第6話 想定外の援軍
雲一つない快晴の空の下、試合グラウンドに到着したかなめは、気持ちよさそうにバットを振り回し、スイングの感触を確かめていた。
「カナちゃんご機嫌だね」
「そう?」
「うん。なんかね、まるで完全試合を達成する夢でも見てきたって顔してるよ」
「キョーコ、あんたって、たまに鋭いわよね」
「そうかな?」
二塁打。好走塁。27奪三振。宗介とのハグは置いておいても、実に良い夢だった。これはもう予知夢以外のなんだというのか。
今のかなめは、夢が現実になることを信じて疑わなかった。瞼を閉じれば、あの時の栄光がくっきりとはっきりと蘇ってくる。
いける。今日のあたしはいける。それこそ、27奪三振だって夢じゃあないかもしれない。今日のあたしなら、カー○ョーにだって、○谷にだって、菅○にだって勝てる。
そんな大それた妄想を膨らませ、不敵に笑うかなめの元に、風間と小野寺がダラダラと歩いてやってきた。
『なんで僕たちが』
『相良はまだ来てねーのかよ』
口から出るのは見事に文句ばかりである。最初は、巻き込まれて参加することになった二人をねぎらっていたかなめであったが、そそくさと距離を取ることにした。ちなみに瑞樹はバックレたようだ。
今度は一成と同好会三人衆が意気揚々とやってきた。やる気満々といった面持ちでバットを握りしめている。
しかし、バットは持っているのだが、肝心のグラブを持っていないように見えるのは気のせいだろうか。まぁ、一成なら素手のほうがシッカリ捕球しそうでもあるのだけれど。
「よお千鳥! 絶好の野球日和だな!」
上機嫌に手を振る一成。辛気臭い小野寺たちの相手に疲れていたかなめにとって、この一成の反応は清涼剤だった。笑顔で手を振り返す。
その横では、巨漢三人衆が『今度こそ、部室を手に入れるんじゃあ!』『めんこいマネージャーもいただきじゃあ!』などと意味不明なことを叫びながら気合を入れている。
(あぁ、そういうこと)
かなめは、腑に落ちたといった面持ちで、目を閉じながらうなづいた。今のセリフから、昨日気になっていた一成と宗介の約束が見えてきたのだ。
おそらく、決闘で勝ったら部室を提供するとか、勝手な約束を取り付けたのだろう。実に宗介らしい交渉である。
とまぁ、そこまでならいいのだが、気になるのはマネージャーのくだりである。
マネージャーの話は約束に含まれているのだろうか。含まれているとしたら、十中八九かなめのことである。だとしたら深刻な人権蹂躙、人身売買だ。
これは、あいつの大好きな林水会長閣下に告げ口を……したら多分自分が言いくるめられるだろうから、そうだ。後で宗介をしばきまわそう。
しかし、ふと気がつけば、その肝心の宗介がまだ来ていない。
(遅いわね)
本日は青天。気温も熱すぎず寒すぎずちょうどよく、風も無い。野球をやるにはうってつけの日和である。夢見もいいし、体の調子もいい。嫌々受けた任務だったが、今やもうウキウキ気分だ。早く試合をしたくてたまらない。もし宗介が来なかったら人数が足りない。
しまった。無理やりでも瑞樹を捕まえておくべきだった。
不意に後悔が襲う。
そういえば、宗介の言っていた当てはどうなったのだろうか。とりあえず、今グラウンドにはそれらしい人影は見当たらないが……。
こうなったら、とりあえず瑞樹に電話して、なんとか来てもらうことにしよう。今度いい男でも紹介するとでもいえば、どうせすぐにとんでくる。いい男にあてなんかないけれど、後のことは後で考えればいいことだ。
急いでポケットから携帯を取り出すかなめ。だが、丁度そのタイミングであの男が姿を現した。
「待たせたな」
どこかのダンボール男の様なセリフを吐く。
「やっと来た! もう、遅いじゃないソースケ……って!」
その時かなめは、思いもよらない人物を見ることになったのだ。
時間は昨日の放課後、宗介がかなめと別れたところまで遡る。
かなめと別れた宗介が向かったのは、ひと際怒号の轟くグラウンドだった。そこで宗介は十人前後の屈強な大男達とコンタクトを取っていた。男たちは皆一様に鋭い眼光を光らせ、異様なオーラを放っている。
そんな集団のボスであろう、特にガタイの良い男が、宗介に対して声を荒げていた。
「はっ。軍曹殿! 申し訳ないのでありますが、明日は我々も部の対校試合があるのであります!」
直立不動の姿勢で男が敬礼する。
「む、そうだったか」
どうやら男は宗介のことを自分よりも上の立場と認めているようであった。そして宗介も、いつもの学友に接する態度ではなく、組織の部下に対するような扱いで応えている。
「申し訳ありません。軍曹殿」
男は、強張った表情に相応しからぬ申し訳なさそうな声を漏らし、90度の角度で謝罪した。
「いや、かまわん。しかし困った。貴様等さえ参加してくれれば楽な任務だと思っていたのだが。これでは
宗介は顎に指を当て、考え込むような仕草を取った。それに対し、大男たちがザワつく。
「軍曹殿、今なんとおっしゃいましたか?」
「このままでは作戦不可能だ」
「その前です」
「貴様等がいれば楽な任務だった」
ザワザワ
宗介は大きく息を吸い込んだ。
「貴様らは優秀なソルジャーだ! ガッツもある! 以前の戦いでそれを証明して見せた! だからあてにした!」
ガガーーーーーーーーンッ!
大男たちの頭の上には、一様に衝撃の“!!”マークが飛び出していた。
今度は大男が大きく息を吸い込む番だった。
「野郎どもぉぉぉ!! 軍曹殿にここまで言っていただいて、俺たちは断れるのかぁぁぁ!?」
「おおおおおおぉぉぉぉぉ!!」
さらに横にいた小太りの男も、身体を前に乗り出して叫ぶ。
「俺たちのガッツを見せる相手が、少し替わっただけだ!」
「その通りだ!!」
「ガンホー! ガンホー! ガンホー!!」
まるで今から抗争にでも向かおうという勢いを見せる巨漢たち。その姿を見つめ、宗介は我が意を得たりと満足そうに腕組みをするのであった。
そして、リーダー格の男の肩に手を置く。
「郷田。助かったぞ。これで勝てる」
「は! 恐縮であります!」
郷田と呼ばれた男は、手を後ろに回し、また直立不動の姿勢に戻した。
また、宗介は、目の前で猛り狂っている小太りの男の肩にも手を置いた。
「石原。貴様も言うようになったではないか」
「サー! イエッサー!」
今度は石原と呼ばれた男が、直立不動の姿勢で声を張り上げた。
「貴様の惚れた女。なんといったかは忘れたが。あの女は、さぞかし素晴らしい女性なのだろうな」
「サー! イエッサァァァァァ!!」
本日一番の魂を震わすような雄たけびを、その時グラウンドにいた者達は確かに聴いたのだった。
※郷田や石原達の活躍は、小説『本気になれない二死満塁』中の、『やりすぎのウォークライ』をご参照くださいませ。名作です。
ということで、舞台は当日のグラウンドへと舞い戻る。
「説明なさい!! ソースケ!!」
郷田達の顔を確認したかなめは、挨拶もなしに宗介へと掴みかかった。
『二子玉川の悪夢』
かなめの頭の中には、あの事件がまざまざと思い出されていた。あれはひどかった。本当にひどかった。
「ソースケ! あんた試合相手を殺すつもり!?」
しかし、当の宗介は顔色一つ変えない。
そんな宗介とかなめの間に、静かな所作で割って入った巨漢がいた。
「かなめさん! 久しぶりであります!」
郷田だ。そのまま直立不動で敬礼する。セリフは友好的であるが、その顔は1ミリも笑っておらず、愛想のかけらも込められていない。
「あぁ、うん。久しぶり」
かなめは苦笑しながら後ずさり、返事をした。が、心の中では(まだ戻ってないのか)と、やはり苦笑していた。
「野球は戦争だ。ならば訓練された兵士を用意するのは指揮官として当然のことだ」
自信に満ちた目を輝かせながら、宗介は胸を張っている。称賛されて当然といった気色である。
かなめは、今の今まで自分の中で膨らんでいた今日という日の期待が、一気にしぼんでいくのを感じていた。
それでも、今朝の夢で見た良い感触は忘れられない。このメンツではまともな試合にならないのも分かっている。でも活躍したい。
「ちょっと考えさせて、ソースケ」
そう言うと、かなめは精神世界で自分との戦いを始めた。
うつむき苦悶、あおり見て歯を食いしばり、首を傾け目を固く閉じ、急にカッと見開いたかと思えば、冥府の底にまで届くようなため息を吐く。
「……私、試合出ないでいいや。男子達だけで頑張って」
ついにかなめは今朝の夢から覚めて、現実に帰ってきたのだった。
トボトボとベンチまで歩いて行き、ひざを抱えてメソメソ泣く。
「どうどう。カナちゃんどうどう」
それを恭子が慰めていた。
「了解した。男だけで善処する」
かなめがどれほどの断腸の思いでマウンドを譲ったのか理解することなく、宗介はラグビー部の面々に向き直ると後ろに腕を組んで息を吸った。
「いいか野郎ども! これから俺たちは敵と戦う! 俺たちの愛すべき高校に牙をむいた愚かな相手だ! やつらは俺たちのことを侮っている! 許せるのか!」
「ノーサー!」
「俺たちは学校を愛している! 誇りを護らねばならない! 俺たちができることはなんだ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
かなめは、宗介たちが独特の方法で喝を入れている光景を、うつろな瞳で眺めていた。
(まーだあのままなのね。あの人たち……)
かなめの脳裏には、以前起こった凄惨な事件が色鮮やかに思い出されている。
『二子玉川の悪夢』
思い出したくもない血塗られたラグビーの試合。いや、あれはもう試合だなんて呼べるものではなかった。
かなめは思わず身震いした。
「私も参加しない方が良さそうだね。カナちゃん」
「あー……うん。せっかく来てもらったのに、なんかゴメンね。キョーコ」
「いやぁ、しょうがないよ。さがらくん、ああなっちゃったら」
「うん……」
「僕たちも、遠慮しておこうかな」
気が付くと、風間と小野寺も横に座っていた。
「あぁ。なんだか怖そうだしな」
「オノDと風間君もゴメンね」
「慣れてるっちゃー慣れてるんだけどよ、あの中にはさすがに混ざりたくないよな」
そう小野寺が言っている先には、筋肉の塊といわんばかりのラグビー部や空手同好会の面々が立っていた。
「普通の体格、相良と椿だけだもんな。しかもあいつらは異常っちゅー」
「うん……巻き込まれたら、僕たち命はないよね……」
風間も遠い目をしている。
しかしその一方で、一成と空手同好会の面々は、いっさい頓着していなかった。同好会基準では、この空間は決して異常ではない。
「よし。じゃあ相良、打順とポジションはどうするんだ」
あくまで冷静に、本日の流れを確認し始める。
「貴様は1番だ」
「なに? 俺は4番だろ」
「いいや、1番だ」
「なんで俺が1番なんだ! 4番が務まるやつなんか、俺の他にいないだろうが!」
一成が色めき立つ。その怒声に反応して、郷田や石原が静かに臨戦態勢を整えた。が、それに気づいた宗介が目配せをすると、二人はまた静かに険を解く。争うべきタイミングは、今ではないのだ。
「椿。野球というものは、1番から順に攻撃していく競技だということは知っていたか? 戦いにおいて先陣の勝利とは、なによりも重要なものなのだ」
あとは、分かるな? とでも言いたげな空気で、宗介は挑発的に笑って見せた。
「相良、お前……。よーし、わかったぜ! 俺が切り込み隊長をやってやるから、みんなついてきやがれ!」
一番重要なポジションだから、お前に任せる。暗にそう言われたと判断した一成は、意気に感じて拳を振り上げた。傍から見れば友情の芽生えた瞬間にも見える。
「それに最も生存率が低いのも、先陣だからな」
「なにか言ったか?」
「空耳ではないか?」
一切の友情も信頼も含まない宗介の一言は、一成の叫び声に隠れてうまく聴こえていなかった。というより、そもそも聴こえないように言ったのだ。
そして、盛り上がる一成を尻目に、宗介は先発オーダーリストに名前を書き入れていく。
「ふむ。1番が椿。指揮官の俺は当然最後として、郷田、石原……。担当基地は、重要な前線基地を俺が……いや、俺は
なにやらブツブツと考えながら名前を書き入れていく。
「決まったぞ」
宗介の手に握られたリストには、以下の順でオーダーが組まれていた。
1番 椿(三)
2番 マロン(右)
3番 ショコラ(中)
4番 ワッフル(左)
5番 ラグビー部1(二)
6番 ラグビー部2(遊)
7番 石原(捕)
8番 郷田(一)
9番 相良(投)
ぞろぞろと集まってきて、顔をのぞかせた参加者たちは、確認すると『ふむ』と頷き、納得した表情で下がっていった。
ラグビー部は宗介に絶対服従であるし、空手同好会はみな上位打線である。文句が出ようはずもない。
しかし忘れてはいけない。これは相良宗介流オーダーリスト。当然、世間一般の常識とはどこまでもかけ離れたルールで構成されている。
一般常識としては、当然上位打線のほうが評価は高い。けれど、相良式オーダーリストは死んではいけない順で下位打線から並べられている。自身にとって邪魔なものを最前線へと送り込み、有能無能の隔てなく戦死させるという方法は、古来より使い古されてきた手法である。使わないわけがない。
また、守備位置も一般常識とはかけ離れて決められている。ふつう、野球は守備のうまい人物からセンターライン、つまり、二遊間、中堅手と固めていくものである。そして足が速ければ外野手。肩が強ければ右翼手、三塁手。などと適正に合わせていくものなのだが、宗介には当然そんな常識は通用しない。
二遊間をラグビー部に任せているのは、彼らの守備を買っているわけではなく、一成や空手同好会の面々に自分の背中を取られたくないからだ。そのうえで、同好会3人を僻地へと追いやり、一成を孤立させ、自分の目の届く位置に着かせた。
戦場で最も恐ろしいのは裏切り。以前味方の裏切りによって、組織が壊滅寸前にまで追い込まれたことがある宗介としては、これは当然の配置だったのである。
「……ふむ。敵より先に、椿を
顎に手を当て考え込む指揮官は、なにやら物騒なシミュレーションを頭の中で巡らすのだった。
そしてようやく、運命の一戦が幕を開ける。
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