第7話 違和感

「軟弱、実に軟弱!」

 血しぶきを上げながら、戦場に踊る大男。

 無数の兵士が入り乱れる混戦の状態の中、彼の周りだけは常に一瞬で無人地帯と化す。

 それは彼の力が圧倒的であるが故に、そして誰しもが彼の前に立つことを恐れるが故に。


「ギルゴロスさま、お一人で突出されすぎています。陣地へお戻り下さい!」

 前へ前へと前進する上官に向かい、騎士隊をまとめ上げている彼の副官は、味方との間隙を突かれることを危惧し心配の声を上げる。

 だがギルゴロスから返された言葉は、力強い否定であった。


「無用の心配だ! グイネットの弱兵などおそるるに足りず!」

 それだけを告げると、彼は再び前進し敵兵を薙ぎ払う。


 彼を前にして勇気をふるい突進する者、逃げ腰で盾を突き出す者、腰を抜かし尻餅をつく者。

 その反応は様々であったが、彼らには一様に等しい結果がもたらされた。


 そう、死という名の結果が。


「脆い、脆すぎるぞグイネット! 誰かこのギルゴロスの前に立つものはいないのか」

「斧の凶雄。貴様の相手はこの俺だ!」

 戦場において高らかと発せられたその声。

 その主は巨大な剣を手にした、傷だらけの鎧を身にまとう壮年の男性であった。


「ほう、この俺の前に立ちはだかるか。名を聞こう!」

「第三防衛連隊長クルガ・ゼーレッペ。凶雄ギルゴロス、貴様の命を貰い受ける!」

 その言葉と同時にクルガは一気にギルゴロスに躍りかかる。


 一撃、二撃、三撃。

 背丈ほどある巨剣はまるで短剣の如く振るわれ、クルガは一気にギルゴロスに攻めかかる。


 その剣撃はまさに台風の如き圧力を放っていた。

 しかし……


「ぬるい……全くもって生ぬるい。これが我が前に立とうとする者の剣か……」

 最初の数撃は技量を見極めるために、ギルゴロスは躱し続けていた。しかしながら、その実力を見極めたと判断した彼は、寂しそうな表情さえ浮かべながらそうこぼす。


 そしていつしか失望は怒りとなり、ギルゴロスは精一杯あがき続ける眼前の男を睨むと、手にした斧を強振した。


「つまらん……」

 それだけをこぼすと、かつて人間であったものは胴を二つに引き裂かれそのまま崩れ落ちる。


 まさに異様。

 そんな光景を目の当たりにしたグイネット兵は、ことごとく顔を真っ青にして我れ先にと撤退を開始した。


「ふむ……些か物足りぬ。だがこれで敵は崩れたか」

 周囲をぐるりと見回し、敵兵が総崩れになりゆく光景をその目にして、彼は自らの一騎駆けが功を奏したことを満足そうに頷く。


 個人としては戦場において狂戦士という異名を持ちつつも、騎士としてそして指揮官としての視点を有するボランズ騎士国の稀有なる人材。

 それが天枢の英雄ギルゴロス・アバサートであった。


「ギルゴロスさま、報告いたします」

「どうした? まだ敵の抵抗が強い場所でもあるのか?」

 副官に向けられたその発言は指揮官としてではなく、戦士としての願望から発せられたものであった。

 だがそんな彼の表情は、副官の報告により一変することとなる。


「敵が……敵が再び姿を現しました! 追撃はおやめ下さい」

「は? どういうことだ。敵は見ての通り潰走している。ここで討たずしてどうするか!」

「お気持ちはわかります。ですが敵が現れたのはこの戦場ではなく本国……カンテレ領ミケーレンです!」

 その言葉の効果はまさに劇的であった。

 ギルゴロスはその両の瞳を大きく開くと、まっすぐに逃走する敵の姿を見つめ直す。


「まさかこの撤退は我らを敵国深くに引きずり込み、その間に本国を狙う算段か……いや最悪の場合、挟撃もありうるな」

 戦士ではなく指揮官としての表情となったギルゴロスは、思わず唸るような口調でそう呟く。

 そんな彼に向かい、彼の副官は慌てて言葉を続けた。


「可能性は否定できません。一度目のミケーレン港襲撃を敵が早期に切り上げたのは、それをこそ狙っていた可能性さえ考えられます」

「……カンテレ殿はどう言われている」

「できましたら、急ぎ撤退したいと……」

 今回の戦いにおいて、ともに戦場を指揮する形となったカンテレ伯爵。

 自領を強襲されていると判明した今、彼が撤退の思いを有しているのは当然であった。


 そして彼の率いる兵力抜きに、グイネットとの戦いを継続することはできない。

 何故ならばこうして最前線に出て斧を振るい兵を叱咤できるのも、後背に沈着冷静なカンテレが控えているからこそなのだから。


「……わかった。ならばわれらが殿となり、敵の逆劇を警戒しよう。ボランズに引き上げるぞ!」

「了解いたしました!」

 副官は慌てて敬礼を行うと、そのままその場から駆け出そうとする。

 しかし突然そんな彼に向かい、ギルゴロスの声が向けられた。


「待て、一つ聞いておきたい。敵はミケーレン再襲撃に際し神弓を……防壁を一撃で砕くほどの巨大な光の矢を放ってきたか?」

「申し訳ありません、現時点でそのような報告は受けておりません」

 その報告を受け、ギルゴロスは顎に手を当てながらわずかに思索を進める。そして一つ頷くと、彼は改めて副官に指示を下した。


「ならば良い。急ぎ、皆へ連絡をせよ」

 その言葉を機に、彼の副官は後方に控えていた他の幕僚たちに向かい矢継ぎ早に指示を出していく。

 一方、撤退していく敵の姿を改めて眺めやったギルゴロスは、その目を細めながら内心に残る一つの疑問をその口にした。


「本気で我々とやりあうつもりならば、あの男が矢面に立つはずだ。だがこの戦場にも、そしてミケーレンにもネルソンがいない……か」

 英雄と対峙するならば英雄をぶつける。

 その選択肢をすべての国家が保有しているからこそ、初めて七カ国協定は成立し、英雄戦争後の平和がこれまで保たれてきたと言えた。


 そしてグイネットの奇襲においても、そして自身達の攻勢を受ける局面においても、彼にぶつけられるはずの英雄の姿が敵にはない。

 そのことはギルゴロスの胸に、まさにしこりのように引っかかりつつあった。


「グイネットが本気で我が国と戦うつもりがないならば、あいつが出てこないことはわかる。ましてや、この戦いが何らかの別の目的のために利用されているのならばだ。しかしネルソンはそんな小細工を弄する男では……まさかな」

 ふいにギルゴロスの脳裏に一人の男の影が浮かび上がる。

 そう、英雄でありながら英雄ではない八人目の男の影が。


 だが彼は頭を振って、妄想の如きそんな考えを振り払う。

 そして改めて今は目の前のことに集中すべきだと判断すると、彼は部下たちを率いて完璧な撤退戦を演じてみせた。


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