言葉を紡ぐ。

 それはいつもの作ったような微笑みではなく、少年だった頃の彼が浮かべたものと同じ、心から笑みであった。


 だからこそ鉄面皮を保つ女性は、ほんの一瞬だけその言葉を詰まらせる。


「……もったいないお言葉です」

「七年前に植えた種が少しずつ実りつつある。となれば、私はそれを収穫せねばならない。種を植えたものの責任としてね」

 それだけを口にすると、セナは小さく息を吐き出す。


 目的を成し、同時に全てを失ったあの日から七年。

 ようやくここまで来たのだという実感と感傷が、彼の心の中に湧き上がっていた。


「失ったものを取り戻すつもりはない。手に入れるのは世界という名の新しき果実さ。その為にならば、私は悪にでも……そして新たな武帝にでもなろう」

 その言葉は重く、二人しかいないこの室内に響き渡る。


「……ついに向かわれるおつもりですか?」

「準備は整った。七カ国のうちの一つを押さえ、もう一カ国の身動きを止めた今、ようやく足を向けることができる。懐かしき我が故国……アイリスにね」

 長く口にすることができなかった目的地。

 それをセナはついにその口にした。


 そのことに、ミリナは思わず息を呑む。


「王都を押さえられますか?」

「ああ。だがそれ以上に、神殿を解放する必要がある。私の神器を再び取り戻すために。そして……」

 そこまで口にしたところで、セナは小さく息を吐き出す。


 アイリス王国を解放するのと同じ程の意味を持つ目的地、そしてかつて彼ら八人が神器を授かる代わりに未来を失った場所。

 再びあの場所へ足を踏み入れることになるとは、彼自身思っていなかった。


 しかしその時は来た。

 ならば前へと踏み出すのみ。


 そんなセナの覚悟を、ミリナはその横顔からしっかりと見て取っていた。

 だからこそ彼女は一人のメイドとして、今すぐ成すべきことを脳裏に浮かべると、この場から歩み去ろうとする。


「それでは、早速準備をしてまいります」

「ああ、頼む……スクラシーラ、ミリナ」

「……!」

 スクラシーラ。

 それは既に失われた国で使われていた、最大の謝辞を示す言葉。


 武帝によって滅ぼされアイリスと呼ばれる隣国へ身を寄せたその時から、もう二度と聞くことはないと思っていたその言葉は、完全に凍りついた彼女の心を融解するのに十分な力を有していた。


「きょ……恐縮にございます」

 直接胸に手を当て、ミリナは弾みそうになる自らの心を抑える。

 そして改めて彼女の真の主に頭を下げると、そのまま部屋を立ち去った。


 そして誰もいない廊下で、彼女は虚空に向かい呟く。


「貴方が求められるのであれば、この手をいくらでも汚しましょう。我が主、セナ・マクルート王子」


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